旅立ち
さて。
ひととおりの状況説明が終わった次は、そのほかの現状把握となった。
「それで、ここはどこなんだい?やっぱりもう宇宙の果てに旅立っちゃった?」
「いえ、ここはまだソクラスの待機場所のまま。地球のすぐ近くよ」
見ると、そこには金髪美女、ソフィアさんがいた。
「どうもソフィアさん。なんかひどいご迷惑になっちゃったみたいで」
「ソフィアでいいわ誠一さん。
そして、それは私の台詞よ。
自分が認識され、追われている事への対応を間違えたのは私。あなたは一方的に巻き込まれただけだわ。
何とか穏便に、あなたの社会的立場を維持させようとしてさらに対応を誤り、あなたを死なせてしまったのもこの私。
本来なら私は、あなたにどれだけ責められても仕方のない立場。そうでしょう?」
「それは、まぁそうなんですけどね」
俺はただ、恐縮するだけだった。
アヤを美少女というのなら、ソフィアさ……ソフィアは美女だった。
俺の人生の中で、こんな、まさに絵に描いたような美女美少女に頭を下げられまくった事なんてない。断じてない。ただの一度だってない。
宅急便屋が手違いで俺の荷物を届けてくれなかった時だって、さっさと苦情担当みたいな人に変わったあげく、けんもほろろに扱われた。全面的に悪いのは向こうだったのに。
まぁ、そんな例をあげるまでもなく「いらっしゃ……いらっしゃい」みたいに、にこやかに応じかけた人がこっちを見た瞬間に態度を変更、そして『どうでもいい』みたいな応対に変わる事もよくあった。そしてコンビニではもちろん、レシートをガイドにおつりを流し込まれていた。まぁ、それがイヤでおサイフケータイにしちゃったけど、そしたら触らずにすむせいか応対が少しマシになったのがまた、なんともアレだった。
俺はあくまで凡人の……いやたぶん、凡人未満のおっさんだった。
小さな世間で生きている人間であって、そして、大して広くもない身の回りの世間を、狭い場所をただ歩いて行くだけの存在にすぎなかった。
もちろん俺だって少年の頃には夢を見た。若者だった頃には暴走もした。
だけど。
俺は凡人であってヒーローにも、そしてヒーローの近くにいて微笑みと共にアドバイスを与えるような、そんな存在にもなれなかったし、そんな器でもなかったんだ。
そして今の俺は。
普通のおっさんとして日本で生活する事すら、とうとうできなくなってしまった。
こんな俺に、こんな宇宙を股にかけて生きてる人たちがどうして頭をさげてくれる?
それはきっと何かの間違い。きっとそうさ。
そんなことを考えていたら、アヤがなぜか俺のことを微笑んで見ていた。
そして、なぜか俺の目線の高さにまでわざわざ屈みこむと、少し苦笑するような笑みを浮かべたんだ。
「自分は凄い人ではない、自分は頭をさげられるような人間ではない……そう思ってるでしょ?」
「あー……」
「それは確かに謙虚かしれないけど。……でも悲しいよ?」
「え、えっと……なんで?」
なんで俺の考えてることがわかるんだ?
そういうと、なぜかドヤ顔になりやがった。
「そりゃあ、わたしは誠一さんの全てを一度記録していますから。思い出だって例外じゃありませんよ」
「……そ、そうか」
そりゃそうか。俺の記憶も見たのか。
それじゃあ、まぁ……さぞかし幻滅しただろうな?
「いえいえ」
だけどアヤは、そんな俺の気持ちを読み取ったように、ふるふると首をふった。
「むしろ逆です。何がなんでも誠一さんには銀河で生活してもらいたい、その気持ちをがっちり固めました」
「……は?」
「アヤ、どういうこと?」
驚いたのは俺だけではなかった。なんとソフィアさ……ソフィアまで反応した。
「ソフィア様、彼の記憶から思考から、銀河の主要文化圏に定住するようになった場合の彼の思考や行動のパターンについて、約七十万通りのシミュレーションを行ってみました。結果はソクラスに転送してありますから、興味がおありでしたら統計結果など閲覧してみてください。
細かいところは別として、わたしの結論だけを申し上げます。
彼は、あなた方連邦の人々とはまるで異なる論理と思考を持っています。それは、彼の属した日本の社会では大した価値をもっていなかったのかもしれませんが、文化の多様性とか将来性という意味で、彼を銀河文明に迎え入れる事はひとつの価値があろうと考えます」
「そうなの?」
「はい」
「そう……」
ソフィアは、アヤの言葉にフムフムとうなずいた。
「予定では、彼はとりあえずアルカインの王宮預かりにする予定だったけど……その言い分だと直接、イダミジアのおじいさまのところに預けた方がよさそうね。王宮はよくも悪くも連邦の中枢だから、どうしても上から目線で銀河を眺めがちだし、今の彼には害になるかもしれない。
そういう事でしょう?あなたが言いたいのは?」
「はい、そのとおりです。お気を使わせてしまってすみません」
「いいのよ。でもこれからは、事前に相談するようにしなさい。わかったかしら?」
「はい、了解いたしました」
えっと?
よくわからない。
「すみません、何がどうなっているんでしょう?」
「呼び捨てなんだから敬語はいらないわ誠一さん。
要するにね。
あなたを一度お客様扱いしてうちの王宮に招こうと思ったのだけど、そこいらをすっ飛ばして、銀河で生活するための社会勉強をする学校に入ってもらおうという話なの。
まぁ、元々入ってもらう予定だったのだけど、その予定をくりあげてね」
「学校ですか」
今さら学校かいと思いそうになった。
でも、それでふと思い出した事があった。
子供の頃の夢は、いくつかあった。
でもそれは、研究者や学者みたいな仕事がほとんどで。
だから、あまりお金持ちではなかった育ちの俺には、ちょっと無理があったんだよな。主に学歴的な意味で。
そして無難な線で選んだIT系に向かっていったわけだけども。
あー、そういえばもうひとつあったな、夢。あっちはもっと根本的な理由で無理だったんだけどな。
え、何かって?
それは『巫女さん』だよ。
うん、バカだろ?
男で巫女さん……なれるわけないもんなぁ。
なったらなったで視覚的にどうよってのもあるが。
まぁしかし、学校かぁ。
宇宙文明における学校だもんな、どんなとこなんだろ?
どんな人たちがいるのか?
どんな事が学べるのか?
おお……なんかすごく興味が湧いたぞ。
「そんなわけなんだけど、他に何か希望はあるかしら?」
「希望というより質問があります」
「何かしら?」
「それは職業訓練校みたいなものです?それとも日本の義務教育制度みたいな一般的な知識を与えるもの?」
「両方ね。
基本は銀河や連邦について知る事。あと言葉もね、今私たちはあなたにあわせて日本語で会話しているわけだけど、もちろん銀河で使われているわけではないもの。
言葉そのものは、改めて勉強しなくても刻み込めば覚えられる。
だけど、独特の言い回しや考え方までは、刻み込むだけではつかめない。それが誤解の元になったり、職業選択の幅を狭めてしまうのよ」
「なるほど……」
そういえばそうだ。
アヤやソフィアが日本語で話してくれているのは、最初の出会いがそうだったからだろう。
でも、ソクラスもそうだけど、彼らが普段から日本語を使っているはずがない。
「ちなみに、おじいさまのとこの学校では人材の見極めもするのよ。
だから、たとえば学者に向きそうな人材だったらそれ向きのところに紹介される事もあるし、他にも色々あるわ。中には歌手になった人すらもいるそうよ。
だから……あらゆる全てとはいかないけど、未来を選べる可能性はあると思ってくれていいわ」
「わかりました」
「他に質問はある?」
「ありません」
俺はきっぱりと答えた。
正直、先の事はわからない。
ただアヤの話だと、日本側の人たちの方には可能な限りの手配をしてくれたっぽい。そして俺自身のこれからについても考えてくれているわけで。
そして。
おそらく日本で死人扱いの俺が、しかも得体のしれない別人の容姿でウロウロしても、それは俺の自己満足になるだけ。最悪、また黒服のご登場とか、今度こそ身内や数少ない友達への不幸になりかねない。
だったら。
それなら、今は頭をあげようじゃないか。
「アヤ」
「……」
「ソフィアさ「ソフィア」……あ、うん。ソフィア」
「ええ、何かしら?」
「それじゃあ、もしよかったらさっそく出発してくれるかい?たぶんだけど、今も無理して地球の近くに残っていてくれたんだろ?」
「まぁ、そうだけど……。
そっか、そうよね。あなた見た目が子供になっちゃったけど、頭の中はおじさんですものね」
「……まぁ、そうだけどさ」
そんな楽しそうに言わなくてもいいじゃないか。
「ソクラス、出発準備に入りなさい」
『了解ソフィア。ところで、たまにはご自分でパイロットをなさいませんか?』
「そうね、でも、あなたの中にいる時はあなたに任せるわ。いつも悪いけどね」
『いえいえ、わかりました。では各部の点検に入ります。問題がなければ約二十分後に出発です』
「わかったわ」
彼らの会話にひっかかるところがあったので、尋ねてみた。
「自分でパイロットってどういうこと?」
「本来、どんな超高性能の船でも発着まわりの運行制御は人間が立つ事になっているの。別に船だけでもいけるんだけど、まぁ、責任を明確にするという意味でね」
「なるほど。で、問題ないの?」
「本当は違法になるわね。
でもそんなの今さらだし、それにソクラスは私の知るどんな航法コンピュータよりも優秀だもの。彼に任せておけば問題ないわ」
ウフフとソフィアが笑った時、ツッコミが入った。
『あなたは自分がサボりたいだけでしょう?』
「うっさいわね。それよりおじいさまの方にも連絡よろしく、できる?」
『彼の入学の件なら、さきほど打診しましたが。それでよろしいので?』
「いいわ、さすがねありがとう」
『いえいえ。では二十分後に』
そういうと、再び声は消えた。
「ソクラスとは仲がいいんですか?」
「コンピュータとお友達なんて変かしら?でも彼は特別なのよ。
私は昔から色々あって、よく家出をしたんだけど、そのとばっちりを受けていたのが彼なの。当時四つだった私には宇宙での管制も航路設定もハイパードライブ申請も知らなかったから、そういうのは全部彼がやるしかなかったのよ。本来それは人間が指示すべき事なんだけどね」
「で、それを難なくこなしたわけだ」
「そういうこと。本当に助かってるのよねえ」
そりゃあ頼りっきりになるわけだ。
『本当はよくないんですけどねえ。だいたいわたしはアルカイン王宮の船ですから、イーガにお嫁に行っちゃったら使えないんですよ?』
「うっさいわね、アルゴノートはまだ使えないから仕方ないでしょう?」
『彼女にも同じ仕事をさせるつもりで?』
「もちろん」
『うわぁ……言い切ったよこの女』
「仕事に戻りなさいソクラス!」
『並行でやってますよソフィア。でもまぁ戻ります、では後ほど』
そんな言葉を残して、今度こそ本当にソクラスの声は消えてしまった。
やっぱり仲がいいんだなぁ。
「アルゴノートって?」
どっかで聞いたような名前だな。
「宇宙船よ。私もうすぐ結婚するんだけど、婚約者に送られた船なの」
「おっと、そりゃおめでとうございます。
へぇ、でも、という事はソクラスよりも新しい船ってこと?」
「えっと、こういう時はお礼をいえばいいのかしら?ええ、ありがとう。ちなみに新しいというより異質ね」
「異質?」
「ソクラスは銀河連邦で作られた連邦技術の船なの。
でもアルゴノートは私の婚約者の故郷の技術ができていて、ソクラスとは全く異質のものなの。彼いわく、スピードと快適性はソクラス以上だっていうんだけどね」
へえ。
「ソクラスはあくまでうちの国の船だから、嫁入り先にはもっていけないの。
その話を聞いた彼が、わざわざ贈ってくれたのよね。
だから、彼がくれたあっちの船を使いなさいっていうのはわかるんだけど……」
そういうと、ソフィアは渋い顔をした。
「何か問題あるの?」
「まだ若いから仕方ないけど、融通きかないのよねえ」
「なるほど」
それはソクラスが優秀すぎるだけだと思うけどな。
「というわけなのですけど……改めてここで言わせてもらうわね」
「え?」
なにごとかと思うと、ソフィアは姿勢をただして……そして左手を胸に置き、そして小さく会釈した。
「野沢誠一さん。私たちは、これからあなたを地球文明の世界から切り離し、銀河文明の世界に連れて行きます。
とても申し訳ないのですけれど、現時点であなたを戻してあげる事はできません。
もし、どうしても残留を望まれるのでしたら……その場合は地球でどんな立場にたたされても、どういう結末になったとしても、私たちがそこから守ってあげる事はしないし、また、やろうとしてもできないでしょう。
……ごめんなさいね。こんな事になってしまって」
「いえ」
誠意には誠意で答えるべきだろう。
俺も姿勢をただすと、きちんとソフィアに向き直った。
「俺は自分の行動を何も後悔してないし、むしろあなたの厚意に感謝しています。
だってそうでしょう?
どんな背景があろうと、あの時あんたは困ってた。だから俺もこれに答えた。それだけじゃないですか」
「ええ」
「それに、あんたらにとって俺はただの原住民で、異邦人だ。たぶんだけど、本来はそんなに奔走してまで助けるべき存在でもない。違いますか?」
「……確かにそうね」
「それなのに、ここまでしてくれたわけじゃないですか。俺はそれに対して……礼をいう必要はあれど、責めようなんて気持ちにはならないですよ」
それは俺の正直な気持ちだった。
もし俺に、守るべき妻子がいたならば。その時はおそらく事情が違っただろう。
だけど俺にはそんな存在はなくて。
血縁としては姉貴がいるけど、彼女はよその家で自分の生活をしている。
今回の件が悪影響を与えてしまったら申し訳ないのだけど、俺のできる事はもう何もない。いやむしろ、今の俺が出て行ってしまったら悪影響しか与えないだろう。
だったら、俺のいうべき事はひとつしかないと思う。
俺は改めてソフィアとアヤを見て、そして告げた。
「こちらこそ。
こんな、はた迷惑な野郎ですけど、どうかよろしくお願いします」