第二章〔9〕 /…火の主
王にオアシスの件を依頼された後、ミラルファは何回か、病室の外から少女が治療を受けながら眠っている様子を窺い、医師に少女を救った状況などを説明した。
その後、オアシスの件が片付き、ようやくまともに面会をする気になった。
医師が手招きをして、リオルと二人で少女の側に近寄ると、少女が薄く目を開けた。
「気分はどうかね」
「いい」
少女は悲しそうに医師に向かい、頷く。
「元気になったな、見違えた」
リオルが言うと、ミラルファは頷く。
「火傷の跡も残っていない…よかったわ」
「意識は清明で、命に別状はありません」
しかし、と医師は声を潜めた。
「火傷を負う前後の記憶が、混乱しているようです」
「ひどいのよ、焼かれたの、みんな焼かれたの。焼かれて、食べられたわ」
しっかりした声で少女は訴える。
「食べられたとは?」
ティライルは眉をひそめた。
「火の主が数年前から、生贄を欲しがり始めたと噂がありました。ある噂では、自ら地上に出て女を次々に喰らって行ったとか」
ミラとリオルは、思わず顔を見合わせる。
「あなた、火の主や、主が住む山について何か知っている?」
少女は不思議そうな眼でミラルファを見つめた。
「主…主!主の山は静まり返り、炎の音しかしない…吹くのは熱風に…死の灰…」
「灰?」
「主に焼かれた者達の怨念がこもっているらしい」
と、ティライル。
ミラルファとリオルは相談し、落ち着くまで少女を一旦王に預けて都を出て、外界に続く洞窟を出たその先に、山が並んだ中にぽつんと不思議な形をした朱い山が見える。
その際、リオルは旅人らしき人影を幾つか目撃した。
五体いる主のうち、残虐で名高い火の主。
「あの山に着いても、主はいるのか?」
少女の言葉を思い出す。
「足跡だ」
リオルは低く呟いた。
「主?」
「あぁ。見ろ、この大きさ、焦げ跡のある足跡。辿るぞ」
夜が来て、リオルの背で眠ろうとしているのに、奮えが止まらない。
「話しの通じない状態の主に遭遇したらどうする?」
「歌で、気を紛らわせたらどうだ」
「えぇ、そうする」
ミラルファは口笛と鼻歌を交互に奏でる。
後で考えると、何かを呼び寄せる響きだったかもしれない。
「掴まれっ」
リオルは、入ろうとした巨大な洞窟の入口を避けようと、突然宙返りするように身体をよじらせる。
が、ミラルファはしがみつく力が足りず、洞窟の入口付近の斜面に激突した。
痛みを堪えながら、星の明かりを頼りに静まり返っている洞窟の入口へ用心深く歩み寄り、内部を覗き込んだ。暗闇で何も見えない。
(リオルは避けようとしていた、だが、もしかして…)
ミラルファは両腕を掴む。
とにかく、リオルを探そうと行動を起こそうとした矢先、巨大な炎の塊のようなものが、物凄い速さで洞窟の中から飛び出して止まった。
朱炎の毛並みを持つ狼だった。ミラルファは火の主だと確信した。
主とは至近距離。
絶対に音を立ててはならないと感じた。
主はかなり先の臭いをかぎ分けられると言う。
ミラルファが今いる場所は、幸運な事に風下だった。
しかし、いつ風向きが変わるか分からない。
主がどこかへ駆け抜けて行く。
ミラルファは咄嗟に、リオルが主の注意を引いてくれたのではと考えた。
ミラルファは覚悟を決めると危険を承知で、洞窟の奥へ走る。
不意に、空気の鳥がスッとミラの肩にとまった。
「テピ?どうして…」
しばらくして、ミラルファの頭のすぐ上で火の塊が幾つか燃え始めた。
「風の気配が二つ。空と、地と。空には牙が届かぬ。地よ、最古の、火の使用目的は?」
洞窟内で、声が不気味に反響する。主が戻って来たのだ。
「我らヒト、猛、獣から身を守るのに…火は、必要、不可欠」
ミラは答えながらゆっくりと主に向き直る。
「うむ。名は」
礼儀正しく自己紹介をして、膝を着く。
「主よ、許しを得ずに問いを投げさせて頂きます。女達を食い殺したとは本当ですか?」
主は歪んだ漆黒の目で答えた。
「そうだ。だが女だけではない。激痛…肉が焼ける匂い…死ぬのかと言う意識…それを常に感じていなくては、我は自らを食べ始めるしかないのだ」
「常に?」
ミラルファは更なる恐怖を覚えた。
「異世界者については…」
「奴らめ、我々を殺し続ける」
ミラルファの話しを聞き終え、主は獰猛に突き出た、巨大な牙を振り回す。
「やはりな、連中を生かしておいて得る物は一つも無かった。だから、殺しても何も失わない」
火の主は過剰に異世界者に対する敵意を見せ付けて、ミラの思考を恐怖で混乱させる。
「忘れるな。奴らはこの世界に存在を許されている存在ではない。出会い、逃げられぬ際は弱みを見せず、毅然とした態度を取れ」
「次は、どこへ行けば」
「もはや水も地も光も、危険に変わりはない。追い詰められ、自殺する事になるかもしれんぞ」
「生きます」
主は満足そうに頷き、遠くを見た。
「そうだ…生き、敵を知れ」
火の主は、ミラルファの肩にとまった空気の鳥に目をやる。
「風が望む、我が身も連れて行け」
火の主が自らの身を食いちぎり、破片を放る。
破片はミラルファをかすめ、空気の鳥を飲み込むと、翼と蛇の尾を持ち、二本の牙と炎を纏う狼の形になった。
「少しは丈夫になったろう?風よ」
「主、最後に一つ問い掛けます。宜しいですか?」
「いいだろう」
「案内人は」
「必要が無くなったから焼いた。…存在は感じる、死んではいないようだ。それも既に関係無いな、我と会話を交わすのは、お前で最後になるだろう」
主の身体から爆発的に吹き上がった炎が目の前を包み、気がつくとミラルファは、洞窟の入口で汗だくになりながら倒れ、胸を押さえ、乱れた呼吸を整えようとしていた。
彼女が少し視線を動かすと、狼が飛び立つ所だった。
すぐ傍で、リオルが心配そうに見下ろしている。
ミラルファは、すまなかった、と差し延べられたリオルの手を必死に握った。
「謝らないでいい。貴方に謝られるのは嫌よ。貴方はいつでも、出来る事を精一杯私にしてくれているんだから」
リオルはミラルファを抱き上げ、自らの身体にもたせ掛けた。
「主と話せたんだな」
「えぇ。僅かな間だったわ」
「僅かでもいいさ、次に行ける」
リオルはミラルファを抱き上げたまま、今度は背に翼を生やす。
「その姿、初めて見たわ。いつもの全身化身より素敵よ」
「進化の過程で、この姿を無用として捨てた同胞が多い。俺にはまだ残っていた。役に立ったからまぁ、いいだろう」
「普段は役に立たない?」
「あぁ。あちらの姿よりひどく疲れるし、スピードも出せないんだが、お前を落とすよりマシだ。都までなら十分保つ」
リオルが傍にいる安心感で、ミラルファの視界がぼやけ始めた。
完全に目を閉じる前に、リオルに火の主と話した事を伝えるのも忘れなかった。
サンセアシェに着いた。
すっかり回復した少女はキラテといい、二人にとても懐いた。
だが王から伝えられた、三体の主への通り道になるグルセモニ国と、バドスレーペ国の戦争情報のせいで、ミラルファの目は絶望していた。
二つの国を越えるまでは、軍隊の攻撃に巻き込まれるかもしれない。
どうしてもこの国を通る理由は、周囲が広範囲に渡り、休む場所が何一つ無い荒海だからだ。
ミラルファとキラテは、王宮の一室に並んで座っていた。
リオルはサンセアシェの外の視察に集中している。
キラテは自らに起こった悲劇を感じないようにする為なのか、至って明るく元気に、時に甘えて我が儘を言ったりしていた。
「ミラ、リオルが帰って来たら、私も一緒に連れて行ってくれるわよね?」
少女はリオルの姿が見えないか、窓の外を見つめながら言った。
「わたし、一人ぼっちになっちゃったんだもの」
「まだ一緒に来たいの…?」
ミラルファは、少女に自分達の旅の危険さと、キンドッシャ王に、都を救った礼の代わりに、少女の面倒を見てくれるよう話しをつけた、と説明した事を思い出した。
「仮にあなたを連れて行くとして、私達の役に立てると思うの?」
「そりゃ、子どもだから多少の足手まといにはなるわよっでも役に立てるわ。わたし、炎の魔法が使えるんだから」
少女は自慢気に答えた。
「炎の魔法だけじゃないのよ、わたしには色々な魔法の才能があるって…言ってくれたすごく偉い人がいるの」
「魔法?稀な才能に恵まれているのね」
少女は嬉しそうな顔をした。
ミラルファは視線を少女から窓に移した。
リオルが自分達のいる部屋へ大きく迫って来た。
着地すると、リオルは人型に戻った。
キラテは待ち切れないようにリオルに飛び付いた。
「狼はしきりに地のにおいを嗅いでいた。まず間違い無く、次は地の主だろうな」
リオルがキラテを抱えて戻って来たと同時に、部屋の扉が開き、ティライルがいた。
「この子をどうする事にしたんだ?ミラ」
リオルが聞いた。
「事情が変わるかもな。魔法の才能があるかもしれない、事実なら置いて行けない。試したい」
ミラルファがティライルに指示した。
「出発の前に、この子の才能をテストしたい。今から言う道具を用意して頂きたいのですが」
「分かりました」
ミラルファは、蝋燭を鏡水の上に浮かべた。
しばらく待ってから蝋燭を取り上げて傾ける。
蝋燭から蝋が滴り落ちた。
落ちた蝋は水の中で丸く固まる。
真珠の様な蝋の固まりが五粒出来た所で、ミラルファはキラテに目をやった。
「どうするか分かる?」
「知ってるわ、火を吹き消すんでしょ?」
言って、キラテは蝋燭の火を吹き消した。一同は蝋の様子を見た。
すると、蝋が動き始め、集まり、一つの形を作り上げた。
それは、火の主を現していた。
「ほらね、言った通りでしょ?」
キラテは複雑そうに火の主の形をした蝋を指先で叩く。
ティライルはこの事を王に報告した。
「魔法を使える可能性がある…」
王はキラテを見つめながら呟いた。
「ミラルファよ、安心して旅立て。約束通り、その少女は儂がしっかり面倒を見よう」
「急に決まった事で申し訳ありませんが、私は彼女を連れて行く事にしました」
「む。そうか…」
王の声には少し失望が入っていた。
都を救ってくれた恩人が去ると言うので、都の人々は盛大に送り出そうとしてくれたが、ミラルファ達は丁寧に礼を言って、それを辞退した。
「ミラ、まだかなぁ。待ちくたびれちゃった」
リオルは、少女に眼をやった。
ミラルファは用事を思い出したと言い、部屋に篭ってしまった。
「そうだな、あいつがいないと落ち着かない」
王からの贈物に背をもたせていたキラテが、少し怒ったように立ち上がった。
「あら、リオルは、私といるよりミラといた方がいいって言うの!?」
キラテは頬を膨らませ、腕を組んだ。
「…ほら、あっちに都の綺麗な景色が見える搭があるそうだぞ、一緒に行くか?」
「うんっ!」
リオルはそっと溜息を落とした。
ミラは扉越しに二人の会話を聞きながらペンとインクを取り出し、ナウジャへ手紙を書いていた。
手紙には風の主から火の主に辿り着くまでの事、火の主の事、そしてこれから地の主を訪ねるかもしれない事を書いた。
書きながら使者の証に念じる。
『…ナウジャ様に相談したい事があります』
と、ミラは続けて書いた。
『私はキラテと言う少女を引き取りました。先程も書きましたが、魔道の才能がある少女です。魔道の才能は貴重ですから、彼女の力に気付き、狙う輩が出て来るでしょう。これから地の主を訪ねる事になると思いますが、これまでの経験を踏まえますと、様々な困難にぶつかる事にまず間違いはありません。彼女は幼く、私達の側に置いて守るには限度があります。どうすればよろしいでしょう?』