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12.作家セドリック・バートン

 

 

 

 キースに騙されてからしばらく。

 不思議なことに、あの詐欺師は本当にリズのことを口外せず、かと言って、更に要求を突きつけてくることもなかった。

 今のところ、約束通りに沈黙を守っている。結局のところ、本物の『微笑』はアッサリと返してくれたし、傷ひとつついていない。

 だからと言って、リズの腹の虫がおさまるわけではなかったが。


「リズ。最近、怖い顔してないかい? パパの前くらい、いつもみたいに笑顔で大好きって言ってよ」

「いつ、誰が、どこで、そんな気持ち悪いこと抜かした」

「いつでも、可愛いリズが、頭の中で」

「妄想じゃないか!」


 あいかわらずの態度で言ってのけるセドリックに肘打ちをかましてやる。

 セドリックは大袈裟に咳き込みながら脇腹を抱え、涙目でリズのあとをついて歩く。


 この日は、王都郊外に構えられたアルフォード・ドハーティ侯爵の邸宅に呼ばれている。

 王宮の宴で会った気の良い紳士だと記憶している。

 気に入った者を客人として招き、ささやかな舞踏会を催すというのだ。

 こういった催しを好む貴族は多い。しかも、王都から少し離れているということで、宿泊まで準備してあるという。翌日も狩猟(ハンティング)を楽しみたいらしい。

 別に、少し時間をかければ馬車ですぐの距離なので、リズは泊る必要を感じていない。

 だが、王侯貴族というものは面倒で、それを当り前なことだと思っている。セドリックも「侯爵の家なら、さぞ素晴らしい持て成しをしてくれるんだろうね。楽しみだ」などと言っている。


 五年間、町娘として育ったリズは未だに慣れない感覚だ。

 近所の男の子たちと悪戯をして駆け回り、喧嘩の方法も覚えた。いつか王宮に戻らなければならないという自覚はあったものの、周囲が与える影響は大きい。

 女の子と遊ぶように養母から言われていたが、リズにとっては男の子と遊ぶ方が圧倒的に楽しかった。なんと言っても、リズは「ボス」として君臨していたので、「子分」に求められれば出掛けるのは当然だと思っていた。

 町の男の子の遊びは、王宮暮らしだったリズには想像も出来ないほど新鮮で、興味深いものだった。あの頃は、なんにでも興味を示していたと思う。

 それに、不躾に振舞った方が、万一役人の目に留まっても元王女だと気づかれないかもしれないという思惑もあった。

 実際、迎えに来たセドリックも、リズの野生児っぷりを見て最初は人違いだと思ったらしい。


「まあ、なかなか懐いてくれなかった頃と比べたら、随分と丸くなったよね。初対面したときは、泥合戦の真っ最中だったし……これは泥だらけにされるかもなぁと思ったら、不審者と間違えられて石投げられたっけ」

「泥じゃ目潰しが良いところだからな」

「痛かったんだから!」

「仕留めるつもりだったのにしくじった」

「パパは死にません!」


 セドリックは腕を組むと、感慨深そうに目を閉じる。


「屋敷に来た頃は口も聞いてくれなかったし、ご飯は顔に投げつけられるし、階段から突き落とされるし、ベッドに毒蛇は仕込まれるし、いきなりピアノ持ち上げられるし……歪んだ愛情が苦しくて、ドMに調教されてしまうかと思ったよ」

「いや、それ愛じゃないから。思いっきり本気で嫌がらせしてたから。あわよくば仕留めるつもりだったから」

「照れなくても、パパはちゃんとわかってます☆」

「わかってない!」


 てへ☆とか言いながら舌を出す表情が、なんとも言えない怒りを誘う。

 もう二十八のアルヴィオン紳士だというのに、なんと大人気ない。これでも名家の当主なのか。伯爵なのか。情けない。


 呆れてものが言えないリズだったが、侯爵の邸宅に足を踏み入れる頃には、お上品な猫を被っていた。

 邸宅と言っても、ほとんど宮殿のようなものだった。市内にあるタウンハウスとは違って、広い敷地を有効に使った造りが楽しめた。

 自然の造形と美しい花々で明るく彩られたアルヴィオン様式の庭園。その奥に構えられた建物は華やかな黄色に塗られている。

 邸宅の向こう側には、また違った趣の庭が広がっているのだろう。天使をモチーフにしたレリーフや、薔薇で彩られたアーチが見事だ。

 とりあえず、招待されている間は猫を被り続けなければならない。

 貴族の付き合いというものは本当に面倒で疲れる。

 リズは今から肩が重い気がした。




 エントランスに入ると、招待客たちが主の登場を待っていた。

 一瞥する限り、名門貴族から地方出身の成り上がり貴族、豪商、有名歌劇(オペラ)歌手、画家、作家など、身分は様々のように思われた。ただ共通することは、全員、なんらかの文化活動や支援を積極的に行っているという点だ。

 ドハーティ侯爵自身、多くの画家に資金を援助してパトロンとなっている。

 その他、慈善事業や孤児院の経営などにも積極的に自分の財を使っており、貴族にしては市民の人気も厚かった。


 察するに、自分が認めた文化人を集めて談笑する会のようだ。

 リズの場合は先日、北回廊で侯爵と会話を交わした縁があって呼ばれたのだろう。セドリックは人並み程度に美術品を嗜む趣味はあるが、別に傾倒しているわけではないので、このような集まりには不相応に思われた。


「みなさま、ようこそおいでくださりました」


 まだ参加者は全員集まっていないということだ。だが、来客を待たせるわけにもいかないようで、侯爵が直々にあいさつをはじめた。そして、一人ずつ、奥の部屋へと案内されていく。

 侯爵はセドリックとリズにも笑顔を振りまき、握手を求めた。

 あいかわらず、裏表がなさそうで、付き合いやすい笑顔の紳士である。


「今宵は楽しんでいってくだされば幸いです。一読者として、バートン伯爵には期待しておりますぞ」


 一読者? 侯爵がの言っていることがわからず、リズは首を傾げた。

 セドリックはなにも気にしない様子で、当然のように侯爵の手を握り返した。


「私の著作をご存知でしたか。これは恥ずかしいな」

「勿論ですとも! あれは素晴らしい!」

「お父さま、著作とはなんのことですか?」


 照れ笑いを浮かべるセドリックに、隣からリズが投げかけた。

 その途端、セドリックは嬉しそうに頬を紅潮させ、懐に忍ばせていた本を取り出す。無駄に分厚いが、表紙に可愛い少女が描かれた華やかな装丁の本だった。

 最近、王都で流行っている娯楽小説の類らしい。


「実はパパ、作家なんだよ!」


 物凄くニヤニヤした表情で本の表紙を見せられて、リズは辟易する。

 貴族が本を出すことは、別に珍しくはない。けれども、仮にも名家の当主なのだから、もっと威厳のある著書を出せばいいのに、と思わなくもなかった。

 更に、表紙に書かれたタイトルを見て、リズは眉を寄せる。


「『恋人は、お父さま ~パパじゃなくて、ダーリンと呼ばせてください~』……?」

「良いタイトルだろぉ? もう、パパ渾身の大傑作なんだよ。内容は、可愛い娘と――」

「あらら、お養父さま。いけませんわ、御髪が乱れています」


 最後まで聞かずとも内容を察し、リズは養父の髪をグイグイ引っ張る。「や、やめっ、引っ張らないで。痛い、イタ!」とか小声で言うセドリックに、リズは「あら、やだ。お父さま、髪が絡まってしまいましたわ。どうしましょう」と笑顔で返した。


「本の内容もさることながら、本物のお嬢さまも可憐ですな。二人のときだけパパと言って甘えてくれるのも、本の通りですかな?」


 微笑ましい(?)親子のやり取りを見て、ドハーティ侯爵がのんきに笑う。

 リズは頭の中でなにかがブチ切れる音を確かに感じ取った。娯楽小説の皮を被った自慢本ではないか! しかも、全て妄想の産物だ。


「まあ、恥ずかしいですわ。お父さまったら、そんなことまで……」

「よろしかったら、あちらのお部屋を。只今リンディンの話題をさらう人気作家殿の創作意欲を存分に駆り立てるのに、わしが一役買えるのなら嬉しい限りですからな。二人きりの方が、恥ずかしがり屋のお嬢さまも安心出来るでしょう?」

「侯爵さまのお心づかい、本当に感激いたしますわ。では、お言葉に甘えて。お父さま、行きますわよ」


 リズは完璧な猫被りを保ったまま、「なんか、嫌な予感がするけど、ちょっとドキドキしちゃうな。リズ、なにしてくれるの?」と期待をこめているセドリックを引きずって歩いた。

 

 

 

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