自力で宇宙へ
空を飛ぶ、それは翼もたぬ人の夢。
古来、人は空に夢を見てきた。だからこそ空を飛ぶ神話は多いし、そして空から落ちる神話も多い。
そして、何かの理由で超人力を得た人の物語でも、はじめて空を飛ぶシーンは感動的に描かれる。
要は人間にとり、空は特別な意味をもつ世界ということだろう。
ゴウゴウと風が鳴っている。
昼間に飛んでいた時とは比較にならないスピードだった。アヤがもっと飛ばせというから飛ばしてみたんだけど。
ぐぅ、なんて風だよ。
『もっとです。もっと飛ばしてください』
すでに声は届かなくて、通信でアヤが指示してきた。
そんなこと言われてもって感じなんだけど。
ものすごい風で、前すらろくに見えやしない。
でも、この速度って。
どう考えても時速200キロやそこいらじゃないでしょうが、これ。
なんて風だよっ!
昔、友達のGPZ900ってオートバイを借りて、その英国仕様車のスピードメーターが右に触れるほど飛ばした事がある。
だけどニンジャはあの速度域になるとむしろ安定していたし、普段は大げさに見えていたカウリングもしっかりと防風の役目を果たしてくれていたから、きつかったかというと、実はそれほどでもなかった。速度の方はまぁ、アドレナリンがドバーッとくる感じだったけれど。
でも今は。
「……っ!」
だめだ。前がよく見えない。
『それが限界ですか?ずいぶんと遅いんですね?』
挑発するようなアヤの通信が聞こえてくる。
むう。
もともと馬力差があるのかもしれないけど、この風は……ん?風?
(あれ?)
アヤの状況をドロイドの目で確認した私は、妙な違和感に気づいた。
(服が……動いてない?)
そんな馬鹿な。
アヤの速度は私より速いはず。そりゃあヒラヒラした服とか着ているわけじゃないけど。
でも髪が。
アヤの髪は長髪ストレートで、しかも止めているわけでもないのに。
なのに髪すらも揺れてない。どうして?
(……)
少し考えた。
そして、ああと思い当たった。
そうだ。
風は空気の流れだから。
だったら、自分のまわりの空気と一緒に移動してしまえば。
身体のまわりで力がゆらめいた。
自分を中心に球形の空間が光に包まれて、そしてその空間が周囲から隔離されて。
「おぉ」
やった、風が激減した。
身の回りを丸い空間で隔離する事で空力特性を稼ぎ、それで飛ばす。
よし、いくぞ!
◆ ◆ ◆ ◆
「!?」
アヤはその瞬間、え?、と目を見開いた。パチパチと瞬きをして確認もした。
しかし状況は変わらない。
「これは……まさか」
いくら杖を手に入れたといってもメルは初心者。ドロイド譲りの大出力のコアを持とうとも、それを即座に使いこなせるわけがない。
だからこそ、どのくらい使えるかという最初の見極めのつもりだったのに。
「これはもしかして……いいえ、でも、ありうるはずがない」
メルのまわりに輝きだした光、そしてエネルギーの高まり。
その異様な輝きは、アヤにとってはとても懐かしいものだった。
「キマルケ式……球形魔法陣」
しかも。
それは、かつてのアヤが日常的によく見ていた、巫女たちの生み出す魔法陣そのものだった。
無数の光の帯がメルを取り巻いて舞っていた。そしてその帯には、もうない国の言葉……すなわちキマルケ語の真言や呪法のようなものが、これでもかと刻まれている。
キマルケ式球形魔法陣、巫女の型。
宇宙文明ならともかく、銀河的には未開とされる文明の中には方陣や円形陣を用いる文明は結構ある。だが、そのほとんどは平面に描かれるものであり、平面の図形になっていた。空中に球形の魔法陣を描いていたのは少なくともアヤが知る限り、銀河広しといえどもキマルケ以外にはほとんどない。
そしてアヤがキマルケのラボで誕生してからあと、基礎教育を受けたのはキマルケ王都の大神殿。まわりはほとんどが女官と巫女であり、彼女たちの生み出す魔力や魔法陣は、寝ていても起動の雰囲気で判別できるほど。
つまり見間違いはありえない。
しかし、おかしい。
「どうして……メルはキマルケ人じゃない。教えてくれる本職の巫女もいない。なのに、どうして?」
魔法陣というのは民族や地域によって異なるもの。
そもそも魔法陣はどういうものかというと、人間がコアを使うための小道具の一種にすぎない。
キマルケ式の杖は典型的な大型のものだが、指揮棒のような小さな細身の杖を使う地域もあるし、宝剣といって装飾のついた特有の剣を用いるところもある。その地域の文化や事情を反映しているわけだ。
だからこそ、キマルケ式の魔法陣を地球人のメルが展開しているというのはおかしい。
なぜ?
「可能性があるとすれば……そういえばキマルケ語をメルに教えたわね。そのせいかしら?」
今現在、最も可能性が高いのはソレかもしれないとアヤは思った。
メルの手にしているのは、アヤの記憶違いでなければ『理力の杖』だ。あの杖は入門用として位置づけられているのだけど、巫女でないアヤには他の杖と理力の杖の区別がつかなかった。確かに色やデザインが違うようだが、差異があるように見えなかったから。
しかし。
(むかしエレちゃんが言ってたもの。理力の杖は教科書なんだよって)
アヤにはわからない。
しかし、巫女にしかわからない特殊な方法で教科書的なものが刻まれている杖というのが理力の杖の正体なんだとしたら、キマルケ語を習得しているメルがキマルケ式の魔法陣を展開しても不思議はないと、そうアヤは考えた。
(うん、検証が必要ね)
そうアヤは結論づけると、再びメルに向けて通信を飛ばすのだった。
◆ ◆ ◆ ◆
『うん、結構速度が出てきたわね。それで限界?』
『いや、まだ飛ばせると思う』
まわりの空気ごと移動するようにする事で、余裕でガンガン飛ばせるようになった。
『気持ち悪いとか、身体のどこかに異様な重さを感じるとかはある?』
『ない』
『わかった。じゃあこのまま完全に宇宙まであがりましょう』
『げ、いきなり?』
『そう、いきなり。最悪帰れなくなったら、その時は港湾設備を借りるから』
『なるほど』
空を飛んで宇宙までいったとしても、同じく降下しなくちゃならないって決まりは別にないよね。
宇宙まで飛ぶ事より、今まで飛んできた距離を降下していく事を考えると、ちょっとげんなりした。
『どうしたの?』
『あー……上がるより降りる方がイヤなんだよ』
『そうなの?なんで?』
『いや……どうも急降下とかって苦手で』
なんかこう、ゾワッときて怖いんだよ。めまいがする事もあるし。
『ああ、それで最初の飛行テストの時に墜落したのね。いえばいいのに』
『この身体でも同じだなんて思わなかったよ』
『なるほど、それもそっか』
どうやら納得してくれたようだった。
そうしている間にも、どんどん加速は続いていく。
いつのまにか、空はもう真っ暗だった。そして下に見える大地の方が明るくて、大気の層と思われる明るいエリアもハッキリと認識できる。
そう。
実際にどうなっているのかは別として、すでにここはもう、個人的には宇宙といっていい場所だった。
『すっげー、こんなとこまで上がってきたんだ』
『ええ、そうよ』
写真や映像でしか知らない世界。
しかも今、足の下に見えているこの星は地球じゃない。
こうして見たら確かにわかるけど、海と陸の比率も違うっぽいし、この高度から見えるような巨大建造物もちらほら見られる。そして数カ所には宇宙まで通じた、そう、軌道エレベータの姿も見える。
ここは地球じゃない。遠くはなれた惑星イダミジアの光景なんだ。
凄いなぁ。
まさかこんな風景を実際に見る事ができるなんて。
『メル、泣いてるの?』
『ああごめん……むかしね、自分が何百年生きたらこんな光景を見られるだろうって思った事があってね』
『こんな光景って?』
『いやその……軌道エレベータとかステーションとかあって、人類が宇宙に踏み出している世界っていうか』
そう。かつて、私はSF好きだった。
宇宙ものSF作品が特に大好きだった。
単なる家族ドラマに堕した世界的な傑作宇宙ものには実は全く関心がなかったのだけど、そういうのとは違う、単なる宇宙を舞台にした冒険活劇的なものなら、やっぱりそれなりに楽しんでいたものだ。
だけど、その裏にはさ。
一生一度でもいいから宇宙に、地球以外の世界に行ってみたい。
そんな思いがすごく、すごくあったって事なんだよね。
『ふうん、そうなの』
そんな私のつぶやきに対するアヤの返答は、まぁ当然だけど、そっけないものだった。
まぁ、そうだろ。
生まれながらに宇宙にいける存在にしてみれば、私のこんな気持ちが理解できるとも思えない。
それはアヤが冷たいわけでなく、当たり前のこと。
『そっか。じゃあ質問だけどいい?』
『うん、なに?』
『はじめて自力で宇宙にあがってみて、その感想は?』
『ああ、それはね……』
『?』
『言葉にならない。感無量。そんなとこかな?』
『ふうん……そっかぁ』
こてんと不思議そうに首をかしげるアヤが、なんだかとてもかわいく見えた。
いやまぁ、その。
こんな、のほほんとした会話をしているけど、実はもう大気圧ゼロの宇宙空間なんだけどね。
ちなみにリアル友人も昔、英国仕様のニンジャ持っていました。
スピードメーターは、ちょうど真上が180km/hになっていたと思います。