黒猫
その存在は、遠い時空を逃げ続けていた。
予定よりもずいぶん遅れて授かった子供。その子供を腕に抱き、彼女は途方もない空間を飛び越えた。
「ふう……どうやら侵入できたようだな」
それは、二本足で立ち上がった猫……メルがもし彼女を見たならば、アマルー族と認識しただろう。
やたらとフサフサの耳。胸のあたりにも、こんもりと大量の毛がある。
特徴的なのは、とにかく多毛であること。耳のところにも特徴的な毛が伸びていて、その姿は地球人の目線では『メイン・クーン』と呼ばれる世界最大の飼い猫のそれに似ている。
いわゆるアマルー族の体毛は短いものが多い。多毛種は古アマルー……原初のアマルーと呼ばれる系統の印なのだけど、混血の進んでしまった今のアマルーは、たとえ王族でも純血の証である多毛種の姿を見せる事は少ない。せいぜいが先祖返りどまりで、むしろアマリリン……アマルーに似た多毛系の異種族の方が有名なくらい。
だけど彼女は、そうではない。
アマルーに至るひとり。それは彼女の名前であり、そして彼女がメヌーサ・ロルァがそうであるように、猫の人と呼ばれるアマルー族の原初の一匹、アマルー的な慣用句で言うところの『高く掲げた尻尾』である。
彼女はたくましい二本の足で立ち上がり、さらに黒い子猫を抱いている。
「あの子らは……ああ、いたいた、今後こそ間違いないか。よかった」
何か問題でもあったのか、ホッとしたようにためいきをついて、
「それにしてもまぁ……この感じ、もしかして居るのは末っ子!?」
懐かしい銀髪娘の魔力を嗅ぎ当てた彼女は、ニヤリとチェシャ猫の邪笑を浮かべた。
「長女交代したとは聞いていたが、まさかの末っ子とは!
まったく、長女のやつもなかなか楽しいことをしてくれる。何が『お・た・の・し・み♪』だまったく!」
本当に楽しげに笑う。
「顔を合わさないつもりだったが……末っ子というのなら仕方ないな。うむ、当然顔は出さんとな、うん、これも猫族の長たる義務というものだな!」
口調とは裏腹に、期待に満ち溢れた顔をしている。
なんとも楽しげに、腕の中の子猫の頭をなでた。
「しかし、なんでまた定期便に乗ってないかね。これも例の歪みの影響ってことかな?」
ふむむと彼女は首をかしげていたが。
「ま、いい。……少し腹が減ったな、誰かいるかい?」
『はい、ナンデショウ?』
とりあえずベンチに座りつつ呼びかけると、接客ロボットらしいのが一体やってきた。
「シナンチの唐揚げある?もしあったら大きいパックでくれる?」
『シナンチ……はい、ただちに手配します。四分ほどかかりますがよろしいですか?』
「もちろんかまわないとも」
『はい、それでは少しだけお待ち下さい』
そういうと黙ってしまったロボットをとりあえず無視して、彼女はためいきをついた。
「さて息子、感じているかい?キミを拾ってくれる優しいアルカの娘さんの気配を。ん?」
ニャア、ニャアとかわいく鳴く子猫に微笑む。
「そうかそうか、それはよかった。どうやらオマケつきのようだが……蜘蛛族の子なら、まぁ問題あるまい……!?」
と、いきなり彼女の目がクワッと開かれた。
「……まさか、今ので嗅ぎつけられた?ウソでしょ、末っ子だってまだ気付いてないのに?」
「ニャア」
「おまえも感じているかい息子?」
ぽん、ぽんと子猫を片手であやしつつ、考え込む。
「とんでもなく優秀だな……本家本元の巫女にも負けず劣らずじゃないか。
もしかして、すでに風を渡り始めているというのか?
いやいや信じられん、いくらあの生真面目な末っ子が面倒見ているとはいえ……まさか本当に『風に呼ばれた者』なのか?」
ふむ、と彼女は考え込み、そして笑った。
「ま、まぁ、風に呼ばれるほどの巫女体質では、どのみち普通の生活など送れまいからな。目覚めるなら早いうちの方が本人のためでもあるだろうが……これはまた」
猫人という種族上、人間と違ってその表情はわかりにくい。
だがその顔には確かに、驚きとも呆れともつかないものが伺えた。
「君きみ、ちょっと」
『はい、なんでしょう』
「この場に近づいているお客さんがいるんだ。メヌア嬢の連れなんだが。
しかし、先に食事をすませてから会いたい。彼女の到着を遅らせることはできるかな?」
『申し訳ありません、お客様への干渉は認められませんので』
「あーそれもそうか」
そもそも彼女は乗客ではない。迂闊なことになると面倒なのは彼女の方だった。
「うーん、じゃあすまない。シナンチだけど、持ち帰るから包んでもらえるかな?」
『普通に包みますか?』
「パックでよろしく」
『わかりました。ただちに』
数分後。
パックで受け取った唐揚げのひとつを子猫に食べさせようとしたが、まだ子猫が肉を食べられないことに気づいて苦笑した。
彼女は、あきらめてパックをどこかへ収納すると、少し寂しげに笑った。
「わかっていると思うけど……しばらくの間お別れだよ、息子」
「ニャア……」
「大丈夫、心配いらない。遠くないうちにまた会えるとも。
だが今は危険すぎる。
君を守りきるには彼女に預けるのが一番いいって事らしいんだ」
すりすり、と名残りを惜しむように子猫に頬ずりする。
「忘れないでとは言わない。再会した時には憎しみをぶつけられても仕方ない。
だけど、これだけは忘れないでくれ。
君は、親の愛情のなさで捨てられたわけじゃない。……君をなんとか生きながらえさせるために預けられたんだってね」
「……ニャ」
置いていかれると気づいているのだろう。悲しげに鳴き、母親にしがみつこうとする子猫に、彼女は優しく、とてもやさしく言葉をとなえた。
「おやすみ息子……『催眠』」
「……」
力なく眠ってしまった子猫を、どこかから取り出した小さなバスケットに納めた。そしてバスケットの隅には、話に聞いた異国語の書き置きを挟みこんだ。
「……」
そして後ろ髪引かれるように立ち上がり。
次の瞬間、彼女の姿は幻のように消えてしまった。
そして、さらに二分とたたぬうちに。
「あれ、気配がなくなってる……んん?
あれ、なんか唐揚げっぽいニオイ」
そんな女の子の声が、部屋の入口に響いていた。
そして一分後、彼女……ソロンは懐かしい姉妹の末っ子をつかまえていた。
「やーやー末っ子、久しぶりだねえ!」
「ちょ、誰よってそ、ソロン!?」
いきなり現れたモフモフの黒猫女に、メヌーサ・ロルァはいきなり硬直した。
無理もない。
ここはメヌーサとメルだけの特別区画でありメルは外出中。ルームサービス以外は誰もいないはずなのだ。
しかも。
目の前の黒猫女『アマルダンキィ・ソロン』はもう何百万年も行方不明であり、死んでしまったものと思われていたのだから。
「あ、あああなたいったいどこから!」
「アーちょいまち、説明の前に空間閉じるから」
そういうと女──ソロンはメヌーサを後ろから抱きかかえたまま、片手をスイッとスワイプさせた。
つぎの瞬間、見知らぬ談話室のような場所にふたりはいた。
「なにこれ、隠し部屋?」
「そんなようなものさ。時間の流れも違うから、安全かつゆっくり説明できるんだ」
「……あいかわらずムチャクチャね、ソロン」
「光栄だねえ」
「褒めてないから」
そんな会話をすると、ソロンはふたりの前にパックを出して広げた。
「シナンチのから揚げ?」
「息子と食べたかったんだけど、まだちょっと早すぎるのを忘れていてね……母の好物だと教えてやってくれないかい?」
「息子?あなたの?」
「そうよ」
「お相手は?」
「あんたのよく知ってるヤツよ」
「……種を保管してあったと?」
「正解」
メヌーサの指摘に、得たりとソロンは笑った。
「もしかしてメルに預けにきたの?なんでまた?」
「とある星の大神官のおつげってヤツでね。この子は次期アマルー神聖王になるらしいんだ。
だけど敵も多い。特に始祖の子で神聖王となれば影響力は計り知れないからね」
「アマルー王家に預ければいいんじゃないの?」
「もちろんそのつもりさ。
ただ、それだけでは足りないらしい。少なくともこの子が大人になるまでは、王家以外の守護者が必要ということらしい」
「それにメルを?……厄介ごとはあまり増やしてほしくないんだけど?
だいたいメルはこれからきつい戦いが待ってるのよ?なのに」
「……」
「だからこそってこと?」
「そうらしい」
眉をよせたメヌーサに、これまた困ったようにソロンが答えた。
「これだから予言って……いやなものね」
「いろんなヤツの人生を好き放題振り回すって?エリダヌスの女神様のセリフじゃないだろうに」
「それ、勝手に祭り上げられた結果って知ってるヒトが言うわけ?」
「ああいうともさ!」
「だ・か・ら・頭ポフポフすんな!変なとこに座らせるな!」
「人聞きの悪いことを。ちびっこは大人のひざの上だとも、ん?」
「子供じゃない!」
「はいはい」
ふたりを見ている者は誰もいないが、もしいたらどんな感想をもっただろう?
ひとりは、見た目的には子供そのものにしか見えない幼女。そして相手は、真っ黒な大きな猫が二本足で立ち上がったような年齢不詳のスレンダー美女。
たぶん。
色々と判断に困ったことだろう。
『高く掲げた尻尾』
母猫と仔猫の行列における母猫の尾が由来だが、転じて先頭をゆく者、先駆者という意味でも使われる。
『末っ子』
彼女は長いつきあいなので、メヌーサたちが姉妹なのも知っている。そして末っ子が※ものすごく※お気に入りで、一時期は張り付きっぱなしだったほど。
長女をエストと呼ぶのは彼女なりの呼び方で一般的ではない。




