風船草計画
長いようで短い訓練が終わった。
え?始まったばかりだって?
いや、訓練そのものは地味なものだったからね。ほとんどノリはリハビリだったし。
小さな石ころを手足を使わずに並べてみたり。
空中に謎のかけらを並べて文字を描いてみたり。
こんなの訓練になるのかと思ったけど、アヤは首をふった。
つまり。
小さいから、細かいからこそ難しいんだよって。
なるほど、そういうことか。
同じ事をするなら、力まかせでやるより細かく制御する方が難しい。
コアの使い方も結局はその原理が通用するって事なんだねえ。
さて。
そんなわけで何時間か地味な訓練をやった後、私たちは再び地上に帰った。
時間は早朝近く。
起きるにはまだ少し早い時間ということで、短い仮眠をとる事になったんだけど。
「ねえ、アヤ」
「なにかしら?」
ひとつ疑問に思っていた事をたずねてみようか。
誰かに聞かれないようアヤに例のシミュレータ空間を作ってもらい、さっそく質問した。
「細かい色々な事をソフィアたちに内緒にするのはどうして?」
そう、そこが気になっていたんだよね。
アヤはどうやら、ソフィアたちに色々と秘密にしている。
でも、そもそもどうして秘密にするんだろう?
「秘密にする理由?」
「うん」
「いろいろあって一言ではいえないんだけど。結論だけ言えば、あの方たちと利害が一致しないから」
「利害が一致しない?」
「ええ」
そういうと、アヤは大きくうなずいた。
「わたしは、あるひとつの命令を受けているの。とても、とても大切な命令」
「大切なこと?」
「ええ」
そういってアヤは大きくうなずいた。
「わたしの本当のご主人様……ご本人の許可なしに名前を告げるわけにはいかないから、単にご主人様と言うしかないのだけど。
あの方はそれを、風船草計画って呼んでたの」
「風船草計画?」
そもそも風船草って何だ?どこかで聞いたような?
「風船草っていうのは、地球のタンポポに似た植物のことよ。長い年月の間、いろんな星の荷物にまぎれて銀河中に散らばってしまってね。今では原産地がどこなのか、いつの時代に生まれたものかもわからなくなってしまった、そんな小さな草花。
この先メルがどこの星でどんな生活をするにしても、よっぽど運が悪くなければ必ずどこかで見る事になると思う。銀河では本当、どこにでもある草なのよ」
「へぇ……」
話をしながら、私の脳裏にポンと映像を出してくれた。
おー、確かにたんぽぽに似てる。綿毛ができて、吹くと種が飛ぶところまで。
「あの方がおっしゃるには、わたしには封印が施されているそうなの」
「封印?」
「ええ」
「なんの?」
「それは知らない。ただ、武器とかそういう危険なものではないって言ってた。むしろ逆だって」
「逆?」
「ええ。あの方はこうおっしゃったのよ。『じゃじゃ馬よ、おまえは風船草だ。自力で種を飛ばすことのかなわなかった我々が、未来に託す希望なのだ』って」
「……む?」
アヤが風船草ねえ。
風船草に例えるってことは、何かの触媒になるってこと?種をばらまくように、誰かに何かを届ける役目を果たすってこと?
いや、ちょっとまて。
それって何か大切な……そう、とんでもなく大切な何かと関係する気がするんだけど?
「ねえ」
「え?」
「封印が解けたら何が起きるの?」
「危険なことは何もおきないってあの方は言ってたわね」
「危険なことは、かぁ」
その言い回しは、なんていうか……すごく危険なものみたいに思えるんだけど?
「アヤはどう思ってるの?」
「え?」
「えって、自分にかけられた封印なんでしょう?どういうものかって想像したことはないの?」
「まぁ、あるわね」
「そっちの推測だけでも知りたいかな?やっぱり気になるし?」
「……」
「ダメ?」
「……別にいいけど、あくまでわたしの邪推で結論は出てないのよ?」
「うん、それでもいいから」
「そう。わかった」
どこか神妙な顔でアヤはうなずいた。
「おそらく封印されているのは、方程式か何かだと思うの」
「方程式?なんの?」
「たぶんだけど、現在の銀河生命をもっと強く……腕力とかじゃなくて環境適性を飛躍的に高めて、劣悪な環境でも生き延びられるようにするための情報かな。おそらくそんなもの」
「……はい?」
意味がわからなかった。
「えっと、ごめん。なんでそんなものを封印してるの?それに、どうしてそれを隠すの?」
「え?ああそうね、メルはまだ知らないもんね」
ちょっと不思議そうな顔をしたあと、アヤはクスクスと笑い出した。
「メルはキマルケの巫女についてどう思う?どうしてそんな職種が存在したと思う?」
「んー、わかんない。どうして?」
「それは資源もない、技術もない、そして生きるためには過酷な世界で人が生き延びようとした結果なの」
「技術もない……資源もない?」
「ええ」
大きくアヤはうなずいた。
「魔導コアは奇跡のデバイスって言われているけど、そもそも、そんなものが生まれたのにはもちろん理由があるの。
これらの星にだいたい共通するのは、まず住民が外からやってきた事。
そして、過去に滅びた文明があって、そのせいで惑星上には毒素が広がり、資源は掘り尽くされ、生存にはとても適さない状況だってこと。
要は、資源も何もない、ないないづくしの状態で滅亡寸前までいった人々が、本当に奇跡のような確率で得られたもの……どこかにある水を探しだし、資源もないのに火を炊き、銃もないのに怪物から身を守るための力」
「なるほど……」
何もない星で生き延びようとして、その果てに得られた力ってことか。
「質問。なんでそんな星にわざわざ移住したの?」
「事情はいろいろね。
故郷が滅ぼされる前に、わずかな未来にたくして送り出された移民船団だったり。
どこかの船が大破して、たまたま近郊のギリギリ生存可能な惑星に脱出船が吸い寄せられちゃったとか。
要は、出ようと思っても簡単に出られない状態で辿り着いたって事」
「……」
住みにくいからといって、容易に他の星に移れない状態での移民ってことか。
「あー、それで巫女のお仕事が『緑化』なんだ」
「え?」
「言ってたじゃん。『緑化儀式』だっけ?」
「確かに言ってたけど……」
しまった、とアヤが苦い顔をしていた。
「これってまずい情報だったの?」
「ル・ファールはキマルケ語だから、本来ならバレるわけがなかったの。……メルにキマルケ語を教えなければ」
「いや、それ無理。手遅れ」
「え?」
「だって、学校のアディル先生も知ってたよ。ル・ファールが緑化に関するものだって」
「え?」
アヤの目が丸くなった。いや本当に文字通り、心持ちクワッと開かれた。
「えっと、本当に?」
「もちろん」
「……あらら」
あら、なんか頭かかえちゃったよ。
「そんなの今さらでしょう。だって、アヤの名前の意味知ってる人結構いるっぽいし」
「あれはキマルケ語がわかるってわけじゃなくて、単に名前だけ拡散しているわけで……」
「星ひとつの情報だよ?ずーっと鎖国していたならいざしらず、どこかで知られてても不思議はないでしょうに」
「……そうかも」
アヤは少し悩んだ末、やれやれとためいきをついた。
「大変だね。そんなにまでして隠さなくちゃいけないもんなの?」
「わたし自身にすら、具体的な内容は知らされてない程度には」
そこでいったん言葉を切ると、アヤは苦笑した。
「ソフィア様やルド様に隠しているのは、もちろん自衛のためね。下手な情報を渡したら最後、力づくでもわたしを分解しようとする可能性すらあるから。どういう情報かの実態がわからない以上、少しでも抵触しそうなもの、関連しそうなものは流すわけにはいかないってわけ」
「そうなの?なんで?」
「わからないの?……ってそうか、わかるわけないか」
少し考えなおしたようにアヤは言った。
「それがどういうものかはわからないけど、最悪の場合、それは今の銀河にいる人々を生体改造するとか、あるいは優れた新種が現れて今の知的生命群に置き換わるとか、そんなレベルの話になる可能性もあるわけ」
「え、そんなレベルの話なの?」
「当然でしょう。だって、まがりなりにもひとつの国が関わっているのよ?」
「そ、そうか」
想像してみる。
銀河生命の全てに影響を与えるような、何か。
よくわからないけど、それをソフィアやあのじいさんが放置するだろうか?
……放置するとは到底思えないな。
「な、なんか大変だね」
本当に、心からそう思った。
いや、事態の大きさもそうだけど。
でも、それ以上にアヤの立場が悲しいと思った。
生まれ育った故郷も、そして自分の身内らしい人々もすでになくて。
そして、たったひとりになってから二千年も、最後にもらった命令をずっと果たし続けているなんて。
しかも、それを誰にも言えないなんて。
それは……あまりにも悲しすぎるんじゃないかって。
「あら、まるで他人事ね」
「え?」
気が付くと、アヤがいたずらっぽく笑っていた。
「えっと、なに?」
「もし、わたしが分解される事態になったら、間違いなくメルも無事じゃすまないわよ?」
「え?え?なんで?」
「なんでってメル、その身体は誰が再生したものなの?」
「!?」
そうだった。
その意味をさとった瞬間、身の毛もよだつような気分を味わった。
「それって……いやでも、それにしても」
あわてて深呼吸して、そして気分を落ち着けた。
そうだ、そうだよ。
確かに調べられるかもしれないけど……最悪でも私自身は身体を取り替えられるだけだ。殺される事はあるまい。
だって、わざわざ原住民の私を助けてくれるような人たちだもの。
だけど。
「まぁ、確かにメルは殺されないでしょうね。最悪でも別の身体に入れられるだけだと思う。
でも、その身体じゃ空も飛べないし、たぶんネット能力すらもないんだけど?」
「!?」
今度こそ、頭から冷水をぶっかけられた気がした。
「それは……」
「メル、適職が巫女って言われたでしょう?他は難しいって言われたんじゃないの?」
「……」
「あの人たちがメルをどんな身体に入れてくれるかは知らないけど、コアもちになれる可能性はゼロでしょうね……」
「……」
なんの能力もなくなる?
この、言葉も習慣も何もかも違う銀河で?
そんな……。
「ねえ、メル?」
「……」
後ろから、そっとやさしく抱きしめられた。
「内緒にしてくれるよね……協力してくれるでしょ?」
「……うん」
やっとの事で、私はそう答えた。
後になって思うに、この時の選択はきっと正しかった。それは間違いない。
だけど。
この時の私はというと、得体のしれない不安にガタガタと震える事しかできなかった。