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13.エリザベス・バートンの『微笑』

 

 

 

 それから数分後。

 涼しい顔で、招待客たちが通されている部屋に向かうリズと、まるで熊に襲われたかのようにクタクタのズタズタで涙を浮かべるセドリックの姿があったのだった。


「まったく、うちの娘は愛情表現が過激で困っちゃうな」

「あら、まだ足りなかったようですわね」

「いつでも愛に飢えているからね」


 リズはこめかみに青筋を浮きあがらせながらも、ニッコリ返す。

 追加のお仕置きが確定した。

 社交界で自慢するだけでは飽き足らず、出任せと妄想で埋め尽くされた娯楽小説を書いて出版するなんて、どんな親馬鹿だ。いや、もう馬鹿親としか言いようがない。むしろ、ただの馬鹿だ。


 ため息をつきながら、次々と部屋に入ってくる招待客に目をやる。

 王宮ほどではないが、侯爵が私的に造ったダンスホールは装飾や設備も気が利いており、隅には小さな楽団も控えている。

 そこに入り込む招待客の一人に、リズは視線を吸い寄せられた。

 どうして、彼が?


「おおっ、我が愛しのエリザベス。こんなところでも会えるなんて、まさに運命! よろしかったら、今宵は私とともに甘い愛を語り合い――って、エリザベス? ちょ、このシャーロック・アボーンズを無視して、どこへ行こうと言うのだね!?」


 目の前に立ちはだかったシャーロックという名の馬鹿を華麗に無視して、リズは入口のそばまで歩く。そして、そこに立つ青年をきつく睨みつけた。


「……ああ」


 他の画家と談笑していた青年――キース・グレイヴがリズの存在に気づいて、灰色の視線を向けた。

 彼は談笑の相手に短く断りを入れ、ゆっくりと、こちらに歩み寄る。


「どうして、ここに?」


 猫を被ったままだが、怒気を抑えきれずに、リズは静かに問う。

 が、直後に自分でも愚問だったと悟る。

 キースは一応、画家の肩書を持っている。しかも、修繕家として名前も通っていた。

 文化交流が目的の場に呼ばれても不思議ではない。少なくとも、セドリックの書いたアレよりはマシな芸術家だろう。

 実態は詐欺師だが。

 キースは当然のように微笑むと、手にしていたシャンパングラスを空けて使用人に手渡した。そして、リズの前に立つ。


「やあ、作家の娘さん」

「てめぇ、あたしを怒らせたいのか」

「なかなか面白い本ですよ。読んでみては?」

「余計なお世話だ」


 セドリックの著書は意外と有名なのだろうか。イキナリおちょくられて、リズは小声で本性を晒した。

 この詐欺師は人を舐めることしかしないのか。


 そのとき、ちょうどダンスホール内に音楽が流れる。

 舞踏会のはじまりを飾るカドリールだ。周囲の男女が各々にペアを組み、スクエア・ダンスの体勢に入る。

 リズはダンスの邪魔になるので、ホールの隅に避けようとした。


「せっかくだから、踊りませんか?」


 飄々とした態度でキースが一礼し、リズの手を取った。

 その行為にリズはあからさまに表情を歪める。だが、既に周囲ではダンスのペアが組まれ、舞踏がはじまってしまっていた。

 リズは渋々と、カドリールの音楽に身を委ねた。

 カドリールは男女四組のペアによって構成される。踊りの途中で女性がペアを変えて場所を移動したり、すれ違ってお辞儀をしたりするのが特徴だ。

 だいたい舞踏会のはじまりはカドリールを踊るものだと、相場が決まっていた。


「どういうつもりだ」

「なんのことです? 愛らしいご令嬢をダンスに誘って、なにか不自然な点でも? それとも、僕の家柄はバートン家の養女の相手には相応しくありませんでしたか」


 リズは無難にダンスを踊りながら、キースに視線を叩きつける。

 キースは真意を告げずに微笑むばかりだ。

 曲が進むと、場所を移してペアを変える。それを繰り返して、再び元のペアに戻っていくのだ。


「嗚呼、愛しのエリザベス。よかったら、次のワルツは、このシャーロック・アボーンズと踊ってくれな――って、無視しないで。何事もなかったかのように、次のペアに移らないでくれたまえ!」


 紛れ込んでいた馬鹿子爵を思いっきり無視して、リズは再びキースの手を取った。そのまま曲が終わってしまうが、キースはなにも言わないままだ。

 どういうつもりだ。


「よかったら、もう一曲どうでしょうか?」

「断る」


 別にリズはキースと踊りたくて来たわけではない。

 なかなか腹の内を見せないキースに苛立って、リズは顔を逸らした。人を馬鹿にするにも程がある。


「それは残念だ。画家の娘さん」


 わざわざ強調するように、「画家の娘」と言われてリズは眉を寄せる。

 彼には、リズがエドワード・ランカの娘だとは言っていない。ロビンだということはバレていても、元王族だということは知らないはずだ。

 ここで挑発に乗れば、また自分の正体を肯定することになるかもしれない。リズは無視してしまおうと、踵を返した。

 けれども、すぐに立ち止まる。


「お前の目的はなんだ」


 問うと、背後でクスリと笑う声が聞こえた気がする。ここでリズが反応するのも計算通りと言われている気がして、癇に障った。

 キースはリズが取り替えた絵は、両方ともエイムズの絵だと言っていた。だとすれば、あの依頼になんの意味があったのだろう。

 まさか、ロビンを使って王族に嫌がらせをしたかったわけではあるまい。あんな安っぽい嘘を語ってまで、絵を取り返させた意味がリズにはわからなかった。


 隅に控えた楽団が優雅なワルツを奏でる。

 リズはもう一度キースを振り返り、唇を結んだ。

 キースは愉しげに笑みを湛えると、リズの細い手を取った。


「では、踊りましょうか。レディ・エリザベス」

「いちいち呼称を変えるな」

「なら、リズ」


 そう言うと、キースはリズの指先に唇を落とした。そのままワルツがはじまり、彼はリズの身体を自分の方へ引き寄せる。

 ワルツは他の舞踏よりも男女のペアが密着して踊る。昔はふしだらな舞踊だと言われていたが、今では舞踏会の華だった。

 リズは誰にも聞こえないよう、キースに疑問を投げかけた。


「どうして、絵を入れ替えさせた」

「詐欺師にそれを聞くんですか?」

「知る権利を主張する」

「そうか。では、またなにか面白い話を創りましょうか」


 真剣に取り合わないキースの足を、リズは偶然を装って踏みつけようとした。

 キースは自然な足運びでそれを避け、軽やかにターンしてしまう。


「あの絵に描かれた少女がリズだと、すぐにわかりました。修繕したいと言い出した理由も察しがついた」

「今は、そのことについて聞いてない。質問に答えろ」

「僕は話したいことを話す性分なんですよ」

「自分勝手だな」

「そうですよ。今更気づきましたか?」


 再びキースの足を踏みつけようと、リズは思いっきり踏み込むが、今回もスルリと避けられてしまう。そのせいで、リズは身体を傾けて、バランスを崩してしまった。

 キースはリズの身体を受け止めて、腰を強く引き寄せる。


「リズ」


 キースはそのまま、リズの耳元に唇を寄せた。

 不意に耳朶をかすめる低声に、リズは肩を強張らせる。キースに染みついた油絵具の香りがリズを惑わせる。


「一つだけ教えてあげてもいい」


 しっとりとなめらかで、心の奥底まで侵入する声が言葉を紡ぎ出す。

 蜜のように甘いが、茨のように触れるのがはばかれる。間近にいるのに、どこかで絶妙な距離を保たれている声だ。


「『微笑』を描きかえたのは、ランカ自身ですよ」


 リズは一瞬、その意味を理解出来なかった。


「なに……?」


 リズを描いたあの絵――『微笑』を描きかえたのが、父自身?

 信じられない。

 瞳を揺らすと、キースはその反応さえ見越したように続けた。


「だから、僕にはあの絵が彼の娘の肖像だとわかった。君のことを怪盗だと思ってカマをかけたのも、そんな予感がしていたから」


 キースには絵の過去が見える。

 当然、見た瞬間に下の絵がリズに似ていることに気づいたのだろう。


「……でも、仮にランカが描きかえたとして、どうしてあたしが娘ということになる」

「描きかえた理由を考えれば、なんとなく。リズには、まだわかりませんか?」


 言っている意味がわからない。

 リズは混乱して、ステップを踏む足を絡まらせてしまう。気を抜くと、すぐにまた転んでしまいそうだと思った。


「――お父さまが、そんなことをするはずがない」


 エドワード・ランカの娘であることを否定しても、今更だろう。

 それよりも、リズは言わずにはいられなかった。

 父は自分を愛してくれていた。だから、あの肖像を描いてくれたのだ。あの絵には、彼の愛が詰まっていた。

 そんな絵を描きかえるはずがない。

 リズとは似ても似つかない、見知らぬ女の絵などに描きかえるわけがないのだ。

 キースの言葉を否定したくて、リズは視線を上げる。

 それでも、キースの態度は揺るがなかった。


「嘘をつくな。父があの絵を描きかえるなんて、あり得ない」

「残念ながら、嘘じゃありません。僕には見えるから」


 眼帯に隠された妖精琥珀の瞳。

 片方しか見えていないはずなのに、全てを見透かされている気がするのは、何故だろう。

 だいたい、彼は絵の過去は見えるかもしれないが、それ以外は普通の人間だ。

 それなのに、どうして、こんなに恐れる必要があるのだろう。見透かされていると、感じてしまうのだろう。


「詐欺師の言葉なんか信じられるか」

「では、画家として。意図もなく、絵を描きかえる画家はいない。君はあの絵に込められた意思を踏みにじる気ですか?」

「あれはあたしの絵だ。あたしの望むべき姿で在ってなにが悪い」

「盗んだ絵ですけれどね」

「自分のこと棚にあげて、今度は説教するってのか? 元々は、あたしの絵だ。あれは、あたしの絵なんだよ」


 いちいち人を怒らせる言い方を心得た男だ。


「こんな所有者では、絵が泣く。返さず、僕が頂いてしまった方が良かったかな」

「お前にあの絵のなにがわかる」

「わかるさ。君よりはね」


 キースは全く悪びれる様子もなく言ってのける。

 ちょうどそのときワルツが終わり、彼はゆっくりとリズから身を離した。


「じゃあね、楽しかったですよ。リズ」


 キースはつかみどころのない笑みを残し、ホールの隅へと戻っていく。リズはその背を射抜くように見送るが、追う気にはなれなかった。


 わからない。

 キース・グレイヴという男がわからない。そして、彼の言っている意味がわからない。

 画家であり、詐欺師であり、新興貴族であり、珍しい妖精琥珀の瞳を持った男。


 どこまでが本当で、どこからが嘘なのかわからない。それでいて、全てを見透かすような視線と、冷静で飄々とした態度が気に食わなかった。


 ――『微笑』を描きかえたのは、ランカ自身です。


 どこまでが、あの男の真実だ?

 

 

 

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