魚
「それはですね、以前ですが展望台から飛び出して自殺した人が出たからなんですよ」
「え、そうなんですか?」
「はい」
説明してくれたのは、ここのバーテンさんだった。
黒髪黒目に黒いスーツ、ついでに浅黒い肌と黒ずくめの執事みたいな格好だけど、どうやらアルカイン人らしい。
「ご存知のように環境シールドは強固なものですが、本気で破ろうと思えば対策がないわけではありません。
もちろんシールドは瞬時に戻ります。
しかしそうして破られると、飛び出して死ぬのはご当人だけだとしても、急激な気圧の変化でまわりの人にも危害が及びます。いやそれどころか最悪、善意の第三者を巻き込んで一緒に吸い出し殺してしまう事だってありえます。
それゆえに、今は環境シールドを止めています。
まあ、いずれ注意書きでもつけて戻すと思いますが、今はまだ事件の記憶が消えてないようですので」
「なるほど……」
自殺者が使ったなんて……なるほど。何か対策しないわけにはいかないもんね。
ちなみにこのパブなのだけど、実にコンパクトなものだった。よく日本のキャンプ場や森林公園などに四人がけの木のテーブルセットがあるのだけど、それをいくつか並べた程度の広さの場所にいろんなものを置いて、カウンターごしに飲み物を出せるようにしている。
「ところで、こんなところで店開いてて儲かるの?」
「いや、さっぱりですね!」
妙にきっぱりと否定された。
「そんじゃどうして、こんな場所に?」
「僕は休暇でこの船に乗り込んでるんですが、ここの展望台が好きなんですよ。体質のおかげで真空でも平気ですしね。ここで星空を見たり、のんびりしてます。
でも、いくら体質で平気でも、ずーっといられるほどじゃないですしね」
「あー……なるほど。気付け缶は持ってないの?」
「ありますよ。でも、眠い時は素直に寝て、時間もあけたほうがいいって言われてましてね」
「なるほど」
そういやそうだった、このひと混血だ。
ドロイドとの混血の全員がそうというわけじゃないそうだけど、悪環境への耐性は桁外れに高いことが多い。特に真空への耐性は高い者が多いそうだけど、だからって永遠にゼロ気圧の場所にいられるわけじゃない。
理由はズバリ、酸素の確保方法にある。
私の身体のように純粋なドロイドボディだと、酸素が全くない環境でも活動できる。
でも彼らのように混血の場合、まったくの無酸素だと死なないまでも、あまり長時間だと強い睡魔に襲われるはずだ。つまり、良い環境が戻ってくるまで休眠してやり過ごそうというわけで。
ちなみに、そういう時に無理やり作業したいなら、小さな酸素ボンベを持っていくらしい。気付け薬のごとく、眠くなったらシュパッと吸引するんだそうだ。
ちなみに通称リオネル。意訳すると『気付け缶』らしい。かなり丈夫で乱雑に扱ってもいいそうだけど、大量生産されていっぱい売られてるらしい。
……話を聞いた時、なんじゃそれと思ったのはここだけの話、うん。
この気付け用のボンベ、地球でよく似たもの見たことあるんだよね。
え、具体的には?
自転車なんかでさ、出先でパンクした時に使う、使い捨てのエア充填ボンベ知ってる?あれに似てるんだよ。
それをさ、船外作業する時は肩のところにはりつけといて、眠くなったら片手でノズル引っ張ってシュパッてやるらしいんだけど……。
なんていうか。
こう、どこか残念さが漂うのは私の気のせいなんだろうか?
「それでまぁ、上にいない時はこっちでお店を。たまにこうしてお客様もいらっしゃるわけで」
「せっかくおやすみで乗ってるのに?」
「商売じゃないからいいんですよ。今回、店もって乗り込んでるヤツはほとんどそのようですが」
「そうなの?」
きけばヨンカでも飲食系のお仕事をしているんだとか。
出店めいた手作り感に反して手慣れてる理由はそれか。つまり本職ってわけだ。
「お店を休んできてるってこと?こんな休んで大丈夫なの?」
「店長たちも来てますからね。あっちは店の食材使って食べ物屋ですが」
「あらら」
メヌーサがおもしろそうに笑った。
しかし、職場の皆で来たってわりには、なんで一人で?
「そっちを手伝わなかったの?」
「それじゃ休日出勤じゃないですか。おやすみなんだからいいんですよ」
そういうものなのか……。
「それに、仕事だとここにいられないじゃないですか」
まぁ、本人がいいというのならいいんだろうけども。
「いきなりの増便というのもそうですけど、今回のツアーの主題はつまり『メヌア様たちとご一緒に』ですからね。ほかの店として入ってる連中も、どちらかというと食や資材を供給がてら、楽しみで乗り込んでいる者ばかりなんですよ」
「なるほど」
いろいろと突っ込みたい気分ではあるけど、そもそも彼らはゲルカノ教徒だ。当然、彼らの価値観で動いてるわけだから、それでいいのだろう。
「ご一緒ねえ。ふむ」
思わずかたわらのメヌーサを見てしまった。
「なぁにメル?」
「いや、なんでも」
確かに、いろいろと凄い存在みたいだけども。
けど、そこまで崇拝されるような存在かというと……?
むしろ親しみやすい感じがするんだけどね。本当はずっと歳上なんだからこういうと失礼かもだけど、性格もかなり可愛いとこあるみたいだし。
正直、ささくれだってお高く止まった東京の『自立した大人の女性たち』よりもずっと魅力的だぞと。
そんなことを考えていたら。
「メル、あなたそんなこと考えてたわけ?」
「え?」
いきなりの声に見ると、メヌーサが困惑げにこっちを見ていた。
「え、なに?」
「ううん、なんでもないわ」
「?」
なんだろう?
なんか横むいて「しかも天然かよ」とかぼやいているけど、どういう意味だろう?
「えっと、本当になんなの?もしかして、何か問題があるとかなら隠さず教えてほしいんだけど?」
「問題?それはないけど」
ないけど、何だ?
「別にいいんだって。鳥に魚も気持ちをわかれという方が無理だしね」
「??」
メヌーサは何か、やれやれと言わんばかりにためいきをついた。
※鳥に魚の気持ちをわかれという方が無理
普通はメヌーサの方が上位存在なわけですから「魚に鳥の気持ちをわかれという方が無理」と言うべきなんですが、メヌーサはわざと逆に言っています。
これは銀河で、宇宙生活者やパイロットを魚にたとえる表現があるためです。たとえば宇宙飛行士を意味する言葉に魚野郎というものがありますし、パイロットが地上で病気になったりすることを、陸にあがった魚といったりします。