第6話 『初めての狩り』
ミィアに魔法を教わり始めてから、一週間が経った。
俺はくたびれた鞘に入った剣を腰に差し、草原の上に立っている。
ギルドからの貸与品である得物は、見た目はぼろくてもよく手入れがされていた。
『ウォーウルフ三十頭の討伐クエスト・報酬は銀貨十枚・ウルベ山の麓』
『オークベリー採取クエスト・報酬は銀貨三枚と収穫したベリーの三割・プルプト森林』
『ゴルドゴーレム捕獲クエスト・報酬は金貨五十枚・海港都市ミモザ ※このクエストは上位の冒険者限定です』
あまり遠方では困るし、高難度では達成出来ないかもしれない。
ギルドのクエストボード前で吟味した結果、俺は討伐クエストを引き受けた。
『トントロ五十頭の討伐クエスト・報酬は討伐数×銀貨一枚・ルーグ草原』
近場で、報酬も他と比べて良い方だ。
銀貨一枚は元の世界に換算すると、五千円くらいだろう。
つまり一時間で一頭しか討伐出来なくても、時給五千円となる。これならば高校生が稼ぐ額としては、悪くないと思ったのだ。
そうして俺は貸与品の装備に身を包み、草原に立っているわけである。
「よし……始めよう」
俺の視線の先にいるのは、二十頭以上はいるトントロだ。
元々、彼らの生息域は森の中らしい。
それが最近は草原に出没し、放牧用の草も食い荒らしてしまうのが問題だった。
俺は右手を掲げ、魔力量を調整する。
「ウォーター・アロー!」
三本の水の矢が射出され、一頭を捉えた。
トントロは丸々とした体を宙に舞わせた後、地面に転がっていく。
弱い。
今となっては、確かに弱い。
襲われた事をミィアが笑っていた意味が、ようやく分かった気がした。
ブブウゥゥゥ!
ブブブゥーブブッ!
仲間がやられた事を受け、トントロの群れは二つに分かれる。
一つは一目散に森の方向へと逃げ去る群れ。
そしてもう一つは、俺へと突進を始める群れだ。
猛るその鳴き声は「あいつ弱そうだ! やっちまおうぜ!」と言っているような気がした。
「魔法があっても舐められるのか俺は……」
俺は再び魔力を循環させながら、大きく息を吸う。
吐き出す絶叫は、ハウリング・ボイス。
衝撃波は先頭のトントロを気絶させ、次々に転倒させていく。
残ったのは、五頭だ。
魔法は連発すれば、それだけ疲労が大きい。
俺は腰に提げていた剣を抜き放った。
これまで数多の冒険者に貸し出されたためか、柄の部分は使い古されて擦り切れている。
抜いた刀身には細かな傷があるものの、刃は滑らかな輝きを放っていた。竹刀とはまた違うが、その感触は不思議と手の平にしっくりとくる。
「よしっ!」
俺は間近に迫った一頭へ、剣を横薙ぎに振り抜く。
ずっしりとした重い手応えと、肉を裂く感触。
トントロの血が舞う中で、俺は久しぶりに振った剣の感触を確かめる。
剣道を辞める理由になった、手首の怪我。それは転生しても、なかった事になっていなかった。
全力で振れるのは、十回にも満たないだろう。
だから俺は確実にトントロを仕留めるため、状況を観察した。
避けられそうなものなら、避けてしまう。
どのタイミングなら、一刀で倒せるのか。
トントロに囲まれながら、俺は確実に仕留められるチャンスを窺う。
その緊張感が――なんだかとても懐かしくて。
「せぇいっ!」
気合の声と共に、俺は踏み込みから剣を放っていく。
一頭、二頭、三頭。
体に深々と斬撃を刻む事があれば、脳天を直撃した剣もある。
時間にしたら、五分もなかっただろう。
最後の一頭を地面に転がしてから、俺は剣を血振りした。
「よし……リベンジ成功だ」
ハウリング・ボイスで気絶したトントロは十二頭。
それに倒した五頭を合わせて、十七体が草原に転がっていた。
「これで銀貨十七枚だな」
俺は近くで倒れていたトントロの角を掴み、剣を振り下ろす。
二回の叩きつけでようやく折れた角は、ギルドへ提出する討伐の証だ。
実績解除『初めての狩り』
解除条件:ベルヌガルドで生き物を狩る。
解除ボーナス:スキル《剥ぎ取り上手Ⅰ》の習得。
実績解除『今夜は焼肉パーティー』
解除条件:トントロを狩る。
解除ボーナス:スキル《肉焼き将軍Ⅰ》の習得。
実績解除『折られた男の誇り』
解除条件:トントロの角を折る。
解除ボーナス:スキル《筋力増加Ⅰ》の習得。
解除と同時にスキルが発動したのか、その後の角は簡単に折れてくれた。
あまり力を入れなくても折れるから、手首を庇っている俺からすれば有難い解除ボーナスだ。
俺は剣をしまってから鞄を開き、角を中に入れていく。
ぱんぱんになったそれを背負い直した時、気絶していたトントロたちが起き始めた。
彼らはさっきまでの気性の荒さはどこへやら、森の中へとすごすごと帰っていく。
ギルドの受付嬢によれば、トントロの死体はそのままでいいらしい。
何でも夜にグレイウルフの群れがやってきて、朝には綺麗に処理してくれるとの事だ。
肉を捌けばいくらかのお金になるらしいが、そんな技術はないので俺は放置を選択する。
「よし、ギルドに報告だ」
俺は草原を後にして、さっさと帰路につく事にした。
銀貨十七枚という報酬が高いのか安いのか分からないが、初陣にしては上出来だと思う。
これも何だかんだと付き合ってくれる、ミィアの授業のおかげだ。
俺は重くなった鞄を背負いながら、三十分の道のりを歩いていく。
「あれ……何の集まりだ?」
ようやく見えてきた街の正門前に、馬車が四台停まっていた。
出発前にはいなかった集団は、行商人か何かだろうか。
親しげに街人と話す男たちを尻目に、俺は街の中に入る。
ギルドへ続く通りを歩いて俺はすぐに違和感に気付いた。
すれ違っていく人々や商店の空気が、いつもより活気に溢れている気がする。
元気があって、それでいてそわそわした雰囲気だ。
それが何故か、俺には不思議と懐かしく感じられた。
「おい、春馬車が来たってよ!」
「今年は盛大にやらなきゃな!」
「もうそんな季節か……どおりでモンスターが……」
道端で話し込んでいた男たちは、俺と目が合うとそそくさと建物の中に入ってしまった。
「まぁギルドで聞けばいっか」
一週間と少しは経ったが、俺はまだまだよそ者に過ぎないという事なのだろう。
俺は溜息を吐きながら、到着したギルドの扉をくぐった。
真っ直ぐに受付カウンターに行き、背負っていた鞄をその上に置く。
「クエストの終了報告をしたいんですけど……トントロのやつです」
「はい、お疲れ様でした。それでは清算しますね」
受付嬢は鞄を開くと、中に入っていたトントロの角を数えていく。
その間に、俺は貸与品だった剣をベルトから外し、冒険者バッジと共に鞄の隣に置いた。
「角を折っただけの奴もいるんですけど、それでも討伐になるんですよね?」
「はい。今回の依頼はトントロの生き死にというより、草原に来ないようにして欲しいという内容なので、大丈夫ですよ?」
「角を折ったら大人しくなったんですけど……」
「交尾をする手段を失った彼らは、また生えるまで大人しいものですよ」
ん? ちょっと待って。交尾の手段?
「それって去勢……じゃあ俺が集めたのって……」
「まぁその……男性に例えると、アレですね」
実績の名前が『折られた男の誇り』ってそういう事かよ!
悪趣味だな神様ッ!!
「で、では清算に移ります……」
心なしか顔を赤らめた受付嬢が、貸し出しの剣を受け取りながら今回の報酬額を口にする。
「今回は十七頭の討伐です。一頭で銀貨一枚ですから、合計が銀貨十七枚。貸し出し装備の代金をそこから引くと、今回の報酬は銀貨十五枚と銅貨五十枚になります」
「はい、分かりました」
俺が同意した事で、受付嬢は冒険者バッジを手に奥に引っ込んでしまう。
それからしばらくして戻ってきた彼女の手には、銀貨と銅貨の入った袋が握られていた。
「ではお支払いです。バッジはお返ししますね。ここにサインをお願いします」
領収書のようなものなのか、出された紙には支払い金額が記載されている。
俺は空欄の宛名にサインを入れながら、気になっていた事を聞いてみた。
「今日って何かあるんですか? 街の人たちがそわそわしてるっていうか……春馬車がどうのって聞きましたけど……」
「あぁ、それは豊穣祭ですね」
サインを終えた紙を渡すと、受付嬢は丁寧に説明してくれた。
「春の訪れと豊作を願うお祭りです。祭りは盛大に三日間行われて、近くの街からも多くの人たちが訪れるんですよ? そのための資材や食料を運ぶ馬車を、私たちは春馬車と呼んでいるんです」
「お祭り……そうか、だからか」
懐かしく感じたのは、高校の文化祭前の空気に似ていたからか。
妙な納得に頷く俺へ、受付嬢はおずおずといった様子で問いかける。
「あの……ご存じないんですか?」
「知りませんでした。この街に来たのは最近だし、それからは魔法を覚えるのに必死だったんで」
「そうではなくて、あなたは……」
何かを口にしようとした受付嬢は、しかしその先を喋らなかった。
「……何でもありません。知らないのなら、私の口から言うべき事ではないのでしょうね」
その言葉を最後に、一礼してから受付嬢はカウンターを離れてしまった。
残された俺は首を傾げながらも、報酬を受け取ってギルドを後にする。
「ハルト!」
大通りで俺を呼び止めたのは、フェリアだった。
両腕に包みを抱える彼女は、小走りに駆け寄って来る。
「今日はクエストに行ってたんだよね? 怪我とかしなかった?」
「あぁ、なんとか大丈夫だ。これでトントロは攻略だな!」
「じゃあもう木に登らなくても大丈夫ね?」
思わず渋い表情を浮かべた俺の反応が面白かったのか、彼女はすぐに噴き出した。
「ごめんなさい、少しからかい過ぎたわ。だってハルトは面白いんだもん」
フェリアはくすくすと肩を揺らしながら、屋敷の方向へと歩き始めた。
今日の予定を終えた俺も、彼女の歩幅に合わせて隣を行く。
「フェリアは何の用だったんだ? 買い物か?」
彼女は両腕で包みをぎゅっと抱きしめながら、少し躊躇った後に頷く。
「うん……祭の準備よ。私には大役があるの」
「豊穣祭だよな。俺もついさっき初めて知ったんだけど、フェリアはどんな事をやるんだ?」
「お祭りの締めくくりをするの」
屋敷の大きさを考えれば、彼女が名家だという事は間違いない。だから当然、その地位にふさわしい街での役割があるのだろう。
声色だけ聞けば、いつもの明るいフェリアだ。
けれどその表情に一瞬陰がよぎった気がしたから、俺は話題を変える事にした。
大役の事は、あまり考えたくないのかもしれない。
「やっぱり出店とかたくさん出るのか?」
「イェーナ以外の名産品もたくさん運ばれるの。それを使った食べ物とか、奇術や魔法の催しとか……たくさんあるわ」
「へぇ~」
この世界に来て少ししか経っていない俺には、外の事を知る良い機会かもしれない。
「なぁ、フェリア。もしよかったら、一緒にお祭りを見て回らないか?」
俺の提案に、隣を歩いていた彼女の足が止まる。
「私と……?」
「うん。大役があるんだよな。もしかして準備で忙しかったりする?」
「私の出番は最終日だから、それ以外なら大丈夫だと思うけど……でも……」
多くの人が訪れるという豊穣祭。
そこで締めの大役を任されているなら、緊張するのが当然だろう。
だから俺は彼女を励ます意味も込めて、声を明るく振る舞った。
「お金なら心配しないでくれ! たった今ギルドで稼いだ金と、祭までに稼ぐ金がある! フェリアには世話になりっぱなしだから、ここらで一つ恩返しをしたいんだ」
その言葉は紛れもない本音だ。
もし彼女がいなかったら、今頃俺はトントロの犠牲者になっていたに違いない。ミィアにしこたま笑われたに違いない。
仮に助かっていたとしても、宿なしの悲惨な生活だ。
祭で奢るくらいでは釣り合わないが、少しずつでも恩を返していきたかった。
緊張で沈みがちな彼女の力になれるのなら、本望だ。
「恩返し……」
フェリアは瞳を伏せ、何事かを考え始める。
断られるかと内心でハラハラし始めた矢先、彼女はようやく顔を上げた。
「じゃあたくさん食べて、遊んで、ハルトを無一文にしないとね」
そこには、いつもの優しい笑顔があった。
だから俺は彼女の力になれたような、そんな気がしたのだ。
「ちょっと待て。どうして全財産なんだ!?」
「だってハルトは無一文の方が似合うもの!」
いたずらっぽい笑みを浮かべたフェリアはそう言うと、小走りで俺から離れていく。
彼女にとって戈木晴人が何なのかを悩みながら、俺はその背中を追って駆け出した。




