木製の船
──自分の生涯で未だに忘れられない事といえば、木造船に乗った事だろう。
木でできた船がたくさんの人を乗せて往く。そんな馬鹿な、ありえないという驚きが私の正直な気持ちだった──
アダマン・ダグラス著『孤独の旅路』より
猫人女性、エムネアに誘導されて三人は廊下を進む。
ただし緊張しているのは三人のうちマキとロミだけだ。プニベスはこのあたりも経験済みなのか、のんびりと微笑みながら歩いている。
で、その余裕が、せっかちな性分のロミは気に入らない。
「ち、余裕だなプニのやつ」
「一度来てるんでしょ?だったら納得よね」
「マキは不安じゃないのか?あいつが頼りなんだぞ?」
「大丈夫、心配ないわ」
明快に断言するマキに、ロミは眉をしかめた。
「……いつも思うんだけど」
「どうして、そこまで楽天的にプニを信じられるかって?」
「……ああ」
ロミの問いかけに、マキはウフフと微笑む。
「プニは確かに、いつもはあの通りよね。
でもね、非常事態になればなるほど頼りになるタイプでしょ?誰もが動揺する中で一人だけ平常運転で、しかも事前にしっかりと情報入手ずみ。いつだってそうじゃないの」
「モノは言いようだな。おっとりのゴーイングマイウェイでどこにでも首を突っ込む脳天気ってことじゃねえか」
「フフフ」
「な、なんだよ?」
「ロミもわかってるくせに」
「……」
「確かにロミのいう懸念事項もないわけじゃないの。でもロミがいる限り最悪の事態にはならない、そう思ってもいるのよ?」
「どういうことだ?」
「前にお父様に言われたのよね。おまえとプニベスだけで行動するな、楽天家と脳天気の組み合わせでブレーキ役がおらん、ほっとくと何処に行くかわからんって渋いお顔で」
「……それってつまり、オレにマキの親父さんの代わりしろってことじゃん」
「うん、頼りにしてるよ?」
「ふざけんな」
眉をしかめるロミだったが、頼られるのが嫌いじゃない事も全体からにじみ出ている。
「家には、こわーいメイド長がいるけど外にはいないもの。お父様のいうように、私たちにはロミが絶対に必要なんだわ」
「だから、ヤダっつってんだろ?」
「よろしくー」
「ひとの話をきけ!」
頭を抱えるロミと微笑むマキをチラッと見て、エムネアは目を細めた。
その隣にはプニベスがいる。
「ふたりはいつもあんな感じ?」
「ですねえ」
「おもしろい組み合わせねえ。なんか、うちの妹たちを見るようだわ」
「妹さん?」
「ええ。うちはきょうだいが多くてね、長女だったから一時は大変だったのよ?」
おっとりと首をかしげるプニベスに、エムネアがうなずいた。
ちなみにエムネアは純血の猫人なので長い尾をもつ。まっすぐ伸びると地面についてしまう長さのそれは、途中でそりかえってフワフワと浮いている。
その尻尾が、何か楽しげにムズムズと動いていた。
「えっと、あの?」
なんとなく、エムネアの態度に不審なものを感じたプニベスだったのだが、
「それにしても、ちょっと賑やかねえ」
「あ、まずいですか?」
「ちょっと見てなさい」
「え?」
なんですかとプニベスが言いかけた瞬間、エムネアの尻尾が音もなくスルッと伸びた。
尾は予告もなくマキとロミの視界の間に入り、そのまま両方の中間をスッと通り抜けた。
と、ただそれだけなのだが。
「!」
その尻尾の動きに、マキの視線が見事に吸い寄せられていた。
「え?」
「お?」
あがった声はふたりぶん。プニベスとロミのものだ。
残ったマキはというと、フワフワと動きまくるエムネアの尻尾に目がいってしまい、言葉が出ないらしい。
まるで、動くものに吸い寄せられる仔猫のように。
そしてついに、
「お!」
ひゅんっと動く尻尾を、何か声を出しながら捕まえようとした。
「な、なに、これ?」
「あれ……もしかしてマッキー、昔にかえってる?」
「え?どういうことだ?」
ロミが、どこか納得げなプニベスに問いかけた。
「マッキー、ちっちゃい時はもっと猫っぽかったんだよ。学校いったり、メイドさんたちにキョーイクされて変わってったけど」
「ほう?……ってちょっと待てプニ、じゃあもしかして、身体がガキだから精神も引っ張られてるってか?」
「そうかも」
「おいおいおい、『そうかも』じゃねえだろ」
元気に歩き回っているけど、マキは再生されてまだ日が浅い。本来なら入院中でもおかしくないのだ。
まずい事が起きているんじゃないかとロミが顔色を変えたが、
「なるほど、アルカらしく振舞うように無理やり教育してたということね?」
エムネアがふたりの会話に割り込んできた。
「混ざりっ子の育て方としては、あまりよくないけど良くあることね」
「あまりよくない?」
「本来あるべき性質を押し込めちゃうからよ」
そういうと、エムネアは肩をすくめた。
「普通マルカって目がアマルーっぽいとか、その程度にしか発現しないものなの。
なのにこの子、立派な耳に尻尾もあるじゃないの。
ここまでアマルー寄りの子に純正アルカの暮らしをさせるのは……正直きついはずよ。ストレスもあったと思う」
「マルカ?」
「あなたたちの言う猫耳、つまりアマルーとアルカインの混血のことね」
「なんで尻尾あるってわかる?隠してるのに」
「同族だもの、見ればわかるわ」
会話しつつも、エムネアは尻尾だけでマキを翻弄し続ける。まるで仔猫を遊ばせる猫好きのように。
やがてマキが疲れてきたのを認識すると動きを変え、わざとマキに尻尾を捕まえさせた。
そしてその瞬間、グイッとしっぽごとマキを少し引っ張ったのだが。
「……え、え?」
そこでマキはようやく我にかえったらしい。状況がつかめずに混乱している。
しかしエムネアはそんなマキの混乱をまるっと無視し、マキの後ろに回ると、おしりに何かをした。
次の瞬間、
「あ、え?」
「ちょっと何よこれ!」
ぽろん、と可愛い三色の猫の尾が、待ちきれないようにこぼれ出た。
「ちょっと、いきなり何を」
「尻尾を個人用空間歪曲装置に隠すなんて!尻尾はアイデンティティなのよ?まったくもう!」
「え?え?」
まだ混乱しているマキに至近距離まで顔を寄せると、エムネアは毛を逆立て、フーッと威嚇声を出した。
「「!!」」
虎の頭ほどもある猫科動物の顔による威嚇である。至近距離ということもあり、ものすごい迫力があった。
三人は思わず総毛立った。マキに至っては腰が抜けかけた。
「いいこと?二度と尻尾を隠すのはやめなさい!」
「で、でも、隠さないと私、」
「問答無用!!」
「は、はひ、」
マキの尻尾が股間に隠れているのを見て、エムネアは「よし」と納得すると、今度は優しく自分の尻尾をマキに掴ませた。
「???」
「さ、いきましょう?」
わけもわからぬまま、尻尾を掴んだまま自ら曳航されていくマキ。
もちろん、言われたとおり尻尾は出たままである。
「……あー」
「なんだ?」
「たしかに『お姉さん』だねえ」
「引率慣れしてんな」
そのさまは確かに、年端もいかない弟妹たちを扱う年長の姉の姿にみえる。色が違うとはいえ同じような耳と尻尾が出ている事もまた、その雰囲気を助長している。
これなら、たしかに大丈夫かも。
ロミとプニベスは顔を見合わせると、あとについていった。
しばらく歩くと、通路の雰囲気が変わった。
廊下自体は変わらないのだけど、窓の外の風景が大きく変わったのだ。
「なにここ、格納庫?」
「格納庫っぽいけど……まさか、ここも木製なのか?」
巨大な木造の空間。
木造というのは生物素材であるから、原料である木の大きさを超えるものを作る場合、どうしても組み合わせが必要になる。こればっかりはどうしようもない欠点ではある。
しかし。
そうした性質を飲み込んだ上で技術により、砂や土の素材のように扱いやすくすることができたら?
そう。
この巨大木造建築は、森の惑星であり樹木素材に事欠かないこの星にふさわしい構造物であるとは言えた。
「エムネアさん、ここって?」
「もちろん港よ。ほら、あれが、あなたたちの乗るお船」
「え?船?どこに?」
三人は窓の外を眺めるのだけど、どこにも船らしきものは見えない。
強いて言えば、この廊下のたどり着く先には奇妙なカタチの大きな建物がある。しかし、それもやはり木製。
どこにも船など見えないようだ。
「あの、船なんてないですけど?」
「なにいってるの?そこにあるじゃない?」
「え?……ああそういうこと」
「……あー」
状況を理解したらしいエムネアが、ウフフと楽しげに笑った。
そして、ほとんど同時に理解したらしいプニベスも微笑んだ。
「あの、えっと?」
「はいはい、ちょっとふたりともこっちを見てくれる?」
「???」
わけもわからずにエムネアのさししめす方を見るふたり。
で、そこには先の奇妙なカタチの木造建築物。
「あれが、あなたたちの乗るお船……トプカナ・コーライ号よ?」
「は?船?」
「あの、なんか木の建物しか見えないんですが?」
「だーかーらー、その建物が船なんだけど?」
「……え?」
マキとロミは、ぽかーんとした顔でエムネアたちと船をながめて。
「……あの?」
「……ああ、もしかして、木造風の装飾をしてるんですか?あれ?でも?」
あちこちながめて不思議そうな顔をするロミ。
「どうしたのロミ?」
「いや、やっぱり違ーだろ、接岸用スラスターもなんもついてないじゃん」
しかしエムネアはウフフと笑った。
「いいえ間違いでも冗談でもなく、これがそうよ。ねえ?」
「うん、そうだよ?」
「……マジで?」
「マジで」
「……」
プニベスの表情から、それが本当であることをふたりは読み取って。
「「ええぇ~~っ!!」」
驚愕の叫びが響き渡った。