16.元市警騎士団セドリック・バートン
殴って脅したとしても、キース本人が事情を話すはずがない。
まずは、なにが起こっているのかを把握しなければならないだろう。
リズは狩猟へ出かける貴族に混じって、ドハーティ侯爵にそれとなく探りを入れてみることにした。
動きやすいチェック柄のズボンとシャツを身につけ、毛並みの良い黒馬に跨る。
長いストロベリーブロンドは後ろで一つにまとめ、その上からズボンと同じ柄の帽子を被った。馬の足元では、立派な猟犬もついて歩いている。
「おおっ、なんということだ! 愛しのエリザベス、馬上の君も美しい。だが、出来れば、危険だからこのシャーロック・アボーンズと相乗りを――だから、無視しないでくれ! 少しくらい、こっちを向いてくれたまえ!」
薔薇の花をくわえて大袈裟に声を上げるシャーロックなど視界に入らない振りをして、リズは馬の手綱を握った。
前方を行くドハーティ侯爵の隣に並ぶ。
「流石はバートン伯爵のご令嬢。教養もおありなのに、なかなか活動的ですな。伯爵を置いてきてしまって、よろしかったのですか?」
「お養父さまは体調不良ですので、代わりにわたくしがお相手します。至らない点もありますが、ご指導のほど、よろしくお願いします」
「これはこれは。しかし、かつての天才剣士であられる伯爵と違って、わしが教えられることなど、そうそうありませんでしょう」
「て、てんさい? けんし?」
なにそれ初耳なんだけど。リズは両目を瞬かせた。
「ご存知ないですか? セドリック・バートンと言えば、十代でリンディン市警騎士団長を拝命した天才ですぞ」
「え……は? いえ、ま、まあ。そうなのですか?」
「軍務から手を引いたのが惜しまれていました。まあ、そのお陰で、あの名作小説が生まれているわけですが!」
「……小説のことはともかく、今度、父に聞いてみますわ」
現在の市警騎士団長をシャーロックが務めているせいか、ピンとこない。
セドリックが剣術も出来ることは知っているが、リズの知るバートン家は商業で成功する事業家だ。剣の話も、詳しいことはセドリックからなにも聞いたことがなかった。
因みに、セドリックは邸宅に残して、『舞踏』が入れ替えられた直後に侯爵が取った行動を調べさせている。キースが絡んでいるとすれば、あの一件を洗った方が早い。
リズはニッコリと猫被りをしながら、狩りに使うクロスボウを担ぎ直した。
「ところで、侯爵さまは教会の寄付も厚いと聞いておりますわ。庶民への施しも行っているとか……あれだけの邸宅を構えながら、どのように財産を運用なさっているのでしょう。参考までにご教授してくださります?」
「いえ、わしなど、まだまだ。バートン伯爵も手広く商売をはじめて、随分と儲けていらっしゃるでしょう。是非とも、いろはを教わりたいものです」
「あまり買い被らないでいただきたいですわ。お養父さまは運がよかっただけですから」
当然のごとく、簡単には情報を引き出すことは出来ない。
リズは笑顔を崩さず、会話を進めた。
「そういえば、先日、王宮の北回廊で盗難騒ぎがございましたね。侯爵と一緒に観賞した絵が盗まれたなんて、残念ですわ。あの画家にも、少し興味がわきましたのに」
まあ、盗んだのはあたしだけど。と、心中で付け加えて、微笑する。
侯爵は何食わぬ顔で嘆息した。
「そうですな。わしも残念でなりません……エイムズの絵は手元にもいくつかありますが、北回廊の一枚は特に素晴らしかった」
「ああ、エイムズ氏は侯爵さまと交友のある画家と仰っていましたね」
「はい。何枚か風景画や肖像画を描かせたほかに、壁画の描きかえや修繕も頼みましたな。あとは、聖メアリ教会へ寄贈した磔刑画を描いたのも、彼です」
「まあ、そんなにお仕事を任されたということは、よほどお気に入りでしたのね」
「そうですな。教会の絵を描いたあとにいなくなってしまって……わしも随分探したが、どこにいるのやら」
聖メアリ教会の絵は見たことがある。
あれもエイムズの作だったことを素直に感心しつつ、リズはゆっくりと歩く馬の手綱を操った。
「屋敷の礼拝堂の天井画も、エイムズ氏が?」
「ああ、よくわかりましたな」
「聖メアリ教会の絵を手掛けたと聞いて、なんとなく。それに立派な礼拝堂でしたので、つい細かく観察してしまいました」
キースが礼拝堂でなにかを探していたと言うので、カマをかけるつもりで話題に出す。だが、侯爵は特に反応を変えず、前方に視線を移した。
もうすぐ、侯爵が所有する狩り場についてしまう。
「本当に、お互い信頼なさっていらしたのね。エイムズ氏も、絵の中に侯爵さまを描いていましたし」
交換された絵の中に侯爵の姿が描かれていたことを思い出し、リズはとびっきりの笑顔を振りまいた。
「え……ああ、見たのですか? あの、盗賊が入れ替えた絵を」
盗賊じゃなくて、怪盗って呼べ! と、思わず心中で訂正する。まったく、どいつもこいつも……。
だが、リズは侯爵の言葉尻が乱れたことを見逃さなかった。
注意深く観察すると、先ほどよりも視線が覚束なくなっている。
やはり、あの絵を入れ替えることに意味があったということか?
「確か、王太子夫妻の結婚式の様子を描いた絵でしたね。お養父さまから、とても盛大な宴だったと聞いております」
「え、まあ……そうですな」
ドハーティ侯爵は無理に笑みを作りながら、先に馬を進めてしまう。
どうも逃げられた気がして、リズはその背を射抜くように見据える。しかし、同時に、あの絵に謎があると確信することが出来た。
これで、キースが侯爵に何らかの企みを抱いていることが確定したことになる。
一年前から失踪中の画家ウィリアム・エイムズ。エイムズの絵に動揺するドハーティ侯爵。
エイムズと友人関係にあるキース。
メイが見つけられなかった侯爵邸の金の在り処。
キースが探していたもの。
間違いなく、エイムズに関連していることはわかる。
エイムズが何らかの情報を握ったまま失踪し、それをキースが探しているのか?
だとすると、キースが礼拝堂で探していたのは、エイムズが残したなにか。そう考えても不自然ではない。そのために、宴に参加したのだとしたら、辻褄も合う。
だが、まだ謎を繋げる情報が足りない。
「ハンティングも得意なんですね」
不意に、背後から声をかけられる。振り返ると、キースが微笑んでいた。
地味な色合いの服は狩猟用の装いだが、弓は担いでいない。
「参加せずに見ているだけか?」
「こういう野蛮なスポーツは苦手で。実は乗馬も下手なんです」
そういえば、運動音痴だと自称していた気がする。
自分で言うだけのことはあって、リズが見ても、乗馬の腕もかなり悪いように思えた。こうして、並んで話しながら歩くのも苦労している。
「なにを嗅ぎまわっているんですか?」
侯爵と話していた現場を見たのだろう。
探りを入れられていると悟り、リズは敢えて唇の端をつりあげる。
「お前の邪魔をしてやろうと思ってな」
直球で言うと、キースは面食らったように片方しか見えない灰色の瞳を見開いた。だが、すぐに余裕を浮かべる。
「怪盗のお姫さまを怒らせてしまいましたか?」
「自覚があるなら、泣いて詫びろ。裸でリンディンの街をパレードしたら許してやってもいいぞ?」
「あいにく、僕はそこまで情けない男ではありません。リズの怒った姿を可愛いと思える感性はありますけれど」
狩猟場につき、侯爵がゲームの開始を宣言する。
参加者は各々に獲物を探して、生い茂った森の中をいく。
「せいぜい、余裕こいてることだな」
リズは言い捨てると、担いでいたクロスボウの先をキースに向ける。そして、狙いを定めながら引き金に力をこめた。
ヒュンッと弓がしなる音と、弧を描いて風を斬る矢。
独特の振動が腕に伝わった。
「お見事、リズ」
キースは自分の後ろを顧みて、軽く拍手をした。
茂みの中に倒れ込んだ雉の姿を見て、リズは満足げに笑みを浮かべる。そして、次の矢を装填した。
「今に見ていろよ、絶対にその余裕面を剥ぎ取ってやるから」
リズはそう言ってクロスボウを持ち直し、獲物を探して森の中へと進んだ。




