転職しない理由 5
しかしネイトは立ち往生していた。
路地に引かれるリヤカー(中には野菜が山積みにされていた)に邪魔されていたわけでもなく、身体ギリギリを通り抜ける自転車に接触されたわけでもなく、車道を杖つきでゆっくりと歩く老婆を追い越せなかったわけではなく……
単純に、入り口がわからないのだ。
普通、門とかあるんじゃないか、彼女のマンションですら、大きな塀に囲まれ、鉄門(自動ゲート)と門番がいたのだが、ここら辺は全く違う、とネイトは確信した。
ここはキララ市のはずなんだが……。自分だけが浮いているようだ。
ビルの前で立ち止まっていると、若い女性が横をすり抜け、入り口(多分)脇の数字パッドを自分で押し、鉄扉をまた自分で押して入っていった。
なお、守衛はそのビルの中にいる模様である。
それじゃあ、セキュリティにならないんじゃないか。ビルの管理会社の怠慢に違いない、ここはひとつ、ビルのオーナー会社を調査するべきだな、管理料の不正使用があるのかも知れない、とネイトは少し腹立たしく思いながら、マギーに電話をした。
「……到着されましたか?」
携帯から、知人の声を聞くことが、こんなに和むのだとは知らなかった。ネイトは、
「今君のフラットの前にいるんだが、入れないんだ」
「あ、すみません。私のほうから外に出ますよ。コンビニとかで落ち合ってもよかったんですが、わざわざすみません」
「別にいいさ。じゃあ待ってる」
今度は上半身を脱いだ3人の若者がネイトの脇を抜けて先へ歩いて行った。腰に何か工具のようなものを下げているので、現場工事の人間だろうか。ネイトは、裸で街中を歩く人間が今時まだ存在するんだなあと驚きを通り越し感心さえした。
「すみません、お待たせしました」
マギーはピイちゃんのトレーニングでは、いつも半ズボンにシャツという、少し中世的な服装をする。今日も同じように、リュック掛けだ。
「突然だが、マギー。ここは……なぜ門番がいないんだ?治安がいいとは思えないが」
「はあ?守衛さんいますよ、ちゃんと」
「でも建物の中だけだろう?実際、誰でも中に入れそうだ。普通建物の中に入れてはいけないだろう」
「入れないですよ、暗証番号ありますからね」
二人が話している傍から、ビルの中から老人と犬が出てきて、その際に外から男性が脇の暗証番号入力をせずにするりと中に入った。
マギーがそれを見てコホンと乾いた咳ばらいをすると、
「訂正しますが、入れても、中で守衛さんがちゃんと尋ねますから」
「入れるのが問題だろう」
マギーには、なぜネイトが安全性についてそんなに真剣になるのかわからなかったが、一般市民にしてみれば、キララ市は概して治安がいいし、ここ周辺も商店街があり人が多いだけで他の場所と何ら変わりはないはずだった。
「まあ別に、大した問題ではないですよ」
それに……と、ネイトはリヤカーを指す。
「あの野菜、どこに捨てるんだ?ごみ処理施設が近くにあるとは聞いてないが」
リヤカーに野菜が山のように積まれている。マギーの一般市民としての正常な理解によれば、あれは売り物である。
「……捨てませんが。あれは八百屋さんに運んでいるだけでしょう、もしかしてレストランかな、この辺商店街ですからね」
「包装されてないぞ、あのままで食べるのか?衛生上の問題があるだろう」
無いよ、普通はね。
と、マギーは一瞬素に戻りそうになったが、しかし、ここはン十年OLの経験値で、表情筋を引き上げることに成功した。
「別に包まなくたって、そんな時間をかけるより新鮮なうちにお店に運ぶべきじゃないですか。食べる前に洗ったり加熱すれば大丈夫ですし。さあ、行きましょう、どこに車を置いたんですか」




