樹木
その空間には覚えがあった。
前に見た、あの場所だった。
巨大な空間だった。どこまでも果てしなく広く、途方もなく広がっていた。
だけど以前と、ひとつだけ大きな違いがあった。
『……これは』
何も感じられないはずの空間は、むしろ光の海になっていた。
様々な光が飛び交い、絡み合っていた。よくみると、そのひとつひとつは何かの風景だったりするのだけど、それが無限に、無数に、認識不可能なほどに集まった結果、まるで光の洪水のように見えているのだった。
……すごい。
あっけにとられてその風景を見ていたのだけど。
『光が見えるようになったな、愛し子よ』
そう。
前にも出会った、巨大な「存在」に私は捕まっていた。
ただ、どうしてだろう。前ほど圧倒的な存在とは感じられない。巨大ではあるのだけど、何かこう、安らげるものに思えるのはなぜだろう?
『それは君が「適合」しつつあるからだろう』
適合?
『そもそも、完全に適合すれば存在を認識できなくなるのだが……まぁそれはいい。
今、君が知りたいのはその事ではないだろう。自分の破滅を避けたい、それがまず最優先なのではないか?』
あ、はい。たしかに。
でもアヤに勝つなんて……それもできれば殺さずに勝つなんて、そんな身勝手なことが可能なのだろうか?
そんなことを考えていると「存在」は語りだした。
『有効な手段については、心ゆくまでここで探すがいい。今の君なら可能だろう。
そうだな……具体的な手段はわからないが指針程度なら、示すこともできよう』
『指針?』
『さよう。みるがいい』
指し示された方向を見た私は、その光景に驚いた。
それは、ひとつの風景。
完全に破壊され、死にかけているアヤ。
その身体にかがみ込んで、何かしている私。
これ、なに?
イメージが遠いんだろうか、どうも細部がよくわからないけど。
『イメージがハッキリしないのは、君から因果が遠いからだろう。つまりこの状況に至る可能性が低いということだな』
なるほど。
『内容を知りたいのかな?でもその内容なら、君はとても知っているんじゃないか?』
え?
『マトリクス情報というのだったか?その映像の君が取得しているのは、おそらくそれだ』
それは……!
なるほど、それで正しいなら名前だけは知ってる事になる。
『うむ、そのとおりだ。
なぜなら、君は一度故郷で殺されて……他でもない、そのマトリクス情報を移されることで生まれ変わったのだからね』
それは、たしかに。
だけど。
だけどまさか。
まさか。私にアヤのマトリクス情報を回収しろと?
かつて、アヤがそうやって私を助けてくれたように?
でも、どうやって?
私はマトリクス情報回収の瞬間を見てない。
かりにこの身体で可能だったとしても、私はその方法を知らない。
なのにどうしろと?
そう思った瞬間、見える風景が一気に切り替わった。
そして懐かしい東京の……かつての私が住んでいたアパートになった。
倒れている私にかがみ込むアヤ。そして、そこから何かを読み取っていく。
……なんてこと。
アヤが何をしているのか理解できるぞ。
なんのデータを読んでいるのか。
どうやって読んでいるのか。
そして、それをどうやって記録しているのか。
どうしてか知らないけど、わかる。
こうして映像を見ているだけだっていうのに、具体的なやりかたすらもわかる。
へぇ……。
あれがつまり、マトリクス情報取り込み手順なのか。
うん、なるほど理解できた。
アヤにもマトリクス情報があるなら、それを読み取る事ができればいいわけだ。
説得にしろ命令の書き換えにしろ、やるならその後のこと。
そして。
今度は、私が彼女を産み直せばいいんだ。そうやって私が救われたように。
まぁ、それ以前にそもそもアヤに勝てるかどうかっていうのが無理ゲーなんだけども。
うーん、どうしたもんだろう?
と、そんなことを悩みつつも、最初のピンぼけ映像を見ていたのだけど。
ん?
この映像……アヤと私のそばに誰かいるよね。
これ、誰だ?
類似の映像を探し回ってみる。
すると、ほどなくしてそれが誰だかわかった。
そうだ。
この女、確かイダミジアにいるらしい私の後輩というか、ルドのじいさんとこで働いてる子だ。リンとかいったか。
ちょっとまて。
この女の映像をもっと探してみよう。
『……なんだこいつ』
探せば映像が次々出てきたんだけど、なにこいつ謎すぎる。腑に落ちないことが多すぎる女だった。
まず、有能なのはすぐわかった。
だけどどういうわけか、怪しい研究者みたいなのと一緒の映像が多い。何者なんだ?
どうせじいさんとこならワケアリなわけで、過去データがないのは別にいいんだけど。
この女について探していると、例の……ほら。
イダミジアで拾った家出姉弟、ホルム・バボム姉弟の映像まで一緒に出てくるんだよね。まぁ、直接の面識なんかはないのか、両者が一緒にいる映像は全然出てこないんだけどさ。
言動からこの女もボルダ人っぽいんだけど、全身ドロイド化しているから外見で判断はできないし……うーん。
よくわからないけど、やっぱり、あのふたりの関係者ってことでいいのかな?
うん。とりあえず、この女には後で連絡をとってみよう。
あとルドのじいさんに問い合わせて、あの姉弟がどうなったのかもきいてみようか。
一応、ちょっとでも関わった存在だしな。気になる。
あとは、そう。カムノ族に問い合わせはできないだろうか?
サコンさんはもういないかもしれないけど、でも何か縁が残っているかもしれない。
あとは、まだないか。
できることはないか?
そんなことを考えていたら。
『もうひとつあるだろう』
しばし沈黙していた「存在」が、ぽつりとつぶやいた。
『君らが杖と呼ぶものだ。あれを上位のものと交換したほうがよい』
え?杖を?
でも、今使っているコウロギの杖は、すでに上位クラスの巫女のものになっているんじゃないかと思うけど?
だけど。
『いや、そうでもないだろう。あれを見るがいい』
『え?』
言われるがままに、また示された映像を見たんだけど。
『これは?』
戦っている私らしき人物がいるのだけど、持っている杖が違う。コウロギの杖じゃない。
なんだろう。
確認しようと、少し目をこらしてみたんだけど。
その瞬間。
『!!』
私の中でその瞬間、かちりと何かがハマったような気がした。
そして、どこかで聞いた言葉が頭の中で鳴り響いた。
『遠からずあなたには、あなたの杖が現れるのだと思います。ですから、それを好きなだけ見るのがよいかと思いますよ?』
『そんなものですか?』
『ええ』
あれは、どこで聞いた言葉だろう。どこで話したことだろう。
思い出せない。
だけど、あの声の主の言いたいことはわかる。
そうだ。
そこに見えている杖こそ、きっと、その杖なんだ!
感じるままに手をのばした。
もちろん、映像の杖に届くわけがない。伸ばしたとしてもそれは私の杖じゃないだろう。
だけど今、私にはそれが必要だと思った。
心の赴くままに、必要な言葉をとなえた。
『来たれ、巫女たちの至宝。我は汝の最後の主なり!
来たれ、星辰を、時空を超えわが手に!……星辰の杖よ!!』
……何も起きなかった。
『……』
……うわぁ。
なんかこう、人前で「かめ○め波ぁーっ!!」とかやっちまったみたいな、取り返しのつかない恥ずかしさがこう、じわりじわりと。
ひ、ひぃぃぃぃっ!
『なぜ丸くなる?』
『すみませんすみません生まれてきてごめんなさい、私は貝になりたいです』
穴があったら入りたいって、このことだよね……。
しかも、しかもだよ。
ひとりぼっちでも黒歴史なのに、なんか神様的な「何か」の目の前でやらかすとか。
むごすぎる……。
いや、だ、だってさ、その場の勢いっていうかノリっていうか、なんていうかこう、イケそうだなーやっちゃえーって気がしたんだよ。
ほら、そういうのってよくあるでしょ?
え?言葉の意味?
最上位の杖が『星辰の杖』って名前なのは聞いてたんだよ。だからさ……。
ああ……orz
でも、そうしたら。
『そう悲観することもない。どうやら反応があったようだな』
『え?反応があった?』
『星辰に動きがあった。
おそらく、君と対になる杖があるのだろう。確かに杖がどこかで反応し、たったいま起動したようだ』
『そうなんですか?でもどうしてわかるんですか?』
『その質問はそもそもおかしい。逆だ』
『逆?』
『むしろ、それを感じられない君の方がおかしい。まぁそれだけ巫女として未熟ということだろうが』
『……』
おうふ。一撃必殺。
『杖のことはよくわからないが、確実に君はその杖を手に入れるのだろう。間違いない』
間違いない、ですか。
でもその前に、私がアヤに殺されちゃったら、なーんもならないんですが……。
だけど。
『いや、それはないだろう』
『え?』
『君が死んでから杖がたどり着くのでは意味がない。だから、杖は必ずその前にたどり着く。それもおそらく、杖の能力を最大限に発揮できる状況でね。……そういうものなのだよ』
『たどり着く、ですか。杖ってそもそもなんなんでしょうかね?』
『まぁ、一種の発動体だからな。たまたま君たちが選んだカタチが杖というだけで、過去にはもっと違うカタチもあったものだ』
なるほど。
その言葉の意味は……私も巫女だから理解できる。
でも。
『なーんかご都合主義的だなぁ。そううまくいくものかなぁ?』
『さて』
くすくす、くすくす。
私を包み込む強大な「何か」は、なぜか楽しげに笑う。
『楽しそうですね』
『楽しいとも。
君ら巫女はいつだって、我らを楽しませる。小さきことで笑い嘆き、くるくるくるくる、本当に見てて飽きぬ。
まぁ、それがゆえに我らも手を貸すわけだが』
なるほど。
つまりそれが「彼」ら目線で見た巫女の姿なのか。
ちょっと腹が立つ。
こっちは絶体絶命のピンチだっていうのに、それも面白がるのだろうか?
だけど。
『それは違う』
『え?』
『君がぶつかろうとしている敵は、たしかに強いかもしれぬ。だが、君が巫女として正しくあるかぎり、その命を終わらせるほどの力はないはずだ』
え?
『あの……それって私がアヤに勝てると?まさか、どうやって?』
問いかけてみたのだけど。
『君のいう戦いに勝てるかどうかは知らない。最良の結果が得られるかどうかも未知数だろう。
だが君がわが巫女である限り、その程度の脅威で滅ぼされる事だけはない。
君は間違いなく、およそ考えうる最良の道を進んでいる。このままいけば確実に、君のできる範囲の運命であるが確実に書き換え、よりよい方向に持っていくことができるであろう。
それだけを忘れずに行くがよい』
『……でも私、戦うなんて』
はっきりいって、私は戦闘に関しては素人だ。
せめて自衛隊出身とか、生身でなんらかの戦闘経験があればなぁ。
でも。
『そもそもその前提が間違っている。巫女は戦うものではない』
『戦う者ではない、ですか?』
『そうだ。なぜなら君は巫女、神に仕える者なのだから』
巨大な存在は、そういって私の頭をなでたのだった。