第4話 『ギルドへようこそ』
俺がイェーナの散策に出かけたのは、翌日の昼下がりだった。
興味の赴くままに歩いていた俺の足は、通りに並ぶ露店の一つで止まる。
「おう、坊主。ゆっくり見てってくれ」
男は雑貨を並べた布の上で、あぐらをかいていた。
俺は中腰になって、品々を眺める。
小瓶に詰められた、様々な色の液体。
何かを象った手の平サイズの彫像に、無造作に並べられた水晶。
どれも用途が分からないものだが、見ているだけで不思議とわくわくする。
「セイル銀貨二枚だと、何が買えるんだ?」
「二枚だぁ? それしか持ってねぇのかい」
男は俺の懐具合を知ると、途端に態度を豹変させた。
ぞんざいな動作で、彼は隅に置いてあった売り物を投げつける。
「ほれ、この鞄くらいだ。これならセイル銀貨一枚だ」
くだびれた茶色の鞄は、リュックのように背負えるタイプだ。
これで銀貨一枚が高いのか、安いのかはよく分からない。
けれど今後必要になると思い、俺は銀貨を払った。
「なぁ、俺みたいなよそ者でもこの街で金を稼げるところを知らないか?」
「あぁん? それだったらギルドしかねぇな」
「ギルド……やっぱりこの世界にはそんなものもあるのか」
魔法があって、ドラゴンがいて、ギルドがある。まるでRPGだな。
この世界の情報収集という意味でも、登録しておいて損はない筈だ。
「あの赤い屋根の建物がそうだ。登録手数料は銀貨一枚だぜ」
店主が指差した先に、確かに赤い屋根があった。
露店を離れて通りを歩く俺へ、ポップアップが滑り込む。
実績解除『鞄に夢を詰め込んで』
解除条件:アイテム収納のための袋を手に入れる。
解除ボーナス:スキル『収納術Ⅰ』の習得。
「う~ん、すぐに使えそうなスキルじゃないなぁ」
俺は一人呟きながら、開けっ放しにされたギルドの扉を通り抜ける。
するとそこには、RPGで見たような光景が広がっていた。
奥にあるのは受付カウンターだ。綺麗な女性たちが、窓口で笑顔を振り撒いている。
左手の壁にはボードが掲げられ、いくつもの依頼が記された紙が貼られていた。
右手には酒場が設けられ、この世界の戦士たちが酒に舌鼓を打っている。
「酒場に情報は集まると思うけど……でも、まず基本的な事は知っておかないとな」
俺は真っ直ぐ、受付カウンターに向かった。
笑顔の張り付いた女性が、俺と目が合って微笑みかけてくる。
「いらっしゃいませ。ここは冒険者ギルドの受付です。何かクエストの依頼ですか? それとも新規登録ですか?」
「このギルドや街の周辺情報が欲しいんだけど……」
「それならまず登録ですね。ギルドは登録された冒険者以外に、情報を開示出来ないんです」
俺は彼女に言われるがまま、差し出された契約書にベルヌガルド語で『ハルト・サイキ』とサインする。
手数料を払って無一文に戻った俺に、受付嬢は『Ⅴ』と刻まれた銅のバッチを渡した。
その裏には契約書の隅に振られた、八桁の登録番号が刻まれている。
なるほど、これが冒険者の証明書代わりになるってわけか。
「ではギルドについてまず説明しますね。ギルドは登録された冒険者の方へ、依頼としてもちこまれたクエストを仕事として斡旋します」
「なるほど。じゃあ普通のRPGと変わらないんだな」
「あーる……?」
首を傾げる受付嬢に、俺は話の続きを促した。
「クエストは採取系、モンスターの討伐系、捕獲系。あとは防衛系などがありますね。クエストにも下位、中位、上位という区分があります」
「クエストを多くこなしていけば、上のクエストも受けられるようになるって事ですか」
「その通りです。当然、上のクエストの方が難易度も報酬も高くなりますよ? 登録したばかりのあなたは下位五級ですから、コツコツと頑張るしかないですね」
つまり上位の一級になるためには、十四回のランクアップが必要らしい。
頂点を目指すつもりはないが、やはり最初は地道にやるしかないようだ。
「ギルドで依頼を受けて仕事を果たし、帰ってきて報酬を受け取る……これが一連の流れとなります。あとは街の周辺情報ですが、ギルドよりあちらの冒険者さんたちの方が詳しいと思いますよ? お酒の一杯でも奢れば、みなさん色々と教えてくれる筈です」
受付嬢が、酒場の戦士たちを指差した。
にっこりと笑う彼女に気圧されて、俺は受付カウンターを離れる。
実績解除『ギルドへようこそ』
解除条件:ギルドで冒険者登録を済ませる。
解除ボーナス:魔導書『リフレクション』の取得。
「魔導書……?」
俺は空いていた隅の席を見つけ、そこに腰をおろした。
銀貨の時と異なり、ポケットに変化はない。「まさか」と思って鞄を開くと、そこには一冊の本が入っていた。
古びた装丁の本を開いてみると、達筆なベルヌガルド語が記されている。
どうやらこれは、該当の魔法について書かれたものらしい。
仕組みが図解されているが、俺にはよく分からなかった。
「はぁ……宝の持ち腐れか」
何せ俺は、魔法のない世界で生きてきた人間だ。
魔法を学ぶというワンステップですら、大いなる壁だった。
「見つけた! こんなところにいたのね!?」
溜息を吐いていた時、ギルドに少女の大声が響き渡る。
喧嘩か?
興味本位で声のした入口を見ると、そこには一人の女の子が立っていた。
頭の上に、つばの広い帽子が乗っている。ローブという出で立ちも合わさって、どこからどう見ても魔法使いだ。
その証拠に、手には身の丈程の杖が握られていた。
目を瞠る銀髪をもつ彼女の瞳は、紫色に輝いている。
「おい、あれって……」
「しっ、黙ってろって! 《白金の魔女》にぶっ飛ばされるぞ!」
席に座っている屈強な男たちが、見るからに萎縮していた。
ひそひそと彼女の事を話し、中には席を立つ者もいる。
まだあどけなさの残る顔立ちの少女は、何故か俺を指差していた。
「……?」
俺は背後を確認する。
そこには壁しかなくて、誰もいない。
「あんたよあんた! そこの黒髪の男!」
あ、やっぱり俺なのか。
誰かと間違えてないか?
俺はこの世界に来たばかりで、あんな子知らないぞ?
「えっと……誰?」
「私の名前はミィアよ! 偉大な魔法使いにして、上位五級の冒険者! 本年度の学院首席卒業者にして、《白金の魔女》とは私の事よ!」
感嘆の声と畏怖の混ざった尊敬の眼差しが、冒険者たちから彼女へと送られていた。
何だかよく分からないけど、たぶんエリートとかそういう感じの子なのだろう。
大股で近づいてきたミィアは、俺の向かいの席に遠慮なく座った。
脱いだ帽子をテーブルの上に乗せ、彼女は俺を睨みつける。
「あんた、フェリアと一緒にいたらしいわね? あの娘の何なの?」
「何って……そういう君は?」
「あたしはフェリアの幼馴染よ」
なるほど、それで俺が気になってるわけか。
何と答えるべきだろう……出会ったばかりだし、友達と呼ぶにはまだ早い気がする。
迷った末に、俺は屋敷での彼女の言葉を思い出した。
「客人……かな? フェリアには命を助けてもらったんだ。その縁で、今は彼女の屋敷に厄介になってる」
「客人~っ!?」
ミィアが身を乗り出した事で、対面の俺に唾が飛ぶ。
何故かそれで、実績が一つ解除された。
実績解除『我々の業界ではご褒美です』
解除条件:女の子に唾を飛ばされる。
解除ボーナス:中位魔法『ウォーター・アロー』の習得。
いや、我々ってどの業界だよ!?
神様か? まさか神様の業界なのか!?
「あたしは小さい頃から、フェリアの面倒を見てるの! 彼女に近づくなら、まずあたしに許可を求めるべきよ!」
「じゃあ許可をくれ」
「死ぬ事を許可してあげる! さっさとフェリアの前から消えれば?」
なんともまぁ、ひどい許可だ。
実績解除『我々の業界ではご褒美ですⅡ』
解除条件:女の子に罵られる。
解除ボーナス:下位魔法『ハウリング・ボイス』
やっぱり最低だよ神様業界!
「どこの馬の骨とも知らない男が、ノワールがいるとはいえ一つ屋根の下でフェリアと暮らすなんて認められる……わけが……」
「……?」
ミィアの視線は、俺が手に持っていた魔導書に注がれていた。
「あんた……あんた、その本をどこで……」
「これ? 珍しい本なのか?」
「珍しいわよ! 魔導書っていうのは妖精に記された本で、同時期に世界に一冊しか存在出来ないの! しかも上位魔法の魔導書なんて、滅多にお目にかかれないんだから!」
これが俺の手にあるって事は、つまり他に『リフレクション』の魔導書は存在しないのか。
ミィアは魔法使いと名乗っていた。
――つまり、これが欲しいのか?
「ま、まぁ? 私くらいの魔法使いになれば? 全然欲しくも何ともないんだけど?」
「ふぅん……」
「あっ」
「……」
「ああっ」
本をわざとらしく鞄から出し入れすると、ミィアが面白いくらいに反応する。
そんな自分に気付いたのか、彼女は耳まで真っ赤にした。
「ほ、欲しくないって言ってるでしょ!? 全然欲しくなんかないんだからっ!」
「売ってもいいぞ?」
「えっ……その本の価値は説明したでしょ!?」
そう言われても、読んだところで俺には理解出来ない。
ならただ重いだけの荷物だから、売った方がマシだ。
何よりも一方的に嫌ってくるミィアと、仲良くなるチャンスだろう。
「こちとら魔法のマの字も理解出来ないんだ。これ市場に出回ったらいくらなんだ?」
「上位魔法の魔導書なら、金貨千枚はくだらないけど……」
「じゃあその値段で売ろう。取引成立だ」
「なっ……あんた馬鹿なの!? 言い値よ!? それにあたしが踏み倒すかもしれないじゃない!」
確かにその通りだ。
けれど無一文の俺はどうしても活動資金が欲しい。
それに、確実に取り立てる算段はあった。
「まぁその時は? フェリアに立て替えてもらおうかな? 幼馴染がお金を踏み倒したと知ったら、あの優しい少女はどうするかな~?」
「こ、この腹黒め……っ」
酷いな。ちゃんと言い値での取引なのに。
「で、どうするんだ? 買うのか?」
「……あぁもう! 買うわよ! でも仕方なくよ? あんたが売りたいって言うから、仕方なく買うだけよ?」
そう言いながらも、ミィアは逸る手つきでベルトに通した袋へと腕を伸ばし――ぴたりとその動きを止めた。
その理由は、俺にも何となくだが分かる。
「金貨千枚も、今は持ってないんだろ?」
子供の握り拳程にしか膨らんでいないその袋の中には、どう考えても千枚も硬貨が入っているとは思えなかった。
ずばり的中したようで、ミィアは頬を痙攣させている。
「あ、あるわよそれくらい! この私を誰だと思ってるの?」
「偉大な《白金の魔女》様だっけ? でもその袋に千枚も入るわけ……」
「何よ!? 私が貧乏人だって言いたいわけ!?」
ミィアは腰のベルトから袋を取り外すと、勢いよく中身をテーブルの上にぶちまけた。
転がり出たのは、銀貨三枚に銅貨一枚。
宿に一泊も出来ない所持金だった。
「……」
「……」
うん、貧乏人だったね。
思ってたより入ってなかったよ……?
「くっ……だって、今月は家賃とか生活費とか、研究費とか……来月も危ないし……」
どうやらこの偉大な魔法使い様は、常日頃から金欠状態らしい。
だったらわざわざ身を切らなくても、と思わず口に出しそうになる。
この娘はプライドが高いというか、負けず嫌いというか。
赤面してぷるぷる震えるくらいなら、大見得を切らなければいいのに。
「で、でも! 金貨千枚は必ず用意するわ! 《白金の魔女》の名において!」
「そんな大層な二つ名で金策に走らないでくれ!」
なんだか罪悪感に似たものを感じた俺は、どうすればこの場が丸く収まるのかを思案し――そして、無難そうな答えに辿り着く。
「じゃあさ、今度俺に金貨千枚分の魔法を教えてくれ。その授業料って事でどうだ?」
俺の出した譲歩案に、ミィアはきょとんと目を丸くする。
何だろう? 変な事言ったか?
確かに活動資金は欲しいけど、エリート様から魔法を学べる機会なんて稀だろう。
もしかしたら、この機会を逃すと一生やって来ないかもしれない。
だったらここは、活動資金よりも己のスキルアップだ。
お金はどこかで働けば、手に入る可能性はあるのだから。
「もしかして、才能がないと魔法は使えないのか?」
「魔法の才格は誰にでもあるけど……そんな事でいいの?」
「なんたって教師が《白金の魔女》様だからな。それくらいの価値はあるだろ? それともないのか?」
「あ、あるわよ! そうね、確かに私を買うならそれくらいよ!」
ミィアは声を荒げながら、机に散らばった硬貨を一つずつ摘んで袋に戻していく。
なんだか少しだけ、ミィアの扱い方が分かったような気がした。
「じゃあ……明日から教えてあげるわ。街の正面の門に来なさい」
「俺が暇だって前提だな……」
「暇そうな顔してるじゃない」
まぁ、そうなんだけど。
ミィアの人を食ってかかったような表情には、いつの間にか笑みが広がっていた。
「時間は昼の鐘二つだから……遅れたり待たせたりしたら、魔法をお見舞いしてやるんだから!」
「分かった分かった。じゃあ明日な」
「ふんっ!」
ミィアは鼻を鳴らして、俺から背を向けた。
堂々とテーブルの間を歩むその背中に、俺は手元にあったものを投げつける。
「ミィア!」
「気安く私の名を呼ば……っ!?」
振り返った彼女が慌ててキャッチしたのは、欲しがっていた魔導書『リフレクション』だ。
「先払い、な」
俺が笑いかけると、ミィアは益々視線を訝しげに細める。
「そういえば、あんた名前は?」
「ハルトだ。サイキ・ハルト」
「ハルト……ほんと、お人好しの馬鹿ね」
けれど彼女の口元には、好奇心の笑みが浮かんでいた。
それはもう、我慢しているけど隠し切れないというばかりに。
「じゃあ、明日」
ミィアは魔導書を手に、酒場から去った。
彼女の登場で静まり返っていたテーブルも、次第に元の活気に戻っていく。
「さて、と……どうしようか」
とりあえず、俺は一文無しのままだ。
このままギルドにいても、情報代として奢る酒の一杯も用意出来ない。
今日は一旦のところ、帰ろうか。
席を占領しているのが申し訳なくて、俺はテーブルから立ち上がる。
実績解除『初めての取引』
解除条件:物品を売り買いする。
解除ボーナス:商いスキル『原価判別』の取得。
視界に滑り込んだウインドウを手で払いながら、俺は建物の外に出た。
見上げれば雲が漂う青空を、鳥が気持ち良さそうに飛んでいる。
「異世界は、ままならないなぁ……」
「……ハルト様? どうかされましたか?」
名前を呼ばれて通りに顔を戻すと、そこにはメイドのノワールさんがいた。
両手に握る口の広い鞄二つからは、野菜やら果物やらが覗いている。
「いえ、何でもないです。ノワールさんは買い出しですか?」
「はい。屋敷には私しか使用人がおりませんので」
どちらから言うともなく、俺たちは並んで通りを歩き出す。
鞄を持とうかと提案したのだが、彼女は客人だからとそれを拒否してしまった。
知り合ってまだ一日しか経っていないのだ。
主の連れてきた客人に、警戒心もあるのだろう。
屋敷までの道のりはまだあり、沈黙が何だか気まずかった。
「あ、そうそう。フェリアの幼馴染とかいう、ミィアって娘と会いましたよ」
「ミィア様ですか。王都からお戻りになられているんですね。どうでしたか?」
俺が振った話題に、ノワールさんはすぐに応じた。
もしかしたら彼女も、沈黙が気まずかったのかもしれない。
「……元気な人だなぁって思いましたね」
「ちょろいですよね、あの方」
おいおいおい!
せっかくオブラートに包んだのに、ぶっちゃけちゃったよこのメイド!
「それで、明日はミィアに魔法を教えてもらうんで、一日外だと思います。もしお昼ご飯とか考えてるなら、俺の分は不要なんで」
「分かりました」
ノワールさんは短く返事をしてから、再び黙々と歩き続ける。
金策は失敗したが、それでも魔法が使えるようになるかもしれない。
そう思うと、何だか胸の奥底から込み上げてくるものがあった。
「ハルト様? どうかされましたか?」
「――いや、なんでもないです」
俺は心なしか逸る足取りで、フェリアの屋敷へと歩んでいった。




