閑話・魔王[1]
イーガ帝国。
イーガ宇宙、つまり地球文明的に言うところのアンドロメダ島宇宙にある巨大な帝国である。
この巨大帝国もまた、銀河連邦と同等以上の巨大な勢力圏を持っている。連邦が銀河系の六割程度を勢力圏におさめているように、イーガ帝国もアンドロメダの文明国家群の七割強を束ねている。しかもこれは銀河系の基準通り、恒星間文明国家のみで構成されている。
その国家数は、自力での参加基準を満たさない衛星国家なども含めると実に億のオーダーに達する。
ただ、帝国という名称から覇権国家のようなものを想像するとしたら、それは誤りである。
そもそも領土拡大というのは、それに理があるから行うものだ。ひとつの島宇宙にひしめく国家群の何割かを平定したところで得られるものなど何もないし、むしろ武力侵攻を繰り返す危険な文明として、周辺の国々に淘汰されてしまうのがオチである。要はメリットがない。
では、帝政がどうして行われているかというと、これはつまり「統一の象徴」なのである。
その図式について学校で聞いたメル嬢は「まるで天皇陛下じゃん」とつぶやいたという。
事実イーガ皇帝家のそれは、日本の皇族の扱いによく似ている。すなわち象徴であり権力はない。まぁ、日本の国会議員にあたる議会議員という立場はあるので少しだけ違うのだけど、あくまで国事行為が優先。
そんな皇帝家であるが、もう長いこと簒奪されたりした事はない。
理由は簡単で、奪うだけのメリットが全然なく、むしろデメリットだらけだからだ。
かりに帝位を奪ったとして、それによりイーガが混乱に陥って真っ先に悪者にされ潰されるのは、間違いなく簒奪者。しかも、その地位によるメリットなどはほとんどなくて、皇帝になった瞬間から一生は決められてしまう。
おまけに、地位によりおいしい思いをする事はほとんどない。
イーガには実際『皇帝職』なんて自虐的な言葉もある。つまり皇帝とは「大変なお仕事」という認識なのである。
現地の学校でも「銀河統一という大変で危険なお仕事をしている立派な人」として皇帝について教えている。象徴として敬意を持たれてはいるのだけど、傲慢な帝王のようなイメージは全くない。
そして現実にも、今代のルシード帝は実務能力も高く、たまの休暇には皇帝家の森で演奏したり狩りをするのが趣味という、嫌味なほどに理想的な「象徴的帝王」ぶり。
心配された女っ気のなさもソフィア姫との熱愛によって解決。
今は待望の跡継ぎも生まれ、また、はるばる銀河系から輿入れしたソフィア姫のおかげで戦争回避やら何やら、懸念されていた多くの問題も解決。多少の懸念事項はあれど、平和な生活が続くと思われたが。
今話は少し前。
メルたちがヨンカに到着するよりも前の事になる。
こざっぱりとしたオフィスルームを思わせる場所だった。
コンクリまたは石材と思われる壁には趣味のいい絵画などが地味に飾られているものの、過剰な装飾はなにひとつない。ただ疲れた時に目を休める程度のものがあればいいという、部屋の主の性格をよく反映するものだった。
奥には窓際にデスクがあり、そこには金髪の美しいアルカイン女が座っている。周囲の空中にはデータウインドウがいくつか開いていて、女が執務中であることが伺えた。
そんな女とデスクを挟んで反対側には、制服姿の、これまたアルカイン族型ドロイド娘が立っている。こちらは黒いロングヘアで、一見すると単に伸ばしているだけに見えるが、実は瑞々しい美しさを保つようにきっちりと手入れされている事が伺えた。
女の目の前にあるデータは、どうやらドロイド娘の提示したものらしい。口頭での娘の説明を聞きつつ、女はフムフムとうなずいていた。
「これが現状わかっている全てのデータになります」
「なるほど、最終目撃地点はやっぱりカラテゼィナで間違いないのね?」
「はい。あと定期便や商船に乗り込んだらしき情報も皆無でした」
「動物用トランクで運ばれた可能性は?」
「それも調べて回りました。これでもう未調査はジャンク船くらいですね」
「ジャンク船?」
「低速で数十年、長い場合は数百年たてて大型船のスクラップ等を運ぶ船です」
「そんな船もあるんだ。それは調べてないの?」
「はい、調べていません」
その返答が気に入らない女、ソフィアは眉をよせて娘を見た。
「アヤ、全部調べてといったわよね?理由は?」
「ソフィア様、ひとの乗れない船です」
「……ひとの乗れない船?」
「はい」
ソフィアの言葉にアヤは大きくうなずいた。
「船とは名ばかりの、ジャンクや岩塊の集合体です。船本体にあたる部分は小さなロボットが一体あるだけで、これが星間重力などを利用し、超低コストで、時間をかけて恒星間でジャンクなどの雑品を運ぶのです」
「貨物船ってこと?でもわざわざジャンクなんか運んでどうするの?」
「物質合成できたとしても、無から生じるわけではありませんから」
「ああ、素材に落とすのか。なるほどね」
軌道上まで届くような軌道エレベータの建設には当然、材料となる資材やそれの加工をするものが必要になる。
多くの銀河文明では、これらの資材には元素分解したものを使う。必要に応じて3Dプリンターのように『印刷』しているのだけど、これらは元はというと、廃棄された古い設備や昔の大型船の廃棄物などなのである。
船といっても、惑星規模艦レベルになるとその素材は莫大なものになる。これらの中にはコロニー船などとして第二の人生を歩む船もあるが、廃棄となるとその全てが素材として再利用される事も多いのである。
実のところ、銀河文明が進むと惑星上の素材はあまり顧みられなくなる。理由は簡単で、重い大気や引力に耐えなくとも、再利用できるものが大気圏外にたくさんあるからだ。
これらのリサイクルが銀河文明では非常によく進んでいる。特に物質を合成素材に還元できるようになってからというもの、彼らの技術や社会は一変したといえるだろう。
「そんな船じゃ、確かにダメねえ」
「はい、それで再調査の予定なのですが。いくつかの星域を調査したいと考えております」
「任せるわ。何とか探してみてちょうだい」
「は、了解しました」
おじぎをして去っていこうとするアヤをソフィアが呼び止めた。
「ねえアヤ」
「なんでしょうか?」
「あなた、セイイチ君を殺せと指示されて平気なの?」
「……」
アヤは不思議そうな顔をすると、ソフィアの方を向き直った。
「個人的感情で言うなら、もちろんイヤです。ですが、それがソフィア様の望みなのでしょう?」
「……」
「それに、メルはわたしがこういう性格なのを知っていますから。そりゃ殺されるのはイヤだろうし全力で抵抗するでしょうけど、理不尽とは思わないでしょう」
「……彼を信頼しているのね」
「さて、どうでしょう。わたしとしても、本気で好きだと告白してくれた相手を殺すのは初体験ですから、なんとも言えません」
「……」
かりにも地球から救い出した者を殺そうというのだけど、ソフィアの顔に険しさはない。
なぜならアヤは命令どおりにメルを殺すだろうけど、どうせまた再生するのだろうと思っているからだ。
ただし今回はアヤの身体でなく、連邦式のドロイド、または機械式の身体を使わせるつもりだが。
「ソフィア様。わたしの任務遂行能力を疑問に思われるのなら、別の者に任せればいいのではないですか?」
「それは無理ね」
ふるふるとソフィアは首を横にふった。
「確かにあなたの言う通りとは思うけど、カラテゼィナでは連邦軍の一大隊が負けてるのよ?」
「それはメルの能力ではないと思いますが?」
「同じことよ。そばに張り付いてるエリダヌスの怪物を引っぱがせないのならね」
ふうっとソフィアはためいきをついた。
「無理をなさってますね?
「帝国議会の方でちょっとね。イーガの人たちってドロイド問題を放置してるから」
「放置でなく各国の考えに任せているのでしょう。銀河でいえばオン・ゲストロに近い考え方かと」
「それはそうだけど」
またしてもためいきをつくソフィアに、アヤは微笑んだ。
「そういえばソフィア様、最近お出かけをしてないんじゃないですか?」
「アルゴノートはドックいりよ」
「先日、旧アルカイン港から回収したソクラスは?」
「連邦との話し合いが終わらないと、こっちで登録できないのよ。色々長引いててね」
「それはそれは」
アヤもひとつためいきをついた。
「では皇帝陛下とお食事なさることをおすすめします」
「なにが『では』なのかしらね。……ああ、でも悪くないかしら?」
そういってデータに目を走らせ始めるソフィアに微笑むと、アヤは静かに部屋を後にした。