イダミジアへの到着
突然だが、学習装置という言葉を聞いてあなたは何を想像するだろうか?
やはり、何かカプセルのようなものの中に入り、強制的に何かの情報を植え付けられるような、そんなものを想像するだろうか?
まぁ、植え付けられるという意味では間違いないっぽい。実際の装置がどういうものかはともかくだけどね。
改めて自己紹介しておこう。
俺の名は野沢誠一。つい最近まで日本の片隅で細々と生活していた、ただのおっさんだった。
そんな俺がどうして学習装置なんていう意味不明なものの話をしているかというと、ちょっとそれには理由がある。
つまり。
『連邦共通語、およびオン・ゲストロ公用語の書き込みが完了しました。誠一さん、わたしの「言葉」は理解できますか?』
突然に響いた異国語の音声に、俺はあわてる事なく普通に答えた。
「ああ、わかるわかる、連邦公用語だね。でも『言葉』だけオン・ゲストロ語かな?」
『正解です。はい、よろしいです。言語書き込み完了しました』
「うん、ありがとう」
つい数時間前まで、まさに宇宙人語の羅列のように聞こえていた言葉。それが、生きた言語として理解できるようになっていた。
そう。
つまりたった今、リアルに学習装置なるものを使い、俺は外国語をふたつも、文字通り頭に叩き込んでもらったわけだ。
いいけど、コレ便利だなぁ。何年も学校でABCやっても技術屋むけの拙い英語すらスムーズに読めなかった昔の自分が切なすぎる。
『誠一さん、言語理解は可能になったようですが、当面はココロの誤訳に気をつけてくださいね』
「ココロの誤訳?」
耳慣れない言葉に俺は眉をよせた。
『そうですね。たとえば誠一さんは「一日」と聞くと、どの長さを想像しますか?』
「は?どの長さって、一日は二十四時間で……あ」
あー、そういうことか。
「ようするに、地球人として無意識にもってるイメージに注意しろって事か」
『はい、そうです。
ちなみにオン・ゲストロでは一日は地球と同じく二十四時間ですが午後、午前という言い方がありません。また時間・分・秒の長さが地球のいち単位より長いですから、慣れるまでは混乱するかもしれません。
しかし、それより問題なのは、現地の人が自分たちの尺度で話している事を、誠一さんは地球人の尺度で受け取ってしまいがちだという事です』
「はぁ……ココロの誤訳ってそういう事なのか」
『はい。結構ややこしい問題の元なので、お気をつけ下さいね』
「わかった、ありがとう」
『いえいえ』
言いたい事はよくわかった。
俺の故郷、高知県には「ひいとい」という古い言い方がある。これは一日中という意味になるが、俺が使っていた範囲で思い出すに、基本的に夜は含まなかった。
つまり、きょう一日がんばったらできるよ、みたいなときの「一日」に「ひいとい」と使うのだけど、深夜や明日の朝までかかってしまうような時には「ひいとい」とは言わない。
この違いを土佐弁話者が標準語話者に説明するのは難しい。ひしゃげる、つえる、ちゃがまるの使い方のように、用法で理解してもらうしかないだろう。
まぁ、土佐弁の話はともかくとして。
こういう言語化に一手間あるような言葉やニュアンスについては、実際に使って覚えるしかないらしい。
また、そうする事により、単なるデータとして覚えた言葉を自分の経験に結びつけ、生きた言葉にできるのだ……とは、今こうして俺が話している『ソクラス』つまり、今乗っているこの船、恒星間高速船ソクラス号の中枢頭脳が教えてくれた事でもある。
え?恒星間高速船ってなんだって?
おまえ今、どこにいるんだって?
そうだな……現在位置はよくわからないけど、地球から1800光年は離れているんじゃないかな。
それから日付だが。
手元のスマホによると、2016年の6月らしい。といっても日数や時間が合っているのかはわからないけどな。だって、超光速飛行しているし、色々あってスマホの電源を入れたのは昨日なんだよ。だから、たとえスマホの時計が狂ってなかったとしても……ほら、あれだ。ウラシマ効果だっけ、よくわからないけど、何かああいうののせいで時間がずれてるかもしれないだろ?
え?意味がわからないって?
いや、それがね……ちょっと情けない話なんだが、俺は宇宙人に拾われて地球をあとにしちまったわけなんで。
だからもちろん、今も地球じゃ普通に21世紀だよ?でっかい六角形の宇宙船がきて国交を開く事になったりもしてないし、突然に巨大な船が墜落してきたりもしてないからね?
もちろん四国が大変な事になったりもしてないぞ。いやマジで。
俺だけが地球を出る羽目になった事は、幸せか不幸かといえば微妙と俺は答えたい。
事件そのものは確かに不幸だったと思う。
要するに、俺は見知らぬ外国からのお客さんに道案内してあげただけ、たったそれだけだった。
なのにその人は、実は外国人ではなく異星人で。
そして、その人を追い回していた地球の官憲的な人たちに変な誤解をされちまって。
そんでさらに、そんな俺にわざわざ助け舟を出してくれた異星人さん側も対応を誤っちゃって。
うん。
要するにそんな、不幸偶然やミステイクが重なったあげくの果てに、俺は一度死んでしまって。
男とも女ともつかない、暫定の新しい身体を用意してもらって、それで地球をサヨナラしたってわけなんだけどさ。
よく考えるまでもなく、なんというか俺、ひでえな。
普通さ、ここはやっぱり「空から女の子が降ってきた」的なものがあるんじゃないのか?
いや、いい歳こいて何をいってるのかって言われそうだけどさ、そこはほらロマンというかさ。
だって宇宙人来訪だぜ?
それに実際、最初に出会った人、金髪美人のソフィアに至っては本物の王女様だったんだぜ?
すごいだろ?まさに物語だよな?
そして、さらに出会ったアヤも黒髪黒目のかわいらしい美少女だったってのにさ。
だけどそのソフィアはとっくに売約ず……もとい、婚約者のいる人だったわけで。
で、もうひとり……アヤはというと別の意味で脈がない。
いや、あのね。
実はアヤは合成人間、つまりアンドロイドだったんだけどさ。
それより問題は、一度死んで再生された俺にとり、アヤはこの肉体の生みの母みたいなもんだって事。
そうだよ。まさかの身内オチだよ。
お姫様のソフィアは無理でも、アヤとはもっと仲良くなりたいなぁって気持ちは正直あったんだよ、うん。
え、歳を考えろ?
そりゃそうなんだけどね。
でも皮肉な事にさ。
前の俺はおっさんでさ、だからアヤは子供すぎて、さすがにそういう対象には見えなかった。
なのに、生まれ変わって少年の姿になってみたら、今度は身内だろ?
なんていうか……なぁ。
やっぱり俺って、どう転んでも凡人で、そういう意味での美女美少女には縁がないって事なのかなぁ?
いやま、ソフィアやアヤとそうなりたいってわけでもないんだけど。
それにしても、なんか釈然としないなぁ。
そんな情けない俺ではあるんだけど、とりあえず今の状況を楽しんでいるのも事実だ。
だってそうだろ?
俺、いま宇宙にいるんだぜ?どんな最先端の探査機も届いてない、星の海の中にいるんだぜ?
俺も昔は宇宙に憧れる少年だったんだもの。この状況で燃えないわけがないだろ?な?
正直、この部分だけは最高にラッキーだと心底思うよ、ほんとに。
どちらにしろ、少なくとも当面は帰れないんだ。
だったら、今をより楽しもうと俺は思ってる。
さて。
「ところでソクラス、まだ学習予定ってあったっけ?」
『予定は連邦歴と通貨の概念、それと言語学習でしたよね?変更は?』
「ない」
『じゃあ、これで終わりですね。おつかれさまでした』
「……そうか」
『気が進みませんか?』
一瞬の沈黙に何かを感じたのか、痛いところをつかれてしまった。
「いやー……言葉の不安がなぁ」
『そのために、わざわざ必須ではなかったオン・ゲストロ公用語まで覚えたのにですか?』
そうなんだよね。
現地語として最低限の言葉って話だったけど、学校にいったりするだけなら連邦公用語だけでいいよって言われたんだよね。
でも、なんか不安があってさ。簡単に覚えられるならそっちもって、オン・ゲストロ公用語もとったのさ。
「いやー、むかし海外旅行でタイに行ったんだけどさ。ちょっと迷ったら当たり前だけど全然言葉通じなくてね。あの時のトラウマがこう、すごくてさ」
外国に興味は昔からある。
だけど外国イコール言葉が通じないって感覚があって、どうにも苦手なんだよなぁ。
いや、贅沢なのはわかってるんだけどさ。
『問題ありませんよ。今の貴方ならイダミジアの下町でも言葉に困らないはずですよ?』
「そりゃそうなんだろうけど、こういうのは気持ちの問題だからなぁ」
まぁ普通は、必要に応じて別途学ぶんだろうな。学習機なら一日でイケるようだし。
「こればっかりはなぁ。不安っていう気持ちは元々合理性じゃないしな」
『しょうがないですねえ。こういう時って「がんばれ日本男児」っていうんでしたっけ?』
「変なとこだけ日本語でいうなよ」
ためいきが出た。
しかし、宇宙技術であなたもバイリンガルか、すごいもんだなぁ。
あの愉快な英国の小説だと耳に魚を入れるんだっけか?あのユニークさに比べると全然普通だけどね。
学習機のある部屋から出ると、これまた凄い。まるでSF映画から抜け出てきたような宇宙船の船内風景。
まぁ映画と違うのは、生活感がある事だけどね。
たまにソクラスの制御するお掃除メカみたいなのが作業していたり、整備員らしき格好をした、これは人型の、ただしアヤと違って機械式のロボットらしきものが通りかかったりする。
ソクラスによれば、いくら完全自動化しても目視での監視も併用すべきポイントというのは結構あるんだと。で、そういうのは仕事をもてあましている来客用ロボットに兼用される事が多いそうで、だから整備員の格好をしているやつは人型だって事らしい。
ようするにあいつら、本業はメカ執事という事か。
メインホール兼司令室に歩いて行くと、そこにはソフィアとアヤがいた。
「あ、どもっす。おはようございます」
ちなみに連邦公用語には日本語の『おはようございます』の概念はない。では英語的な『よい朝を』的な表現もない。
では、朝の挨拶は何があるかというと、実は「ない」が正しい。朝昼晩、いつだってハローだと思えばいい。
そんじゃあ、おまえの「おはようございます」は何かというと。
「おはようございます、誠一さん」
「お疲れ様。それにしても『朝ですがご機嫌よう』って、いきなりまた古風な言い回しをするのね」
……だ、そうである。
「へぇ、おはようって連邦公用語だとそんなに古風なんです?」
「そりゃあね、時刻どころか昼の長さすら星によって全然違うんだから、片方はおはようでも片方はこんばんわだったりするもの」
なるほど。
「まぁでも、ごきげんいかがですかって相手を気遣う優しいニュアンスの言葉ではあるんだけどね。だから、商人が使うとピント外れと言われる可能性はあるけど、誠一さんが使うぶんには印象は悪く無いでしょう」
「なるほど、ありがとうございます」
こうやって、実際の用法を覚えていくって事なのか。
ふむ、言葉っていうのも面白いもんなんだなぁ。
「どうやら、『アーロンが少し掲げた』みたいね」
「ちょっと高さ足りないですけど、何とかなりそうですね」
「そうね」
は?アーロン?
首をかしげていたら、アヤが微笑んで教えてくれた。
「アーロンというのは、今使っているこの連邦標準語を作成した言語学者アーロンの事ですよ」
ほう?
そういえば、連邦史の方でそんな名前を見かけたっけ。
「この方は不思議なチカラをもっていて、愛用の杖で奇跡を起こしたなんて伝説もあるくらいなんですが、とにかく一般的なイメージが杖をついた老人なんです。そして、その杖は知恵の象徴とされています」
ああなるほど、それで読めた。
「つまりアーロンが少し掲げたというのは、知恵がついてきたって事になるのかな?」
「ちょっと違いますね。杖を掲げるとは偉業を達成するという意味になりますから」
「ああ、そういうことか。……わかった、ありがとう」
「いえいえ」
つまりさっきの会話を要約すると「そこそこうまく共通語話せてるわね」「ちょっとまだ微妙だけど、いいんじゃないかしら」って事だな。
こういう言い回しもあわせて学ぶしかないんだな、なるほど。
「何とか合格点かな?」
「ええ、そこまでやっておけば町で困る事はないでしょう。どうせ追加の言い回しについては学校で学ぶものだしね」
なるほど。結局はひとつの言語を学ぶって事なんだな。
ちょっと気が重いんだが。
と、そんな事を考えていたら。
「連邦公用語、まぁ連邦標準語とも言いますけど、これは商業用の人造言語なので、複雑な言い回しはあまりないんですよ。例外は賢者アーロン関係だけだと言ってもいいでしょうね」
「え、人造言語?」
「ええ。難しい言い回しは誤解の元ですし、それをさせないための商業言語ですから」
「へぇ……」
あ。
言われてみればだけど、確かにアーロンなる人物の業績に『共通語開発』があった。
へぇぇぇ。
地球で人造言語というと……わずかしか思い浮かばないな、エスペラント語とか。
まさか人造言語が銀河文明の中枢にドーンと座ってるとは、いくらなんでも想像もしなかったぞ。
「言語学に興味がおありかしら?」
「言葉は文化っていいますしね。どういう経緯で人造言語が中枢に座ったのかとか、考えただけで興味がつきませんね」
正直にいうと、ソフィアは「へぇ……」となぜか感心したようだった。
「本気みたいね」
「え?」
「いえね、まさかとは思ってたけど……誠一さん、あなたに同類の匂いがしたのはそういう事なのね」
「え?」
なんの話だろう?
「発想が学者的なのよ貴方。まるで研究室の新人君と話してる気分になるわ」
くすくすと笑ってソフィアは言った。
「まぁ、そういう未来もあるかもしれないわ。学校で探してみるのね」
「学校って、職業訓練校ですよね?」
「まぁそうだけどね」
そこまでソフィアはいうと、少し真剣な顔になった。
「せっかくこれから学校にいくというのに、どうしてわざわざ学習装置を使わせたかご存知?」
「いえ」
「オン・ゲストロは連邦とは違うからよ。勢力圏も主張も何もかもね」
「あー……つまり、あっちでは連邦史はやらないと?」
「いえ、カリキュラムには入っているけど、それはオン・ゲストロの目線で見たものになるわけ」
そういうと、ソフィアは大きくうなずいた。
「最終的にあなたが連邦市民になるのか、おじいさまの配下になるのかは知らないわ。どっちでも私には同じようなものだしね。
ただ、勝手に未来を決めるのはよくないと思ったのよ」
「そうですか……わかりました、お心遣いありがとうございます」
言いたい事は理解できた。だから素直に頭をさげた。
厚意で学校にいかせてくれるばかりか、そこまで心配してくれるなんて。
だけど、そしたらソフィアはなぜか苦笑いした。
「いいのよ。こちらも思惑があるんだもの」
「え?」
首をかしげると、アヤがそれを引き取ってくれた。
「銀河にあがりたての、まだ無垢な人々を狙ってくる人がいるの。変な知識を吹き込んで勧誘したりね」
「……それは」
何を言いたいかは、すぐにわかった。
ほら、あれだよアレ。
「うわ……そういうのって、どこでもいっしょなのか」
「え?」
「いやぁ、あのね」
日本でも昔から、親元から離れたばかりの大学生を狙って新興宗教に引っ張ったり、果ては何かの思想団体がスカウトするとかあるよね?要はあれと同じなんじゃないかな。
そういうと、なるほどとソフィアも納得した。
「ええ、まさにそんな感じね。
なるほど、地球でも規模は違えど同じなのね。うん、興味深いわ、教えてくれてありがとう」
「いえ、こんなんでもお役に立てるなら」
さて。
学習が終わったという事で、いよいよ目的地、オン・ゲストロ本拠地である惑星イダミジアに向かう事になった。
『偽装解除、エンジンスタートします』
「ええよろしくソクラス」
オン・ゲストロは連邦とは全く違う組織だそうで。
それどころか、連邦の目線ではオン・ゲストロはなんと『暗黒街』の扱いらしい。連邦が良かれと思って定めた商売のセオリーも完全に無視して自分たちの方法で商売しているので、とにかく対立しているためだとか。
そんなわけで、所属が連邦の船であるソクラスが本拠地に堂々と停泊しているのはまずいんだとか。
いや、それはわかるけどさ。
じゃあ、どうしてそんな敵対国家どうしのトップと王族が、おじいさまだの孫だのって言い合う関係なんだろう?
まぁ、人間関係の複雑さってことなのかねえ。
『偽装解除、エンジン始動しました。イダミジア側へのアクセス要求通過。イズベル・マウ・ワナダ港の管制から通信が入っています』
「通信?何かしら?」
『トカゲから伝言です。なかなか孫娘が上陸してこないので大変不機嫌だそうですよ』
「はいはい、しょうがないわねえもう。ソクラス、ちょっとホットラインあけてくれる?」
『了解、しかし手短に』
「わかってますって」
クスクスと笑いつつソフィアは、目の前に小さなウインドウを開いた。
しかしこの、何もない空間にウインドウ開くのもすごいよな。火星育ちの青年が主人公の、むかしのSFアニメを思い出すよなぁ。
ソフィアの小さなウインドウの中身は見えない。声もここからは聞こえない。
だけどソフィアが「おじいさま」と楽しそうに話をはじめるのを見て。
あー、これは立場がどうとかってレベルの知り合いじゃないんだな。
ふと、そんな事を思った。