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日常2

───そんな訳で、現在、町の公民館の図書館である。

 住んでいるアパートから自転車で10分程度のその場所は小学校に上がる前からの私のお気に入りの場所だ。反対方向に15分行けば市の運営する大きさも蔵書も桁違いの図書館があるのだが私は町の方が人がほとんど来ず、落ち着いて宿題や読書が出来るから好きだった。

 あちこちひび割れたコンクリート舗装の割れ目から雑草が顔をだして青々とした葉を揺らしている。時折小さな花が咲いているのを見ながら駐輪場に自転車を停めた。

 さび付いてかける時に少しだけコツのいる鍵をかけて、色あせて黄色味を帯びた手提げ袋を引っ掴むと、開けっ放しの玄関入り口に足を踏み入れた。玄関ホールは右手に多目的ホール、正面に階段、左手に管理室となっていて、管理室には小さな窓が備え付けてあり、そこに日に焼けて色の変わってしまった、隅がぼそぼそになってしまったノートが置いてある。

 右隅に穴開けパンチで穴が開けられ、使用している間に何度か破れてしまったのだろう、古ぼけたセロハンテープの補修痕にほつれた黒ひもが通してあり、その先に後ろに消しゴムのついた鉛筆がくくりつけてある。


「こんにちはー、図書室使わせてくださーい。」


 ノートを開き、使用日、目的、氏名、使用時間と割り振られた記入欄にいつものように書き付けながら、半分開いた管理室の窓から中に声を掛けた。

 すると管理室の更に奥、『今月の行事予定』と書かれたもののほぼ何も書かれていないホワイトボードの裏からひょっこりと初老の男性が顔を出した。


「ああ。こんにちは帆ノ花ちゃん。」


 殆ど白髪の髪の毛を上品に後ろに流し、くたびれたポロシャツに黄土色のズボンをはいた男性はこの公民館に昔から勤めているという。聞いた話によると、定年を過ぎた今でも嘱託として勤務している位にはこの公民館に愛着を持っているそうだ。勤め出した頃からずっと付けているという名札はかつて名前の掘った場所に流し込まれた黒のインクはかすれて見えなくなってしまっているが、加藤、というんだよ、とかすれた場所を懐かしそうになぞるものだから私はその話を聞いてからずっと男性のことをおじいさん、ではなく加藤さん、と呼んでいた。


「今日は何時まで?」


 私の記入にお座なりに目を通しながら一番隅の『検印』欄に色の変わった印鑑をぎゅっと押し込めながら聞かれる。


「閉める時に教えてください。」


 所々掛けた加藤の印を見ながらいつもの通り答えれば、にこりと笑って頷いてくれた。

 私はひとつお辞儀をすると正面の階段を駆け上がった。

 階段を上がり、一番奥が図書室となっている。扉を開けるとむわ、と蒸れた熱気とほこりの混じったにおいに襲われた。

 そのままではとてもじゃないがこの部屋に長時間居られない。窓を適当に幾つか開けて部屋の天井近くの隅、対角線上に備え付けられた扇風機の下まで椅子を持って行って紐を引いた。

 ぶぶぶ、と鈍い音を立てながら動き出したそれに満足して反対側の紐も引く。両方の首が動きながら部屋の中の空気をかき混ぜてくれる事を期待した。風がある日は快適に過ごせるのだが日によってはそれ程効果は期待できないからだった。扇風機の音と、蝉の鳴き声。遠くで遊ぶ誰かの声を聞きながら踵を返した。

 植物、鉱物、生物、天体など、目についた本を適当に数冊とると私はお気に入りの場所へ足を向けた。

 図書室には勿論四人掛けの机と椅子があるのだか、そこではなくて本棚の奥、古くなってしまった本や破れてしまい、図書室に置けなくなってしまった本を保管している部屋がある。その部屋で本を読むのが私のお気に入りだった。

 はじめてこの部屋を見つけたのは小学校低学年の頃だった。私が本をいつものように読んでいると、複数の女子の声が近付いてきた。咄嗟に本棚の影に隠れると彼女たちは飲み物を持ち込んでわいわいと誰かの所有物なのか、雑誌を読んで騒ぎ出したのだ。この人が格好良い、この人が好み、等と漏れ聞こえてきて戻ることも出来ず、逃げ込んだのがこの部屋だった。

 部屋の大きさはそれ程大きくなく、10畳程度だろうか。入って右手の棚には天井いっぱいまでぎっしりと本が敷き詰められ、その側に置かれた四人掛けの机の上にはいくつもの本が無造作に積み上げられていた。

 それから何度もその部屋で本を読むようになり、人が居ても居なくても入り浸るようになった頃、小さなパイプ椅子が置かれるようになった。それから机の上いっぱいに積み上げられた本は少しだけ移動して何とか一人分位のスペースが空けられていて。

 嬉しくてお礼を言えば、いつでもおいで。と頭を撫でられた。

 それからもう何年も経っているけれど相変わらずこの場所は私のお気に入りのままである。


「さて、と。」


 座る前に机の脇に寄せてあった雑巾でさっと埃を落とす。机に本を置いて読み出せば、そこからの時間はあっという間だった。


□◆□


「帆ノ花ちゃん、そろそろ閉めるよ-。」


 遠くの方で声がする。恐らく図書室の入り口で声を掛けてくれて居るであろう加藤さんに、私は本を閉じると返答すべく声を上げた。「はぁい。今行きます!」

 本を返しながら入り口に向かう。加藤さんは入り口で待っていてくれた。


「ごめんなさい、お待たせしました。」

「ははは、なんの。」


 扉をぴたりと閉めると合わせの金具に南京錠を通す。錠は中でさび付いているのか、一度では掛からず何度か唸りながら穴の合わせを調整して漸く、ぱちんと固い音を立てた。


「ふぅ。どこもかしこも古くなっていけないね。あちこちで歪みが起きて、鍵ですらこうして手間取ってしまう。」

「でも私、公民館に来るの好きですよ。」

「そう言ってくれる子がひとりでも居るから、何とか頑張ろうって気持ちになるよ。・・・ああそうだ、帆ノ花ちゃんには言っておかないとと思っていたんだった。」


 管理室まで歩いてくると、加藤さんはいけないいけない、と部屋の中へ入っていった。何か私に伝えることがあるのだろうと待っていると、奥の真っ白だったはずのホワイトボードに何か書かれているのが目に入った。


「・・・改装、工事?」


 思わず書かれている言葉を読み上げると、ちょうど加藤さんがこちらにやってくるところだったらしく、我が意を得たり、と笑った。

「そうそう。若い子はやっぱり目が良いね。そうなんだ。新学期が始まってからなんだけど、二階の部分改修工事をする事になってね。何せ雨漏りが酷いんだ。一週間程度なんだけど、図書室に入れなくなってしまうから気をつけてほしくてね。それを伝えようと思っていたんだよ。」

「そうなんですか。わかりました。」

「終わったらまたおいで。」

「勿論です。とりあえず新学期までは大丈夫なら、良いです。宿題がまだひとつ終わってないので、それまで図書室に通うつもりだったから。」

「あれ?この前終わったって言ってなかったかい?」


 加藤さんの何気ないひとことに平静を装って返事をした。


「・・・うっかり、忘れていたんです。」


 返事を聞くと、少しだけ痛ましそうに眉を寄せて、それから「それじゃあ仕様が無いね。」と頭を撫でてくれた。帰りに手の中に飴をひとつ握らせてくれる。頑張れ、と言われているみたいで少しだけれど気持ちが軽くなった気がした。




「ただいま。」

「ああ帆ノ花、おかえりなさい。」


 持たされた合い鍵でアパートの扉を開けると、母はよそ行きの格好で私を出迎えた。授業参観でも見たことの無いような、紺のワンピースに見覚えの無い薄い青の貴石の光るネックレス。自分で装飾品を購入した時はいつも自分に安かったから買っただの、販売員にうまく乗せられて、だのと聞いても居ないのに言い訳じみた報告が合ったのだけれど記憶の中のどれとも違った。、新しく買ったのかな、と思いながら母を見ていると、慌ただしく化粧を整えながらこちらを見もせずに鏡に向かって話しかけた。


「帆ノ花、今日お母さんお友達と食事会なのよ。悪いんだけどお弁当買ってあるから、温めて食べてくれる?」

「うん。───お父さんは?」


 鏡に向かった母の肩が強張った。眉間に皺を寄せた不機嫌を隠しもしない表情を鏡越しに見てしまい、心臓がぎゅっと悲鳴を上げた気がした。


「───遅くなるみたいね。」

「そう、なんだ。・・・じゃあ私、先に寝てるね。」

「ごめんね。帆ノ花が良い子で嬉しいわ。」

 頭を撫でられたけれど、あんまり嬉しくなかった。それよりもその整えられた爪や、食事会には不釣り合いな嗅いだことの無い香水の香りが胸をざわめかせた。


「おかあさん、あの・・・」


 思わず、行かないで、と口にしてしまいそうになる。そんな私に気付かずにスマホにちらりと目をやった母は途端花が咲いたような笑みを浮かべた。


「あ!お母さんもう行かなきゃ、迎えに来てくれてるのよ。・・・帆ノ花、何か言った?」

「ううん。行ってらっしゃい。気をつけてね。」


 鉄の扉の閉まる音を聞いて、のろのろとテーブルの上のお弁当の蓋を開けた。面倒くさかったのでそのまま割り箸を割って口に運ぶ。

 それは味気なくて、ちっともおいしくなかった。




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