予感
何かが始まる。
いわゆる「予感」というものは地球時代にもあった。でも今にして思えば、それは単なる気のせいだったり、論理的に突き詰めれば明らかに悪い予兆があるのに気付かず、ただ漠然とした不安に感じている、ただそれだけのものだったと思う。
だけど。
どんなに非現実に見えたとしても、それでも予感というものはあるわけで。
そして私は昔から、その予感ってやつを大切にする種類の人間だった。
たとえば、バイクで遊びに行っている途中。
得体の知れない集落を見た瞬間、何もないけど引き返す事にしたり。
「これは良くないな」と感じたら、たとえ第三者的には非論理的な選択肢であっても迷わず従ってきた。
だから。
「メル、それは何じゃ?」
「リュックです」
朝の食事が終わり、これから登校って時のこと。
地球から持ってきたリュックをしょっている私を見て、ルドのじいさんが首をかしげた。
「リュック?ああ背嚢の類か。このあたりのものではなさそうじゃの」
「地球から持ってきたやつです。中身は……あー、主に野営器具ですかね」
私のリュックは特徴的だ。お守り代わりにカラビナつけて、そこに鉄のカップをぶらさげてるからね。
夏の北海道じゃあるまいし、宇宙文明でこんなもんしょってるアホはいないだろ。
「野営?野営というと、地上で外で寝泊まりする野営の事かね?」
「はい、そうです」
タブレットとかも入ってるけど、まぁ細かいことを言ってもね。
「それはよいが……しかしなぜそんなものを?」
「ゲン担ぎですかね?」
ゲンを担ぐという概念を理解してくれればいいんだが。
「ゲンを担ぐ?……ああなるほど、一種のまじないのたぐいかの」
「たぶん、そんなもんかと」
どうやら似たような感覚は宇宙文明にもあるっぽいな。
「なんていうか、妙な予感がするんで。しょって行きます」
「……そうか」
ふむ、とルドのじいさんは考えていたが、やがて「おい」と執事に端末を持ってこさせた。
そして何か操作をして、こっちを見た。
「メル、学校に行く前にこれを記入していきなさい」
「へ?記入?」
「ほれ」
次の瞬間、頭の中にポンとデジタル書類が現れた。
何事かと眺めてみる。
「……秘書雑用課?」
「そこに名前を入れるんじゃ。名前を入れれば、正式にわしの部下という事になる」
「あ、はい。でもなんで?」
書類の意味はわかった。
要するに、これに名前を記入すると、私の所属がじいさんの秘書雑用になるって事だ。
でも、いきなりどうして?
確かに秘書雑用にするかどうかって話はしてたけど、その話は進んでなかったはずだ。
「何か知らんが予感がするんじゃろう?それで、その荷物をしょっていくのじゃろ?」
「はい」
「それはおまえさんの私物、それもおそらく全部ではないか?
では想定しておるのはおそらく、突然ここに戻れなくなっても困らぬように。違うか?」
「……まさかとは思いますけど、それも想定してます」
ウムとじいさんはうなずいた。
「ならばこっちも備えておくだけじゃ。こうしておけば最悪、おまえさんが行方不明になっても簡単に捜索手続きができるでな」
なるほど、そういうことか。
「そういう事か。あれ、でも採用には試験があるって話してなかったっけ?」
「先日、頼みごとをしたろう?ほれ、市街にある支所のひとつに書類を持っていかせた件じゃ」
「あ、はい」
確かにそんな用事を頼まれたっけ。もののついでだったし、居候なんでと気軽に引き受けたんだけどさ。
「あれが試験じゃよ。何しろ、あれで持って行かせたのは、ちょーっと危険な書類じゃったでな」
「え、そうなの?」
あー……言われてみたら、なんか不穏な連中がチラチラしていたな。
じいさんはオン・ゲストロのトップだ。なんだかんだで危険は多いんだなと改めて思ったわけだけど。
それはいろんな意味で正しかったわけか。
「言っておくが適当に持たせたわけではないぞ。学校からの報告を聞き、任せてよさそうに思ったから試したんじゃ。実際に使ってから最終判断はする主義じゃからの」
「じゃあ、本当にアレが試験だったのか。後で試験ってことにしたわけじゃなくて」
「そうじゃ」
なるほどねえ。
「じゃあ、私は合格?」
「うむ。常に使えるかどうかはともかく、秘書雑用として飼っておくには申し分なかろう」
「わかった」
そこだけ確認すると、私はデジタル書類に記入をはじめた。
「名前ってどの名前で書けばいいのかな?」
「ん?どの名前とは?」
「実は最近、じゃじゃ馬の子ってのをよく使うんだけど」
「ああそれかい」
フムフムとじいさんはうなずいた。
「その言い方が非連邦系なのは知っておろう?」
「らしいね」
「らしいねじゃないわい。そっちで登録した場合、連邦での立場が悪くなるぞい。最悪は敵対じゃな」
「え、そうなの?」
「当たり前じゃろう。お嬢やその側近がこの登録を見て、そこから連邦に漏れたらどうするんじゃ?」
「そういうことか……じゃあ、メル・マドゥル・アルカイン・ソフィアだったら?」
「それだと完全に連邦所属じゃな。うちでは問題ないが、今度は第三勢力で立場が悪くなるケースがあるじゃろう」
うわ……たかが名前なのに面倒くさいなぁ。
悩んでいたら、じいさんが提案してきた。
「わしからひとつ提案しようかの?」
「あ、うん」
「親名はお嬢でなく、アヤにしておくのがオススメじゃな」
「アヤに?いいのそれ?」
アヤはアンドロイドだから、人として扱われていない。
個人的にはそれもいいと思うが、そういう名乗りって許されるんだろうか?
「連邦名の最終段って、基本は異性の親の名だよね?親が不明でない限り」
連邦の命名っていうのは日本人からすると一風変わっている。
たとえば私の昔の名、野沢誠一を連邦名にすると、セイイチ・タイヨウ・チキュウ・ハナコになる。名字がないのと親の名前を入れるのが特徴だと思う。
地球でも、苗字がなくて『シグルズの娘ヨハンナ』みたいな命名規則を採用している国があるけど、これに近いかな?
まさか、銀河文明でソレを採用しているとは思わなかったけど。
でも、個人主義が極度に進んで家族の概念が崩壊したと思えば、未来のカタチとしておかしくはないのかな?
話を戻そう。
アヤ、つまり人権のないアンドロイドの名前を設定していいかという問題なのだけど。
「別に問題ないぞ?」
「え、そうなの?」
意外な返答がじいさんから返ってきた。
「そもそも連邦式命名というが、あれは別に完全統一されているわけでもないんじゃよ。
たとえば、地球の多くの国には家系の概念があり、名字を名乗るであろう?」
「うん」
オン・ゲストロはこっそり地球の国と取引しているらしい。だから当然、これくらいは知られている。
「連邦所属国でもファミリーネーム持ちは結構あるぞ。そしてそういう国では親の名でなくファミリーネームをつけるんじゃ」
「そうなの?」
「そうじゃとも。
たとえば、もうだいぶ前に滅びた国でツェルマイ星系ランセンという国があるんじゃ。長く戦乱をやっておったおかげで、あちこちに大型戦艦の残骸があってのう。今もよく取り引きに使われるんじゃが。
そのランセンも家系の概念を持っておった。ラシュカ家、ペタム家、ラブカ家という三大勢力があっての、それぞれがまた莫大な分家をもち、巨大なファミリーを構成しとった」
「……あー、もしかして中国の名字に近いのか」
日本と中国の名字は似て非なるものだと聞いた事がある。たとえば、日本の林さんが中国に仕事でいったところ、現地の林さんに「同族」だということで、何かと親切にしていただいたとか。
つまり、中国では日本より名字の意味が重いという事なんだろう。
ランセンなる国の話は、それを想像させた。
じいさんの話は続く。
「じゃあ、連邦名っていうのは結構、国によってバラバラなの?」
「そうじゃよ。
そもそもおまえさんの場合、連邦法では移民という事になる。すると親は実の親でなく、連邦における保護者になる事が多い。この流れだと最後に入るのは確かにお嬢じゃな。
しかし同時に、今のおまえさんの身体はアヤによって作られたもの。
じゃから、アヤの娘という事で最後にアヤをいれてもよいわけじゃ」
「……そのアヤが連邦で人間扱いされてないのに、それでも問題ないんだ?」
「言ったじゃろ?国によって表記が異なると。
そもそも連邦式の名前で有効なのは所属国名までであって、それ以降は特に規定がないからの」
「なるほど……」
まとめれば、メル・マドゥル・アルカイン・ソフィアだと第三勢力ほかに印象が悪い。で、メル・ドゥグラールと書くと今度は連邦にケンカを売るに等しい。
結局、メル・マドゥル・アルカイン・アヤで記入した。
意味は「マドゥル星系アルカイン所属で、アヤの娘」。ただしこれは連邦での法的な扱いであり、実際、略式ではメル・アヤ、つまりアヤの子メルと名乗る事になり、これが最も政治的バランスがいいらしい。
たかが名前といっても、めんどくさいもんなんだなぁ。
「さて、そろそろわしも仕事の時間じゃな。気を付けていくがよい」
「うん、それじゃあ」
ありがとうと言い、そして立ち上がった。
「メルよ」
「ん、なに?」
立ち去ろうとして、じいさんに声をかけられた。
振り返ると、じいさんは腕組みをして、少し考えていた。
「かりに、おぬしの想定しておるケースになった場合の話じゃが」
「うん」
「行く時は無理に断らずともよいが、少なくとも一発だけは連絡を残すようにせよ。特に、誰と行動しているかをな」
「誰と?」
「それによって連絡先が変わるからじゃ。わかるじゃろ?」
「なるほど……了解」
「うむ、ではまたな」
そういうと、じいさんはウムウムとうなずくのだった。
『ツェルマイ星系ランセン』
なろう未公開の『コンビ』というαシリーズ作品のヒロインの故郷。名前だけ登場。
じいさんの言う戦乱というのは十万年前まで行われていたランセン・レムリア戦役の事で、ランセン国は10~90km級くらいの艦船が多く使われていたが、中でもオークリッドと呼ばれる蜘蛛型(彼らは神話の世界樹を模していると言っていたが)の船が多かった。これらの残骸が戦場跡には残っていて、今も回収業者のロボットが探し、拾い集めている。
(一個見つかれば、コロニー規模の建築物ができるほどの素材がとれるが、人手をさいて探すほどのものでもないので無人機械でやっている)