黒猫拾った
何かこう、ピクッとくるものを感じた。
え、そりゃ何だって?
うーん説明のしようもないんだけどね。
あえていえば……視線?
誰かが見ているような、こう……なんとも言えないものだった。
「よくわかんないけど、わかった。ちょっと調べてみるね」
『よろしく』
動こうとしないメヌーサに見送られて移動開始した。
まるで、遠くから覗かれているような悪寒。
そしてなぜか、子猫のイメージ。
なんだこれ?
わけがわからない。
わからないけど、とにかく動き出した。
「……」
まずは広いところに出た。
きょろきょろと周囲を伺ってみる。
ここはフロアになっていて、ヒマな人であふれ始めていた。さすがに日数がたち、退屈を持て余してきたという事だろう。
でも、ここじゃなさそうだ。
「……草原?」
うん、草原のようなものが見えた。
ということは自然公園かな?確かミドルフロアにあったはずだけど?
「うーん……」
とりあえず案内に従って公園まで来てみた。
森林公園を想像してほしい。この巨大な船のミドルフロアは、そのほとんどが森林公園となっていて、しかもその下にはこの森を支える土と石、堆積岩類の層がある。外から手を加えているのは出入り口のシールドと、人工の太陽光のみ。
おどろくべきことに、宇宙船の中にほとんど手を加えることなく、自然環境を再現しているんだ。
ところどころに人の姿が見える。ペットを散歩させたり、芝生のようなところで昼寝している人すらいる。
なんとも平和だ……。
だけど、感じた雰囲気はここにはない。
よくわからないけど、ここではなさそう。
「他に公園みたいなところって……」
検索をかけてみるけど、こことVIP区画……要は私たちの『部屋』以外にはないらしい。それにその私たちの部屋は厳密にいうと、こことつながっているので別々というわけでもない。
ん?何か表示が出たぞ?
【本公園は三十分後、小雨に変わります。屋根の下や大樹の下など、濡れない場所への避難を推奨いたします。
また、他の選択肢としては仮想ルームの選択肢もあり】
仮想ルーム?
ためしに検索で引っ張ってみた。
『仮想ルーム』
仮想空間技術を使い、さまざまなシチュエーションを作り出し楽しむもの。本来は小型船などで森林環境などを映す等、主にリラクゼーションおよび娯楽のために使われる。
なるほどわかりやすい。
ちなみに近郊のバーチャルルームはどこかな?
【簡易型なら各部屋にもあります。本格的なものは専用ブースへどうぞ】
ほいほい了解、じゃあ案内よろしく。
今さらだけど、進化したネットは本当に便利だ。
地球では携帯が普及した結果、人と人との距離感が変化しすぎて閉塞感を覚えている人もいる。特に何かを集中してやりたい種類の人、ひとりでいたい人は、こっちの都合を無視して電話口に呼びつけられる携帯電話の持参を強制される事を不愉快に思っている人も珍しくないくらい。
だけどおそらくそれは一時的なものだ。
いずれ人々は新しい距離感を確立する。その中で「電話に出ない自由」も認知されていくだろう。
ネットは、誰かと常に強制的につながりっぱなしにされる道具じゃない。
ネットとはつまり、個人の能力を拡張し、居ながらに知的活動を可能とするための仕掛けなんだ。書斎の奥に座りっぱなしでなくとも大作を書き上げ、電車の中でヒット曲を作る。それを可能にする方向に、実際に地球のネットも向かっていた。
そして。
この銀河のネットワークは、それをとっくの昔に、当たり前に実現してしまっているわけだ。
「こんどは間違いないかな?」
今度は例の雰囲気がある。
何か得体のしれないもの……それから子猫と……ん?カラアゲ?
なんでカラアゲ?
ま、いっか。
船内の案内で……これも拡張現実ってやつで見えているわけだが……バーチャルスペースのひとつにやってきた。
なんというか、見た目は田舎のカラオケボックス。
なんかこう、ひと家族入れますよーサイズのカラオケ部屋みたいなユニットがたくさん並んでいるんだけど、この一つ一つがバーチャルルームらしい。
案内らしいロボットがいたので声をかけてみた。
「すみませーん」
『何でしょうか?』
「こちらに、仔猫連れてカラアゲ持ってる人いますよね。お会いしたいんですが」
『申し訳ありません。個人の情報を明かすことは、たとえお客様でも禁止されておりまして』
「あー、それはね」
そう言いつつ、詠唱なしで杖を取り出した。
え、杖でどうするのかって?
どうもしないよ。
ただ、こういう時に杖を使うと……何かこう、何かが少しズレる感じで道が開くことがあるんだよ。
はたして。
「ああえっと、わかったからいいよ。ありがとう」
『はい?』
疑問符を浮かべているっぽいロボットに手をあげて別れると、そのブースの前に立った。
ためらいもなく扉を開く。鍵はかかってない。
「あれ、気配がなくなってる……んん?なんかカラアゲっぽいニオイ」
逃げられたかな。でもここで間違いないっぽい。
中に入ると、そこは草原の風景になっていた。
「おお」
それはなぜか、なつかしさを伴う風景だった。仮想なのに。
夕焼け色に染まった世界。
もうすぐ夜がやってくる、ものさびしい草原。
これは、どこの風景なんだろう?
歩いていくと、前方から誰かが駆けてきた。
「!」
いや、映像みたいだ。
映像は小さな女の子だった。地面をコロコロ転がっていくものを追いかけて、そしてつかまえた。
それを手で軽くはたくと、かぶりついた。
……もしかしてパンとチーズじゃね?あれって?
女の子は夕焼けの風景を見ながらそのパンとチーズを食べて、そしてどこかに戻って行った。
とても寂しくて。
何か切なくなる、そんな風景。
だけど、その風景をじっと見ていて……ああと思い当たった。
わかった。
あの子って……。某アルプスの少女じゃねーか。道理でどこか覚えがあるはずだよ。
すると、ここ山小屋の近くか。
確かにあのアニメはよく覚えてる。
何度目の再放送か誰かのビデオで見たのかもわからないくらい昔だけど、ほんとうに。
だけど。
こんな、明らかに地球製のコンテンツをわざわざ銀河のシステムにリコンパイルして使うなんて。
そう。
これはどういう事情か知らないけど、明らかに私個人を狙ったものだろう。
目をこらして周囲を見た私は、草むらの中にベージュ色のバスケットがあるのに気付いた。
安物のバスケットに近づき、そして触ってみた。
……プラスチックみたいな質感だな。
開けてみると。
「……お」
真っ黒い子猫が眠っていた。
そしてその横には、手書きのメモが……って、日本語!?
あわてて手にとってみた。
『おねがい』
失礼であることは承知の上だが、あえてお願いをしたい。
この子をしばらく預かってほしい。適切な引き取り手が遠からず現れるので、その者に渡すまででいい。
私は敵を作りすぎてしまった。
残念だけど、私ひとりではこの子を守り切れない。
勝手なお願いですまない。
だけどせめて、送り届ける事だけはやってもらえると嬉しい。
「……なるほど」
さっきの気配の主か。
よくわからないけど、子猫に罪があるわけもない。預かるくらいはかまわないだろう。
まぁ、私がアヤに殺されたら約束を守れないことになるけど、ごめん。そこまでは責任もてないわ。
「ニャア」
「ん?」
読んでいるうちに子猫が目覚めたらしい。
「ニャア……」
「……」
ただ子猫が鳴いているだけだ。保護者を求めて。
だけど。
「ニャア……」
「……」
どうしてこの子の鳴き声は、胸が張り裂けるほど切なくなるんだろう?
「……」
選択肢はない。
私は黒猫を抱き上げた。
『夕方と駆けてくる女の子』
ズイヨー版のアニメ『アルプスの少女ハイジ』のワンシーンを元に銀河文明の技術で再構成し、作り上げられた仮想空間。ただ技術自体は見事なのだけど、立体化で人相が変わってしまっているので、小さい頃に見ていた記憶だけのメルにとり「どこか見覚えがある」レベルにしか認識できなかった。
地球の、特に日本のコンテンツはメルの故郷のものということで現在、わりと入手しやすくなっている。特に殺傷シーンなどの少ない名作系は各国のコンテンツ規制にもひっかかりにくく、一般にも一部楽しまれている。