第2話 『駅前留学』
元より俺はこの異世界に、縁もゆかりもない存在だ。
生きるためには、自分で全てを何とかしなくてはならない。
とりあえず人のいる場所を目指して歩いていると、目の前の草むらがガサガサと動いた。
三十メートル程先だ。
もし何らかの肉食の生物だった場合、素手の俺に勝ち目はない。
目を凝らした視界に、再びポップアップが滑り込む。
実勢解除『この目で見たいものがある』
解除条件:目を凝らす。
解除ボーナス:スキル《望遠》の習得。
「えっと……スキル《望遠》ってどうやるんだ?」
とりあえず目を凝らすと、ぐんぐんと視界が拡大していく。
なるほど、確かに遠くがよく見えそうだ。
「あれは……ブタの群れっぽいな」
三十頭以上はいそうだ。
頭部と前足には毛が生え揃っており、イノシシとの中間のように見えなくもない。
けれど元の世界の動物とは異なり、頭には角が一本生えていた。
その丸みを帯びた姿を確認した途端に、軽快な音が響く。
実績解除『初めての生物』
解除条件:ベルヌガルドで動物を目撃する。
解除ボーナス:特になし。
特にないのかよボーナス。
じゃあ何のためにあるんだこの実績は。
俺は草むらに屈みながら、このシステムを設定した神様に心の中で悪態を吐く。
すると、また軽快な音が鳴り響いた。
実績解除『神をも恐れぬ所業』
解放条件:心の中で神様を馬鹿にする。
解除ボーナス:ばーかばーか!
「ひでぇ! 悪口がボーナスかよ!」
思わず大声を上げてしまった俺は、はたと自分の状況を思い出す。
恐る恐るブタもどきを見れば、群れが一斉にこっちに迫っていた。
どうやら集団で外敵を排除する、攻撃的な習性を持っているらしい。
「マジか……マジかよ!」
俺は脱兎のごとく、草原を駆けた。
背後から地響きと共に、ブタもどきの群れが迫ってくる。
危機的状況の中で、軽快な音が連続で鳴り響く!
実績解除『ランニング・ハイ』
解除条件:全速力で走る。
解除ボーナス:スタミナ上限が僅かに上昇。
実績解除『追いかけっこがお好き?』
解除条件:何者かに追われる。
解除ボーナス:特になし。頑張れ。
実績解除『草の根もかき分けて』
解放条件:草を三百本踏み倒した。
解除ボーナス:スキル《探知Ⅰ》の習得。
次々と滑り込むポップアップで、視界が埋まって前が見えない!
「うっぜェェェェェ!」
腕で払いのけながら走る俺は、前方に一本の木を見つけた。
その幹に飛びつき、登っていく。流石に奴らもここまで追ってはこまい。
太い枝に腰かけながら見下ろせば、やつらは木の周辺に集まってこちらを見上げていた。
ブゥブブブゥ……?
ブブブーブブブッ、ブブウ?
ブタもどきたちは、何かを相談するように鳴いていた。
やがて彼らは一方向に集まると……幹に体当たりをかまし始める。
「あっ、ちくしょう頭良いなお前ら!」
振動で揺れる木に、俺は必死にしがみついた。
だがこのままいけば、いずれ木が倒れるか俺が落ちるだろう。
そうなればブタもどきたちに、どんな目に遭わされるか分かったものではない。
そもそもこいつらが肉食の可能性だってある!
「ヤバいってこれ! 何か……何かないか……?」
俺は指を弾き、実績一覧のウインドウを呼び出す。
解除されたアイコンの『?』マークは消え、可愛らしいイラストが描かれていた。
これをあの神様が一つずつ描いたなら……普通にムカつくな!
もっと他にやるべき事あっただろ!?
「――ってこんな事してる場合じゃないんだった!」
俺は指で一覧をスクロールしながら、何か役に立ちそうなものがないか探した。
上手く逃げられるものか、あるいは追い払えるものがベストだ。
必死に探してみるが、アイコンはどこまでも並んでいて終わりが全く見えない。
その間にも、ブタもどきたちは幹へ体当たりを続ける。心なしか木が傾き始めた気がして、俺は堪らず叫んだ。
「誰かーっ! 助けてくれぇぇぇぇ!」
軽快な音と共に、実績が解除される。
実績解除『ヘルプ・ミー!』
解放条件:誰かに助けを求める。
解除ボーナス:助けが現れる。
(※初回のみ有効)
「――――っ!? ――、―――ッ!」
そのボーナス通り、聞こえたのは凛とした声。
ブタもどきたちは声のした方向とは逆に、一斉に逃げていく。
その後ろ姿を見つめていた俺は、下からの視線に気付いた。
「――? ――――。――?」
聞きなれない言語で、俺を見上げているのは美少女だ。
ツーサイドアップに纏められた金髪が、風を受けて柔らかに揺らめいている。
目鼻立ちは整っており、優しそうな目元には蒼い瞳がのぞいていた。
歳は俺と同じに見えるから、十七歳くらいだろうか。
紛うことなき、異国の美少女といった感じだ。
「――?」
聞きなれない言語だったが、その声音から心配してくれている事は分かる。
俺はお礼を言うために、木から少女の元へと飛び降りた。
「ありがとう、助かったよ」
「……?」
やはり日本語は通じないらしい。
異世界なのだから当然だろう。
「俺は戈木晴人って名前なんだけど君は?」
「?」
「えっと……俺はハルト。ハルト」
俺自身を指差しながらの自己紹介に、少女はようやく気付いたようだった。
彼女もまた自分自身を差しながら名乗る。
「――フェリア」
「フェリア……フェリアか」
こくんと少女――フェリアが頷いた。
途端に、早くも聞き慣れ始めた軽快な音が鳴る。
実績解除『拙い自己紹介』
解放条件:通じない言語同士で互いの名を明かし合う。
解除ボーナス:別実績の条件解放。
「別実績……?」
俺は指を鳴らして、実績一覧を呼び出す。そこから指でアイコンをスクロールさせていき、条件が明かされた実績を探した。
傍から見れば、何もない空間で指を動かす姿は奇妙そのものだろう。
フェリアは小首を傾げ、不思議そうに俺の動作を見つめていた。
そんな中、俺は『拙い自己紹介』のボーナスを発見する。
「あった。おぉ、これを解放すれば言語が習得出来るのか。これは絶対に必要だな! それで解放条件は……」
俺は説明に書かれている文字を見て、体を硬直させた。
これまでとは異なる難易度は、まるで俺を試すかのようだ。
出来なくはない。だが出来そうにない。
もっと言えば、やりたくない。
「――?」
ぷるぷると震える俺へ、フェリアが何事かを話しかける。
細い人差し指は空から移動し、大地を差した。
「ごめん、言葉が分からないんだ」
「……――」
少し情けない声でそう伝えると、フェリアは肩を落として落胆した。
がっかりした美少女の姿をこれ以上見たくなくて、俺は踏ん切りをつける。
「……ええぃ! 男は度胸だッ! それに解除前だから、内容は伝わらない筈だ!」
俺は着ていた服を脱いで、勢いよく上半身裸になる。更に羞恥心の中で両手と頭を地面につけ、木の幹を支えに三転倒立!
突然の行動に、フェリアは顔を赤くしながらも目を丸くしている。
そして咳払いの後……俺は実績解放の最大の難関を突破した。
「デュフフ……拙者にパンツを見せて頂いてもよろしいですかなッ!?」
フェリアがきょとんとする中、逆さまの視界にポップアップが滑り込む。
実績解除『駅前留学』
解放条件:上半身裸で三転倒立の後、紳士な気持ちで「パンツが見たい」事を伝える。
解除ボーナス:ベルヌガルド語の習得。
地面に足をつけた俺は、髪についた土を叩き落とす。
困難な道のりだったが、これでベルヌガルド語を習得出来た筈だ。
脱ぎ捨てた服を着直してから、俺はフェリアに向かい合う。
「今度は俺の言葉が分かるかな?」
俺の問いかけに、フェリアは小さく唇を開いて驚いていた。
これで意思疎通が出来ると安堵する俺へ、彼女は理解出来る言葉で呟く。
「……へ、へんたい?」
ち、ちっくしょォォォォォ!
「パンツが見たい」の部分もベルヌガルド語で伝わってんじゃねぇか!
これじゃ変態紳士まっしぐらじゃねぇかハメられたァァァァ!
俺は地面を拳で殴りつけ、小さくうずくまる。
その間にも何かの実績が解除されていくが、今はもうただただ神様が憎かった。
「くすっ……ハルトって変な人ね」
フェリアは俺を見下ろして、小さく微笑んでいた。




