8.異世界の夜 その3
しばし一行は夢中になって食事に集中した。
さすがに木工スキルを修めたボルトでもろくな道具がないままでは木匙を作るのも難しかった為、シチューはカップから啜る事になる。
多少は品のない音が響くが気にするものは誰も居ない。夢中でシチューを流し込み、具は木串で刺して口に放り込む。
シチューは現代日本人だった一行の舌も満足させた。クリーミーでコクもあり程よく効いた塩っ気と旨味、スパイスが食欲をどんどん増進させる。
カップの底が見え出すと、ちぎったパンで拭うようにして残さず食べ尽くす。そこへタリアがおかわりを注いで周る。
肉と野菜の串焼きも美味だった。家禽の肉や野菜は少々得体が知れなかったが、いずれも日本の食卓に登る物よりやや野趣で勝る程度の風味で嫌悪感を覚えるものではなく、むしろ珍しくもあって好ましかった。
塩焼きにした淡水魚にしても、ゲーム時代において調理レシピの材料に供されただけあって、こちらもなかなかにイケる味だった。ジャック曰く、鮎以上岩魚未満という解説に皆が分かったような分からなかったような微妙な感慨で頷く。
「――最近あっちで食ってたメシより真っ当だった。ご馳走さん!」
食欲中枢の命ずるまま、せっせと料理を胃袋に詰め込んだライトニングが満足気に一息つく。あちこちで無言の賛同に頭が揺れる。
「皆さん一人暮らしが多いんですか?」
一足先に食事を終えていたタリアが、新たに掛けていた薬缶の調子を見ながら訊いてみる。肯定の声が幾つか上がるのを背中に聞きながら「なるほどー」と肯く。
「うちは母が作ってくれてたので、さすがにあっちのご飯の方が美味しかったですね」
ほどなくして、ちまちまといった感じに食事を摂りつつも、それなりに健啖なところを見せたサーラが最後のパンでカップのシチューを綺麗に食べ終わると皆の食事が終わった。
「それじゃ食後のお茶でもしながら軽~く今後について話でもしましょうか」
夕食に使った食器は小屋の隅に追いやられ、シュークリームが積まれた木製プレートがででんと置かれる。こんなものまで、と言いたげなカッコ、バハムート、ライトニングを置き去りにして、ボルトとクララが歓声を上げつつ早速手を伸ばす。
「ささ、魔法攻撃力が上がる逸品です。糖分が脳を刺激すれば話し合いもはかどるというもの。お腹を壊さない程度にどうぞ」
カッコはシュークリームを手に取りつつ、にこやかなタリアの笑顔を窺いながらホント良く化けてるなぁともはや感心する思いだった。何気なくかじったシュークリームの美味しさに驚いていると、ジャックが話を始める。
「それじゃ明日からの予定だが。我々最初にパーティーを組んでいた者で話し合った時は麓にあるサンミレーの町を目指すつもりだった」
落ち着いた彼の説明に「なるほどいい案だな」とライトニングが頷く。
「ライトニング、情報は有り難かったがお前さんはどういうつもりでここまでやってきたんだ?」
「おまえらと会えなかったらそのまま帰還スクでエルクーンに戻るつもりだった。会えたらまぁどうするかなと」
ライトニングは「そんな難しいコト考えてたワケじゃねーんだ」と茶を啜る。
「とりあえずエルクーンに戻れば、あっちにはあっちでいつもの面子がつるんでるしな」
その言葉にサーラが嬉しそうに声を上げた。
「それじゃアーサーさんたちも無事なんですね!」
サーラの明るい声にライトニングが眼差しを和ませる。
「無事だ。エルクーンに戻った連中で一先ずまとまってる」
ライトニングは一つ頷き「そう言えば」と眉をしかめた。
「アーサーたちで思い出したが。あいつらが言ってた事がちょっと妙でな」
ライトニングは己が記憶を確かめるような調子で話を続ける。
「氷龍と火竜。それぞれNM狩りしてた共成集団が壊滅したんだが、その生き残り連中の話がおかしなことになってるんだと」
「おかしなこと?」
ネームドモンスター――固体名を持つ強力なモンスターの狩りに臨んでいたというプレイヤー集団の壊滅にジャックは驚くと共に訝しむ声を上げた。その彼の問いにライトニングも首を傾げる。
「アーサーとクロネがそれぞれ聞いた話だと、どちらもあの『異変』まで順調にNMの生命力ゲージを削って、双方とも20%を割ってたらしいんだ」
「『発狂モード』に入ってたわけだね」
確認するバハムートにライトニングが頷く。
「ペルセニウムと戦ってた連中の話じゃ、やっこさんはこっちに来てからダメージが回復したようにツヤツヤになってたらしい。まるでそれまで交戦していた事実なんてなかったようにな。当然ドラゴン型NM特有の『発狂モード』も発動してなかったって話だ」
その話にカッコが思わずといった感じに口を挟んだ。
「ちょっと待って。わたしとバハムートがゲームから引き続き相手してた《ダークライダー》は〈雷陣剣〉使ってくるほどダメージ負ってたよ」
その慌てたような声にバハムートも頷いてみせる。
「待てって。俺の話には続きがある。ペルセニウムの方はそんな感じだったんだが、一方のセルティネカがまさに『発狂モード』継続中だったらしい。そのおかげでこっちへ飛ばされたばかりのプレイヤーはほとんど対応する間もなく火竜様ご自慢の火炎攻撃フルコース食らってほぼ全滅。生き延びて情報をもたらしてくれたのはこりゃヤバイって転移することを選んだヤツだけだったとか」
「セルティネカと戦った人らは僕たちと同じってことか――」
バハムートの呟きにそういう事になるな、とライトニングが頷く。
「――そこでだ。俺は今カッコさんが話してくれたことを聞きながら、自分の頭ン中の情報と並べてみて以前に小耳に挟んだ小ネタを思い出したぜ」
それが癖なのか、ライトニングは何かを思い出すように虚空を睨む。
「ペルセニウムの二つ名、《氷龍》のリュウは朝青龍の龍って難しい字を当ててたろ。対してセルティネカの《火竜》は恐竜とかの簡単な竜って字を当てている。憶えてるか?」
一同が口々に同意するとライトニングは頷いた。
「OK。んでここからが小ネタなんだが英語圏サービスだと難しいほうの龍を『ドレイク』、簡単な竜の方を『ディノク』って表記してるんだそうだ。それぞれドレイクは『light dragon』、ディノクの方は『dark dragon』て説明されてるらしい」
皆から一斉に、感心したような呆れたようなため息が漏れた。
「こうなると《ダークライダー》とセルティネカの共通点を思いつかないか?」
タリアが「はい、先生!」と元気良く手を挙げるのに「ホイ、タリア君」とライトニングが答えを促す。
「《ダークライダー》もセルティネカもズバリ『闇』っぽいです!」
直球だった。
「ンだ。なんでそうなったかまでは見当つかねーが、こっちに飛ばされた時に戦闘状態だったやつらはそこで文字通り明暗分かれた可能性がある」
サンプル採れりゃいいんだが、とライトニングは頭を掻き毟る。
「明暗と言ってもペルセニウムと戦ってたやつらも壊滅しちまったんだけどな。ほとんど削れないまま飛ばれて上空から一方的に殲滅されたらしい」
彼は大げさに肩を竦めて見せた。
「というかもう空を飛べる頭の良さげなモンスターは屋外じゃ事実上倒すのムリになったと見ていいだろ。ペルセニウムなんてテレパシーっぽいナニかで嘲笑叩きつけてきたって話だ」
しかもそのテレパシーがロリボイス風味だったらしいというライトニングの補足に「ペルたん幼女化ハァハァ」とクララが興奮する。他の者の脳裏には「あれ雌だったんだ」という感慨しか浮かばなかったが。
「脱線したが俺はとりあえずトンボ帰りしなかったらジャックたちと合流できたと思ってくれって言い残してきた。サンミレーまで付き合うぜ」
ライトニングは話を戻すと同行を告げる。
「わたしたちも一緒させてもらおっか」
バハムートの方へ振り向きながらカッコが確認すると彼も頷いた。
「この状況下でソロだとかペアだとか言ってられんわな。俺は大抵のゲームだとソロってきたんだが、このゲームではお前らやアーサーたちとつるめて良かったと心底思ったぜ」
ライトニングはしみじみと呟くと、シュークリームに手を伸ばす。
「それでは明日は、朝からサンミレーを目指すと言うことでいいかな」
ジャックが話をまとめると皆が頷いた。
「それにしてもアーサー先生たちは大丈夫なのかにゃぁ」
クララはシュークリームを頬張りながら龍人族魔導師の偉容を思い出しつつポツリと漏らす。
「んあ? 廃魔導師のやつら二人がそろってりゃエルクーン辺りなら大丈夫だろ」
シュークリームを飲み込みながらライトニングが言い放つ。
「クロネなんて『リアルサーラちゃんを拝むまで死ねない!』とか言ってたしな。いよいよヤバそうだったら隠れるなりなんなり頭使うべ」
「それにゃんて死亡フラグ~」
クララの面白がる声に、サーラはエルクーンで別れたウサミミ獣人娘を思い出して苦笑いを浮かべる。クロネはゲーム時代からネカマをカミングアウトしている男性プレイヤーで、なにかとサーラを構ってくる。サーラの容姿がツボだというのが今となっては彼女になったクロネの弁である。
「あ。そう言えばアーサーから預かってた物があったんだ。ホイ《魔法素材》」
ライトニングはそう言うと、セカンドバッグほどの大きさの革袋を取り出し床に置いた。ゴトリと音がして、それなりの重量があると分かる。
「おー。さすがアーサーさんです」
タリアが嬉しそうにライトニングの方へ振り向くと、彼は頷いてみせる。
「好きに使ってくれってさ」
タリアは日本人らしい仕草で革袋に手を合わせると、うっすらと水色がついた角砂糖の様な物体を掴み出す。〈水創造〉を始めとした、物質創造系魔法の素材として機能するアイテムである。
所謂『生活系』というより『戦闘系』だった《Decisive War World》において、ゲームの時はお遊び要素として捉えていた諸々が、ここにきて俄然意味を持ち始めていた。
恐らく初めからそういう意図で以ってゲームはデザインされていたのだろうと、今になってみれば分かる。
「――ゲームの時のアイコンそのままですね。分かりやすい」
彼女は自分の手のひらの上のそれを、ためつすがめつして一同を見渡した。
「普通の水が飲みたいって人、います?」
タリアの問いに「のども渇いてないしもったいないから遠慮するにゃ」とクララが答える。他の者も同じように首肯したのを確かめて、タリアはマナマテリアルを袋へと戻した。
その後は廃鉱での戦闘で気づいた点をそれぞれが語り、それについて皆で意見を出したりと話はなかなか尽きなかった。
ジャックも臨死体験からの復活を語ってみせ、ならばエルクーンでの犠牲者も、となったがライトニングは悲しそうにそれを否定した。
凶刃に倒れたプレイヤーたちがあっけなく斬り殺されるさまを実際に目撃したライトニングには、彼、彼女らがその死のダメージに抗えたとは到底思えないという。
「ボリアからエルクーンに出てきたばかりって装備だったよ」
ボリアは日本国内サービスにおいてスタート地点となる都市であり、同じく国内サービスにおいてゲームの舞台となるラフォニス島の一角を治めるライルネス公国の首都である。
プレイヤーはその首都近傍でレベル20ほどまで経験を積んでから、ラフォニス島の各地へと冒険の駒を進めるのが一般的なゲームの流れだった。
ゲーム時代のエルクーンも、レベル20からのキャラクターの受け皿として機能していた。
「高レベルほどバケモノ度はウナギ登りなゲームだしね」
誰かが呟いた言葉が、もの悲しい沈黙の中に儚く消えていった。
交替で火の番を置いて一行は睡眠をとることにした。メンタル面の疲労を考慮して、先ずは元の世界の女性陣に休んでもらうことにする。タリアの目から見てもサーラとカッコは既に限界といった様子だった。
最初の火の番にはタリアとジャックが就いた。バハムートとライトニングも、何だかんだと言え直近で人死を目の当たりにしている。それを理由として先に眠るように奨めた。
二人は抗うことなくそれに従った。おそらく元の世界では彼らも一般人であったろうし、正直キツイところもあったのだろう。
しばらくすると皆が寝静まり、どこか疲れを感じさせる寝息があちこちから聞こえ出した。
「――ジャックさん、色々ありがとうございました」
タリアは薪ストーブの炉内で踊る炎をじっと眺めるジャックに声を掛けた。
「――ん。ああ、そちらこそ」
彼は振り返ると、差し出されたカップから立ち昇る香りに眉を上げる。
「内緒ですよ?」
タリアは人差し指を唇に当てて笑ってみせた。我ながらあざといポーズだと思いつつジャックがカップを受け取るのを待つ。
「それじゃ有難くいただくか」
ジャックは相好を崩すとカップを手に取る。ヒンヤリとしたカップの底を手のひらで包むように持つと、改めて鼻を近づけた。果実由来の芳香が鼻腔を満たす。
「ブランデーってチェイサー要るんですっけ?」
できれば欲しいなというジャックの返事に、ブランデーの容器と先ほど魔法で真水を満たしたポット、もう一つカップを用意する。
「タリア嬢はやらんのかね?」という問いには、酔い醒まし要員として自重しますと答える。
「このお子様ボディだし、ブランデーなんて畏れ多いって気がして向こうでも縁がなかったからなぁ」
木製プレートに並べたそれをジャックの前に置き、彼の傍らに胡坐をかいて座り込むと大きく息をつく。「ありがとう」と礼を言いつつ、ジャックは面白そうにこちらを見た。
「ふむ。それが素の君か」
肩を回して解しながらタリアではしないように控えていた、大雑把な笑みを浮かべる。
「ですね。まぁ外向き且つ目上の方に対しての僕はこんなもんです」
「――無理をさせたみたいで申し訳ない」
軽く頭を下げるジャックに笑って首を横に振る。
「まぁムリするのは『大人』の見栄ってモンでしょう? そこは気にしないで下さい」
「そうか、見栄ね。『大人』のフリをするには、見栄は確かに大事だな」
ジャックは銅のカップの縁に、舐めるように口を付けながら頷いた。
「そう言われてみれば俺のここまでも、見栄っぱりの結果みたいなものか」
異世界に来てからこっち、タリアは年長者としての見栄で踏ん張ってきたと言っても過言ではないと、そう自己分析していた。
茫然自失といった仲間たちを前にした時、果断な行動も止むなしと決意して、それを実践した。
そこには、最悪ダメそうならジャックさんが釘を刺してくれるだろうという、読みと言うか甘えのような心算もあった。
そしてそういった行動を為すにあたってタリアの見映えが随分と役に立ったと思い返す。
ここに辿り着くまで威圧的だったり頭ごなしだったこともままあったはずだが、割りと上手くことは運んだ。
「それにサーラちゃんやボルトちゃんには死んで欲しくなかったですし。ま、クララさんはちょっと読めないですから僕が心配するのもおこがましいってことで」
「確かにアレは読めんな」とジャックが苦笑を浮かべる。
タリアは揺れる炎を見ながら思いを巡らせる。
20歳くらいまではサバイバルやパニック物のフィクションでそういうシーンを見るたび、『誰を犠牲にしても先ずは自分だろ』という気分が圧倒的だった。
それが30代が見えてきた今ではちょっと変わり、物語の中で自分より年若い者たちの為に命を捨てる登場人物たちの心情に共感できる部分も出てきた。そんな気分をなんとなく話すと、ジャックも頷いてくれる。
「十分じゃないが後進へ譲ってもいいかなという気分になるくらいは人生楽しんだかもしれん」
ジャックは真水の入った方のカップを呷るとこちらへ振り向いた。その眼差しは確かな温かみに溢れている。
「しかし俺より一回りほど若いし、君はもうちょっと物分りが悪くてもいいと思うがな」
「自分、長男なもので」と自分でもよくわからない言い訳をしつつ、ジャックの空になったカップにブランデーを注ぐ。
そう言えばもうじき忘年会シーズンだったなと、会社の先輩に酌をした時のことを思い出す。藤崎に厳しくも良くしてくれた彼にも、もはや会うことは適うまい。
一抹の寂しさを覚えた自分の表情に思うところあったのか、ジャックが話を振ってくれた。
「――ところでこのブランデーはどうして?」
「なんとシュークリームに使うんですよ。元の世界でもそうなんですかね?」
その問いに「洋菓子の香り付けに使うと聞いたことがあるな」という答えが返ってくる。
「さすが年の功ですね」
多少わざとらしく驚いてみせると軽く小突かれる。そこには少女に対するような遠慮はなく、親しい同僚や部下に対するような、そんな気安さがあった。
「クドーが死んじまったか」
小声でそう漏らすライトニングの声はアルコールが周っているせいか酷く湿っていた。バハムートが肯く。
「ああ、《虚無》シリーズの剣もドロップして大喜びしてたんだけどね」
「うん。友人間チャットもらったよ。めちゃくちゃ自慢してやがった」
ぼんやりと眺めなていたストーブの炉内で薪が弾ける様を何となしに見届けると、ライトニングは力なく頭を垂れた。くぐもった声がバハムートの耳に届く。
「仲間の魔法食らってオダブツとか、死んでも死に切れんかったろうなぁ」
自分の右側で肩を並べ、一瞬の判断の差によって全身を焼かれ事切れた、同じギルメンであり友人でもあった戦士の、非業の最期を思い出す。
しかし、その死を敢えて罪と負うべき者もまた、等しく無惨な最期を遂げた。だからと言うわけでもないが、バハムートはこう答える。
「あの時はしようがなかったんだ――」
火の番の彼らが交わす小さな声が、寝ていた自分の耳に届いてあんな悪夢を見せたのだろうかとカッコは眉をしかめながら闇を見詰めた。
また自分の頬を濡らした、液体のあとにそっと指先で触れる。
その雫はまだ温度を失っておらず、動揺した彼女はぎゅっとまぶたを閉ざした。
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