43.ボリアにて その3
明けましておめでとうございます。ご無沙汰して申し訳ございません。
2018年内に間に合わず。本年はもう少し投稿できたらと思っています。
ライルネス公国主城の一画。方面軍が中央へと参じた折りにあてがわれる兵舎には、常の夜と異なる明かりが煌々と灯っていた。
いや、質実剛健という言葉が至極ふさわしいその建物からは、明かりだけではなしに夜警の兵卒が何ごとかと度々視線を向けるほどの賑わいも時折り溢れている。
エルクーンより発した、ジェシカを始めとするPKKの一団はライルネス公国より借り受けたこの兵舎にその身を寄せることとなっていた。公国主城が醸し出す趣にいささか不似合いな、どこか浮足立った喧騒は彼ら彼女らの仕業である。
PKとの死闘から一夜明けたその日も《偽神》たちには休む暇はなく、彼らがくつろげる時間を得たのは秋の陽がすっかり落ちてしばらくした後のことだった。件の惨劇の後始末は、案の定煩雑さを極めることとなったからである。
雑多でいて気の滅入る仕事の疲れを癒やしてくれるのは、前の世界の現実、あるいはゲームの中において料理の腕を磨いた有志が供する夕餉である。
技術を尽くした料理の数々に舌は滑らかになり、《偽神》たちは大いに盛り上がった。舞踊や演奏といった芸能をゲーム上での手慰み、あるいは本気で以って修めた者たちが居て、場の盛り上がりに一役も二役も買っていた。
悪辣な女神に誘い込まれた《偽神》たちが元の世界で好んで嗜んだデジタルゲームの類いなぞ望むべくもない。娯楽は自ずと限られることとなり、故に《偽神》たちは有志によるパフォーマンスに楽しみを見出すこととなった。
食堂の中央では白猫をイメージさせる容姿の、見目麗しい臨時小隊長殿が少女の伸びやかな肢体を思う存分活かした超絶技巧の踊りを披露している。それをチラチラ眺めながら、数名からなるラエルガス監視団の面々は、食堂の端の方の卓で言葉少なに夕食を摂っていた。
元々この兵舎には、ラエルガス監視団より公都へと派遣された部隊が配されていた。しかし本日付で派遣部隊は解散となり、生き延びた大方の団員はラエルガスへと帰還し、今この食堂にいる面子と他のわずかな人員のみが公都に残ることとなった。
代わりにこの兵舎へと入ったのが《偽神》たちであり、ラエルガス監視団の公都残留組はそこに間借りする形となっている。なお、昨日までこの兵舎に詰めていた料理や掃除洗濯を担う下働きの者たちはすべて退去しており、現在兵舎の維持は《偽神》たちの手に任されていた。
今日も今日とて《偽神》たちに同行して過酷な勤めをこなした団員たち。促されるままに訪れた食堂でありついた食事は彼らにとってまさに驚異であった。これまで味わったことのない夕食の数々は大変美味であり、彼らの手はしばらく休むことなく働き続ける。
そんな団員たちの耳へと、追い打ちとばかりに届いてくるのは陽気な音楽と《偽神》らの楽しげなさざめきであり、自然と視線も奪われる。卓を囲んでいる者が皆そんな様子なもので、どうにも団員たち同士の会話が続かない。
「この煮込み、美味いなぁ」
「ああ」
「この肉料理も美味いよなぁ」
「ああ」
「何てことないはずのパンすら冗談みたいに美味いなぁ」
「ああ」
万事がこの調子で、彼らはラエルガス監視団団員としては、あり得ない程に弛緩していた。結果として団員たちから相互の会話を奪うかたちとなり、そんな団員たちの間に会話が成立するようになったのは、彼らがあら方食事を済ませ、人心地ついたあとしばらくしてからのことであった。
数日前から続いた激務は昨日に一旦集結の糸口を得た。本日の各々の奮闘もあり、ようやく今回の任務に先の見通しも立った。よって本日の勤務明けには飲酒の許しも出ており、団員たちは腹が満ちるまで手が伸びなかったエールのジョッキを取り、それを口に運びつつも《偽神》たちの楽しむさまを遠目に眺める。
「ハク殿は美しいなぁ。あのように艶やかに舞う踊り手なんて初めて見る」
ダンスを眺めるうちにこぼれた誰かの感想に、他の者が応じる。
「地下で鬼神の如き剣威を振るっていた使い手と、とても同一人物とは思えん」
「俺はそっちの姿を見ていないから想像がつかないよ」
地下では各々別の小隊に配置されていた彼らである。軽快に踊り続ける白い少女に抱く印象にも、かように隔たりが生じていた。
「俺たち誰もが、にわかには信じがたいモノをそれぞれ見てきたんだ。そんな風に考えれば、なんとなくわかるだろ?」
なるほどと、団員たちはそれぞれ自分が目の当たりにした信じがたい情景を思い浮かべつつ、各々で得心する。
「だがまぁ、舞は武に通ずるとも言うしな。ハク殿の戦うさまは鬼神の如くあったが、まさしく踊るようでもあった」
したり顔で頷いてみせる団員に、一同は感心半ばにため息を吐く。
「ふむ、だがあれはちょっと参考にし辛いな。見事ではあるが俺たちが修めたら惨事だ」
思わずと言った風に漏れた一人の言葉に、ジョッキに口を着けていた者たちが盛大に咽る。
「馬鹿野郎、折角のエールがもったいないだろうが!」
「油断する方が悪い」
抗議する団員に、された方の団員がニヤリと応じる。
「そうだな。栄えあるラエルガス監視団員としてはあるまじき油断だった。自分の言葉、しかと憶えておけよ」
エールを噴き出すこととなった団員はそう降参しながらも、隙あらば次はお前の番だぞと釘を刺す。
「こんな隅っこでどうしたんですか」
陽気な美声が不意に団員たちの耳に届く。はたと気づいてテーブルの傍らを見れば、酒の肴と思しき料理の載った大皿を危なげなく手にした女性たちの笑顔があった。
ただの女性たちではない。各々が彼ら特有の見目麗しさを備え、生気に溢れた魅力的な女性たちである。
「いや、我らは部外者ですゆえ、皆さんの邪魔にならぬようにと――」
「はい、そこ。寂しいこと言わない」
しどろもどろに答える団員の口元に、串焼きがピタリと突きつけられる。その串焼きを手にしたのは線の細い碧眼の美女である。しかし団員はこの美女が自身の身長ほどもある両手剣を自在に操っていたことを憶えている。
「こうして同じ屋根の下で食事を共にする仲になったんですから、遠慮することないですよ」
そう言って団員たちが空けた食器を片付けようとしたエルフの少女の、屈めた拍子にわずかにのぞいた胸元の谷間に、対面に座った団員たちは目のやり場に困る。商売女相手なら遠慮することでもないが、相手は地下の戦地で散々お世話になった言わば戦友だ。今はたおやかな笑みを浮かべる癒し手の少女の顔が、血と泥に塗れつつも不退転の表情を湛えていたことを憶えている。
「そうそう。変に気を遣われちゃったら、こっちも気になっちゃうの」
小柄な少女の、意外に強い力にその腕を取られて団員の一人が思わず腰を上げる。あの、悪夢のような戦いでも触れ合った肩と肩。その感触に思わず団員が背筋を伸ばしてみれば、肩先の高さはずいぶんと違う。ニッと笑みを浮かべて自分を見上げる少女が実はとても華奢だったことに団員は目を瞠る。
「しっかり英気を養って、明日もつらい後片付けに励みましょう――ってことです。ぶっちゃけ物凄くあてにしてますから、ニノグさん」
卓の端で仲間たちの様子をヒヤヒヤと見守っていた自分へと、不意に掛けられた声にタリアたちと任務を共にしたラエルガス監視団員のニノグは驚いて振り返る。自分をかばって敵の矢を浴びた剣士の少女がにっこりと微笑んでいた。
正面戦力――料理の大皿を手にした女性たちを囮に、自分の死角へと浸透していた少女の戦術に舌を巻く。いや何を馬鹿なことを。自分が油断しすぎていただけの話だ。
「うちの上の人が、そちらの上の人にちゃんと許可をとっていますので大丈夫です。バッチリです。今夜は無礼講、明日の午前はちょっとぐらい過ごしても平気だそうです。エールの差し入れなんてすごい数の樽が届いてますよ」
器用に両の手に携えたジョッキたちを掲げてみせて少女が笑う。しばし呆けたあと、ニノグは口の端に笑みを上らせる。
「なるほど。そういうことならしっかり楽しまないとだめですね」
少女から渡されたジョッキを受け取りつつ、ニノグは腰を上げる。彼女らのありがたい気遣いに、こちらも一つ礼をするべきだろうと気づく。
「そうそう。公国の軍隊の流儀をお教えしましょう。上が気前よく奢ってくれるのは『お前ら明日からもっと頑張ってもらうから覚悟しておけよ』ってことと同義ですので」
ニノグの言葉に《偽神》の女性たちが半ば冗談交じりに罵りの声を漏らす中、団員たちは次々と剣士の少女が用意したジョッキを受け取っていく。
「ではお嬢様がた。憎き酒樽どもを撃破するために、共に奮戦しましょうか――」
半ば面白がりながら、半ば自棄糞気味にそんな気取った言葉を口にする団員に、やっぱり本物の兵隊さんはどこかセンスが違うなと、《偽神》の女性たちは互いの顔を見合わせて笑みを浮かべた。
「公子様。今のニノグさんの話、ほんとですか?」
食堂の廊下に面したガラス窓。端の方で目立たぬように中の様子を伺っていたところで耳に届いてきたやりとりに、タリアの口から思わず言葉が溢れた。強張った笑みを浮かべて振り返ると、カラグはにっこりと微笑み返す。
「そういった場合もあるね。特に今のような状況だと」
ドン引きする自分を面白がるようにカラグは言葉を続ける。
「兄上名義の差し入れだったら確実に」
「もっと頑張れって、団員さんたちは今でも物凄く頑張って下さってますよ!?」
「タリア殿、抑えて。まぁ一息ついても中弛みせずに継続して奮起せよって感じかな」
「それならまぁ」
隠れるようにしてこそこそと言葉を交わす。食堂の中が程良い感じに盛り上がっている時に、自分が場違いに顔を見せて台無しにしたくないというカラグ公子の配慮に合わせてのことである。
「タリア殿は心配してくれたようだけど、これで兵士たちには評判の良い手当なんだ。上がちゃんと自分たちのことに心を砕いてくれていると――有り難いことにね」
公子の言葉に、タリアはそういうものかと心に留め置くことにする。なるほど人心掌握のすべとは、人の心の模様と等しく色々あって然るべきなのかもしれない。
「団員たちと冒険者殿らの協力体制に問題はないようだね」
「はい。こちらに対するわだかまりもあるでしょうにそれをおくびにも出さずに。ありがたい話です」
カラグ公子に返したタリアの言葉は偽らざる本心だ。ラエルガス監視団員たちの自制心には最大の敬意を払って余りある。
目元をなごませるタリアの頭の上で、早回しのような音が控えめに響く。食堂の窓からタリアの方へと振り向いたカラグ公子の瞳が、龍のそれへと変じていた。
【彼らは彼らなりに上手いこと仲良くやっている。それをぶち壊しにしないように、こちらはこちらで上手いこと話をつけなきゃねって言ってみた】
帽子の上のバーテニクスの、焦れたような言葉が交感の径に乗る。
【良い感じにうるさがたとの会合を終わらせて、早いとここの酒宴に混ざらなきゃ】
欲望だだ漏れの賢龍に、それは同時翻訳しないでくださいねとタリアは胸の内でため息を溢した。