第8話 『肉汁の宝石箱や!』
イェーナで開催される、豊穣祭の初日。
通りには外からやってきた見物客も多く、人でごった返していた。
俺はギルドの壁に寄りかかりながら、並んでいる出店を眺める。
食べ物や土産品に限らず、射的などの遊戯を扱う所もあった。誰しもが笑顔を浮かべて祭を楽しむ中、気が晴れない俺の表情は固い。
結局、フェリアに彼女の問題を聞き出す事は出来なかった。
同じ屋敷に住んでいながら、あれから二人きりで会うという機会が一度もなかったのだ。
フェリアの傍には必ずノワールさんか、街の権力者がいた。ご飯のタイミングも別々で、どうやら彼女は多忙を極めているらしい。
ミィアの姿も、あの日以来見ていなかった。
俺はといえば彼女を捕まえられず、今日のために簡単なクエストをこなす日々だ。
「……フェリア、遅れてるな」
そうして時間は流れていき、約束の時間になってしまった。
ノワールさんを通して聞いた、約束の時刻は昼の鐘一つ。
間もなく一つ半になろうかという時、ようやくフェリアは姿を現した。
「ごめんなさいハルト。久しぶりなのに遅れてしまって」
走って来たのか、フェリアは肩で息をしていた。
精緻な刺繍の施された白い服は、この世界の技術レベルからすると高価な一品だろう。その証拠に、通りを歩く若い女子たちは残らず目を奪われている。
清楚な衣装は彼女の優しい雰囲気と相まって、とてもよく似合っていた。
「祭の準備があって……怒ってる?」
「ないない。忙しそうだもんな、フェリアは」
久しぶりに見た彼女は心なしか、疲れでやつれているように見えた。
だから彼女を労う意味を込めて、俺は腰に提げていた袋を取り出す。
「よーっし、今日のためにたくさん稼いだから、超遊ぶぞ!」
「うわ、すごいお金! ハルト頑張ったんだね!」
中に入っている金貨と銀貨を見て、フェリアは素直に感嘆していた。
「めっちゃクエスト受けたもん。おかげでここら一帯の生き物に詳しくなれたぜ? 今じゃフェリアより詳しいかもな」
「じゃあ頼もしい冒険者ハルト、行きましょう?」
フェリアは俺の左手を、自身の右手で握りしめた。
突然の女の子の感触に驚いていると、彼女は少し顔を逸らしながら呟く。
「人通りが多いでしょう? ハルトはすぐに迷子になりそうだからね」
「あ、あぁ……」
俺は彼女の手の平を握り返しながら、人混みの中を歩く。
横目で確認したフェリアの金髪から時折、赤くなった耳が見えたような気がした。
「まずはね……あれ! あの店がいいな!」
フェリアが指差したのは、香ばしい煙を立ち昇らせる出店だ。
近づいてみれば、金網でじゅうじゅうと肉を焼いている。
「もしかして……トントロ?」
「当たり。食べるのは初めて?」
「そういえばたくさん狩ったけど、一回も食べてないなぁ」
「他にはどんなクエストを受けたの?」
フェリアと一緒に列に並びながら、俺はこれまで受けたクエストの話をした。
薬草を探しに、草原を超えた森に入った事。
洞窟の奥深くで、冒険者が落とした大事な剣を拾いに行った事。
グレイウルフの生態調査のため、何人かの冒険者と組んだ事。
きっとどれも、語る程の冒険譚ではない。
けれどフェリアは興味深そうに耳を傾け、相槌を打ち、笑顔を浮かべてくれた。
「らっしゃい! 二つかい!?」
やがて俺たちの順番になると、フェリアはその笑顔を店主に向けた。
「えぇ、お願い。この人、トントロを食べた事ないのよ? 絶対マズいに決まってるって。だからこのお店のは美味しいのよって言ったのに、信じないから連れてきたの」
「なぁにぃ~? 俺の料理がマズそうだってぇ~!?」
「えっ、あれ!?」
そんな事一言も口にしていないのだが、店主は俺を睨みつけていた。
フェリアは店主に見えないところで、口元を手で隠しながら笑っている。
「よーしよーし、分かったぜ兄ちゃん。なら美味いトントロをしこたま味わわせてやろうじゃねぇか!」
店主は肉を焼きながら手際よく、薄い生地を取り出した。
俺を一瞥すると――その上に脂が滴る肉を盛る。盛る。更に盛る!?
「まだまだぁ!」
店主は掛け声と共に野菜をまぶし、ソースをかけてくるくると巻いた。
完成したものは、厚手のクレープのようなものだ。
差し出されたそれを受け取ると、俺は店主に促されて恐る恐るかぶりつき――目を丸くした。
「なんだこれ……うまっ、超ジューシーだ!」
脂はあっさりで、肉はよく引き締まっている。しゃきしゃきとした野菜の歯ごたえもさることながら、柑橘系のさっぱりしたソースが一層に旨みを引き立てていた。
これなら女子や老人でも、ぺろりと食べられてしまうに違いない。
俺みたいな若い男なら、いくらでもいけそうだ。
実績解除『焼肉パーティー』
解除条件:トントロの肉を食べる。
解除ボーナス:スキル《肉焼き将軍Ⅱ》の習得。
実績解除『肉汁の宝石箱や!』
解除条件:ジューシーなお肉を食べる。
解除ボーナス:スキル《肉焼き将軍Ⅲ》の習得。
うおおん。
どんどん焼肉系スキルが充実していくぞ!?
「はははっ、どんなもんだい! こいつが一級品ってやつよ!」
「このトントロ巻き、ほっぺたが落ちそうだ……」
俺が更にかぶりついた事で、店主は太い腕を俺の肩に伸ばした。
力強くばんばんと叩きながら、にんまりと黄色い歯を覗かせる。
「気持ち良い事言ってくれるじゃねぇの! つい大盛りにしちまったが……並盛り料金でいいぜ!」
「ありがとう、おじさま」
俺は銀貨で払って銅貨のお釣りを受け取り、フェリアと露店を離れる。
「もしかして……こうなるって予想してあんな事言ったの?」
「これも一つの交渉術よ?」
したり顔で、フェリアはトントロ巻きにかぶりついていた。
何だかたくましい彼女に思わず笑いながら、俺たちは通りを店から店へジグザグに歩き回る。
土産物を扱う出店では。
「見て見てハルト! この仮面よく出来てるわ!」
「おぉ……何だか吸血鬼になりそうだな」
ボールを箱に投げ入れる、遊戯を開く出店では。
「ハルト! あれ欲しい! あのぬいぐるみ!」
「任せとけ! 俺が本気を出せばすぐ……あれ? おっちゃん、もう一回だ!」
たっぷりの生クリームが乗った、パフェのようなものを扱う出店では。
「んん~甘さでとろけそう~」
「男の俺にはがつんとくる甘さだ。あのトントロ巻きが恋しくなるな……」
「……もう一回行く? 行っちゃう?」
俺たちは気の赴くまま、とにかく自由に遊びまくった。
これでもかというくらい、豊穣祭を楽しんだ。
やがて俺の所持金が銀貨十枚にまで減った頃、空は夕焼けの赤みを帯び始める。
「今日は楽しかった~」
フェリアは満面の笑みで、体を大きく伸ばした。
俺の両腕には溢れんばかりの、祭で手に入れた品々がある。
無駄遣いと言えばそうなのだが、しかし俺は無駄だとは思わなかった。
だってフェリアがあんなにも、楽しそうなのだから。
「……ん?」
視線を感じた俺は、その先を辿る。
そこにはこちらをじっと見つめる、小さな女の子がいた。
「……どうした? 迷子か?」
彼女が見ていたのは、フェリアの腕の中にあるぬいぐるみだ。
ウサギとクマの間のような謎の生き物は、遊戯屋での戦利品である。
「……あれ、欲しいのか?」
こくん、と少女は頷く。
するとやり取りに気付いたフェリアが、俺の腕からぬいぐるみを抜き取った。
「はい、あげる」
フェリアが差し出したぬいぐるみに、少女は目を輝かせた。
両腕を伸ばそうとした彼女はしかし、その動きを止める。
「でも……お姉ちゃんのだから……」
「いいのよ。私の家にはもっとたくさんあるんだから」
フェリアに言われて、少女は笑顔でぬいぐるみを受け取った。
ぎゅっと抱きしめるその姿に、俺たちは思わず微笑む。
「お姉ちゃん、ありが――」
「ここにいたの!? 心配したんだから!」
少女のお礼の言葉を遮って、現れたのは彼女の母親だ。
その視線は娘が持つぬいぐるみから、俺へ。
そしてフェリアへと移り――驚きに目が見開かれた。
「あの……欲しがっていたようなので……」
事情を話すフェリアの言葉はたどたどしい。
そんな中、母親は娘からぬいぐるみを引っ手繰り、それを俺へと突き返した。
勢いよく押し付けられた俺は、何とかバランスを取る。
「勝手に物を与えてごめんなさ……」
「二度と、私の娘に関わらないで!」
少女の母親から返ってきたのは、怒号だった。
フェリアは驚きで小さな肩を跳ねさせ、表情に陰りを作る。
周囲の人々は何事かと、俺たちを遠巻きに見ていた。
「何もそこまで言う事は……」
その態度が許せなかった俺を、母親は一瞥もしない。
そのまま娘の手を取ると、ぐいぐいと引っ張って俺たちから離れていってしまった。
「関わっちゃダメって言ったでしょ!? しかも物を貰うなんて……」
「でもお姉ちゃんがくれるって……」
「いいからお母さんの言う通りにしなさい! じゃないと《アルバトス》に連れて行かれるわよ!?」
離れていく母親から聞こえる、心無い言葉。
周りの人々もひそひそと、俺たちを見ながら何かを噂していた。
「フェリア……」
優しい彼女の心中を思うと、やりきれなかった。
けれど彼女は振り返ると、俺にいつもの顔で笑いかける。
「勝手に物をあげたのは私だもの。仕方ないわ。それより……こっちよハルト! お祭りはまだ終わりじゃないわ!」
「ちょ、ちょっと待ってフェリア!」
駆け出したフェリアの後を追い、俺は路地裏を駆け抜ける。
程なくして彼女が扉を開いたのは、一軒の建物だ。
真っ暗な中を進んで階段を上っていき、二階の窓からフェリアは屋上へと出た。
「フェリア、ここは……?」
「空家のこの建物から、魔法使いのパレードがよく見えるの。ノワールが今朝教えてくれたのよ?」
フェリアの言う通り、確かに眼下には大通りがある。
パレードが通るためか、人々は通りの左右に分かれて道を作っていた。
「そろそろ始まる頃だわ。座って見ましょう?」
フェリアは建物の縁に腰を下ろし、両足を宙に投げ出した。
俺もその隣に座り、荷物を下ろしてから通りの様子を眺める。
「魔法使いの……って事はミィアも?」
「もちろん。主役じゃないかしら?」
「《白金の魔女》様だもんなぁ」
人々の喧噪で賑やかな下界と、対照的に静かな屋上。
聞くなら、今しかなかった。
「なぁ、フェリア……」
「うん?」
「フェリアは――」
――俺に、何を隠してるんだ?
その言葉は、爆音の中に消えた。
打ち上がった七色の花火が、夜空で大きく花開く。
「わぁっ、すっごく綺麗ね!」
フェリアの蒼い瞳に、花火の光が反射して煌めいていた。
自然と微笑みを浮かべる彼女の姿に、俺は言葉を飲む。
「あぁ……綺麗だ」
花火は魔法がかかっているのか、縦横無尽に夜空へと広がっていく。
人々はみな、空を見上げて歓声を上げていた。
「ほらハルト! パレードが始まるよ!」
フェリアが指差す方向から、杖を手にした人々が隊列を組んで歩いて来る。
ローブとつばの広い帽子はミィアの言っていた、魔法使いの正装だ。
彼らは通りを堂々と歩きながら、各々で杖を振り始める。
降り注ぐのは、光の雨だ。
宙を舞うのは、光で編み込まれた動物たちだ。
ある魔法使いは火炎を自在に操り、ある魔法使いは氷でドレスを作ってみせる。
「パレードはね、魔法使いの研鑽を披露する場でもあり、私たちがその恩恵の元にいるって知らしめる意味もあるのよ」
「魔法使いって結構いるんだな。俺はミィアくらいしか会ってないから、元々数が少ないのかなって思ってた」
「豊穣祭のために、王都から魔法使いが来てるのよ。この街に普段からいる魔法使いは、ミィアを入れても五人しかいないわ」
フェリアの話を聞きながら、俺は魔法使いの列にミィアがいないかと目をこらす。
彼女がどんな魔法を披露するのか、気になったからだ。
――いや、本当は違うのかもしれない。
フェリアに向き合えない、弱い俺の逃避行動なのかもしれなかった。
「……ハルト、ありがとう」
ぽつりと、フェリアは呟いた。
それは何故か、別れの挨拶のようで。
「フェリア?」
「私はね、この街が好きなの」
彼女の瞳に映るのは、街の夜景だ。
どこか遠くを眺めながら、フェリアはぽつぽつと語り出す。
「賑やかで、色々な人がいて……時にはつらい事だってあるけど、それでも私はこの街が好き。みんなの笑っている顔が大好きなの……」
「……そっか。フェリアは優しいんだな」
フェリアを見ると、視線が合った。
夜風に金色の髪を揺らしながら、やがて彼女は淡く微笑んでみせる。
「もちろんその大好きには、ハルトも含まれているんだよ?」
「えっと……その、嬉しいよ……」
どくんと、心臓が跳ねた。
フェリアに正面から見つめられて、俺は恥ずかしさで視線を夜空へ逸らす。
そんな情けない俺を凝視する彼女は、自身の心臓の位置に手を置いた。
まるで自分の中心にある大切な何かを、ゆっくり感じ取るように。
「……ううん、違うかもしれない。きっと、確かに違うの……みんなを大好きなこの気持ちと、ハルトに対する気持ちは……」
「……フェリア?」
フェリアの片方の手が、そっと俺の頬に添えられる。
彼女の瞳は僅かに細められ、しっとりと濡れていた。
動けなくなってしまった俺は、ただフェリアの出す雰囲気に鼓動が早まっていく。
「ハルト……」
フェリアの顔が、少しずつ俺に近づいてくる。
小ぶりで艶やかな桜色の唇が、近づいてくる。
俺はどうしていいのか分からないまま、瞳を閉じて――
「どわわわああああっ!?」
――頭を思い切り殴った暴風に、屋上から転落しそうになった。
きょとんとするフェリアをそのままに、原因を探ろうとした俺は見つける。
通りでパレードをする列の中に、杖をこちらへ向けるミィアを。
彼女は頬を痙攣させながら、俺へ凶暴な笑みを浮かべていた。
スキル《望遠》で見ると、声は聞こえなくてもその口で何を言っているのか大体分かる。
『ぶっ殺す!』
うん、間違いない。
分かりたくなかったなぁ!
「あはは……見つかっちゃったね。何だか、恥ずかしい……」
「出会いがしらに殺されそうだな俺……」
さっきまでの雰囲気は消え、フェリアは赤面しながら少し距離を取っていた。
俺はといえば恥ずかしさもあったが、ミィアがまた魔法を放たないか戦々恐々だ。
「とにかくね、ハルト。私が言いたかった事は一つよ」
フェリアが俺の手を、そっと両手で握りしめた。
「あなたといれて、とっても楽しかったわ」
「俺の方こそ、フェリアといれて楽しかったよ。もうお金もなくなっちゃったけどさ、また遊ぼうぜ!」
俺の提案に、フェリアは笑みを浮かべる。
けれど肯定も否定も、彼女は返さない。
ただ沈黙し、それからゆっくりと視線を逸らしてしまった。
だからだろう。
「……フェリアは俺に、何を隠しているんだ?」
俺の口からぽろりと出た問いかけを、フェリアは覚悟していたのだろう。
誤魔化す事も嘘を吐く事も、彼女はしなかった。
「明日は一日、準備で屋敷にいないわ。抜け出せるのは昼の鐘五つ頃だから……その時間に、私たちが最初に会った場所に来て欲しいの。そこで全部話すから……だから、それまで誰にも聞かないで欲しいの……お願い」
「……分かった」
一言そう返すだけで、俺は精一杯だった。




