黒髪の娘
「何をしてるの?」
そんな涼し気な女の子の声が、そんな動きを止めた。
そこにいたのは、黒髪っぽい女の子だった。
いや、女の子という言い方が正しいかどうかはわからない。あの金髪の人に比べると若い感じだけど、それは東洋人顔のせいかもしれないから。
それに、ちょっと周囲の明るさが足りないもんで、細かい人相や容姿がわかりにくかった。
服装は、デニムのパンツルックにカーディガン。季節を考えたらおかしな選択じゃないだろう。
だけど。
「!?」
俺よりも、黒服たちの方が劇的に反応した。
黒服たちは懐に手を入れると、中から何かを抜こうとするような動作をした。
だけど女の子の方が早かった。
女の子はタタッと走って俺のそばまで来ると、俺の手を掴んでいる黒服の手をパシッと軽く叩き落とした。そしてそのまま片手で俺を捕まえると、全くペースを変える事なく走りだした。
え?え?
なんか、追えーとか逃がすな、みたいな事が聞こえてくるんですが?
一瞬、意味がわからなかった。
だけど意味がわかった途端、俺は思わず絶叫しそうになった。
こ、この子。
自分よりあきらかにデカい俺を片手で捕まえたまま、とんでもない速さで走ってるんだ!
「口を閉じて!」
「!」
突然に強い口調でいわれて、反射的に口を閉じてしまった。
「くわしい話はあとでします。今はとりあえず待って、舌噛むと危ないから!」
あ、はい。
思わず口に出して言いかけたら睨まれた。こわい。
「ちょーっと飛ばすからね。こわいなら目を閉じてて?」
え、これ以上飛ばすの?
そう思った次の瞬間、耳の横でゴーゴーと風が鳴り始めた。
(いい!?)
なんか、目に映る風景がバイクで高速走ってるような速さに変わって。
俺はあわてて改めて口をつぐみ、目も閉じた。
ビュウ、ビュウ、ビュウと風は唸る。
急減速したかと思うと一気に加速し、まるで上下に動いているかのような感覚を伴う。
いったい、どうなってるんだ?
「目をあけてもいいですよ」
「!」
いつまで続くかと思った逃避行の果て。
もういいと言われて目をあけた俺だったんだけど。
「ここ、どこ?」
なんと、俺たちがいたのは細いビルみたいなところの最上階だった。
ペンシルビルとは言わないけど、かなり細いビルだった。地震がきたりしたら、さぞかし派手に揺れるんじゃないだろうか?
わけがわからないまま降ろされた。
「この中に入ります。話はその中で」
「あ、はい」
目の前にある扉をあけて、俺は中に招き入れられた。
部屋の中は、普通にマンションの一室みたいだった。
最上階だし、もしかして管理人の住居か何かだろうか?
「ここまでくれば、当面は大丈夫だと思います」
「いや、それはいいんだけど、ここって」
「元々住まわれていたのは管理人の方だと思います。今は管理を外部の会社に委託したようですが」
「なるほど……っていや、そうじゃなくて!」
俺は自分の疑問をぶつけてみた。
「君は何者?なんかものすごい運動能力みたいだけど」
ものすごいなんてものじゃないが、とりあえず他に言いようがなかった。
だって、非常階段とエレベータしかないようなビルなのだ。なのに階段を登る音もなく、エレベータに乗ったふうでもない。
さらにいうと、入り口に901って書いてあったぞ。
まさか、ここ9階で……ここまで飛び上がったとか言わないよな?
「それは、詳しくは、もうひとり……わたしの主人がきてからお話します。すみません」
「主人?」
「あなたが道案内してくださった方です」
あの女の人か。
「そうか、じゃあ詳しくはその時に尋くよ。
じゃあ、あの黒服たちは?いったいどうして俺に声をかけてきたんだろう?」
「それについても詳しくはあとで……しかし、まずは」
そういうと、女の子はぺこりと頭をさげた。
改めて見直すと、女の子はかなり可愛い子だった。
ただ、どこか……いやかなり古風な感じの美少女だった。
長いつやつやした黒髪は、まさに烏の濡れ羽色。しかもロングだった。まるでテレビのCMに出てきそうな、見事なまでに美しい髪だった。
その持ち主も、まるでお人形のような美少女っぷり。
ただ、少々小柄なのが気になったかな?
今時の女学生ではなくて……身体の大きさといい黒髪といい、どこか昭和時代の女学生みたいだった。
そんな美少女が今、俺の目の前でペコリと頭を下げていたわけだけど。
「申し訳ありません、巻き込んでしまいました」
「……巻き込んだ?」
「はい」
女の子は顔をあげると、困ったように言った。
「詳しくはあとでお話しますが、概要はあなたが想像されている通りです。
つまり、わたしの主人の道案内をした事で、あなたはあの者たちに目をつけられてしまったようです」
うわ、やっぱりそうなるんだ。
「あれは何者なのかな?いや、女の人じゃなくて黒服の方だけど」
「おそらくですが、この国の公安もしくはそれに類する、国家保安の業務を行う方々かと」
な、なんじゃそりゃ。
「ということは、あのひと……公安に目つけられるような事をしたってこと?
それはまた、えらいことだね。よくわかんないけど、いったい何でまた?」
まぁ、教えてくれないだろうけどな。これも「あとで説明」だろう。
できれば面倒事は勘弁しいほしい。
だけど現時点で、どうもがっつり巻き込まれちゃったみたいだからね。
ならば、知らないとまずいだろう。
そしたら。
「いえ、あの方は何もしておりません。むしろ所属の問題かと」
「所属?」
「はい。わかりやすく言えば、あの方の国はこの国と国交がないのです」
「国交がない?」
「はい」
それは珍しい。
日本と国交がないけど国家形態のある国なんて数えるほどしかないはずだ。でも、この眼の前の女の子ならともかく、あの金髪さんが住んでいそうな国って、どこがあるんだろ?
むむむ?と首を傾げた。
「あのひとはすぐに来るの?」
「えっと……すみません、もう少しかかりますね」
「そうか。じゃあ……これは君でも答えてくれるかな?」
「なんでしょう?」
「君の、それからあのひとの国ってどこなのかな?国交がない国っていわれても、ちょっと想像つかないんだけど?」
まぁ、あと問題をいうならば、国交がないなら不法侵入って事になるんだろうか。そりゃ追われるはずだ。
でも今はそれを追求する時じゃないよね?
そんなことを考えていると、女の子が苦笑した。
「国名などはあとでお話します。
すみません申し遅れましたけど、わたしはアヤといいます。どうかよろしくお願いします」
「どうもアヤさん、俺は野沢誠一。のざわでも誠一でもどっちでもいいですよ」
クチの悪い昔の友達には、野沢菜野郎とか言われたよなぁ。
「はい誠一様。わたしに『さん』づけは無用です。そのままでどうぞ」
ん?
「誠一……さま?」
「えっと、何か変ですか?」
「いや、俺、サマなんてガラじゃないからさ。野沢さんでも誠一さんでも、なんなら呼び捨てでもいいぞ。
あと、初対面の女の子を呼び捨てはちょっと……」
一般人だしな。様付けはなぁ。
ところが、女の子……アヤさんとやらの反応に、俺は耳を疑った。
「そうですか。ですがわたしは人間でなく合成人間ですから、対等に扱ってくださるのは申し訳ありませんし、できればサマづけでお呼びしたいのですが」
「……はい?」
アンド……ロイド?
「ごめん、今ちょっとよく聞こえなかった。アンド……何だって?」
「合成人間ですが?」
「……はあ?」
意味がわからない。
しばらく俺とアヤさんは「?」な顔をつきあわせていたのだけど、
「ああ……そうでした、この国にはまだわたしのような完全ヒューマノイドはいないんでした!」
ポンと納得げに手を打ったアヤさん。
「すみません、これじゃただの怪しいひとですね。
わかりました、ではもうちょっとわかりやすく説明しますね?」
「え?わかりやすくって……!?」
アヤさんがそういった瞬間、俺の頭の中に見知らぬ風景が広がった。
それは見たことのない風景だった。
まるでファンタジー映画に出てきそうな巨大な神殿と、不思議な衣装の人々。
(これは?)
『わたしの製造されたところ、つまり故郷の風景です。わたしの記憶の中から取り出しました』
『な……に?』
『今はもう滅びてしまった、見られない光景です。とてもいい国でした』
「……」
映像は短かったが、インパクトは十分だった。
だってそうだろう?
アヤさんが何者かは知らない。アンドロイド、つまりロボットはどうかも確証はない、というか信用できない。
だけど。
少なくとも、なんの道具もなしに人間の頭に映像を送り込める技術を、俺は知らなかった。
「君は……いったい何者なんだ?」
「それについては……あ、ご主人様が下の階に辿り着いたようです、まもなくお話できると思います」
そういうと、アヤさんはにっこりと微笑むのだった。