閑話・魔操機兵
話は少しだけ過去に戻る。
メルと分かれたアヤはまっすぐ帰らず、エリダヌス教団のンルーダル支所に立ち寄っていた。
「ああ、確かにあなたの記録がありました。二千年前のものですが……おかえりなさいアヤ」
「ええ」
話している相手は、初老のアルカイン人だった。白を基調にした神官服がよく似合っていた。
「それで、どうなさったのですか?」
「どう、というと?」
「あなたの関係情報なのですが、あの方と懇意であったとなっております。もちろんここ二千年の事はわからないわけですが。
今日こちらにいらしたご事情も、もしかしたらそのためなのでしょうか?」
「ええ、まぁ」
アヤとしては、そこまでハッキリと考えていたわけではなかった。
だが、確かにアヤはエリダヌス教徒というわけではないから、用があって来たのだろうという神官の推測は正しい。アヤはフムとうなずくと、思い切って本題に入る事にした。
「エリダヌス教の現在の動向が知りたいの。たとえばだけど、『鍵』関連の状況が動いたとしたら、あのひとも動くのでしょう?」
「確認いたしますが、あなたのおっしゃる、あのひととはメ……」
言いかけたところをアヤが手で制した。
「まって。記録に残ると困るの」
「ああ了解です、ではその前提でお話しましょう」
口にしてしまうと、どこかの記録に残りかねない。
アヤの意思を適切に神官はくみとり、そして大きくうなずいた。
「ご指摘の通り、あの方が動き出しております。しかし我々の知るかぎりでは、鍵関係の事象が動いたという話はありませんね。単なる確認だと思われます。少なくとも今は」
「なるほど。可能性はある?」
「私個人は、あると考えています」
「そう……」
アヤは少し考えこんだ。
「では、伝言お願いできるかしら?」
「ええ、なんなりと」
「では『何をするにしても、こちらにも一報してほしい』と」
「……ふむ?」
「正直なところ、わたしが想定している事態が起きる可能性は低いと思う。だけど万が一のためにお願い」
「なるほど、わかりました」
アヤはお願いの時に両手を胸のところでクロスした。
それを見た神官も微笑み、頷きつつもやはり胸のところでクロスした。どうやら宗教上の儀式のようだ。
「ところでアヤさん、せっかくですから少しお参りして行きませんか?」
「あら、ドロイドにも信心を求めるのかしら?」
「二千年の時を生き、あの方とも懇意の貴女なら、たとえドロイドとはいえ反対する者はおりますまい。いかがでしょう?」
「ありがとう。光栄なことだけど今は時間がないの。あの子が帰ってくる時、わたしは学校かオン・ゲストロ本部のどちらかにいなければならないから」
「そうですか、残念です」
神官は儀礼でなく、本当に残念そうにそう言った。
エリダヌス教支部を辞したアヤは、歩きながら思考を巡らせた。
「気づかれた?」
渋い顔をしてアヤは考えこんだ。
(確かにメルには『鍵』の素養がある。だって『鍵』となりうる条件は、わたしが再生した『男性』である事なんだから)
二千年の昔、アヤが作られた本当の理由。当時のキマルケ王がアヤに託した使命。
当時の事をアヤは、ふと思い出した。
ファンタジーめいた古い宮殿の中。
玉座には王とおぼしき重厚な衣装の男がいて、ひざまづくアヤを見ている。
その隣、本来なら王妃の座るべき場所には、どう見ても王族とは思えない巫女姿の少女がぐっすりと眠り込んでいる。本来なら問題おおありの状況のはずだが、王はそれを咎めるでもない。それどころか、少女が目覚めたら食べられるよう、お菓子や飲み物の乗った小さなテーブルが横に置かれているありさまだった。
『じゃじゃ馬、おまえに我が託した使命については覚えているか?』
『はいご主人様』
『念のため確認したい。復唱してくれるか?』
『はい。「鍵」を「目覚めの者」に引き渡す事です』
『うむ』
王は大きくうなずいた。
『残念ながら我らキマルケ人には、おまえのようなドロイド体を作る技術がない。だから銀河の奴らの施した忌々しい封印を外す事もできない。これは全く遺憾だが事実だ。
そして、今から無理に技術を追いかけたところで見破られ消されてしまうだろう。
だから、我らにできる最高の仕掛けをおまえのボディに施した。わかるな?』
『はい』
アヤの反応を確認してから、王は大きくうなずいた。
『今より未来、いつになるかはわからんが……おまえが「男」をその身体で再生する事になった時、『鍵』が起動する』
「はい」
『今のおまえには、その重さはわかるまい。
そして、未来にその事態に直面した時……いかにドロイドといえども人に似た心をもつおまえだ、憎しみを持つかもしれん。
だがなアヤよ。
たとえ恨んでも「鍵」に八つ当たりだけはしてくれるな。恨むなら、おまえにそのような仕掛けを施すよう命じた我を恨め。よいな?』
『……あの』
『今はわからずともよい。それだけを今は覚えておけ。よいな?』
『はい、ご主人様』
(……)
遠い昔の記憶。
そう。
アヤの身体にはひとつの封印が隠されている。
キマルケやボルダ、古代トゥエルターグァあたりではおなじみの技術なのだが、異質であるがゆえに連邦人たちはそれを察知できない。かりに何かに気づいたとしても、どうしようもない。
「恨みはしません。だけど」
鍵は、すでに目覚めた。
だけど。
それを『引き渡す』という事は。
「……ご主人様」
アヤはためいきをついた。
「別に恨んではいません。それがわたしの使命だったのですから。でも」
空をみあげた。
「どうして今、とは思いますけど……。大切な使命なのも知ってますけど。でも」
一瞬、アヤは口を閉じて……そしてまた開いた。
「それは誠一さんをメルに変えてまで、やる事だったんでしょうか?
本当に『鍵』が開放されてしまったら……いえ、それが必要な事なのは確かにわかります。
でも。
おそらくそれは……少なくとも銀河の全域を巻き込んでしまう。もしかしたら万年単位の時間、全銀河が大混乱に陥る可能性だってある。
本当に。
本当に……それは今、必要な事なんでしょうか?」
アヤの声に答えるものはない。
ただ空が青く、風は穏やかだった。
そして、
「あら、メルが移動開始……え?」
何かを追尾するように頭を動かして、そして眉をしかめた。
「たった半日で、ずいぶんと制御がうまくなったわねメル。いえ、でもこれは……まさか」
思い直すように首をふり、そして、
「これは、さっさと戻っておいた方がよさそうね。ここに飛んでこられたりしたら厄介だし」
アヤが立ち止まっていたのは下町のどまんなかだった。
少なくとも、まだメルを連れて来ていい場所ではない。
「『起動』」
うっすらとアヤの全身が輝いた。
そして、
「『飛翔』」
次の瞬間、アヤの身体が何か巨大な力に弾かれたように、ぽーんと空中に飛び出した。
そしてさらに次の瞬間、噴射のようなものも何もないのに、まるで人間大のミサイルか何かのように強烈な加速で飛び去っていった……。