39.生き延びた朝に その2
長いことご無沙汰しております。不適期投稿で誠にすみません。
次の投稿も現在のところ未定となっております。
「タリア姉っ!」
声が聞こえたかと思うとまっしぐらに駆け寄ってきた猫耳娘を、タリアはしっかりと受け止めた。自分より長身で年嵩に見える彼女との体格差も問題にならない。
《偽神》とはそういった存在だ。その事実に少しばかり有り難みを感じつつ、タリアはキトンの震える身体を抱き締める。
「ありがとう、キトンさん。あなたがあきらめず頑張ってくれたおかげで、こうして再会することができました。本当に――」
胸の奥から次々と湧いてくる思いに言葉も詰まる。頭を撫でてやりつつようやく絞り出した声はタリアがというより、藤崎秀臣が抱いた思いを形作る。
「キトン、よく頑張った」
何とか声を震わせずにそう言って、幼子のように自分の胸の中で泣く少女のその背中を、タリアはあやすようにして撫でてやる。自分の小さなこの手のひらにすらキトンの震える背中はか細く感じられて、タリアは胸が締め付けられる思いを抑えきれない。頑張った、などと一言で済ませてしまったが、キトンが味わった苦痛を思うと、どうにも泣けてきそうになる。
「この地に巣食った悪党どもは、我らの手によってことごとく討ち果たされた!」
PKたちにさらわれていた犠牲者のうち、公国民の女性たちを集めて厳かに宣言するカラグ公子の声が耳に届いてくる。その言葉に、キトンの震えが少しやわらいで感じられた。そうだ。自分は、自分たちは、敵を討ち、難渋していた仲間を取り戻すことができたのだと思い直す。
「悪夢としか言いようのない状況で、よくぞ耐え忍んでくれた。皆をこうして救い出すことが叶い、私も嬉しく思う。公国の名において改めて約束しよう。この後、皆を無事にボリアの陽の下に送り届けると――」
公国の顔とも言える公子の登場に、いかに保護されたとは言え、いまだ傷心の只中にあった娘たちも如実に安堵の様子を見せていた。
自分らを救ってくれた者たちといえども、得体のしれない冒険者たちに囲まれていたのでは万全の安心を得ることは、やはり適わなかったのであろうことは想像に難くない。そこに公国軍兵士の姿が、数名混じって見受けられたとしてもだ。
思いがけず公子の甘いマスクを身近で拝謁することが叶った娘の中には、安堵を通り越して惚ける者までいるのだからカラグの人気のほども窺える。
また、安堵を得ていたのは女性たちを保護していた《偽神》らも同様と言えた。彼女たちを守ることにまったく否はなかったが、負うべき責任を他者に委ねられるというのは、その中身が未成熟な者も多い《偽神》たちにとって、正直なところ大変助かる話であった。そう言った意味も含めて、公子との合流には《偽神》の面々もほっと胸を撫で下ろすこととなった。
「ようやく肩の荷が下りたわい。これでこの穴蔵を出て、とりあえずは一件落着というところかの」
豊かな髭を蓄えた老ドワーフが、芝居がかった仕草で自らの肩を叩く。板金鎧の肩当ての上からでは、自らに施した肩叩きも効果があるはずはなく、《偽神》たちの抱いた気分をわざわざ声に出して肯定するかのように振る舞う彼――グレイルの気配りに、敵わないなとタリアは思う。長たる立場の彼がそうして見せることで、歳若い者たちも気兼ねなく精神的負担を減らすことができる。
「無事に送り届けるまでが護衛クエストってモンだぜ、爺さん。まだまだ油断するんじゃねーよ」
グレイルに付き合うように小芝居じみた台詞を口にする壮年の人狼も、しかしその揶揄するような口振りとは裏腹に、目元には柔らかい表情が浮かばせていた。
老ドワーフのグレイルと中年狼男のテッカイ。それぞれが別のギルド、別のパーティーを率いながらも、何かとつるんで騒ぎ立てる二人の名調子は、この世界に来てからも相変わらず健在の様子だった。
「ふふ」
そんな二人のやり取りに、自分の腕の中のキトンが笑う気配を見せた。少し鼻声気味ではあるものの、その明るげな調子にタリアの表情もやわらぐ。
「――わたし、みんなのところに戻れたんだよね」
「そうですよ、キトンさんはやり遂げたんです。花マルです」
「随分と久しぶりだ、タリア姉の花マル」
往時に二人で遊んでいた頃、回復役の後輩であるキトンの好プレイを評したタリアの決まり文句。久方ぶりのその言葉に、キトンは嬉しそうに顔を上げた。そして改めてタリアの顔をまじまじと見つめると、どこか訝しむような表情を浮かべた。
「それにしてもタリア姉、縮んだねぇ」
「ゲームの時と変わってないはずですが?」
しみじみと自分をそう評したキトンに、タリアははてなと小首を傾げる。
「あー、何というかゲームの時って、相手をキャラクターグラフィックだけじゃなくて、自分の脳内イメージで捉えてる部分あるよね?」
「わからない話じゃない、ですね」
「でしょ。タリア姉はグラフィックがローティーンでも、わたしのイメージだと大人な感じだったみたい。で、違和感になったと」
「なるほど」
難しそうに眉をしかめてそんな説明をするキトンに、タリアは少し可笑しみを覚えながらも頷いた。
「キーちゃんの認識はおおよそ間違ってないよ。リアたんはなんとアラサーだったのでした」
二人の間にひょいと顔を覗かせたクロネが、こちらは悪戯っぽい笑みを面白そうに浮かべてみせる。
「なんだ、イメージ通りだよタリア姉」
「えっと、それはその、ありがとうございます?」
何とも応じようのないキトンの言葉に、タリアは苦笑を返すことしかできない。
「それにしてもね、こんなちっちゃな女の子の中身が、ほんとにそのくらいの歳の女の子じゃなくて良かった」
しみじみと漏らされたキトンの言葉と、そのなんとも言えないほろ苦さを含んだ笑みに、タリアは苦笑を深めるしかない。面白がっていたクロネはバツが悪そうに頬を掻く。
「その発想はなかったな」
「こんな滅茶苦茶な状況、本当に子供だったら絶望ものだよ」
真剣な口ぶりのキトンに、タリアはふぅとため息を一つ吐いて相槌を打つ。
「実際、いくらかはそんな子たちがいます。その辺は、エルクーンのみんなはフォローしあってるみたいですが」
今更のように「え、そうなの?」と驚くクロネに「そうなんです」とタリアは頷く。
「結構ギリギリな感じです。あれからおよそ一月。個人差もありますが、そろそろ異常な状況下での躁状態からも覚めてきて、里心が出始めてる――」
眼差しを深めたタリアは、ふとカラグ公子へと視線を転じた。
「かつての世界の家族や帰る場所を取り戻すのは、今すぐというワケにも行きません。ですが、安寧と休息と、守られるべき場所が子供たちには必要です。モラトリアムの有為は今更わたしが語るまでもないでしょう」
タリアが時折り見せる大人びた横顔を、獣人族の少女二人は黙ったまま見守る。
「ジェシカさんやグレイルさんあたりは心得ているかと思いますが、今回のことは転機になるかと思います。この状況をどのように乗り切るか。仕損じるわけにはいきません」
◇ ◇ ◇
窓の外、建物の合間に切り取られた空は、夜の色から朝のそれへと変じ、新しい一日の始まりを告げている。
結局、一睡もできずに夜は明けた。
アインは今日これから為すべきことを、睡眠不足に倦んだ頭の中に描きつつベッドから身を起こす。
隣から聞こえる衣擦れの音、そして身動ぎするかすかな気配から、チョコも既に起きている様子が窺い知れた。いや、起きたというよりは、チョコもまた自分と同様に、眠ることができずにいた可能性が高いとアインは思い至る。
「眠れたか?」
「ぜんぜん」
アインの言わずもがななその問いに、チョコの苦笑の気配を含んだ答えがすぐさま返ってくる。
「体調も最悪です。なんだか自分の身体が、今にも爆発しそうな不発弾みたいな感じで――ってワケわかんないですよね」
「わからん」
素っ気なく返しながらも、チョコが眠れるはずもなかったのだということを、アインは今更ながら思い知らされた。そう理解すると、漠然とした恐怖が彼女の胸にも湧いてくる。
そう、恐怖だ――チョコの言う体調不良が、おそらくそう遠くもない未来に、自分の身にもまた降りかかるのだと想像すると、どうにも胸の中に重苦しい不安が生々しく沈殿するように思える。
そんな胸の内のネガなものから無理矢理に目を背け、起きたまま自分の膝小僧辺りを睨むとはなしに睨んでいたアインは、チョコへと振り向いた。
「動けるか?」
「はい」
チョコもすでにベッドの上に身を起こしていた。寝不足な上に消耗も色濃い様子で、いつもの儚さが数割ほど増して見える。体育座りで膝に頬を預け、アインの方へ物問いたげな顔を向けてくる。その所作もいちいち気怠げに見えるのは自分の色眼鏡故か、アインには判断つきかねる。
「というか、動くしかないでしょう?」
本人がそのつもりならアインに是非はない。寝床の上に、流れるように零れているチョコの長い黒髪を、妙に艶かしいモノと意識しつつも頷く。
「師匠たちも案の定帰ってこなかったし、俺たちも予定通りと行くか」
かように気鬱な朝を迎えた二人だったが、ラエルガスの仲間たちと合流すべくなんとか気力を振り絞ると、重い腰を上げて早々に行動を開始した。
二人は宿の女将さんと挨拶を交わし、暫くのあいだ部屋を確保したい旨を重ねてお願いする。押し付けるようにした宿代をすんなり受け取ると、女将さんは余計な詮索などもせず、いつもの調子で出掛ける二人に言葉を掛けてくれた。女将さんの変わらぬ様子に何とも言えない安心感を得ながら、アインとチョコは朝のエルクーン市街へと歩き出す。
二人は互いに黙ったまま足を運び続ける。アインの鉄靴が石畳を噛む音だけが、静かな早朝の小路を流れていく。チョコは履いたブーツの性質もさることながら、その自身の素性からしてさほど靴音を立てない。無論、《隠密》の彼女がその気になれば、全くの無音で歩くこともさほど難しいことではない。
アインは傍らを歩く仲間をチラチラと盗み見る。
昨日まで慣れ親しんできた相手が、まるで別人のように感じられる。それは彼女に対する自分の意識が変わったせいだと、自覚できないほどアインも鈍くはない。
チョコはクロネのようにネカマであることを喧伝してはいなかったが、ゲーム時代に垣間見せた趣味嗜好から、その中身は何となく察せられていた。
そんなチョコに対するアインの認識は、転移騒ぎ後のカミングアウトを経てもさほど変わらなかったといえる。しかし今は、はっきりとした生々しさ伴って女性を意識させられるのだ。しかもチョコは、現在絶賛格下である自分から見ても儚く頼りなげに見える。有り体に言って、オタク同士の、いつもバカなノリでつるんでいた仲間扱いが難しい。見慣れたはずのチョコの、その線の細い美貌が他人のように見える。
(こいつもスゲー美人だったんだなぁ)
ゲート広場への道すがら、あまり建設的とは言えない思考を繰り返している内、アインの足元はお留守になっていたらしい。今の姿よりなお幼い小さな子供さながら、石畳の綻びにそのつま先を取られる。
「ちゃんと足元に気をつけないと」
泳いだ身体は、気づいた時にはすでに隣りの仲間が支えてくれていた。その細腕一本で軽々と、アインを背負った背囊ごとぶら下げている。
「悪い。ちょっとボーッとしてた」
「今更この美貌にでも見惚れてました?」
気づかれていたわけか。相手は格上《隠密》、そりゃそうかとアインは内心ため息をこぼし、ならばと本人は冗談のつもりで言ったであろう台詞に正面から叩き返す。
「ああ、見惚れてた。チョコってここじゃもう馬鹿なオタクの萌えアバターなんかじゃなくて、綺麗な女の子そのものだったんだなってな」
目を丸くする相手に、してやったりと思うと同時にチョコのその表情の無防備さも、反則級に可愛らしい。
だが――嗚呼、畜生! いくらこいつが可愛くても、こっちも女じゃねぇかと思わず笑いがこみ上げてくる。
「なんですかアインさん。生理中の女の子が気になるとか思春期全開みたいなことで悩んでるのかと思ったら余裕じゃないですか」
「おまえこそそんな失礼なこと考えてたのかよ!」
「だって、妙によそよそしいというか。かと思えばキラキラした目で見詰めてくるし?」
楚々とした黒髪の美人さんは、ぷくりとマンガっぽく頬を膨らませてみせる。
「言っておきますけどアインさん。知らない男の人なんかは絶対さっきみたいな調子で見上げちゃだめですよ。事案誘発トラップ過ぎです」
「わかった、黙れ。黙ってください」
なおも自分が如何に無防備に媚を振りまいてるかをまくし立てられ、アインは泣いて謝った。
絶妙にはぐらかされた不安にアインが再び気付かされたのはそのすぐ後。《ゲート広場》に辿り着いた時の事だった。
《まれびとの要石》。広場の中央に据えられたモニュメントに嵌めこまれた二つの宝玉の内の一つが、平時にそれと気づかせることなく仄かに灯る碧から、不安を誘う不吉な赤の輝きへと変じていた。
◇ ◇ ◇
回復魔法を掛けられたアヘッドは、にわかに目を開いた。青空の下、自分を覗き込む顔が敵ではないと認識すると、彼は笑みを浮かべる。
「助かったよエリクセン。ここはどこか教えてもらえるか?」
自分を蘇生してくれたのであろうエルフの|《高僧》《ハイプリースト》に、気安く問いかける。しかしその笑顔の中にあって、アヘッドの目は決して笑っていなかった。
その様子にわずかに怯んだエルフとは、別の者の声がアヘッドの問いに答える。
「とりあえず公都の外だ。南下する街道の脇で、キラキラしてたお前の死体をみつけた」
頭上から降ってきたその声に、アヘッドは寝転んだまま見上げる。トレードマークとも言える銀のスーツアーマーではなく、革鎧姿の|《戦匠》《バトルマスター》が苦虫を噛み潰したような表情でアヘッドを見下ろしていた。その顔には疲れが色濃く残っている。
「あの糞ったれな穴蔵に居るはずのおまえが、なんでこんな道ばたでくたばってたんだ?」
自分を胡散臭そうに見つめる《戦匠》から視線を外し、アヘッドは改めて周囲を確認する。《戦匠》――アイルトンのパーティーは揃っている。だが、他のPK仲間たちの姿はまったく見えない。
「そっちで逃げられたのは、おまえらだけ?」
アイルトンの質問には答えず、アヘッドは逆に問う。アイルトンと巨漢の|《剣匠》《ソードマスター》以外の三人が見せた動揺に、アヘッドは気づきたくなかった現実に気づかされる。わずかに目を細めたアヘッドに、しかしアイルトンはその表情を変えない。
「わからん。封鎖を破った時に、他の面子とははぐれた。集合地点も決めてなかったし、あとは各々の裁量で逃げてくれって感じだったからな」
アイルトンの平坦な調子の答えに、自身も「そっか」と淡白に返しつつ、アヘッドはムクリと起き上がる。そして自分の左腕を凝視しながら告げた。
「こっちは多分、俺以外は全滅だ。うちのギルドが、ってことじゃなくPK仲間全員――な」
左手を閉じたり開いたりしながら、凄絶な結果をあっけらかんと話すアヘッドにアイルトンは苦々しげな表情を深める。
「一緒に行動してたモリンは魔法で燃やされたの見ただけだが、助けが入るような状況でもなかったしキッチリ始末されてるだろうな。キーネも全身バラバラにされて、インベントリに片付けられる場面を見せられた。他のギルド仲間とは途中で分断されて消息を掴みようがない。まぁ、かく言う俺も御存知の通り殺されたわけだが」
頭をかきながら、まるで冗談のように話す大男の普通さが、周りの者にはかえって痛ましく感じられた。あるいはそれも、負い目のある自分たちの色眼鏡のせいかもしれないと気づけるほど、アイルトンとその仲間たちも精神的な回復を得てはいない。
アヘッドはその周囲の反応など気にも留めぬげに、あっけらかんと続ける。
「伝説のPKKのお出ましだったんだぜ。彼女ただ一人に、《赤耳》もアヘッド様もやられたってワケだ。騒動のオチがこれなんて、なんかマンガみたいだろ?」
「《トイ・ソルジャー》だって?」
にわかに出てきた興味深い名に、アイルトンはオウム返しで問うた。
「そうだ。《フール》を破ったあの《TS》だ」
繰り返すアヘッドに、アイルトンは眉をしかめて考えこむが、その顔にふと怪訝そうな表情が浮かぶ。
「おまえ、なんでちょっと嬉しそうな顔してるんだ?」
アイルトンの視線はこちらを捉えている、ならば嬉しそうな顔というのは、自分のことを言っているのかとアヘッドはわずかな驚きを得る。
「嬉しそうな顔? 俺が?」
無言で頷くアイルトンに、アヘッドはフムンと独りごちる。
「嬉しいのかもな。挑むべき敵を見つけた、それがこの糞みたいな状況の中で光明になってる、みたいだ?」
語尾が疑問形になったアヘッドに、アイルトンはすげなく知らんと返す。
「リアルでこれだけ痛い目を見て、まだ戦闘狂ヅラできるとか。わりとマトモだと評価してたんだが、お前ってヤツは実は筋金入りだったんだな」
呆れたように評するアイルトンに、アヘッドは屈託ない笑顔を向けた。
「それは俺も死ぬ直前に思ったよ。俺って度し難いヤツだったんだなって」
他人事みたいに言ってるんじゃねーよと吐き捨てるアイルトンは、アヘッドの態度にどこか苛立ちを募らせている様にも見える。
「なんだ、機嫌が悪いな」
「――悪い。今のは八つ当たりだった」
平静さを保ったままのアヘッド相手に感情的になった自分に思うところがあったのか、一つ深呼吸した後にアイルトンは謝った。これができるからこいつは凄いなと、アヘッドはアイルトンという人物を改めて評価する。
「ぶっちゃけ不安なんだよ。ボリアを脱出してしばらくしたら、その道すがらに助けろと言わんばかりにおまえがくたばってたんだ。どう考えたって異常事態なのにおまえのその態度だろ? 別に俺らの不義理をなじって欲しいワケでもないが解せないんだよ」
アイルトンとその仲間たちから向けられる視線。ああ、まずはそこからだったかとアヘッドは納得した。
「おまえは何か承知してるのか?」