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決戦世界のタリア  作者: 中村十一
第二章 再会のまれびとたち
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36.トイ・ソルジャー

 キーネと残る二人の人質を追った三人と一匹は、最優先事項を全うすることに成功していた。


 即ち、人質の救出。


 残る囚われの女性たち二名をキーネより奪還せしめ、その魔の手から逃げおおせて今に至る。

 しかしその救出劇において、二人と一匹は敵の姿を見失うと共に、自らの長ともはぐれてしまっていた。

 敵――キーネの仕掛けた罠により、戦端は混乱とともに開かれることになった。エルフの青年は足止めの類には気づいたものだったが、それらは彼の目を逸らす囮に過ぎず、本命はより直接的な殺傷能力を持つ本格的な罠であった。

「あの剣士サマがああまでトラップを扱えるとは思いませんでした。ダメージトラップまで彼女の手によるものだったなんて」

 人質だった女性たちの負傷に応急処置を施しつつ、ラプターは悔しげに漏らす。それを手伝うニノグの表情も優れない。

 バーテニクスも忸怩じくじたる思いだった。ナヴィガトリアより託された、タリアに付き従うという務めは頓挫した。公国兵がキーネの凶刃を浴びようとした際、咄嗟に庇った事に端を発してより、彼が再びタリアの元に辿り着くことはあたわなかった。

 人間(友人)たちの巷に道同する際のこの矮軀わいくは、古龍たるバーテニクスの神性を十全とは発揮し得ない。公国兵ニノグを助けた折の手段も拙い(つたな )もので、彼は自らのあぎとでキーネの一撃を、文字通り食い止めるしかなかった。常なら爪の先一本であしらうこともできたであろう場面だったが、それも叶わない。

 雷のブレスを噴きかけるわけにもいかなかった。彼の息吹は容易く地下の遺構を台無しにできるだけの威力をはらんでいる。加減などできない。これまでの彼の永き生において、その様な工夫を必要とする場面はついぞなかったからだ。

(今後のことも考えると、どうにかしなきゃなぁ)

 バーテニクスはナヴィガトリアによる嫌味を聴く一方で、そんな逃避じみた思考を巡らす。

 タリアの無事は承知している。何となれば、彼女との《交感》のパスは未だ途切れていない。おまけにタリアは、二人と一匹に対する指示も残していた。バーテニクスは、臨時の止り木たるラプターの頭上で反芻する。

 曰く、自分タリアへの心配は無用。救出した女性らを伴い、く避難されたし――


        ◇         ◇         ◇


 キーネによる待ち伏せを、犠牲者を出さずに乗り越えられたのは幸運だった。多少の混乱はあったものの、バーテニクスによれば彼に同道する四人は無事で、キーネの追撃もないということだった。遺構の通路を中央――PKK本隊がいる――へと辿りつつ、タリアは胸を撫で下ろす。

 となれば、キーネの狙いは自分であろうと、タリアはその確信を深める。あの狼少女の姿をした狂戦士バーサーカーは、間違いなくこちらとの再戦を望んでいる。

 キーネのようなプレイヤーの心の動きなど、手に取るように分かるのがタリアである。若き日の藤崎青年もまた、そういった血気に溢れた対戦プレイヤーの一人だったからだ。

 自分の実力はこんなものじゃない、油断しただけだ、自分が本気を出せば勝てない相手ではない――キーネはおそらく、そんな風に考えているはずだ。知識や技術がそれなりの域に届き、自分には隙がなくなったという自負すら抱いている。

 その自負があるからこそ、キーネは自身の本隊にも戻らず、このようなまわりくどい真似をしてまでこちらに拘泥する。

 だがキーネが達した場所は、スタートラインでしかない。対戦ゲームにおける巧者とは、そこからさらに積み上げた、圧倒的な対戦経験をバックボーンに戦いに臨んでくる。タリアから見たキーネは、まだその域に至っていない。戦歴という抽斗ひきだしの数が違う。

 対戦ゲームの戦闘ユニットとして考えた場合、《僧兵タリア》と《剣匠キーネ》、彼我の性能差は先に身に沁みたように歴然としている。それでも戦えない相手ではないとタリアは考える。

 与えられるダメージが足りないなら、何度でも打ちのめしてやれば良い。受けるダメージが致命的なら、粘り強く防ぎ続けてやれば良い。この戦いにおいて、時間はタリアの味方と言えた。

 しばらくして。送り狼の気配が、ヒタヒタと迫ってくるのをタリアは察知する。この世界での変成を経てより、かつてより明敏になった頭脳が記憶するところによれば、この先に練兵場跡が広がっていると、監視団の用意した地図は示していた。ゲーム時代の記憶もにわかに蘇って、それを肯定する。

 偶然かはたまた誘い込まれたものか、いずれにしろ、タリアは向かう先の開けた空間を決戦場と定めると、バーテニクスにその旨を言付ける。例え自分が斃されたとしても、あの狂戦士を仕留め損なうわけにはいかない。後詰めは必要だった。

 通路を抜けると、果たしてそこは地図とかつての世界の記憶にあったとおりの、広い部屋だった。天井も高い。壁面には部屋を見下ろせるような、ギャラリー然とした張り出しが設けられている。

 旧王国時代の練兵教官は、その上から訓練に励む兵士たちを見下ろしていたのかもしれないと、タリアは意識の隅で想像する。

 練兵場の中央に至ると、おもむろに振り返る。離れず付きまとってきた気配が、形を得てそこに立っていた。

「お人好しね。たかがNPCを助けるために、わざわざ誘いに乗ってくれるだなんて」

 二刀を引っ提げた、愛らしい容姿をした死が可笑しげに囀る(さえず )

「――ホントお人好し」

 芝居がかった酷薄さで舌戦を仕掛けてきた狼少女に、ヒト族の少女は敢然と答える。

「NPCなんてものはこの世界に存在しません」

 そのいらえは何の感情もはらまない。静謐を映す僧兵は、青褪めた魔剣をしゃらりと抜き放つ。そして一呼吸置いてから、一刻前の清廉さをかなぐり捨てた。

「でも、そうとでも思わないと怖いんですよね? 自分たちが散々踏みにじってきた人たちが、今更リアルな存在だって認めるのが怖い――」

 タリアの仄白い顔に、底意地の悪い嘲笑が浮かぶ。


「違いますか?」


 反応は劇的だった。軽口の一つも叩かず、瞬時に間合いを詰めた剣匠の双剣が唸る。僧兵は真っ向から受けて立った。

 激昂したキーネの攻め手は直情的だったが、やはりタリアにとってはその一々が重い。タリアは意識して蒼き剣の靭性を変転させ、これを制御することによって剛の剣威をいなす。受ける得物が異界の業物たるこの《ナーズユーブ》でなければ、あるいはそれも容易くなかったかもしれない。それが証拠に、タリアの左側を守るカイトシールドが限界を迎えつつあった。先の交戦でキーネのガード不能技を受け流しきった際、かなりガタが来ていたのだ。

 数合の打ち合いののち、それがついに砕け散ると、対する狼少女の口角が釣り上がる。右から襲い来る攻撃は、今までキーネが見せなることのなかった刺突攻撃だった。出の早い突きを、反射的にすくい上げた《ナーズユーブ》の刀身でなんとか跳ね返す。いや、そのようにキーネに仕向けられてのことだった。左から襲い来る剣撃に、剣を引き戻していては間に合わない。守るもののなくなったタリアの身体めがけ、剣匠の〈強打〉が振り下ろされる。


 刹那せつな、『そうあれかし』とタリアは念じた。異界の剣が応える。


 キーネの放った刃を、《ナーズユーブ》の柄尻つかじりから突如として生えた刀身が阻んだ。

 辛うじて〈強打〉による斬撃を浴びずに済んだタリアは、衝撃に逆らわずに旋転する。刃同士が滑り合うに任せ、力を受け流すようにして一旦間合いを開く。

 強撃を逃れたその先で、タリアは柄の両端に刀身を持つという、奇態な武器を構え直す。

「――ツイングレイヴ」

 対峙する敵はそう呟いたきり、更なる追撃へとは容易に転じてこなかった。


 先刻まで長剣だった異形の武器を構える敵の様子を、キーネは慎重に窺った。

 珍しい剣だとは思っていた。何処かで見たことのある意匠ではあるものの思い出すことができない。少なくともプレイヤー用の武器としてではなかったはずだが、それがよもや、変形するような機能を持つなど思いもよらない。変じた武器のタイプも問題だった。

 キーネは《Decisive(ディー) War() World(ォー)》初期に流行したという変則的な武器、《双刃薙刀ツイングレイヴ》の諸元を苦い経験と共に思い出す。

 柄の両端に諸刃直剣の刀身を備える長柄武器ポールウェポン。攻防一体の専用モーションを特徴とするが、故にトレードオフであるかのようにそのモーションが一々大仰であり、取り回しに難があった。

 おかげで手数を要するほどに殲滅速度が他の武器タイプより低下していくという現実が、狩りの効率を悪くすると断じられて以降、緩やかに廃れていった武器。

 高レベルアイテムがみつからず、プレイヤーのレベルが上昇するにつれて絶対的な火力不足がいかんともし難くなったのも廃れた理由と言われている。

 しかし、そんな評価などものともせず、海外の有名な宇宙叙事詩のファンが見た目重視のメイン武装として今も愛用しており、またその特性から防御戦装備としての評価は高く、一部のPvP趣味人が遅滞戦闘に用いることもあって、完全に忘れられた存在でもなかった。

 キーネは歯噛みする。ゲーム時代の大規模PvP、撤退戦の殿しんがりに立ち塞がり、キーネを釘付けにしたかつての敵手が見事に操っていたのも、この『負けないための刃』だったからだ。

 そして目前の敵の構えは、剣匠たるキーネの目利きからしても様になっている。だとしたらこの小娘は、ツイングレイヴという武器の使い方をく修めているということになる。

「そんなオールドスタイルで!」

 苛立ちを振り払うようにキーネは吠えた。それを合図にして再び剣撃がぶつかり合うも、先ほどまでの攻防と比べて随分とやり難い。安易な打ち込みはツイングレイヴという、キーネにとってはすでに時代遅れな武器の牽制に阻まれる。杖術にも似た回転運動を利して加速された双刃が、強力な防空圏を形成してキーネの二刀を寄せつけない。独特な回転運動より繰り出される斬撃が、この格下の敵の非力を補っていると見て取れた。

 苛立つ。慣れるには対戦経験が圧倒的に足りなかったツイングレイヴの步法は見切りにくさもあった。押すも退くも、それぞれが冗談の様な回転をともない、巧みに刀身を捉えにくくする。

 強敵だった。レベル100越え(オーバード)に達していない下位職を相手に臆する自分の勘をことここに至ってはキーネも疑わなかった。それをがえんじてあり余る証左として、これまでPKKのオーバード相手に手堅い強さを誇った自分の無様がある。

(――薫がいてくれたら!)

 キーネが苦し紛れに矢頭薫というリアルの友人を想起した瞬間、関連した記憶から煌めきのごとく唐突に浮上するものがあった。

《ディーウォー》に引きずり込んだ自分をして引くほどの勢いでゲームに、対戦にドハマりした親友が、参考になるからと示した情報の数々。

 キーネをも啓蒙した『血の一週間』。その無秩序なPK戦の坩堝に君臨したのが《人喰い》フールという悪党だった。だがその大仰な二つ名を冠せられたPKも無敗という訳にはいかず、ただ一度であるが敗北を喫している。

 そんな《人喰い》自らが録画編集したというプレイ動画を薫は見つけてきた。彼が、これまた唯一ネット上にアップロードしたのが、自らの敗北となる一幕。

 動画のタイトルは素っ気なく『トイ・ソルジャー』と記されていた。

 あまり達者とは言えない製作者フールの手によるブロックノイズ混じりの動画に映っていたPKK。

 あくまでゲームシステムに従う攻撃モーションと移動モーションを、しかし巧みに組み合わせる操作によって舞うような動きで魔法攻撃をすり抜けるPKKの得物もツイングレイヴであった。

 それに《人喰い》が翻弄される様を、横でしきりに感心する薫に白けながら、香澄はさしたる感銘も受けずに眺めたものだった。

 その動画のPKKをキーネが(、、、、)思い出した時、記憶の中のそれと目前の敵が見せる舞うような動きが重なる。ゲームの通り一辺倒な動きと(モーション )現実のそれでは大きく印象を異にするが、戦技を修めた者としての目から見れば両者の為すところは等しいと理解できる。

 フールを斃した武骨な甲冑にフルフェイス兜の、まさにブリキの兵隊オモチャ然としたなりの武者も、目の前の少女に等しく小兵こひょうではなかったか。

TS(ティーエス)……!」

 キーネはそのPKKに付けられたあだ名を、絞り出すようにして舌に登らせた。トイ・ソルジャーの頭文字を取ってTS。

 その小兵が見せた攻撃モーションを利用した移動法や連携の組み立ては、『TS法』などと通称までつけられ、ツイングレイヴを使う者の間で流行った時期もあった。

「嘘でしょ」

 途端、目も眩むような怒りがキーネの胸中に渦巻く。こと、決戦と定めたこの場面でこれである。正体を露わにしたヒーローに討たれるのが、この自分の役どころだというのか。

 あまりにもハマり過ぎな自分の悪役ぶりに、香澄は怒りを募らせる。

 自分をこんなおかしな世界へと引きずり込み、イカレた状況に陥らせた神は、これを望んでいたというのか。

 それは八つ当たりじみた思考であり、身勝手な怒りであり、自らが為したことの帰結であったが、キーネはそう思わない。散々悪役を楽しんできた彼女は、しかし他者からそうと任ぜられることを良しとしなかった。


 懐かしいあだ名が敵の口からこぼれた。それにふと昔を思い出して、タリアは改めて自分を調律する。あの野放図だった、悪意のぶつかり合う巷を渡った時の自分へと。

 あの時と決定的に異なるのは、彼我に全き(まった)死が訪れるという現実であるが、悪意の応酬であることに変わりない。

 TSというあだ名を得ることとなった旧友フールとの戦いは楽しい物だったが、そんなのは極一部で、あの一週間は藤崎にとっても、色々と考えさせられるところがあった。


 自覚なき悪意、無責任な悪意は、故にいとも容易く振るわれる。


 この世界に来て早々の頃、臆病とも言えるほど慎重になれたのも、あの時の経験に負うところは少なくない。

 ことの始めから対人戦闘に躊躇いを覚えたタリアだった。しかし、彼女のそういった真っ当な心根を以ってしても、これまでにPKがしでかしたことは許容できるものではなかった。

 あるいは、所詮つい一月前まではごく普通の勤め人でしかなかった藤崎の心では流石に耐え切れなかったというところか。

 せめてゲームの中では、照れ臭い善行を気取ってみてもいいじゃないかと、面映ゆさを堪えて人の和というものを大切にして、この世界にあっても実践してきたがついに藤崎は音を上げる。

 自分はこの不毛な戦いに倦み始めているのかもしれない。藤崎はタリアという理想の少女像を維持することを放棄した。

 みんなのためにこの狂犬を何とかしなければならない、そんなおためごかしはやめる。時間稼ぎをすればいいなどという言い訳も笑い飛ばす。

(《赤耳》は叩きのめす、確実に息の根を止める――)

 PK勢への諸々の怒りを、ただ目の前の狼少女だけに向ける。

 こうしてタリアとキーネ、憤怒をまとった二人の少女の戦いは決着へと加速していく――


        ◇         ◇         ◇


 タリアが練兵場跡でキーネと交戦しているという連絡を最後に、バーテニクスとの《交感》によるやりとりは途絶えていた。彼がさらわれていた女性たちを伴い、郊外側へと移動しているためで、それ致し方のないことだった。

 アーサーとアヘッドの戦いは互いに積極性を欠いていて、散漫なものとなっていた。そこにもたらされたバーテニクスの報せによって、不覚にもアーサーは練兵場跡へ向かうことを優先してしまった。

 そのアーサーの行動に何を感じ取ったものか、アヘッドはアーサーに先んじるようにして練兵場跡へ向かう。

 狭い通路を辿り、ついにアヘッドに追いついたアーサーは、階下を望む彼の背中がわずかばかり震えたことに気がついた。

 アヘッドの隣に立つ。許されるがまま、同じ様に眼下の広間に目をやれば、そこでは今まさに一つの戦いが決着したところだった。

 紅い髪の狼人族の少女の頭部がゴロリと床に転がる。特徴的な赤髪とイヌ科を思わせる大きな耳が彼女の素性を如実に告げている。ジェシカからパーティー仲間を奪い、討伐隊の手を散々焼かせた狂戦士――赤耳キーネがついに討たれた瞬間だった。

 首を失って倒れようとするキーネの四肢が、瞬いた剣閃により寸断されて散らばる。血の海に沈んだそれを、異形の得物で腑分け(、、、)する白い少女の姿に、アーサーですら思わず息を飲む。

 白い少女――タリアの清廉な衣装が、血溜りの赤さの中に在っていっそ凶々しく見える。

 キーネだったモノが細切れにされた末、ついにこの世から消え去る。タリアが自らのインベントリへと回収したのだろう。そしてそれは、《偽神》であるキーネにも全き(まった )死がもたらされたことを意味する。

 こうして、今回の騒乱でPPK側に多大なる被害をもたらした難敵は、タリアの手によって斃された。

 友人――キーネを探し求めたアヘッドは、ついに間に合わなかったことになる。皮肉なことに、その結末が彼女(、、)を鈍らせていた要因を取り除いてしまった。

矢頭やがしらさん――」

「朝井君、私は彼女に感謝しなきゃいけないわね」

 思わず発せられたアーサーの言葉は、囁くような、それでいて鋭利な刃物のごときアヘッドの声に遮られた。

「だって貴方を恨まなくて済むもの。私の仇は、あのお人形さんみたいな女の子ってことでしょう?」

 アヘッドの、むしろ穏やかともとれる平坦な呟きに危険なものを感じ、アーサーの中でようやく天秤が傾く。

 矢頭薫――かつての世界で居心地の悪くない友情を築いた女性はこの世にはいない。今目の前で背中を晒しているこの男は、この世界で喪いがたい仲間であるタリアにとって、とても危険な存在になる――

 かつての現実世界での縁をしこりにして、決定力を欠いた二人の追撃戦は、唐突にその様相を変じる。

 アーサーは選択した。龍人の巨漢は、魔法使いにあるまじき敏捷性でもってヒト族の男に襲い掛かった。

「〈衝撃〉」

 たった一言で『力ある文言(パワーワード)』と化す近距離攻撃魔法を放つ。

 まるで背中に目でも生やしているかのようにアヘッドはこれを容易く回避。しかし、一癖も二癖もある仲間たちに感化されて鍛えた、アーサーの杖術がこの場面で活かされることになる。

 アーサーの手にする金属製の杖が、凶暴な風切り音を鳴らして鋭く振り下ろされるのと、アヘッドが振り返りざまにその身を捻ったのはほぼ同時。そしてアーサーの一撃はまたも躱される。

「いきなり――」

 身体を反らして事なきを得たアヘッドだったが、「ひどいな」と続けるつもりだった軽口は途中で飲み込まざるを得なかった。

 龍人の杖による初撃はフェイント。振り下ろした杖の頭は鮮やかにアーサーの胸元へと引き戻され、代わりに下方よりすくい上げるように持ち上がった杖先の一撃がアヘッドを捉える。巨体が冗談のように宙へ浮き、広間の方へと投げ出された。

 アーサーは小さく舌打ちを漏らす。手応えが妙に軽すぎた。フィクションでは度々お目にかかる、打撃の類を受け流すように跳んで被害を抑えるという妙技を、の敵はやってのけていた。

 長々と詠唱していては、降下と共に運動の自由度を得るアヘッド相手に追撃が間に合うまい。瞬時に判断したアーサーは、空中で隙だらけと見える敵を目掛けて瞬間移動、異空間からの再出現と共に〈衝撃〉による攻撃を試みる。

 だが恐るべきことに、照門準代わりに突き出したアーサーの腕は、それを抱え込むようにするアヘッドにするりとからめ取られた。

 わずかに焦りながらも構わず発動句トリガワードを叫ぼうとするアーサーの顔面に、その一瞬の虚を衝いたアヘッドの踏み潰すような蹴りが炸裂する。

 龍人の頑強な頭部すら揺さぶる痛撃に目が眩む。これでは流石に〈衝撃〉を当てられる自信が持てない。ならば――

「タリア、敵です!」

 そう叫べたのは僥倖だった。次の瞬間にはアーサーの喉首はアヘッドの刃によって絶ち切られる。死に体となって広間の床に転がるのを、もはやアーサーはどうにもできない。

 判断を誤った。魔導師アーサー猟兵アヘッドに近接戦闘を挑むなど愚の骨頂。近接戦闘において殴られながら魔法で反撃するという、龍人魔導師の頑強な肉体を活かした戦法は、所詮ゲームという極めて簡略化された事象の下でしか有効たりえなかったと思い知らされる。

《偽神》は尋常ならざる存在ではあるが、その肉体は尋常のことわりに縛られ、刃で生命線を絶たれれば、当たり前のように生物としての機能を止めることとなる。

(これではもう戦えない――)

 もはや動かない己が身体という魂の牢獄の中で、アーサーは自らの慢心を悔やんだ。 


 突然の衝撃音と聞き慣れた仲間の声にタリアが振り返ると、練兵場のテレスに開いた上層階の出入り口より、鮮血を撒き散らしながらアーサーが落ちてくるところだった。

 そしてもう一人。龍人に見劣りしない巨躯の持ち主が、逆落としに降ってくる。

 しかしその巨漢は鮮やかにトンボを切ると何事もなく着地し、無防備に落下したアーサーを置き去りにして、次の瞬間にはタリアの目前へと達していた。

 タリアと襲撃者の戦意が激突する。まるで呼応したかのように、二人は互いの凶器を繰り出していた。

 タリアのツイングレイヴと敵の武骨なダガーが激突して、盛大に火花を噴き上げる。

 タリアはダガーを阻んだ方の刀身を瞬時に翻し、死角から襲う対の刀身を相手の足元から胸元へ滑り込ませる。しかしその刃先は、瞬く間に切り返されたダガーによって見事に阻まれた。

「その手はたった今見せてもらったばかりだ」

 恐るべき膂力を完全にコントロールする体術の冴えは、ダガースキルが相当に高い証左であろうか。

 ダガーの使い手に懐近く潜り込まれるとは手痛い失態だった。おまけに酷く手強い相手だと、タリアは難しい防戦に歯を食いしばる。難敵を退けた直後とは言え、戦場にあって一時いっときでも油断したことを大いに悔やんだ。

 敵の容貌とアーサーと共に姿を現したことから、相手は対人戦巧者として話に聞いたアローヘッド――アヘッドその人であろうと看破する。アーサーは結局、着けるいわれのない決着をつけようとしたのかと、そのやるせなさにタリアの胸も微かに痛む。

 アヘッドの面は(おもて )獰猛に歪み、凶相と化していた。そんな彼が放つ怨念塗れの鬼気に、しかしタリアは怯まない。

 休みなく二人の攻防は続く。殺気をはらんで繰り出された、蹴りからダガーによる〈強打〉へと変化するアヘッドの連携技コンビネーションをいなすと、隙を穿って無理やり〈強打〉による逆襲を放つ。

 タリアのカオも、それと知らずアヘッドが揶揄した通り人形のように造りものめいて、ある種の凄惨さを漂わせていた。


 アーサーは失血が引き起こす肉体機能の低下により、次第に失われていく視力を叱咤しながら二人の戦いを窺っていた。

 タリアの格上を相手取った奮戦は流石と言えたが、強敵との連戦は危うさをはらんで見える。アーサーは全き闇の中へと沈みながら、応援の到着をただただ祈るしかなかった。


 アーサーの意識が外界と切り離されようとしている間にも死闘は続いていた。激情に駆られたアヘッドの操る肉厚な刃が、連撃となってタリアを襲う。対して今も無感動に凪いだ面で(おもて )タリアは踊るように旋回を繰り返し、遠心力を上乗せした対なす刃を操って復讐者アヘッドの猛攻をことごとく打ち払っていた。タリアの周囲で鋼が打ち合わされ、火の粉の華が次々と咲きこぼれる。

 レベル差、格の違い――圧倒して然るべき相手が、自分と伍することに苛立ったアヘッドが堪らず叫ぶ。

「噂のタリアちゃんは、容易く人を切り捨てないんじゃなかったのか!?」

人なら(、、、)切り捨てたりしない――」

 咄嗟に吐き捨てた憎まれ口への返答は痛烈だった。その聞く者を寒からしめる透徹とした声に薫は慄く(おのの )。と同時に、叩き返されたわずかな言葉によって唐突に理解する。自分が何を恐れ、危惧していたのか。

 タリアの言葉で漠然としていたそれが浮き彫りになる。


 ああ、人に牙を剥いた自分たちは、その時から人の敵と化していたのだ。


 理解と共に、人々の営みから切り離されるという恐怖がせり上がってきた。生温なまぬるい現代日本の感覚に馴れた精神こころが、この身の置き場の無さに狂いそうになる。

 アヘッドはそれを誤魔化すように無我夢中となって刃を振るうも、精彩を欠いた技は尽くタリアによって阻まれた。

 激闘のさなか、不意にアヘッドの足がもつれる。無様に床に手を突きつつも、辛うじて敵の刃を躱し、なんとか体勢を持ち直す。そして彼は気づいた。不甲斐ない自分が、何に足を取られたのか。

 息を整えながら、眼前に構えた手から滴る赤を見やる。血なまぐさい匂いに、喪われた友が残した生の名残りを見つける。

 思い出せ、目の前の少女は、香澄を惨たらしく殺した、わたしにとっての怨敵ではないか。

 人類の敵となった? だからどうした。この世界の誰より、わたしには彼女が大切だった。

 身勝手に身勝手を重ねて、アヘッドは萎えかける闘志の炎に、怨念という名の薪をくべる。逆恨みだとは、はなから百も承知だった。

 懦弱を振り切るように吠える。破壊力を秘めた巨体が恐るべき膂力によって加速される。独楽コマのように舞うタリアの刃をすんでに躱し、たなびく長い髪に手を伸ばす。その何とか届いた急所を掴むと、ためらわずに力いっぱい引き寄せる。

 ぶちぶちと、かつての自分なら身の毛もよだつ感触が手のひらに伝わるが、それも構わずに手繰ってのける。ご立派なことに、少女の口から悲鳴は迸らなかった。

 しかしタリアの首が、がくりと危険な勢いでかしぐほどに篭められたアヘッドの力は、彼女の動きを制することに成功した。タリアの薄汚れた白い帽子が、その反動でどこかに転がるも、アヘッドは頓着しない。

 さらに肉迫し、部分鎧の隙間をぬって愛刀《ナパーム》を叩き込む。

 わずかに鎖帷子の抵抗を感じたが、アヘッドの膂力と頑丈なダガーの切先による侵入を阻めるほどのものではなかった。

 肋骨を避けるように寝かせた刃先が、ズブリと敵の体内へ潜り込んだ。それを、迷うことなく捻ってやる。とうとう漏れ出た可愛らしい苦鳴がアヘッドの耳朶を打つ。その声にほんのわずかばかり残され真っ当な心が怯んだ。しかしアヘッドの内の大半を占めた復讐鬼は、それを甘美な音色と感じてくらく哂う。

 次の一手にも躊躇いはなかった。もとより、対回復職戦において攻撃の手を緩めるという選択はあり得ない。


「〈ぜろ〉」


 少女の脇腹から、爆発的な閃光が溢れだした。


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