45.ボリアにて その5
「意外な人が一番乗りでしたね」
兵舎のエントランスにナヴィガトリアの姿を認め、アーサーは軽く手を上げた。
戦装束を脱いだナヴィガトリアは少年以上青年未満といった風情でいささか覇気にかける。
戦場における絶対者として振るわれた武威は陰かたちもなく、頷いたのだろう黒髪の頭が小さく揺れる。
茫漠とした面持ちは彼の常態であるが、今のそれは平素と違ったものにアーサーには感じられた。
アーサーは然ほど他人を気遣って踏み込む質ではない。自分が煩わしいことは他人もそうだろうと心得ている。
自然とナヴィガトリアと肩を並べ、他の面子を待つ。
居心地の良いとも悪いともつかない時間がしばし流れ、次に姿を見せたのはヒト族とドワーフ族の男性二人連れだった。ジャックとグレイルである。
彼らは自分とナヴィガトリアのように押し黙ることもなく、何事か言葉を交わしていたようだったがこちらを認めると揃って手を上げた。
「いやぁ、落ち着いて言葉を交わす機会もなくて挨拶が遅れたのう。エルクーンで顔役の一人を努めているグレイルだ。今回はずいぶん世話になった、ナヴィ君」
差し出された老ドワーフの右手に、ナヴィガトリアは少しの間のあと応える。
「巡り合わせが良かったまでのこと。ナヴィガトリアです、以後よろしく」
青年の返事に、グレイルとジャックが驚きを表わす。さもありなんと思いつつ、しかしジャックですらナヴィガトリアと面識がなかったことにアーサーは思考を巡らす。
(であれば、タリアとナヴィの縁は『事前試験枠』が稼働した頃まで遡る感じでしょうか)
「これは驚いた。おまえさんがあのナヴィガトリアだって言うんかい。でたらめな強さだとは聞いとったが」
普通の《Decisive War World》プレイヤーにとってみればナヴィガトリアとは半ば都市伝説めいたプレイヤーキャラクターの名である。それがぽっと姿を現せば、二人の反応も当然と言えた。
「《オーバーロード》なんて日本に一枚きりの鬼札があれば、今回の圧勝も頷ける、か」
呆然と紡がれるジャックの言葉に、しかしナヴィガトリア》は否定に首を振る。
「わたしは単に力を貸しただけ。それを上手く使ったのは他のみんな」
でも、と《剣聖》は続ける。
「その力がなければ、失われていた命は今少し多かったかもしれない」
なんのてらいもない。青年は単に事実を口にしたと言った風。
「なるほど。確かにわしらにとっては最高の巡り合わせだったってことだの」
「しかし、お二人に素性を明かしてしまって。構わなかったのですか?」
アーサーの問いに、ナヴィガトリアは頷く。
「《鬼才グレイル》とは《剣聖》として話をしてみたかったし、ジャックの人となりはタリアから聞いている――」
つと、自分に向けられる《絶対者》の視線に、ジャックはしばし息を呑む。
「信用できる」
「それはありがたいな。ご期待に沿うよう、君の秘密は守ろう」
ジャックの握手にもナヴィガトリアは応える。
「タリアの今の仲間には明かすつもりだから、そう構えなくても?」
それじゃさっきの圧迫感はなんだったんですかと、戸惑うジャックの様子にアーサーはため息をこぼした。
「しかし《鬼才》の名を買ってくれたのは嬉しいが、こっちじゃ微妙なところじゃのう」
雰囲気を変えようとしたものか、老ドワーフがらしい仕草で顎先をしごく。
「微妙、とは?」
「《剣聖》殿が《鬼才》に用があるとすれば、武具をこしらえることについてじゃろ?」
気まずい風にジロリと横目を向けるグレイルに、珍しく戸惑った感を出したナヴィガトリアが頷いた。
「まぁ、そうですね」
さすがにこれくらい年嵩の外見を持つ相手には敬語になるのかと、妙なところで得心するアーサーの目前で、二人のやり取りは続く。
「《剣聖》殿はしばらくエルクーンにおったんじゃよな?」
「はい」
「ならわかるじゃろ。ゲームの時のような生産設備がなけりゃ、ワシも力の振るい様がないわな」
「――ああ」
心なしか萎んだグレイルの声。そんなところにもアーサーは今後の展望に障害を認めて、内心ため息をこぼす。
エルクーン組には名工が多い。ゲーム時代にフリーマーケットのようなユーザーイベントが毎週執り行なわれていた背景には彼らの存在があった。
そんな彼らだが、こちらの世界でも積極的にアイテムを作ろうという者は少ない。なぜなら、今このライルネス公国という文明圏において、彼らがゲーム時代のような名品を生み出し得る設備が存在しないと判明したからである。
当たり前の物ならこの地の設備でも作り出すことは出来よう。それが職人たちの弁だ。しかしこの公国首都であっても、プレイヤーが持つ異能の品々は作り出すことが出来まいと、主城の工房を見学したグレイルと仲間たちは認識した。
アーサーが承知しているそんな事情が、グレイルの口からナヴィガトリアに伝えられると、彼はなるほどと頷いた。そして虚空より、一振りの大剣を取り出す。
ゲーム時代に見慣れた、刀剣生産スキルで生み出される一般的な見た目の大剣。しかし、グレイルは目を瞠る。
「刀鍛冶という素性のおかげかの。何の変哲もない《鋼鉄の大剣》にしか見えんが、自分でこさえたものだとわかるわい」
「ご明答。グレイルさんの作品です。銘はおわかりになりますか?」
どことなく機嫌の良くなったナヴィガトリアの問いに、グレイルは首を振った。
「いや流石にそこまではわからんのう。所詮大量生産品じゃ」
大量生産大量処分となるのが生産職のスキル上げの常道。それが礎となった巨大MMOに続くクローンたちが通った道である。
プレイヤーたちがそうと捉えた《DWW》も、同じ仕様を踏襲していた。
「これの銘は《エンハンスPA》、日本サーバー初の『スキルウエポン』、その内の一振りですね」
「メモ代わりに適当に付けた名じゃったが、目の前で発音されると効くのう」
グレイルが苦笑を浮かべつつ、大剣を受け取る。自らのネーミングセンスを恥じたものか、仄かに鼻の頭が赤らんで見える。
「確かにワシの名と共に銘が刻まれとるの。しかもこいつは、初号か」
剣身の鍔にほど近い部分に刻まれた『0001』の文字に、グレイルの目つきが真面目なものとなる。この奇縁には周囲の者も「ほう」と声をもらした。
「いささか妙なことになったもんだ」
老ドワーフは思わず漏らした言葉に、ハッと顔をあげる。
「いや、別におかしくはないかの。《剣聖》殿はタリアの縁者だったか?」
「ご推察の通りです。それは、タリアから譲り受けました」
これにアーサーが「ははぁ」と声を上げた。
「話が読めましたよ。『スキルウエポン』成立に、あの人も噛んでるんですね?」
呆れたようなアーサーの言葉に、グレイルは笑う。
「そうじゃよ。こいつは物理武器に杖のような魔法性能の能力値を付加できないかという魔法戦士系の要求に応える過程で生まれた」
「ああ、ドロップの物理武器にその辺が付き出したのは5、60レベル帯に辿り着いてからでしたねぇ」
「まぁ今となっては懐かしい話じゃが。レシピ探し面白かったのう」
楽しそうに目を細めるグレイル。
「今どき有志によるクライアントのクラッキングもできず、データ解析もネットに出回らず茨の道だったと聞きましたが」
「ああ、おかげさまでずいぶんと楽しめたわい」
「別の職人の知人は盲撃ちの総当たり、糞ゲーだったと言ってましたが」
「見解の相違じゃのう」
くつくつと悪い笑顔を浮かべるグレイルに、この人もゲーム歴が長そうだなと、アーサーは明後日の方向に思考を巡らした。
「なぁに、グレイル爺さん。また武勇伝のご開陳?」
男連中の話に、女性の声がかかる。
「人を痛い老人みたく言うでないわ」
ニヤニヤとした笑みで自分を見るジェシカに、グレイルが焦ったように返す。
「いやだって。鍛冶レシピ探しの話、わたしなんて何回聞かされたことか」
「何と。そうだったか?」
突如消沈したグレイルに、ジェシカが慌ててフォロに―入る。
「ま、まぁマンツーマンで聞かされたわけじゃないし。多分その都度初見の相手も混じってたんじゃないかな~」
「にしてもじゃ。ワシ、年寄りは同じ話を何度もするってヤツがそろそろ洒落にならんトシだったんじゃよ」
「そんなカミングアウト要らないから!」
悲鳴のようなジェシカの声に、一同は激しく頷いた。