閑話『開始』
ソフィアたちの視点です。
積み荷を燃やすという誠一を送り出したところで、ソフィアたちも動き始めた。
積荷の意味はわからなかったが、一人暮らしの人間が他人に触れさせたくないものを持っているというのはよくある事であり、わからないまでもソフィアたちはだいたい理解していた。理解しているからこそ送り出したし、そして、その誠一の行動が笑い話で終わってくれるよう、自分たちにできる事をやるだけだった。
「それでソクラス、調査の進行の方はどうなの?」
『結論から申し上げますと、無理です』
ソクラスは静かに結論を告げた。
『古今のさまざまなライブラリを見聞調査、またこのニホンという国家のシステムについてもわかっているものだけ調査いたしましたが、野沢誠一氏の情報が国家中枢まで届いてしまっている可能性が99.8%と出ました。
こうなった場合、少なくとも地球時間で80年、つまり80周期以内に彼を戻す事は困難です』
「80周期の理由は?」
『世代交代の時間です。80周期後に彼を戻しても知っている者がほとんどおりませんし、いたとしても若いままの彼を戻せば、ばれる可能性はほぼありません。住民登録関係の細工は「トカゲ」に依頼すれば可能です。
ですが、これは本質的なところで意味がありません。なぜなら誠一氏にとり帰還というのは、元の親族や友人がいる状況への帰還でしょうから』
「……そうね」
人間はひとりでも生きられる。
だけど、それとこれとは話が別だろう。
そう。
そのあたりはソフィアたちの銀河文明でも大差なかった。
「では、公的記録の抹消や記憶操作での対応は?」
『現在の日本社会でそれを完璧に行うのは困難です。彼らの文明レベルは、それでごまかせるほど幼くはないのです。
また、完璧を期したつもりでも、誰かひとりがトリガーになって全員の記憶が戻る可能性が当面残りますし、その意味でも危険です』
「……そう」
ソフィアは沈痛な顔をした。
実のところ、ソフィアたち銀河文明の住人にとって、地球人は原始人以下の存在にすぎない。意図せずに巻き込んでしまったという気持ちからソフィアは彼を助けようとしているわけだが、本来はそこまでする義理などない。
彼ら銀河文明の住人にとり、宇宙文明を持たない種族は『現住生物』。つまり、ヒトの分類ですらないのだから。
しかし。
「……」
ヒトとヒトとして、直接関わってしまえば話は別。
それは俗にソクラスのソフィアと呼ばれる、ある意味有名人である彼女にしても同じ事だった。
「彼を救う道はないの?」
『方法はふたつだけ、ご存知ですよね?
すなわち。
銀河の住人としての新しい人生を与えてやるか、あるいは……安らかに眠らせてやるかです』
「……」
それは知っている。そしてソフィア自身もそうしてきた。
彼女の専門は、古代遺失文明の研究だった。そしてその足がかりとして多くの未開惑星に赴いて、多くの個体と接してきたのだから。
今回だって、同じはずだった。
なのに。
「……」
野沢誠一が特別なのではない。それはソフィアもわかっている。
彼の処遇を簡単に決められなくなってしまったのは、ソフィア自身のせいでもある。いち研究者として生きてきた彼女がいろいろあって、大恋愛の果てに婚約などしてしまった結果、巻き込んでしまった現地のお人よしを簡単に切れなくなってしまったのだから。
「結局、このあたりが私の限界って事なのかしらね……」
『ソフィア、ちょっといいかい?』
「なぁに?ソクラス?」
不意にソクラスの頭脳が敬語を止めて、まるで友人のような言い方で話しかけてきた。
『きみはもう少し誰かに相談するべきだよ。たとえばイーガの皇帝陛下とかルド翁などにね』
「相談はしてるつもりだけど?」
『それは対等な相手に対してだよね?
君は自分が思っているよりもずっと、よりかかる相手を必要とする存在だよ。自分でもそう思わないかい?』
「……」
それは、人間に仕える宇宙船のコンピュータの言葉とはいえなかった。
「言うわね、もう」
『当然だろ?
君と私がはじめて出会った時、君はまだ4つになったばかりだった。そして私も工房から送り出され、王宮に曳航されてきたばかりの、基礎データすら入っていない新造船だった。
私たちは、すべて手探りで進めていったよね?
船に積まれていた航行マニュアルを君が持ってきて、それを見た私が運行に必要な手続きや方法を学習して。
私がただの船でなくなってしまったのは、そのせいだろう。要するに君のせいだね』
「ふふ、そうね。私にとってあなたはただのおフネではなく、大切な相棒よソクラス」
『ああ。そして、そんな君だからこそ私も全力でサポートできるというものだ』
クスッとソフィアは笑った。
そして、ソクラスもクックックッと楽しげに笑った。
「ええ、わかったわありがとう。それでソクラス、あなたの意見は?」
『彼を引き上げる事を提案します。日本の社会に戻せれば理想なのはわかりますが、無理に戻す必要はないと考えます』
「ずいぶんと買っているのね。理由は?」
『話してみた結果ですよ。彼はおそらく宇宙に住める者たちだと思いますので』
「そうなの?何かの印象で?」
『過去の記録やら何やらとの照合による推測ですね。
確かに、彼を今の世界から引き離すのは酷でしょう。
でも、彼は宇宙に生きられない者ではない、そう思います』
「……そう、わかった」
ソフィアは少し考え、そして決断した。
「彼の受け入れについて、おじいさまに相談しましょう。
ソクラス、誠一さんとアヤを呼んでくれるかしら?……ソクラス?」
『ちょっとまずい事になっているようですね』
「え、なに?」
『今、誠一君は遠隔監視つきで自宅へ荷物整理に行っているのですが、そちらに日本の政府関係者とおぼしき者が近づいています』
「大変!ソクラス、ただちに遠隔回収を!」
『それができません、地球からこちらへの転送に妨害がかかっている模様です。解除に二分ほどかかります』
「妨害ですって!?」
ソフィアは立ち上がった。
「それでアヤは?」
『異常に気づいた時点で向こうに飛びました。間に合えば良いのですが』
「!」
異常を確認した瞬間、アヤは動き出した。
まず緊急の遠隔回収を試みたが、それが作動しない時点で眉を寄せた。
「引き上げ転送ができない?いえ、これは妨害?」
転送の原理を正しく理解していれば、妨害自体は原理としては可能。そして、そういう転送妨害が広く行われたからこそ、転送装置は次第に廃れていったものでもある。
ソクラスも標準では搭載していなかった。ではなぜソクラスが持っているかというと、彼らの国ではまだ使われているからだった。
「現地への逆転送は可能と推測。では、わたしが現地に駆け付けて彼を確保する」
そういうとアヤは転送機構を作動させると、部屋の中央に移動した。
ここは別に機械室でもコックピットでもないが、部屋の中央の床に四角い模様がえがかれている。これがヨンカ式転送装置の目印になっていて、不意の転送にそなえてそのまわりにはモノを置かない事になっていた。
「『転送』」
次の瞬間、アヤは誠一の住んでいるアパートの玄関先に立っていたのだが。
「!?」
目に入ったのは、赤い血。
倒れている誠一。そして黒服たち。
「……」
それを呆然と見たアヤ。
しかし次の瞬間、アヤは黒服たちを完全に無視して誠一に歩み寄り、かがみこんだ。
「……」
誠一は死亡していた。
いや、頭には傷を受けていない。状況としては瀕死という方が正しい。
だが心臓が破壊されており、既に致死量と思われる血も流れている。
このまま放置すればすぐ、脳波も停止して完全に死亡するだろう。
「……」
アヤは誠一の、無傷の頭に少しだけ手をかざした。
外部から強制的に生命維持させつつ、最後の情報……脳にあるここ十分ばかりの記憶、それから『個』を規定すると言われる最後の鍵、通称マトリクス情報といわれるものを読み取った。
そうしながら、つぶやいた。
「申し訳ありません。善意の第三者の方をこのような目にあわせてしまうとは」
それは小さな声ではなかった。周囲の男に聞かせる事を目的としていた。
もっとも周囲の男たちがそれを聞いているかといえば、それは否。
おそらく機械で記録はとっているだろうから、この戦闘を後で評価する背後の者に聞かせるのが目的だった。
「ひとの心は鏡のようなもの……この国の人は昔、そのような事を言っていたと聞いています」
音もなく立ち上がる。
そして男たちの方に顔を向けた。
「善意には善意を。
この方の善意は、とても小さなものだった。
ですけど、慣れない異国で道に迷っていたわが主には、この方のように利害もなにもなく、ただ丁寧に道を教えてくれる存在がとてもありがたかった。
だからこそ、そんな小さな善意のために同族に危害を加えられそうになったこの方を保護しようとしたのですが」
「危害を加える?それはどこの団体かね?」
「何をすっとぼけているのです。今、あなたたちがこの方を殺してしまったじゃないですか」
臆面もなく口を開いた男のひとりに、アヤは淡々と突っ込んだ。
「色々と言いたい事はありますが、まぁいいです。所詮、現住生物に人間の言葉が正しく伝わるわけがないという事ですか。
しかし、ひとつだけ警告しておきましょう」
そこで一度言葉を区切り、そしてアヤは言った。
「彼に対するあなたたちの行動は、既に記録され銀河の中心に情報として伝えられました。彼の個人情報と共にね。
今後あなたたちがひとつの種族として、発展しつつも長生きしていたいと思うのなら。
さらにこのうえ、彼の友人や家族にまで迂闊に手を出すような愚かすぎる真似はやめておく事です。
ええ……確かに警告しましたよ?」
そういうと、アヤは彼らに背を向けた。
「ああそうそう、彼との最後の会話を思い出しました。
もし自分に万が一の事があれば、パソコンの積荷を燃やして……もとい、ディスクに記録された、恥ずかしい趣味の画像だけは消しておいてくれ、という事でしたか。
まさか、本当に遺言になってしまうとは遺憾ですが……せめて最後の願いくらいはかなえて差し上げましょう」
そういうと、アヤは男たちを無視してアパートの中に入ろうとした。
さすがに男たちも動き出した。目配せをしあうと一斉に懐から銃を抜き放った。
そして、パンパンパンと軽い、しかし小さくない炸裂音が響き渡った。
しかし。
「な……に?」
アヤに弾丸は命中するどころか、彼女の手前で止まっていた。まるでそこに、見えない壁でもあるかのように。
男たちは、唖然としていた。
人間は、あまりにも理解の外にあるものを見たら思考が止まってしまうものだ。
特撮動画でもなんでもなく、現実で「空中で弾丸が停まる」なんてものを見せられたのだ。固まってしまうのも無理もなかった。
「……はぁ」
ためいきをついたアヤは、特に動くでもなく、ただこう言った。
「『返礼』」
その瞬間、止まっていた弾丸が音もなく消え、男たちが全員、ギャッともガッともつかぬ声をあげてのけぞった。
「自分たちの弾丸のお味はどうですか?
これは警告です。まだ続けるなら、もう少しまじめに応対する事になります」
そういうと、アヤはもう少し付け足した。
「彼が何をしたというのです?
彼は単に、見知らぬ異郷で道に迷っていた外国人女性を道案内してあげたにすぎない。本当に、ただそれだけの存在でしかなかったというのに。
確かに、国交もない異邦人が勝手にウロウロしていたのは、あなたたちの目線では大問題だったのかもしれません。
ですがそれは、こんな、ただのお人よしの男性を問答無用で殺してしまうような、そこまでの大問題だったのですか?」
そこまでいうと、アヤはクスッと苦笑した。
「……まぁ、わたしが言ってもなんの説得力もないでしょうけど。
では。
彼の遺言にしたがって趣味の写真を回収・処分するために二分間だけここを閉鎖しますが、その後は退去するので侵入可能になります。私物の類も全てそのままにしますから、彼があなたたちのいう『宇宙人』に協力して国を裏切るような危険人物だったかどうか、ぞんぶんに調査なさるといいでしょう。
ですが、先のわたしの言葉……なんの関係もない彼の身内や友人に手出しをする事だけは、やめておく事を強く警告しますよ。
もし破ればいつか、あなたがたが外の文明と遭遇するような時代になった時……あなたがたはその報いを受ける事になるでしょうから。
では、失礼しますね」
そういうと、扉がパタンと閉じられた。