バレンタイン特別外伝『とある未来の話』
この話は特別編であり、本編よりもずっと未来です。
舞台は地球です。
この世にはバレンタインデーなるものがあるらしい。元は愛しい女性に男性が贈り物をする日だったというけど、とある国ではデパートの販売戦略が大いに当たり、なぜか女性が男性にチョコレートを贈る日に変わってしまったんだけど。
「そう言われても」
江崎千穂は、ゆっくりとためいきをついた。
空は晴れ渡り、風はない。千穂が歩いているのは川辺だが、本来なら高校生である彼女がここにいるのはおかしい。
だって今日は平日なんだから。
「身のまわりに男なんていないし……興味もないし」
あっても相手にもされないだろうけど、と千穂は苦笑した。
自分の容姿くらいわかってる。家の経済力も知ってる。
クラスでの立場?
平日の昼間に、ひとりぼっちでここにいる時点でまぁ、言うまでもない。
大抵のクラスにひとりくらいは、いてもいなくてもいいような生徒がいるものだ。
目立つことなくそこに「いる」だけ。
人づきあいが苦手で、周囲のコミュニティにもうまく入れず友達もなく。
成績だって中間くらいで、良くも悪くも全く目立たない。
授業の都合で誰かと組むとなったら、間違いなく最後にとり残されるタイプ。
いじめの対象になる事もあるが、そもそもそれ以前に「そういう子がいる」以上に認識されていない存在。
ひどい時には「ざしきわらし」だの「宇宙人」だの言われる始末。
千穂はそういう子だった。
それでも中学までは良かった。良くも悪くもアットホームなところがあり、周囲が千穂をひとりにしなかった。
だけどそれでも、一緒の高校にいこうと誘ってくれる友達はいなかった。
そして高校に上がると同時に、彼女の居場所は学校にはなくなったのだ。
(……でもまぁ、仕方ないよね)
千穂は、青い空を見上げて思う。
なんのとりえもなく、話もへたくそで、綺麗でもない。
好きなものと言えば本くらいだけど……。
でも、読書が好きなだけの暗いコに好んで近寄ってくる人なんて……。
(……それに、ね)
千穂はもう一度空を見上げる。
空は何も変わらない……変わらないのだけど。
(どうしてだろう……空を見ると切なくなるのは)
物心ついた頃から千穂はそうだった。
青空を見上げると切なくなる。
ずっと昔、とても大切なものを失くしたような。
そんな気持ちが、千穂を悲しくさせるのだ。
だけど。
何故か両親は、千穂が空の話をすると機嫌が悪くなった。
いつもは優しい両親なのに、空や、それから宇宙について千穂が話そうとすると、とたんに顔をこわばらせた。
そして「もっと女の子らしいもの」に目を向けさせようとしたりした。
どういうわけか。
千穂が本を読むようになったのも、元々はそのためだった。
両親が応えてくれないことも、本なら応えてくれる。
図書館で、童話のふりをして宇宙の本をこっそり読む事だってできる。
他にもネットで調べたり、千穂はひとりぼっちで情報を漁り続けて。
そして気づけば、すっかり内向的な娘になっていた……。
「さて、どうしよっか?」
居心地の悪さに、青空の下に逃げ出したのはいいけど今日は平日だ。
いきなり帰ってもいいだろうが、さすがにちょっともったいない気がする。
「んー……」
だが、どこか行きたいところもない。
「うん」
やっぱり帰ろう。
両親には小言を言われるだろうけど、それは帰ってきてからの事。今はいない。
とりあえず帰り、今日の授業ぶんの自習をしよう。
終わったら好きな本を読もう。
「よし」
口に出して、何か確認するかのように千穂はうなずいた。
そして家路についた。
変な乗り物が停まってるのに千穂が気づいたのは、もう家のそばまで来た時だった。
よりによって自宅の前。
(なに、これ?)
それは変、としか言いようのない乗り物だった。
大きさは自動車くらいで、色は灰色。
車輪がどこにも見えず、そして全体的に丸い。
ただ、車輪がないのに乗り物だと感じられるのは、運転席らしきものが外から見えるからだ。
ただし。
(……これ、クルマ、なのかしら?)
外から見える装置類が、とてもクルマのそれには見えないのだけど。
それに。
(……え?)
その運転席に座っている人を見た瞬間、千穂の目が点になった。
そこにいたのは猫だった。
いや、正しくは、人間のカタチをして、人間の服を着た巨大な猫だった。
眠っている。
コスプレか何かだろうか?
いや、それにしてもリアルすぎる。着ぐるみにはとても見えない。
と、その時だった。
眠っている大猫がピクッと耳を動かした。
目を開いて千穂の方を見て「お!」と言わんばかりの反応をした。
そして次の瞬間、窓ガラスらしきものが音もなく幻のように消え、巨大な猫の顔がニュッと窓から張り出した。
もちろん千穂はその瞬間、後ずさろうとした。
でもその瞬間、頭の中に何かがフラッシュバックした。
『おにいちゃん、おにいちゃーんー!』
『チホ、ごめんよ、チホ!』
「きみがチホさんかい?」
「え?あ、は、はい!」
それは一瞬のことで、千穂はすぐ我に返った。
「そうかい、良かった良かった、うん、こちらの情報とも合ってるみたいだね。きみに郵便だよ、星間トラファガー便」
「え?え?え?」
ポンと手紙を渡された。
「いやー、ソルってこんな遠かったんだねえ。しかも定期航路もない上に被監視区域っていうじゃん?
一番小さいシャトルを借りてさ、第五惑星の裏からステルスかけてきたんだぜ?いやー参った参った!」
「え?あの?」
意味がわからなかった。
ついでにいうと、手紙そのものも意味不明だった。
見た目はただのエアメール。
だが、ちょっとおかしい。
日本語で千穂の住所が書かれているのだけど、本来は全然別の住所が書かれていたようだ。その住所の横に線が引かれていて、そして今の住所が、差出人とは別の人らしき筆跡で書き足されている。
さらに一番下には見知らぬ文字が書かれ、下線がつけられている。
そして、まだ他にも追記されたメモがいくつもあった。
さらにいうと。
「あの、これ苗字違ってます。うちは江崎です、石上じゃないですよ?住所はここみたいですけど」
「ん?いやそれ違わないよ。ちゃんと調べたからね」
猫は小さく首をふった。
「詳しい事情はよくわからないけど、君はもともと石上チホさんだよ。転居の際に江崎姓になってるけどね」
「それもおかしいです。うちは引っ越しなんてしてませんし」
「うん、おうちは引っ越してないよ。変わったのはきみだけだもの」
「……え?」
千穂の目が点になった。
「あー……この反応はもしかして」
そんな千穂の反応を見た猫は、フムと考えるように自分のヒゲをなでた。
「そうだチホさん、そこに書いてある文字は読める?」
「いえ、読めません」
宛名の下にある文字は、千穂が見たこともないものだった。
「オッケー、配達時の指定条件に合致、と。じゃあちょっと失礼」
「え……え?」
瞬間、千穂は何が起きたのかわからなかった。
何か銀色のものをつきつけられたかと思うと、身体に電流が流れた気がした。頭の中が真っ白になり、一瞬なにもわからなくなった。
「……大丈夫かい?」
「……は、はい」
どうやら前後不覚になったのは一瞬らしい。気づけば千穂はそのまま立っていた。
「もう一度読んでみてくれる?」
「え、あ、はい……あら?」
謎の文字は、やはりそのままだった。
なのに千穂はその文字を読めるようになっていた。
そこには、こう書いてあった。
『被監視区域ソル宙域第三惑星日本国』
「これって……」
「おー、読めたようだね。じゃあ、あとこれもね」
そういうと、猫はさらに別の封筒も渡してきた。
そちらも元の手紙と同じ封筒だったが、文字が全く異なっていた。全てその、さっきまで読めなかった文字で書かれていた。
『妹へ。この中を読んでキミがもし望むなら、中の切符を使いなさい』
(妹!?)
「うん、読めたようだね。そんじゃあこれで僕の仕事は完了、と」
「え、あ、あのっ!」
思わず猫を止めようとしたのだけど。
「まいどありー!」
そういうと窓が閉じて、すぐに乗り物は空に浮かび上がった。
そしてみるみるうちに空を飛び、どこかに去ってしまった。
「……なんなのよ」
しばらくポカーンとしていた千穂だったが、すぐに我に返った。
そして二通の封筒をもち家の中に入った。
家には誰もいなかったが、千穂にはちょうど良かった。自分の部屋に入ると扉をしめ、机上に手紙を広げた。
まず一通目。
『無事にこれが届くことを祈ります。
俺は石上正樹といって君の兄です。事情があって君がうんと小さい時に離れてしまったのだけど……』
どうやら、兄と名乗る者の近況を示すものらしかった。
あまり上手でない手書きのものだが、インクがちょっと風変わりなものだった。緑のようでもあり黒のようでもあり、あまり見たことのないもの。
それに手紙もそうで、具体的なことは何も書いてない。
ただ元気にやっている事と、いつか会いに行くから、ひとりでも元気にやっておくれというものだった。
そして、返事を書く時の宛先もあった……なぜか東京で、働いている会社の日本支社みたいなところらしい。そこに送ると転送してもらえるそうだ。
直接郵便が送れないとは、いったいどんな場所なのだろう?
そんな千穂の疑問は、二通目を開封して氷解する事になった。そう……読めない文字で書かれていた方の手紙だ。
手紙は普通に切って開封するものではなかった。開け方は裏面に記載してあったが、これすらも読めない文字で書かれていた。
特定の言葉を唱えると、封を切らなくても中が読めるらしい。
どうやら、この言葉がわからない者には開けてほしくないようだ。
手紙を手にもち、そして指示されたように目を閉じて、その言葉を紡いでみた。
『わたしは読み手。この中身を読みたいので頭の中に投影せよ』
その瞬間、頭の中に映像が浮かんだ。
それは見知らぬ街だった。
千穂が見たこともないような超近代的な町。行きかう車輪のないクルマたち。
行きかう人々に混じり、さきほどの猫の人に似た、ネコ科やトカゲなどの動物頭の人たちも見える。
そして。
『この映像を見ているということは、言葉がちゃんと読めたようだね?』
そんな言葉を、やはり異国語で話しているのは……千穂の遠い、遠い記憶のままの『人』だった。
「おにい、ちゃん」
『ああそうとも、僕がマサキだ。ここではマサキ・ボルダ・アキコ・ヤムと名乗ってるけどね』
フフフと楽しげに笑うのは、先刻の猫の人に似た、やはり猫頭の人物だった。
『この手紙は通話方式といって、対話するように伝えるようになっている特別製なんだ。知りたいことだけを聞きたいなら質問すればいいし、全て聞きたい時には全て話してと言えばいい。どうする?』
「……じゃあ、すべて話して」
『わかった』
映像の中の猫の人……兄は微笑み、そして話しはじめた。
『知らなかったかもだけど、僕たち兄妹は地球人と、それからアマルーという猫型の宇宙人のハーフなんだ。母の名はイシガミアキコ、父の名はデリダ・ボルダ・マシュール・ロル』
「!?」
衝撃の事実だった。
ありえない、と千穂は言いそうになった。
でも、だったら目の前の『兄』は何者なのか?この映像は何なのか?
ディスプレイ装置も何もなく、頭の中に映像を映す技術なんて聞いたこともない。この点だけでも色々とおかしい。
話は続く。
『僕たちが引き離されたのは、見ての通り僕が地球人の姿をしてなかったから。
それで父さんが地球を離れる時、僕だけ連れ出されたんだよ。
母さんは父さんが好きだったけど、それでも地球にいる石上の家族を捨てられなかった。それに千穂が地球人の姿だったから、いつか大人になって本来の体質が顔を出すまで、そのまま地球で育ててみようって事になったんだ。
もし地球人として生き続けるなら、それも千穂の選択だろうって事でね』
「……ああ」
その話を聞いた瞬間、おぼろげな遠い思い出の映像や記憶が、頭の中でかちあった。
全ての歯車が、ぴたりと合わさった気がした。
(……わたしって、半分宇宙人だったんだ)
妙に居場所がないと感じていたのは気のせいでなく、本当に異質な存在だったのかと。
厳密にいえば千穂の印象は正しくない。彼女の孤立は対人スキルの低さや引っ込み思案なのも理由ではある。
だが、異質なものを本能的に嗅ぎ取る能力を人間が持っているのも事実。
同じ仲間に加えるなら、得体のしれない千穂より普通の子。
そういう無言の流れが周囲のコミュニティに存在したのも、また事実だった。
そう考えた瞬間、千穂はストンと肩の荷が降りた気がした。
もともとスタート位置が違うのなら、うまくいかなくても仕方ない。
その手の認識は人によっては悪い意味をもつが、千穂にはどうやら違ったようだ。「ダメでもともとなんだから、クヨクヨするのはやめよう」と開き直り、気持ちが上に向くきっかけになったようだ。
「……そうだったんだ」
思わず声が出た。
まだ話は続いている。
『この手紙をこのタイミングで届けたのは、そろそろ千穂の体質が大きく変わるはずだからなんだ。
父さんの話だと、千穂みたいな混血タイプは未分化幼生体といって、ある時点に達したところで形質が大きく変わるんだって。
そしてその変化は千穂、きみの精神状態が大きく影響するそうだよ。
つまり。
もし君が望めばだけど。
君はアマルー……つまり僕みたいな猫型か、アルカ……お母さんと同じ人間型か、どちらかになる事ができるんだ』
「……なるほど」
その話を聞いても、千穂はもう驚かなかった。
半分宇宙人。
それが本当なら、そんなこともありえるんじゃないか……そう信じられたし。
何よりも。
「……」
部屋のすみにある、レースのカーテンのかかった姿見。
そこにうっすらと見えている、シルエットですら綺麗とも可愛いとも言い難い自分の姿。
そして、思ってしまった。
どうせ変わっても大差ないかもしれない。
でも、どうせ大差ないのなら。
せめて、もふもふの方が可愛いく見えないかしら?
……と。
「!」
千穂の身体の中で、見えない何かがビクンと動いたような気がした。
そしてその瞬間、映像の向こうの兄がにっこりと笑った。
『どうやら、こっちに来る選択をしたみたいだね。歓迎するよ。
手紙の中にここ、マドゥル星系までの切符を入れてある。書いてある連絡先に電話して、今使ってるこの言葉、ボルダ語で案内を受けるんだ。どこに行けば、ここまでの船に乗れるかを教えてくれるからね。
それと、最後にひとこと。
母さんがもしまだ生きていたら、その時に母さんも誘うかは千穂に任せるよ。必要ならもう一枚入れてある切符を使っておくれ。
じゃあね、がんばって』
それが手紙の終わりのようだった。
「……」
千穂はしばらく、無言のまま固まっていた。
知ったことのあまりの大きさに、脳がそれを理解するのに時間を要していたからだ。
しかし、どこかで防災無線がお昼のメロディを流しているのが聞こえてきて、ハッと我に返ったように立ち上がった。
姿見の前に移動し、カーテンを外して自分を映した。
そこにいるのは、いつもの冴えない千穂だった。
でも妙によく見える。
「……」
灯りをつけると、もう一度見てみた。
「……あ」
どこというわけではないが、微妙な変化がもう始まっていた。
人としての外見の中に、どこか異質な獣相めいたものが混じりはじめていた。耳の一部も微かに変形し、根本の方の毛が濃くなっている。
そして……。
全く変わらないはずの人の目なのに、どこか野生の動物のようにも見えた。
「……」
電気を消してみる。
でも。
「……見える」
どうやら、多少暗い程度では全く問題ないようだ。
さっきの違和感はこれかと千穂は納得した。
「……」
今朝までは確かに、千穂はただの冴えない人の姿だった。
なのに自分の身体を自覚して途端、急激に体質が変わりはじめた。
だとすると。
誰の目にも異星人だと気づかれる日は、そんなに遠くないかもしれない。
そうなる前に全てを終わらせないと。
とりあえず机に戻ると、千穂はスマホを手にとった。
「まずは、この連絡先に問い合わせか」
もちろん父母にも連絡しなくては。
実の父母でないのは確かだけど、この歳まで大切に娘として育ててくれたのも事実なのだ。
挨拶もなく出ていくような真似はしたくない。
千穂はとりあえず通信アプリを呼び出し、
父と母に「こんやお話があります」とメッセージを飛ばすのだった。
おわり。
次回からは本編に戻ります。




