プロローグ〔1〕 /…荒れた海と異民の娘
稀に見る暴風雨が来た。
セレディン王国の海岸は荒れ、大波が次々とフューラ海岸のエル・ウィンの港にも押し寄せていた。
トルネーゾ地方の古い港町エル・ウィンは優秀な魔道師や名高い剣士を生んだ所である。
港には嵐を避けて船が幾つも繋がれていて、大波は重なるようにして打ち寄せ港を囲む防波堤に当たっては砕けていた。
一際高い防波堤の上に黒い男女の人影が見えた。
皆馬に乗り、剣や槍、斧や弓で武装しており、一人の老人を半円で囲むようにしていた。
皺の深い顔に白髭を生やし、一際大きい斧を片手で軽々と持っているたくましい老人はルタミトと言う。
何十年も王国騎士団の隊長を務めている人物で、この国の国民の尊敬の的である王国騎士団の中でも隊長であるルタミトはずば抜けて有名だった。
幾度となく人々を襲う魔物との戦いで勝利を納めており、人々は彼を英雄としてあがめていた。
隊長は望遠鏡をかざして沖を眺めていた。
海が荒れる日は海の中の魔物達が波に乗ってやって来て海岸ぞいに住む人々を襲うからである。
その目に魔物では無く今にも沈みそうな板に捕まっている人影が映っていた。
一瞬見間違いかと思ったが確かに人のようである。
隊長が叫んだ。
「大変だ、板切れに人が捕まっているのが見える!」
「何だって!?」
「馬鹿なっ。」
部下達がざわめいた。
その時若くたくましい一人の男が隊長に近寄って来た。
歳は二十あまり、背に弓筒を背負い見るからに頼もしい男だった。
彼は二人いる副隊長の内一人だった。
「ガルスベル殿」
隊長を囲んでいた男女が慌てて道を開けた。
ガルスベルはルタミトの側に寄るとその手に持った望遠鏡ですぐ沖を眺めた。
「本当ですね、しかしもう長くはもたないでしょう。波がこんなに荒い上にもうじき魔物が出て来ます、早く助けてやらなければ」
ガルスベルはそう言うと上を向いて叫んだ。
「ファンフィン!行くぞ!」
「よし!」
ガルスベルより一回り程大きい、人の顔をした鮮やかな青い鳥が空から舞い降りて来た。
ガルスベルはその背にひらりと跨がる。
ファンフィンと呼ばれた鳥は鳥人だった。
二人はあっと言う間に板切れの人物の上を旋回していた。
旋回しながらたたき付けてくる雨風をものともせず、荒れ狂う海を睨んでいたが、やがてガルスベルはファンフィンに尋ねた。
「行けるか?」
「あぁ」
答えと共にファンフィンは急降下して板切れに捕まっていた人を脚で掴んで上昇しようとした。
「来たぞ!」
太い蛇のような足が、自分達目掛けて伸びて来た。
ガルスベルが何本か矢を放った。
足が怯んだ隙に一気に舞い上がった。
隊長達が待つ海岸に戻ると砂浜に人を降ろす。
それは大変綺麗な顔をした若い娘で、
ずぶ濡れとなった珍しい民族服はぼろぼろに破れ、乱れた銀髪には海藻が絡んでいた。
不思議なのは、両腕に巻かれた包帯の破れた部分から見える、
腕に直接描かれた黒い文様で、ルタミトは今までにそのような文字を見たことがなかった。
「一体何者だ?」
隊長が尋ねた。
「分かりません、しかし魔物では無いようです」
ファンフィンも笑って
「大したもんだ、荒海の真っ只中、板切れ一枚で切り抜けてたんだからな」
と感心したように言う。
彼の姿は人に戻っていた。
肌は鳥人化した時と同じく青い。
筋骨隆々とした体格で、脚は鳥の脚だがちょうど服を着ているように羽毛が身体を覆っていた。
治療の心得がある部下の一人の手厚い看護で娘は間もなく正気を取り戻した。
顔は青ざめていたがパッと見開いた深い緑の目には生まれつきの意志の強さが宿っていた。
「あんたは何者かね?」
隊長の声を聞くと、娘は一瞬不安そうにまわりの騎士達を見回したが、すぐさま顔を引き締め起き上がるとふらふらしながらだが膝をつき、ルタミトに頭を下げた。
「お、救い、下さり…ありが…」
「魔物が!!」
見張りが叫んだ瞬間、娘はキッと魔物を睨むと騎士達が矢をつがえ攻撃しようとしているのも構わず、近くにいた騎士が予備に持って来ていた槍をとると見事な身のこなしで海の魔物を追い払った。
「おぉっ…」
騎士達が感嘆の声を上げた瞬間、娘はばったり倒れて気を失った。
ルタミトだけが何かを感じとったように娘を見つめ、そして空を見上げる。
いつの間にか雨風は穏やかになっていた。