週末特別スペシャル・とある婚約破棄の話
実に今更ですけど、婚約破棄モノです。ただの気分転換です。
神聖ボルダと、とある国の国交断絶にまつわる話。
なお残酷な表現が出てきます。ご注意ください。
その夜、王都学園のダンスホールはちょっとした異常事態に陥っていた。
遠い、遠い異国からの客人を迎えるはずの席。使節にも学生がおり、フレンドリーな空気がよいという事で学園の生徒たちを中心に手作りで歓迎しようという事で催された交流会……のはずだったのだけど、なぜだか皇太子含む数名の男性が女生徒のひとりを連れて、何やら腕章のようなものをつけた美しい令嬢を相手に、断罪イベントのようなものを繰り広げていたのである。
「殿下、何をおっしゃられるつもりか存じ上げませんが、少しお待ちいただけませんか?今、先方の使節の方から、緊急連絡があるとの報が……「黙れルクレツィア、貴様、おのが罪を国際親善にかこつけて言い逃れするつもりかっ!」」
令嬢はせいいっぱいの声で応じたのだが、さすがに淑女という事で抑え気味であり、そして男の自重のかけらもない大声には音量的にかなわなかったようだ。誠意ある彼女の発言は皇太子の断罪の声にかき消され、せっかくのイベントの進行が台無しであるばかりか、緊急事態を知らせに来たはずの使節すらも言葉を失っていた。
皇太子どもの暴走は続いている。
「ルクレツィア・カーマイン!貴様のナナ・セルリアンに対する嫌がらせや脅迫行為の数々、もはや許しがたい!
すでに父上やカーマイン公爵にもすべて伝えており、同意も得ている!
ゆえに、ここに貴様との婚約を破棄することを皇太子として宣言する!
さらにルクレツィア・カーマインの爵位を剥奪し、平民とする!これは予定でなく私の責任のもとに決定とする。
つまり、たった今より貴様はカーマインの令嬢ではない、ただの薄汚い平民の罪人だ!
ナナ・セルリアンへの罪の数々、全て貴様の身で償わせてやる!」
「……何をおっしゃるのかと思えば」
ルクレツィアと呼ばれた令嬢は、困ったようにためいきをついた。
もちろんそれは冤罪だった。実際はそのナナという娘の狂言であり、皇太子の婚約者であるルクレツィアを潰すための策略であることも、ルクレツィアはしっかりと理解していた。
実際、その問題のナナとやらは皇太子たちの影にかくれ、上から目線でルクレツィアを嘲笑している。
しかし同時に、おバカの暴走なのは皇太子とその取り巻きたちだけであり、国王陛下やカーマイン家への根回しは本物なのだということも、残念だがルクレツィアは理解してしまっていた。
(わたし、売られたんだわ)
悲しい事だが、カーマインの家はお世辞にも愛情豊かとはいえなかった。
ルクレツィアは正妻の娘だったが、母は小さい頃になくなっており、彼女が無事に育ったのは屋敷の中でも母と懇意にしてくれていた数名の使用人と、そして何よりも、唯一無二の大切な友達のおかげだった。
だけど。
使用人たちはもう、誰も残っていない。なんだかんだで潰され追い出され、ひどい者は殺された。残っているのは継母派の使用人たちであり、母のことなど忘れてしまった父だけ。
そしてここで。
とうとう、母が最後に残してくれたもの……カーマイン家令嬢としての立場も奪われると。
(これはもう……ダメね)
皇太子にはもともと未練も何もない。命令されただけの婚約だし、そもそも皇太子の方がルクレツィアに関する悪評を誰かに吹き込まれていて、最初から軽蔑しきった目でしか見られなかったのだから。
ナナとかいう娘には、そもそも感慨すらもない。
こちらを向いてニヤニヤと下品に笑っているようだが、悔しいとも思わない。ルクレツィアは子供の頃から今回の交流相手であるスティカ国の学問や文献に学ぶのが大好きだったが、ナナという娘はどう見ても学問や文献でなく、男の話しかしないタイプなのがルクレツィアにもミエミエだったからだ。
よくもまぁ、あんなスカスカの女にひっかかったものだと。
ルクレツィアは自分をかわいげのない女と知っていたが、同時に国母になるには国際情勢や異国の知識は必須だとも考えていた。
あれを本当に国母にしちゃったら……もうこの国はおしまいだろうと。
まぁもっとも、冗談でなく本当に平民に落とされるのならば、もう自分には関係のない話だけれども。
と、そんな時だった。
絶妙のタイミングで、微妙にひとを馬鹿にしたような、のんびりした拍手が響き渡ったのは。
「何者だ!」
「何者ねえ。この通り、ボルダ国……あなたがたがスティカと呼ぶ国からやってきた使節で、大神官長のオルド・マウともうしますが?」
そういうと、拍手の主が現れた。
異様な風体の男だった。
ヒラヒラしたものや華美な飾りのないスーツだった。動きを妨げるものも飾りもなく、しいて言えば胸のところにある何かの紋章のようなものが、唯一の飾りといえば飾りだった。
その容姿は、皇太子たちの国では従者のそれを思わせた。
だから皇太子たちは、相手が使節であり大神官長と名乗ったにもかかわらず、大した人物ではないのだと判断してしまった。
……実は、かの国は宗教国家であり、大神官の長とは国家元首を意味するのだが。
「悪いが異国の者は黙っていてもらおう!今は我が国の問題なのだ!」
「……ほう」
知らぬとは恐ろしいこと。
さすがに、この皇太子の発言には周囲の者もギョッとした。
当たり前だが、友好使節は該当国そのものを背負ってきているわけで、当然だがその地位は任地の国においては国王に準ずる事になる。いかに王族でも皇太子レベルが下っ端のように扱っていい存在ではない。しかも今、この場はそのスティカ国との外交の場なのだ。
そして、思うところがあったらしいオルドなる使節も、引っ込む事はなかった。
「そうはいかぬ、ケルーガ国皇太子よ。
ご存知ないようなので言わせていただくが、ルクレツィア嬢の母君であられたヴァノッツァ殿は、我が国の巫女長を務めていた者である。そして我が国の法では、結婚しても家の縁が切れる事はない。
そして今、貴殿はルクレツィア嬢の、この国における爵位を正式に、この場で剥奪なさった。
ならば。
現在の彼女の社会的立場はこの国の民ではなく、我が国ボルダの民という事になる。
むろん我が国としては、わが名と責任のもとに彼女の自由と権利を保証し保護するものである!」
そう、高らかに言いきった。
「……なんだと?」
予想もしなかった事に驚く皇太子たち。
だが、そんな彼らをよそに話は進んでいく。
「オルド様……あの?」
驚きに目を丸くするルクレツィアに、オルドはやさしく微笑みかけた。
「なんの心配もありませんよルクレツィアさん。いえ、ルクレツィア・パミ・ペスタルどのと呼ばせていただきましょう。
パミとは帰国子女を意味し、ペスタルとはお母上の元の姓となります。
繰り返しになりますが、あちらの皇太子が爵位を剥奪した瞬間から、貴女が我が国の民の扱いになるのは本当の事なのですよ」
「そうなのですか?」
「はい」
オルドは大きくうなずいた。
「我が国の家族法では結婚で他家に嫁いだ場合、両方の家の繋ぎ手という扱いになるのですよ。そして生まれた子供は自分の意思で選ぶまで、両方に属する事になります。たとえお母様本人が亡くなられていたとしても関係ありません。
ゆえに。
ついさっきケルーガの皇太子によりケルーガの貴族籍抹消を宣言されたあなたは自動的に、我が国の巫女見習いという立場が残されているわけです」
「そうですか……え?巫女見習い?」
「はい、そうですが?」
「それは、母が元巫女だからですか?」
「いえ違います。貴女が巫女だからです」
「え?あの、それはどういう?」
「修行、なさってますよね?」
「いえ、それは」
そんな事してないですと言いかけたルクレツィアに、オルドはにんまりと笑った。
「隠しておられたのでしたら申し訳ない。しかし、ボルダの神職には神職がわかるのです。隠すことはできません。
独学のようですが、すでに中級の始まりくらいには行っておられるようですね?
おひとりでそこまで行かれるとはまったく素晴らしい。常世のお母様もさぞ鼻が高いことでしょう」
「そ、そうだったんですか……すみません」
ふむ、とルクレツィアは少し考えると、大きくうなずいた。
「母の残した修行本で勉強していました。母には、いつかボルダに行く日があれば、きっと助けになるからと」
「その考えには同意します。うん、さすがヴァノッツァ嬢としかいいようがない」
「母をご存知なのですか?」
「はい、実は恥ずかしながら。ちなみに彼女のお母様……あなたのお祖母様のシンシア様もボルダでご健在ですよ?今も巫女をなさっていて、大神殿に赴くとよくお会いするのです」
「まぁ、そうなんですか!」
「ええ。さすがにもうお年なのですが、貴女がいらっしゃると聞いたら大喜びなさるでしょう。今から楽しみです」
そんなこんな会話をしているルクレツィアたちだったが、
「何を勝手なことを言っている!
いかに使節殿とはいえ、わが国の罪人を勝手に連れ去るなど許されるものではないぞ!下がっていてもらおう!」
「……なんだと?」
皇太子の言葉にオルドが眉をしかめた。
オルドも、そして周囲もそうなのだが、この場が丸く収まることを期待していた。
何より、こんな場でルクレツィアの母の名を持ち出したのもそのためだ。一方的に断罪しようとした相手の母が両国親善のために嫁いできた人である事をアピールし、ここがその両国親善の場である事も暗に示したのである。要はオルドが道化のようにルクレツィアの肩をもつ事で恥をさらしつつ、こっちの顔をたてて収めてくれと。
だが皇太子側は、そんな空気を全く読もうともしないようだ。
それを正しく理解してしまったオルドは、方針を変更する事にした。
「ふむ、そこまで言うならこちらも言わせて貰おう。
我が国は今回、貴国の将来に関わる極めて重大かつ緊急性の高い問題を持参している。おそらく、我が国がこれを伝えずにおけば、貴国が助かるすべはないだろうと断言できるレベルのものだ。
本来、これは人道上のこともあり、よほどの事がなければ手を差し伸べるべきと考えていたが。
しかし今回、両国親善のために嫁いだヴァノッツァ殿の娘、ルクレツィア嬢に無実の罪をきせ罵声を浴びせ恥をかかせ、さらに貴国の貴族としての社会的地位も奪い去った上で恥知らずな裁きにかけようとしている。
それが何を意味するか、貴殿は理解しているのか?」
「なんだと?何が無実の罪だ!ふざけるな!」
「では聞くが、物的証拠を何か一つでも提示したのかね?
しかも、こんな公の場で女性ひとりを大勢で罵倒して恥をかかせ、一方的に吊るし上げ、踏みつけにしているではないか。
事実関係がどうあれ、この状況で貴殿らを一方的に正しいと言い切れるほど、私は愚者になったつもりはないな」
そこまで言うと、オルドはひとつためいきをついた。
「それと、そちらでさっきからやたらと私に色目を使おうとし、ついには幻惑の術までかけようとしている女がいるが、彼女は何者かね?そちらの国では、言い負かされそうになったら相手に術をかけて黙らせるのが正道なのかね?
だとしたら、我が国は友好関係そのものを見直すべきかもしれぬ」
「っ!」
「なんだと貴様、ナナに怪しげな罪までなすりつけるつもりかっ!」
「ふざけるな、たかが下っ端の分際でっ!」
ビクッと反応して皇太子の影に隠れる女。その女をかばってさらに大声をあげる取り巻きたち。
だが、彼らは致命的な大失態も演じてしまった。
国内有力者の系列とはいえ、なんの実権もないただの子供たちなのに。
親善でやってきた一国の大使を下っ端呼ばわりで罵倒したのだから。
オルドは取り巻きたちの罵倒に難しい顔をして、そして諭すように言った。
「……どうやら親善の意味を理解なさっていないようなので、少しお話してさしあげよう。
我が国ボルダとあなたがたの間には利害にあたるものが全く存在しない。そもそも我が国の船がたまたま立ち寄った事から生じた縁であり、友好は純粋に好意によるものだったからだ。
しかし、だからこそ純粋に友好関係が結べると当初は期待されたのも、また事実なのだ」
そういうと、一度言葉を切った。
「だがね。
利害による実態をもたない友好関係ならばこそ、信頼と好意は大切にすべきものでもあるのだ。
そして君たちは、今でこそなんの権限もないわけだが、今後はこの国を背負う未来の人材といえるだろう。
ゆえに、私はここであえて警告させていただこう」
そうして、オルドは皇太子たち全員をひとりひとり、じっくりと顔をあわせた。
「今回の件、不幸な誤解であったという事であれば水に流す事も考えよう。
また、彼女をこのまま我が国にという事ならば、それもまたひとつの決着として良いだろう。
しかし。
これ以上我が国の民に謂れなき悪意を向けるというのならば、未来ある若者の言葉と割り引く事はもうせぬ。友好関係の解消もありうる事になると心得ていただこう」
「!」
何人かが息をのんだ。
オルドの態度から、本気で腰をすえてきたのだと彼らは理解したのだ。
だが、肝心の皇太子は。
「フン、何を言い出すかと思えば」
明らかにわかってない。
だが周囲に、皇太子を止められる者がいなかった。
今の皇太子に下手に意見すれば、ルクレツィアのように潰されるかもしれない。その可能性を理解していたから、取り巻きと問題の娘以外の誰もが恐れて口出しできなかった。
たかが子供といえば、たしかにそのとおり。
だが言うまでもないが……それはこの国の縮図そのものといってもよかった。
だいいち、子供の戯言だけで本当にルクレツィアの爵位を奪えるわけがない。
そもそもルクレツィアは貴族の子女であって正確には貴族そのものではない。そんな彼女の爵位を奪うという事はすなわち、彼女が生家から縁を切られたという事になる。
すなわち。
ルクレツィア本人も認識している事だが、本当にこの状況は、この国の縮図そのものなわけだ。
そして、そんな現実を皇太子たちはわかっていない。
それゆえに、皇太子は取り返しのつかない自爆発言をしてしまった。
「まったく、どことも知らぬ、地図にすらない僻地の国の大使の分際で、皇太子のこの俺に脅しをかけるとは身の程知らずにもほどがあるわ。
もう許さん!ケルーガを敵に回すという事が何を意味するか、その田舎者に教えてやる!」
「…………ほう」
オルドの声が、おそろしく低いものになった。
実のところ、オルド本人はのんびり屋で気の長いタイプだった。少なくとも、たかが権力を傘にきた若造相手に頭に血が登るような人物ではない。
だが。
「なるほど……それが答えでよいのだな」
オルドはふうっと、本日何度目かのためいきをついた。
「よろしい、もう結構だ。
では君の発言に答える意味で、使節としてでなく私本来の役職をもち、本来の立場で宣言してやるとしよう」
そういうと、オルドは息を吸い込み、そして宣言した。
「最後になると思うので、改めて名乗らせていただこう。
私は神聖ボルダ中央神殿の大神官にして神聖ボルダ国の最高指導者、オルド・マウ第○○○世である。
ちなみに政治体制の違う貴国の情勢を考慮して説明させていただくが、我が国は宗教国家である。
そして、私はその国教における最高指導者だ。
すなわち、君らの尺度どいえば、私は国家元首、国王そのものである」
「!?」
「な……!?」
理解していなかった者たちの顔色が変わった。
さすがの皇太子もギョッとした顔になった。
だがもう遅い。
「ケルーガ国皇太子ユーノス・エル・ラル・ケルーガ。君の発言の数々を両国の友好関係の正式な終了、およびボルダへの敵対宣言として正式に受諾しよう。
もちろんこれは、この場の会話記録つきで貴国に送付する事になるが、ここでも改めて宣言しておこう。
たった今より、我が国ボルダは貴国ケルーガの友好国ではなくなった。
同時に、ケルーガ国に駐在しているすべての我が国の民を速やかに本国へ強制帰国させる。これはルクレツィア嬢を含む七名の混血児を含む。
我が国と貴国が非常に遠方である事、迫害を受けたり戦争の材料に使われることを防ぐ、これは人道的措置である。
なお今後、我が国と対話が必要な場合の連絡には、レムリア・アルダス国経由での連絡を……といっても君らの技術では連絡以前に宇宙に出る事などできないだろうが……まぁ、とりあえず可能ならそちらに寄越すように。
……以上、本件はたった今、この瞬間をもって実施される。
ああ、そうそう。
もし今後我々の行動を妨害するなら、敵対者でなく障害物として排除するのでそのつもりでいたまえ。
具体的には……もし我らの邪魔をするなら今後、後の清掃をたやすくするために粉砕銃で原子のチリに還す事になる。今までは君らが遺体を手厚く埋葬する習慣を尊重していたが、今後それは一切やらないので、そのつもりでいるように国の人々に伝えたまえ」
そういうと、オルドは背後に控えていた者たちに声をかけた。
「おまえたちは、ただちに駐在者とその家族に緊急打診するのだ。今後の仕事に影響が出てもよいから、ただちに引き上げよと。このオルド・マウの名をもって命ずるのだ。
それとケルーガ人の取扱の変更を伝えよ。
具体的には、ケルーガ人を今後、モース条項の現住生物扱いに移行する。
危険があるので以降、現住生物との接触の可能性がある場合は必ず武装して臨むこと。また撤収作業に妨害があった場合はこれもモース条項に従えと伝えるのだ」
「御意!!」
部下が動き出すのを確認すると、ふたたびやさしい顔でルクレツィアに向かった。
「ドタバタしてしまってすまないが、そういうわけだ。
すみやかに移動をしようと思うのだが、荷物のとりまとめにどのくらいかかるかね?」
「いえ、荷物は……ありません」
「ない?」
ハイとルクレツィアはうなずいた。
「戻っても私の荷物なんて、古着と古いドレスしかありません。勉強道具や最低限の着替えは影にしまってあります。
ですので、戻る必要はありません……そもそも貴族でなくなったのなら戻りようもないですが」
「なるほど……あまりにもひどい話としか言いようがないが、今だけはその身軽さに感謝しよう。
では、行くかね?」
「はい、すみませんお世話になります」
ルクレツィアは大きくうなずいた。
「ふ、ふざけるな!あの者たちを捕らえよ!」
置き去りにされた皇太子がわめきだしたが、誰も動こうとしない。
「……」
ちなみに問題のナナなる女は、ポカーンとしていた。どうやら状況が飲み込めていないようだ。
そして、そんな者たちを全く無視するかのように、なごやかにルクレツィアたちはその場を去っていった。
「しかしまぁ、ひどい連中だった。あの国で育った君の前で申し訳ないが」
「いえ、かまいません。わたしもひどいと思いましたから」
皇太子たちの会話より約二日後。
国に戻る船の中で、ルクレツィアとオルドは話をしていた。
「オルド様、申し訳ありません」
「なぜ謝るんだい?
というか、そもそも私たちは友達だろう?もう君もボルダ人なんだし、昔のように、もう少し砕けた物言いをしてくれても」
「もちろんそのとおりです。でももう大人ですから、言葉遣いはちゃんとしますよ?できる限りですけど」
「むむ、それはまぁ」
実は、オルドはルクレツィアが小さい頃からの友人だった。まぁ友人というには歳が離れすぎてはいたし、昔はボルダの人だなんて知らなかったのだけども。
ステキな魔法使いのおじさま。
その正体を知ったのは、実はわりと最近だったりする。
「ごめんなさい。わたしひとりのために友好関係をおかしくしてしまったようで」
「その事なら、もちろん違うのだがね」
「え?」
顔をあげたルクレツィアの前で、オルド・マウはにっこりと笑った。
「正直なところ、何も得るところのない友好関係だったのは君も知っているだろう?」
「あ、はい。あまりにも違いすぎますから」
領土を全く接しておらず、文明レベルも違いすぎる。国家形態もまったくの異質であり、取引している産物もない。
たまたまボルダの船が修理のために停泊したのがきっかけでできた、利害の全くない純粋な友好関係だった。
そもそも。
飾りの全くないオルドの服装だって、要は文明の進み具合が全く異なるためだった。両国の文明には少なくとも、数千年レベル以上の開きがあるのだ。
はっきりいって皇太子たちに軽視されたのだって、ぶっちゃけると「未開地で原住民に何か言われた」レベルの話でしかなかった。
「まぁ、今ごろ政府関係は大騒ぎかもしれないがね。特に我が国の技術を欲していた者たちが」
「そうですね……天空を駆ける神の舟を造り、星の海を渡ってきた国の技術ですもの。……でも、どうかしら?」
「ん?というと?」
「お恥ずかしい話ですけど……いえ、もうわたしの国ではないので恥ずかしいというのも変な話なのですけども。
あの国の過半数の貴族たちは、スティカ国が星の海の向こうにあるとすら信じていなかったと思いますよ」
「なるほど……やはりそうでしたか」
「……やはり、ですか?」
「ああ、入ってくる情報から、どうもそうらしいという話もあったので」
「はい、お恥ずかしい限りですが」
「君のせいではないでしょう?」
「そうですが」
そんな話をしていると、突然に声が響いた。
『オルド様、まもなくハイパー・ドライヴに入ります』
「わかった。ボルダまでの所要時間は?」
『宙域に特に問題なければ、約八時間というところです』
「わかった」
通信が切れた。
「跳躍航法ですか?」
「ご存知だったか。お母上に?」
「はい。ボルダから嫁ぐ時に乗ってきたのだと、小さい頃に聞きましたし日記も読みました」
「ほう、日記ですか」
「はい。祖国での事とか色々書いてあって、わたしにはとても楽しい読み物でした」
ケルーガ国は中世紀レベルの国で、飛行機械すらもろくにない。
ボルダは確かに宗教国家ではあるのだけど、銀河をまたにかけて商売もしている星間国家。
両者はあまりにも異質すぎる。
母の日記を通してみる銀河文明の世界とは、どういう風に見えていたのだろう?
今、本物の宇宙船の中でどういう感想を持っているのだろうとオルドは思う。
そしてつい、興味本位で彼は墓穴を掘ってしまう。
「日記ですか。ちなみに、他にはどんなことが書かれていたのか聞いてかまいませんか?」
「あ、はい。そういえば、幼馴染の男性のお話がたくさん出てましたね」
「……ほう?」
オルドの表情が少し硬くなった。
「日記にはちゃんと書かれていませんけど、とても親しくなさっていたみたいで。ケルガーさんと書かれていましたが」
「!」
オルドの顔がひきつった。
「母はその方と、ケンカ別れ同然で嫁いできたのが唯一の心残りだったみたいです。もう一度会うことができたなら、その時は謝りたいと……オルド様?」
「む、なんだね?」
じーっとオルドを見ていたルクレツィアの顔が、その時、ちょっと複雑そうな笑顔に変わった。
「あの……もしかしてあれ、オルド様のことなのでしょうか?」
「い、いや」
だが、その刹那の慌てっぷりで、自分ですと白状しているようなものだった。
「な、名前が違うだろう?」
「オルド・マウとは大神官長という意味で、世襲制のお名前なんですよね?」
なんでそんなことまで知ってるんだとオルドは青くなるが、もう遅い。
「オルド様?」
「そ、それは……」
初恋の君と同じ目でジッと見つめられ、冷や汗をかくオルド。遠くで、まもなくハイパー・ドライヴに入る旨の放送が聞こえている。
ちなみに、ふたりと同じ部屋にいた警備の者たちはというと。
「……」
ふたりの親しげな風景、特に冷血と名高い今代大神官の信じられないような間抜けな態度に、ああ本気なのだなと生暖かい目線でエールを送っていたという。
なお数年後にオルド・マウは結婚する事になるが……初恋の君の遺児を寵愛し、ついに娶ったと噂になったのはここだけの話である。
◆ ◆ ◆ ◆
両国の交流断絶より約十年後、ケルーガ国は滅亡した。直接の原因は天災とされているが、実際の原因は国の乱れによって天災に対処できなかったためだった。
まず、現国王が崩御し皇太子ユーノスが王となった。
彼は貴族たちの反対を押し切って平民出身の男爵令嬢ナナ・セルリアンを妻に迎えた。この事で権力構造の変革が始まったが、危機管理や外交に長けた往年の貴族家を排除してしまったため、防災面などに大きな問題を抱えた状態でユーノス政権はスタートする事になった。
何より、貧者向けの炊き出しなどを繰り返す王妃ナナが問題だった。彼女は国や敵対する貴族たちの非常用備蓄食料を無理やり切り崩し、民への還元と称してばら撒き続けたのだ。
また、市街が不潔なのは病気の元だと清潔にする事を強く奨励し、特に出産を控えた妊婦のまわりを執拗に清潔にさせた事は大きかった。
もちろん、清潔にする事で乳幼児の死亡率や母体の産褥熱による死亡が激減したのは、たしかに成果であった。
しかし、それによって子供の数が爆発的に増え、食料生産が圧迫され、食料備蓄を圧迫するほどになった。もちろん備蓄計画自体が見直される事になったが、ここでまたナナ王妃がとんでもない提案をしてきた。
つまり、備蓄基準を今の半分にすれば、民もそのぶん食べられるしお金もかからないというわけだ。
確かに彼女の言葉は正しいが、それは天災がない場合のこと。備蓄食料は長年の経験から割り出された期間分しかなくて、現状でもギリギリ。それを削るというのかと。
しかし、彼女の言い分は通った。
それどころか、ナナの言いなり状態のユーノス王により、反対した者は全員が王宮から放逐されたり、ひどい場合は家ごと処刑された。
もうこの頃になると、多くの有能な民や識者がケルーガ国を逃げ出していた。
特にこの頃、出先不明の「まもなくケルーガの西の砂漠に星が落ち、ケルーガは滅びる」という噂も広まっていて。
多くの民が災厄から逃れるため、少しでも東へ、東へと逃げ始めてもいた。
そして、その日はやってきた。
噂通り、ケルーガ国の西にある大砂漠の外れに、明らかに小天体サイズの巨大な岩塊が落下、その衝撃波だけで国中の古い建物がたくさん崩壊するほどの大災害となった。
とはいえ、直接の被害はそれだけだった。
空が真っ暗になり黒い雨がふり、皆はこの世の終わりかと騒いだが、実際のところ死者はわずか。たくさんのけが人が出たものの、それ以降何かあるというわけでもなく、事態はそこで収まった。皆は胸をなでおろした。
だがそれは、地獄の始まりにすぎなかったのである。
その年から数年にわたり、ケルーガ国だけでなく全世界的に大凶作になった。理由は簡単で、岩塊が吹き上げた土砂が成層圏に達した事、さらに岩塊に付随して落下した中型の岩塊たちが何かを刺激したのか、西方の大火山活動も誘発したためだった。作物がとれないだけでなく、保存のきく食料を砂漠の向こうにある暑い国々から買い付けることもできなくなった。街道に千キロ以上に渡って火山灰などが降り積もり、物資の輸送に使えなくなったからだった。
ちなみに、砂漠の向こうの国々が使っているビヤーキという砂漠に強い動物なら荷を運べる。
しかしビヤーキを使っている国々はケルーガの打診を断ってきた。理由は彼らの国でも飢饉の影響を受けているという事だったが、その実、十年前のボルダとの断絶事件の前後に、これらの国も当時、皇太子とただの男爵令嬢だったユーノス・ナナコンビに理不尽な迫害を受けたり家族を殺された者たちがおり、あのような国に援助をするなという声が大きかったからでもあった。
当然、たちまちに備蓄食料など尽き果てて……ケルーガ国は未曾有の餓鬼地獄に陥った。
衣食足りて礼節を知るという言葉があるが、その食が致命的に欠けた影響は、あまりにも深刻だった。
わずかな食料をめぐり、親子で、きょうだいでも殺し合った。
ある家では、7つの姉が4つの弟を蹴り殺した。理由は、親が弟にたくさん食料を与えているからで、弟がいなくなればそのぶん、自分が食べられると考えたためだった。
そのような地獄はもちろん王宮にも及ぶ。
ユーノスやナナの周囲にはもうこの頃、ろくな側近も侍女もいなかった。彼らはいわば「逃げ遅れた」者たちか、動けない親兄弟がいてどうしようもなかった者たちであり、彼らは、王都の地獄など知らぬ顔で贅沢な食事を続けるユーノスたちから、少しでも盗み食いしたり家族に届ける事しか考えていなかった。
しかも。
そうした彼女たちさえも「食料を持っているらしい」という理由から帰宅途中に襲われ、食料を奪われ殺されたり、ひどい場合には、庶民より多少なりとも肉付きのよい彼女ら自体が女という意味でなく本当に食料にされるという、信じられないような事も起き始めていた。
地獄。
それはまさに地獄そのものとなっていた。
そんな彼らの政権が終わったのは、とある暑い日。
警備兵たち(すでに近衛兵など誰もいなくなっていた)の手引きにより城に突入した暴徒たちによってユーノスたちはとらえられ、民衆の前に引きずり出された。
そして、ふたりは公開処刑。
ユーノスは「どこで間違えたのだろう」と答えの出ないまま首をはねられた。
遺体は王家でなく庶民用の墓に入れられたが、これは嫌がらせでなくむしろ逆で、先王が健在だった頃のユーノスを覚えていた一部の庶民が、せめて死後の眠りくらいはと自分たちがひきとり、丁重に葬ったからだった。王家の墓に入ることはなかったが、悲劇の最後の王として、彼は長く語られ、冥福を祈られる存在にはなれた。
一方、本当に悲惨なのはナナの方だった。
彼女はユーノスたちの庇護下でずっと好き放題をしており、その悪評があまりにも広まっていた。そのため、公開処刑が決まったあとも、どさくさに彼女の身体で楽しもうと良からぬことを考える連中を誰も止めなかったし、むしろ手助けしてやる者までいる始末だった。
結果として彼女は、抵抗も自殺もできないように拘束された上で処刑の日まで、好き放題の乱暴をされ続けた。そして、さらにその悲惨な姿のまま民衆の前に引きずり出され、毒婦め魔女めと罵倒と共に石や汚物を投げつけられた。
そして最後は、民衆参加の罵声混じりの『石打刑』により何時間もかけて打ち殺されたという。
残酷に思えるかもしれないが、実は石打刑そのものはケルーガでは一般的な処刑法のひとつである。ただし近年は残酷すぎるという声もあり、たいていの場合の死刑は首をはねる事だった。しかも失敗しないようにしっかりと練習をしたり補助器具も使われており、「苦しませずに罪人をあの世に送り出す」配慮もなされるのが普通だった。
なのにナナの処刑は途中で休憩や回復の時間もいれ、少しでも長く苦しませるように執拗な方法で殺されたという。
これはいうまでもない事だが、それほどにもナナが民衆の恨みを買っていたという事なのだろう。
災厄の噂はもちろんただの噂ではなく、ボルダに帰ったケルーガ生まれの子供たちのよるものだった。
あの日、オルド・マウが何も伝えずに去ったのは、十年後に落下する小惑星があり、落下地点がケルーガの西の砂漠と推定されるというものだった。小惑星の質量からいって巨大災害には及ばないと思われるが、天候が激変する事から数年は大飢饉になるだろうという事も予想されており、ボルダ側としては、小惑星の軌道変更または破壊をしようかという打診をする予定であった。
しかし同時に近年、ケルーガ側のあまりの不義理とひどい蛮族扱いに被害も相次いでおり、友好関係の解消を求める声もあがっていた。
彼らが悪いわけではない。だが、縁で成立した関係とはいえ、やはり文明や文化レベルが違いすぎるふたつの国に、穏やかで長い友好など無理なのではないかという声も多かった。
つまり。
援助の打診も具体的な警告もせずに去ったのは、もちろんケルーガ側のもろもろの悪意に対するボルダ側の報復。
ただし民衆には人道上なんらかの手を打ちたいという声もあり、議論した結果が災厄の噂のばらまきと、こっそりエージェントを送って、国から脱出する人たちを影ながら支援することだった。
これらのヘルパーたちは正体を隠していたが、ボルダ人とつきあいのあった好意的なケルーガ人たちにはもちろん知られてしまっていた。
彼らはヘルパーたちに感謝しつつ、最後まで、ひとりでも多くの国民を救おうと奔走を続けたという。
(おわり)
ちょうど国交断絶しようってタイミングで悪いニュースが重なった不幸な例ですね。
モース条項:
文明レベルは低いが武装した知的生命体との接触に関する規則。未熟な種族が強大な軍事力を手にする危険性から、技術や武器の流出を防ぐためにかなり厳しいものになっている。
たとえば、サイボーグになった野沢誠一を宇宙に連れ出したのもモース条項の適用である。別の選択肢としては彼を殺し、処分する事もありえた。
今回のように友好国として非文明国とつきあっていたものが解除された場合、すみやかに人だけでなく、可能な限りすべての機材や情報を引き上げるか消去する必要がある。これは最優先事項であり、特に外宇宙に出られるような技術の流出がありうる場合、該当星系ごと消去しても問題にされないほどに厳しいものとなっている。




