3. リアルとリアリティについて
すごくリアリティーがあるよねとか、
この作品はリアルだ、
なんてよく言うけど、
この時、前提となっているリアルは本当においらたちが日々、送っている「現実」とはまるで別物なんだ、ということを覚えておきたい。
直接的に表現するなら、「非現実」であるからこそリアルなのだ、ということ。
「現実」から程よく遠ざかっているからこそ、いただける言葉なんだと心得たい。
例えば、分かりやすく一人称作品の場合、自身の日常をつぶさに追ったらなら実感できるのではなかろうか。
頭の中は結構、興味のままにアチコチ飛びながら並列に思考してる。
周囲の刺激に触発されるままかなり詳細に目まぐるしく、現実の一人称視点は支離滅裂と流れている。
それをそのままに追ったりすれば、もう読むのがしんどい。
だから物語にするときおいらたちは無意識のうちにその現実をつまんで編集して、ときに思考の雑味を取り除き、ときに時間を折り曲げ短縮させ、見えているものを見えなくし、見せたいところだけをクローズアップして、現実を単純化させて書いている。
それは現実へ迫るのではない。
現実から遠ざかる行為だ。
そしてリアルだ、と理解が追いつくほどにこの作為的作業《リアリティ―の追及》は濃度を増してゆく。
なら宇宙人とか特殊能力とか魔法とか未知の組織とか、明らかに現実に存在しない「現実」と断絶したもののリアリティーってなんなんだ、となるわけだけど、
おそらくこの論理からいけば方法としてこれ以上、遠ざかりようがない非現実的なそれは逆に、「現実」へ歩み寄ることで得られるものではないか、と感じてる。
つまり現実的なものを書くとき編集した部分をあえて加えることで、得られるものではないかな、と。
もし何かについてリアリティーを追加したいな、と考えた時、
以上のアプローチがヒントになるのではないかと思っている。
リアルとリアリティーは地続きにない。
今さらだけど意識するのとしないのではたぶん、だいぶと違うはず。