第9話 『真実はお好き?』
豊穣祭の二日目。
通りは相変わらず賑やかで、人々の往来も多い。
露店に並ぶ品々の中には、早くも売り切れの商品が出始めているようだった。
「よそ見してんじゃないわよハルト! 今は私が話してるでしょ!?」
ギルドの建物沿いに設けられた、十席にも満たない休憩スペース。
対面の席で、ミィアがテーブルを激しく叩く。
昨夜の事について、俺は尋問を受けていた。
「あの後、フェリアにおかしな事してないでしょうね!?」
「してないって。普通に帰って、ぐっすり寝たって。疲れてたのか昼過ぎに起きてからは、ミィアが屋敷に来るまでノワールさんの手伝いを……」
「つ、つつつ疲れてって……あんた、フェリアとなななな何かして……っ!?」
ミィアの頬が、みるみる内に赤くなっていく。
「何想像してるんだ!?」
「そ、そんな事私の口から言えるわけ……本当に何もしてないでしょうね!? あんな、あんな……破廉恥な……事をしようとして……」
「破廉恥ってキスの事か?」
「~~~~っ!」
ミィアは真っ赤になった顔を両手で抑え、とうとう悶絶を始めた。
どうやら彼女はそういう事への耐性が極端にないらしい。
「まぁ落ち着けって。結局してないんだから……」
「そういう雰囲気になったっていうのが問題なのよ! どうせあんたが無理矢理そういう風にもっていったんだろうけど……」
「いや、フェリアの方から……」
ミィアが身を乗り出して、俺の胸倉を掴む。
「黙ってなさい! 私のフェリアがそんなふしだらなわけないでしょ!?」
実績解除『我々の業界ではご褒美ですⅢ』
解除条件:女の子に暴力を振るわれる。
解除ボーナス:上位魔法『カウンター・フォース』の習得。
まだ続くのかよこの実績!
しかもなんか強そうな魔法が手に入ったんだけど!?
「なんであんたはそんな平然としてられるのよ……一大事なのよ!?」
「いや、平気なわけないだろ」
しっとりと濡れた蒼い瞳に、伏せられた長いまつ毛。
唇は突き出されるように出され、そして微かな息遣いから感じられる体温。
昨夜の事を思い出すだけで、心臓が高鳴りを覚える。
「あんな綺麗な子に迫られて、何も感じないやつは男じゃない」
「……? あんた、何を言ってるの?」
ミィアはようやく俺の胸倉を離すと、自分の席に落ち着いた。
「フェリアが可愛いのは当たり前でしょ? 私が言ってるのは、キスが婚約も同じって事よ。それをあんな場所で無理矢理にって事に怒ってるの!」
は?
キスが婚約も同じ?
混乱する俺の様子を見て、ミィアは訝しげな視線を送る。
「あんた、本当にどこから来たの? この国の習慣みたいなものでしょ? だから軽々しい気持ちでするもんじゃないのよ」
「知らなかった……えっ、じゃあ俺は……」
フェリアから婚約を迫られたのか?
あんな可愛い子が、どこの馬の骨ともしれない俺に?
「良かったわよ、結局は未遂で終わって。知らなかったで済ませたら大事だもの。これからは安易にキスしない事ね。まぁあんたじゃ今後一生、そういう機会は来ないだろうけど」
ミィアはようやく落ち着きをみせ、テーブルに置かれたグラスを手に取る。
中に入っていたオークベリーを絞った飲料は、一気に彼女の中に消えていった。
「フェリアが俺に……」
改めて意味を知らされても、信じられないという感情の方が大きい。
彼女の中で俺の存在は、よくても友人か弟くらいかと思っていたからだ。
「……気の迷いよ、きっと」
俺の混乱を察したミィアが、背もたれに体を預けて空を仰ぐ。
そこには眩しい太陽と、ゆっくりと流れる白雲があった。
「フェリアはここ数日、忙しかったから……きっと気の迷いよ」
「そう、かもな……」
「ノワールから勘付いたって聞いたわ……でもあんたは、私に聞かないのね」
「あぁ、聞かない。フェリアが約束してくれたんだ。今日、自分の口から話すって。だから鐘五つになる前に、今日は解放してもらうぞ」
俺とフェリアの約束を聞いたミィアは、少し悲しそうに両目を細めた。
「そう……フェリアは、そういう選択をしたのね……」
ミィアの指が、空になったグラスの縁をぐるぐるとなぞり始める。
黙っていた彼女は、やがて懺悔するようにゆっくりと話し始めた。
「幼馴染のくせに、私はフェリアの事を分かってなかったわ。あの子はもっと、弱いと思ってたの。だから私が守らなくちゃって……」
ミィアのグラスをなぞる指が、ぴたりと止まる。
つい指先を見ていた俺が視線を上げると、そこには疲れ切った少女の顔があった。
「……でも私は変えられなかった。フェリアを変えたのは……悔しいけど、ハルトよ」
何かを飲み込むようなミィアの声が、周囲の喧騒の中に溶けて消えていく。
俺はどう返せばいいのか分からなくて、聞こえなかった事にした。
ミィアとて、敗北宣言を聞かれたくはなかっただろう。
「じゃあ、私は行くわ」
ミィアは立ち上がると、立てかけていた杖を手に取る。
尋問の終わりで俺はつられて立ち上がり――空に違和感を覚えた。
「フェリアの話を聞いて、あんたがどう行動するかは自由だけど……」
彼女はローブを翻し、帽子を目深にかぶる。
俺は人混みへと消えようとする彼女の肩を掴んで止めた。
「何よ? まだ何か私に用が……」
「なぁ、ここらへんに、あんな生き物なんかいたか?」
俺の視線を追って、ミィアも空を仰ぐ。
イェーナ周辺のクエストばかりを受けたから、今の俺には違いが分かる。
白い雲を背景に、こちらへとゆっくり下降してくる生物たち。
それらが決して、ここらでは見かける事がない存在だと。
「っ!」
ミィアは杖で地面を一回小突くと、頭上へと掲げた。
杖の先端から出たのは、光の玉だ。
空へと飛んでいったその魔法を、俺は知っている。
彼女に初めて魔法を教えてもらった後、ミィアの呼び出しで用いられたからだ。
「魔物よ! みんなここから離れなさい!」
ミィアの呼びかけで、祭を楽しんでいた人々は一瞬で恐慌状態に陥った。
混乱の中で聞こえるのは悲鳴と怒号。そして大人の泣き言と子供の泣き声だ。
「な、なんで今なんだよ!? まだ時間はあるだろ!?」
「押すな! 俺が先に――」
「私の子供はどこ!?」
通りの人混みは激流と化していた。
ミィアはその有様を確認し、再び杖を頭上へと掲げる。
「安心して、落ち着いて避難なさい! あいつらは私が食い止めるわ!」
魔法のかかったミィアの声が、ギルド周辺に響き渡る。
人々は彼女の切った見栄に足を止め、そして落ち着きを取り戻した。
「《白金の魔女》様!」
「大丈夫だ、俺たちは助かる!」
「おい、怪我人がいるぞ! 運ぶのを手伝ってくれ!」
パニックだった人々は、理性をもって行動を始める。
一声で場を掌握した彼女の面持ちは、しかし晴れやかとは言えなかった。
「……全員の避難が終わるまで、時間を稼ぐ必要がありそうね」
「迎撃するのか? でもあれ、かなりの数だぞ……」
スキル《望遠》でざっと確認した限り、敵の数は百以上いそうだった。
四枚の翼を動かす鳥のようなものから、鋭い牙を持つ昆虫のようもの。
一体一体は弱いのかもしれないが、しかし数では圧倒的に不利だ。
「《白金の魔女》様! この時期、ギルドはお休みです。冒険者の方々は近くの街にクエストを求めて移動しているので、十分な戦力は……」
ギルドから飛び出してきた受付嬢に、ミィアは声を荒げる。
「《白金の魔女》一人で十分よ! 一般人をギルド内に避難させなさい!!」
「わ、分かりました! ではそのように……」
「すみません、俺に剣を貸してくれませんか!?」
受付嬢は頷いてから、ギルドへと引っ込んでいった。
ミィアは俺の行動が意外だったようで、目を丸くしている。
「あんた、戦うつもりなの?」
「これでも冒険者だからな。それにミィアは大丈夫なのか?」
「フン、誰に言ってるのよ?」
自信に満ち溢れた彼女の顔が、今はただただ頼もしい。
「ギルドの貸し出し品で、一番上物です! 使って下さい!」
受付嬢が投げてよこした剣を、俺は片手で受け取る。
「なら俺は、ミィアの援護だ」
鞘から抜き放った剣が、太陽の光を反射する。
鋭い刃を構える俺の姿に、ミィアはにやりと笑った。
「守らせてあげるわ! 光栄に思いなさい!」
まるで雨のようにモンスターたちは降り注ぎ、家屋や通りは瞬く間に埋め尽くされていく。
「誘導弾で一気に殲滅するわ! 敵の感知と捕捉に時間がかかるから、その間は私を守りなさい!」
「任せろッ!」
俺はミィアを狙って飛び跳ねた巨大なバッタ型モンスターを、剣で突き刺す。
「《ウォーター・アロー》!」
水の矢が人頭大のハエを貫いた事で、俺たちは彼らに目を付けられる事となった。
「ちゃんと実戦向きに扱えるようになったわね。まさかこんな所で役に立つなんて……」
「いいから早く魔法を準備してくれ! いつまでももたないぞ!」
俺は息を吸ってから、《ハウリング・ボイス》を吐き出す。
辺りを制圧する衝撃波が、モンスターと俺たちの間に空白の距離を作った。
「やってるわよ! 数が多いの!」
両目を瞑ったミィアが、杖をくるくると回して魔法の詠唱を始める。
俺は飛びかかってきた魔物を斬り、刺し、蹴ってでも彼女に近づかないように戦った。
「ぐっ……」
昆虫型の固い外皮を切りつけた後、ほんのりと右手首に痛みが走る。
やはり、長期戦は厳しい。
まともに剣を振れるのは、あと何回だろうか。
俺は頭をよぎった最悪のシナリオを振り払うため、剣を薙ぎ続ける。
「ミィア! これ以上は……っ!」
「よく耐えたわね! この私が褒めてあげるわ!」
数時間にも感じられた戦いの終わりを、告げたのはミィアの破顔だ。
「いくわよ……《リフレクション》!」
ミィアを中心にして発生した微かな風が、街を飲み込んでいく。
束の間の静寂の中、両目を開いたミィアは高々と杖を掲げた。
「この私が一匹たりとも逃がすわけないでしょ……《ブレイド・レイン》!」
ミィアの杖から放たれたのは、かつて俺が見た魔法だ。
放出された風の刃は一つずつが意思を持つかのように、曲がって魔物へと吸い込まれていく。
聞こえるのは風の刃がモンスターを仕留める音と、その悲鳴だ。
瞬く間に俺たちの周囲は勿論、街中から敵が一掃されていく。
「す、すげぇな……」
俺は剣を下ろし、周囲を見渡す。
通りにはモンスターたちの死体が転がり、異臭を放っていた。
逃げ遅れた人々は呆然と、終わりを迎えた戦いの中で立ち尽くしている。
「複合魔法よ。あんたに貰った《リフレクション》は敵を高精度で捕捉する魔法なの。それに《ブレイド・レイン》を掛け合わせたのよ。実戦では初めてだったから、上手くいくか心配だったけど……流石は私ね!」
自画自賛のミィアは大量に魔力を消費したため、顔色が優れなかった。
「あぁ、流石はミィアだ」
「手放しであんたに褒められると、それはそれで裏があるんじゃないかって思うわ」
「ひどいな。心からの尊敬だぞ? 可愛くて強くて賢くて、俺の自慢の師匠だ」
「かわ……っ!? だから止めなさいってばっ!」
ミィアは杖でもって、俺をびしびしと叩き始める。
照れ隠しの行為は少々過激だったが、それも彼女らしくて咎める気にはならなかった。
実績解除『我々の業界ではご褒美ですⅣ』
解除条件:女の子に道具を使って暴力を振るわれる。
解除ボーナス:スキル《弱点分析》の習得。
こっちは咎めよう、うん。
これで女の子の弱点を分析しろってか!?
ホントいい加減にしてくれよ神様!
「あんた、怪我してるじゃない!」
ミィアはふと杖の連打を止めて、俺の腕をとる。
彼女の言う通り、右腕には浅い切り傷があった。傷自体は深くなく、放っておいても問題はなさそうだ。
「夢中で気付かなかった……大丈夫だろ。かすり傷だ」
「モンスターからの傷よ? 念のため魔法で治癒するわ」
「ミィアはもうかなりの魔力を使ったんだろ? 魔法じゃなくても、あとでちゃんと消毒するから……」
「あいつが……あいつが、腹を空かせてるんだ……」
俺の耳に入ってきたのは、立ち尽くしていた男の声だ。
男の呟きで堰を切ったように、人々は何事かを話し始める。
雑音の中ではっきりと耳に届いたのは、聞いた事のある単語だ。
「早くあの娘を、《アルバトス》に……っ!」
アルバトス……?
それは確か昨日、フェリアに酷い事をした母親が言っていた名前だ。
フェリアに関わった娘に、彼女はこう言い聞かせていた。
――アルバトスに、連れて行かれると。
「ミィア……アルバトスって、何だ?」
問いかけた俺から、彼女は露骨に顔を逸らした。
まるで傷が痛むかのように……罪悪感に苛まれるように、彼女は唇を噛む。
「教えてくれ……この襲撃には、アルバトスってやつが関係してるのか……?」
「……えぇ、そうよ」
やがて観念したのか、ミィアはゆっくりと話を始めた。
「この襲撃も……この辺りのモンスターが凶暴化して、私が王都から呼ばれたのも……全部、アルバトスが関係しているわ……」
「何なんだよ……アルバトスって……」
「エンシェント・ドラゴン……つまり、古代竜よ」
ミィアの言葉に、周囲の人々も息を飲んだ。
「イェーナを根城にしている、大きな竜よ。奴はここらへんに出没するモンスターたちの、支配者でもあるの」
ドラゴンがいる事は、神様から聞いていた。
けれどイェーナで生活している間、そんな話はちっとも聞いていない。
だからてっきり俺は、もっと人里離れた場所での事なのだと思っていた。
まさかその脅威が、ずっと身近にあっただなんて。
「でもそんなやつがいるなら、クエストに討伐依頼があっても……」
「過去、色々な人が討伐に挑んだわ。それこそ、軍が動いた時もあった。でも誰も倒せなかった……だから私たちは、アルバトスと共存する道を選んだのよ」
「共存……?」
「アルバトスはずっと活動しているわけではないの。ただ眠り続け、災害を引き起こし……そして十年に一度、目を覚まして生贄を求める」
ミィアはその先を、口にするのを躊躇った。
けれど俺にはもう、それが誰を指しているのか分かってしまう。
「それが、フェリア……なのか……?」
俺は心から、否定してくれるミィアを望んでいた。
けれども彼女が突きつけたのは、非常な現実で。
「……その通りよ。フェリアの……ルミナート家の血筋は、アルバトスの寿命を引き延ばす。生贄を差し出さなければ、街が滅ぼされる……だから……」
「っ!」
実績解除『真実はお好き?』
解除条件:秘密にされていた真実を知る。
解除ボーナス:スキル《耐性強化Ⅰ》の習得。
もう、いても立ってもいられなかった。
剣は手を離れて地面に突き刺さり、俺の足は勝手に走り始める。
「待ちなさいハルト! どこに行くつもりよ!? フェリアはもう――」
ミィアが呼び止める声を、背後に置いてけぼりにして。
俺はイェーナの街を駆け抜けて、正門をくぐった。
目的地はただ一つ。
彼女と待ち合わせている、約束の場所。
俺たちが初めて出会った、あの木の下へ。
「フェリア……ッ!」
道を外れて草を踏みしめると、思い出すのはフェリアと過ごした日々。
彼女は絶体絶命だった俺を、助けてくれた。
彼女は不審者丸出しだった俺に、優しく手を差し伸ばしてくれた。
一緒にいると楽しいと、微笑んだあの無垢な笑顔を。
不安だらけの異世界で感じた、彼女の温かい手の感触を。
「フェリア……っ! フェリアァァァァ!」
忘れる事なんて出来ないから、俺は約束の木の下で叫んだ。
風が木の葉をざわめかせるが応える声はない。
――約束の、鐘が鳴る。
――遠く離れたイェーナの鐘が、フェリアとの待ち合わせの時間を告げる。
けれど彼女はいくら待っても、現れはしなくて。
「騒動の後だからな……だから、きっと、遅れて……」
ぐらりと、歪んだのは視界だ。
夕焼けの空も地面も草木も弧を描き、俺は立っていられなくて膝をつく。
「痛っ……」
ずきりと、痛んだのは右腕の傷だ。
浅かったその傷跡を中心に、緑色の斑点が広がっていた。
「これは……毒……?」
その答えに行きついたのが、意識の終着点。
顔を地面にぶつける感覚を残して、俺は暗い場所へとゆっくり落ちていった。




