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決戦世界のタリア  作者: 中村十一
第二章 再会のまれびとたち
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35.公都の長い夜 その14

「他の場所にも、捕まってる人たちがいるんです!」


 辺りが騒然となった瞬間、キトンは自分たちを護る剣士の背中に叫んでいた。防戦に努めているためか、流石に振り返らないものの剣士がはっきりと頷く。


「別動隊が向かってる」


 その返事に頼もしさを感じつつも、キトンの胸中のざわつきは治まらない。この場に居ない、とらわれの女性たちを助けたいという思いがキトンを突き動かす。


「わたしはさらわれていた人たちの世話をしていました。何かの役に立てるかもしれません、応援に行きます!」


 言い切るキトンに、周りの回復職の女性たちから制止の声が上がる。それを無視して剣士のいらえを待つ。


「剣は使える?」

「――はい!」


 剣士の問いに即答すると、一振りの長剣と黄色の帯が後ろ手に差し出される。


「味方はこの黄色の布を身につけているから、それを目印に。キーネは健在との情報あり。健闘を祈る」

「ありがとうございます、お借りします!」

 

 キトンは剣を受け取ると、帯を目立つように襷掛たすきがけに縛りつけた。そして剣士が作り出した安全地帯から迷うことなく駆け出す。

 馬鹿なことをしようとしているという自覚はあったが、それより虜と(とりこ )なっている女性たちを心配する気持ちがまさった。

 何人もの犠牲を出しつつ、それでもここまで生き長らえてくれた彼女たちを、何としても助けたい。囚われの日々の中で、自分がしてきたことが無駄ではなかったと、キトンはどうしても証明したかった。

 この身体の純血を奪った男は、あの頼もしい剣士によって斃された。それをこの目にした瞬間から、キトンは自分を縛りつけていた呪縛めいたものが消え失せたように感じていた。

 相棒でもあった友人を喪って以来、久しく見失っていた前向きな自分というものが徐々に蘇ってくる。

 自己強化の魔法を唱え、乱戦の中をPKが『作戦室』と呼ぶ広間を抜け出す。出口に達するまで、幾度か害意ある何かと接触したが、高僧ハイプリーストであるキトンの〈障壁〉を破る程の威力を持ち得なかったのか、彼女の身体を傷つけるには至らない。


「〈加速ヘイスト〉!」


 猫獣人のしなやかな肢体が、更なる推力を得て疾駆する。

 俯いて行き来するのが常だった通路を、しかし今のキトンは、迷うことなく正面を向いて駆け抜けた。



 根性の座った僧侶に離脱されたのを少々惜しみながらも、ナヴィガトリアは戦場を見据えていた。彼女を追える敵はいない。カラグ公子率いる混成部隊は即製なりによく連携しており、予定通り外環方面への出入り口を塞ぐように動いている。

 圧迫された敵PK集団は、郊外側の出入り口方面へとその稚拙な陣形を収斂さ(しゅうれん )せる。そうせざるを得ない。図らずも、抜け出した僧侶を支援するかたちとなった。


『本隊攻撃開始!』


 ナヴィガトリアの脳裏に、バーテニクスの《交感》が飛び込んできた。それと時を同じくして、敵から動揺を含んだどよめきが湧き起こる。


「PK討伐の本隊が到着した。もう少しの辛抱」


 背後の女性たちに声を掛ける。ようやく明るさを取り戻した彼女たちの返事の声に、ナヴィガトリアもほっと一息つく。

 ――護衛ミッションは得意じゃない。

 この待ち時間は、彼にとっても我慢の時間であった。

 今回の戦いは剣聖のスキルである〈念動剣〉がとても役に立っている。ゲーム時代はインベントリ上に並べた大剣を打ち出して、目標に単純な攻撃を仕掛けさせるくらいしかほぼ役に立たなかった。

 威力はあれど、名前負けした印象が甚だしい退屈なスキル。しかし、その退屈なスキルも、この世界では文字通りナヴィガトリアが念ずるままに剣を動かせるとい

う、異常に使い勝手の良い技と化していた。

 彼の認識が及ぶ範囲において、〈念動剣〉により駆動する剣は自在に宙を舞う。敵の接近を牽制し、攻撃魔法が飛んでくれば数振りの剣が陣を組んで強力な防御力シールを形成して跳ね返す。ナヴィガトリア一人の力で、強固な防御陣地を実現なさしめている。

 ふと、公国兵アーバスが姿勢を崩すさまが目に留まる。知らぬ仲でもない彼の危機に〈念動剣〉の一振りが反応して助けに入る。敵の刃が宙空の剣に阻まれている隙に窮地を脱した彼は、味方と共に反撃を繰り出して襲いかかってきたPKを見事に仕留めた。

 アーバスの口が感謝の言葉を紡ぐように動くのも見届けず、剣聖は己が陣地をじりじりと安全圏へ移動させた。



 激戦である。味方前衛の攻勢からこぼれた敵の一人が、無様によろけつつジェシカの前にまろび出てきた。体勢を乱し、隙だらけのまま焦った様子でこちらを見上げた男の顔が、恐怖で瞬時に引きつる。

 男の顔には見憶えがあった。以前にエルクーンより脱したPKの一人である。


ゆるしてくれ、ジェシカ! 今度こそ改心する、反省するから! 悪かった、本当に悪かったよ!!」


 泣き笑いなどという表情が本当にあるもんなんだなぁと妙な感心をしながら、目の前で慌てて武器を置いた男に、しかしジェシカは厳つい龍の頭を左右に振って応じる。


「うん。本当に悪いことしたよ、アンタたちは。足りない頭では理解できないかもしれないけど、ホント最悪」


 前方ではいまだ激しい戦いの最中である。故に彼女もまた、戦意喪失した相手にいつまでも構ってはいられない。 


「信用ってのは一度失くしたら得難いものなんだよ。だからさ、きちんと始末させてもらう」


 龍人僧侶のあぎとから無慈悲な宣告が下ると、男は悲鳴とも奇声ともつかない音を歪んだ口元から迸らせる。必死の形相で手放した己が武器を拾おうと手を伸ばすが叶わない。分厚い鋼の刃を浴びて、その両腕は呆気なく斬り飛ばされた。


「わたしたちがこの国で生きていくためにも、アンタたちは死ね――」


 龍人ジェシカが操る大振りな戦斧が、たった今まとわり付いた鮮血を跳ね飛ばしながら翻る。それは、半ば喪われた腕を掻き抱いてのたうち回る男の頭蓋骨を捉えると、粉々に粉砕してのけた。

 ジェシカの脇を固める味方が、頭部を割られた男に手をかざす。しかしその《偽神》はいまだ健在であり、インベントリという名の棺に潔く収まることをよしとしない。

 周囲から攻撃が集中し、血みどろの肉塊となった敵の成れの果ては、そうなってからようやくジェシカたちの目の前から消え失せる。

 血に塗れた得物を手に、討伐隊の長は何事もなかったかのように顔を上げた。味方を支援魔法で支え続けねばならない彼女には、躊躇も遅滞も許されない。



 神話時代の戦いとは、斯くの如くあったのだろうか。カラグは尋常ならざる者たちの凄絶な死闘を目の前にして、そんな思いに駆られていた。

 人の手ではとても持ち上げられないような、よしんば持ち上げることができたとして、無理矢理振り回せば肩なり腕なりの筋を損なうこと請け合いの、鉄塊のような得物がぶつかり合い、火花を散らす。

 そんな常識外れのシロモノから攻撃を浴びて、凹むだけで済む甲冑や砕け散らない盾も大概だが、折れ曲がった手足、穴が空いた腹腔がたちどころに完治する異常さは、癒し手を恐れるべきか、治される方の怪物めいた回復力に呆れるべきか。

 今しもこちらに向かって放たれた敵側魔術士の火弾が、味方の術士の張り巡らした〈障壁〉によって阻まれる。公国の兵たちから思わずといった風にどよめきが起こるも、カラグたちを襲った魔力の火弾は、恐るべき威力を想像させるに足る眩い火の粉を残しながらもあっさり砕け散った。

 そこに、冗談のような刃渡りと、それに見合った幅広な刀身を持った大剣を引っさげて敵兵が突撃してきた。敵は若いを通り越して幼いとさえ言える容貌の少女である。カラグは一瞬タリアの顔を思い浮かべるが、敵少女の顔は怒りとも恐怖ともつかない表情に歪み、あの優しげな僧侶とは似ても似つかぬものだった。 

 少女の攻撃は、やはり常軌を逸していた。舞うように回転する細い身体の、一体どこにそれだけの力を秘めたものか、失速することなく巨大な剣を振り回す。どういったバランス感覚が為させるのか、その剣筋はほとんど乱れずに目標を穿つ。

 でたらめだった。この世界の真っ当な術理においては、意味を見出すことなどできない、とても剣術などとは呼べない回転運動が、恐るべき破壊力を生み出す。

 魔法の火弾を退けてなお残滓を留めた〈障壁〉が、回転により繰り返される巨剣の斬撃によって瞬く間に粉砕された。その無慈悲な鉄塊による暴風は、監視団が徒歩の際に用いる制式小剣や盾では、とても防ぎようがないと思われた。

 しかしカラグの隊に同行する冒険者たちが、魔法の力で兵士を支える。兵士たちの武具はにわかに輝きを帯び、その肉体には活力がみなぎった。


「支援します!」


 頼もしい声に力を得て、兵士たちは目の前で回転する恐ろしげな刃へと挑みかかる。火花と血飛沫が飛び交う中で、しかし負傷者の傷も回復魔法によって立ちどころに持ち直す。

 監視団兵士の合力ごうりきによって大剣の技を返された敵の少女が、体勢を崩して隙を晒す。それを見逃すほど冒険者たちは甘くない。魔法の炎や雷撃が、激しく少女を打ちのめす。ボロボロになって怯むその姿を見て取ったカラグは、好機を逃さずに攻勢を命じる。


「今だ、押し込め!」


 牽制のためか、前進する兵士を撃とうとした敵の攻撃は、再び張り巡らされた味方の〈障壁〉により阻まれた。小さな少女の身体に味方前衛の刃が殺到してこれを黙らせる。

 敵前衛たる少女を討ち取った勢いのまま、カラグの隊は敵の術士たちへと肉迫。敵の悲鳴と、味方の歓声が激しく混交する。

 多勢に無勢。戦い自体は、数で優るカラグたちに有利に展開していった。挟撃が功を奏し、敵は動揺したまま、効果的な反攻もできずにその数を減らす。

 ラエルガス監視団の精兵と言えど、敵が振るう尋常ならざる技には散々苦労させられてきた。それが今は対等以上に渡り合い、圧倒しつつある。

 カラグはタリアたち冒険者の助力が得られた幸運に、改めて感謝した。彼らがこの戦いで示してくれた誠意の数々を、自分は忘れないでいようとライルネスの公人たるカラグはしっかりと心に誓った。



 状況はいよいよ絶望的に見えた。アヘッドの周りにも、もはや心許ない数の仲間しか残っていない。いや、残っているのは彼のギルドメンバーのみだった。他の集団とは乱戦によって分断され、連携も取れない状況と言える。

 かつて同じゲームを遊んでいた同胞やこの世界の住人たち。何の罪もないそれらの人々の尊厳や命を奪い、あるいはその愚行を許容した。自分たちは冗談で済まされないことをしでかしたのだ。その報いは、こうして厳然と押し寄せてきていた。

 この世界はおそらく、無為で身勝手な罪を犯した者にはさほど寛容ではないだろう。ましてや、罪人の生命を手厚く保証するほどの慈悲と余裕があるとも考えられない。それを証明するかのように、今しも仲間たちの命は、次々と刈り取られていく。


(状況に流されることなく、自ら決するべきだった――なんて今更ね。友だちの悪さも止められなかったわたしに)


 自嘲しつつも、アヘッドの身体は淀みなく殺戮を実行する。隠密ハイスカウト目掛けて突撃してきた敵戦士の足元を容易く払うと、重心を失ったその身体を、ほとんどワンモーションで地べたへと押し付ける。

 アヘッドの頑丈な肘が、仰向けに倒された戦士の喉元に潜り込む。十分に体重を乗せ、念入りに押し潰す。そうしながら素早く横転、振り向きざまに動かないその頭部を激しく蹴り飛ばすと、仲間の追い討ちも重なり戦士はそれで沈黙する。


「ここはもうダメだ。キーネと合流しよう。次の敵の一当てをすかしたら、外環通路への出口に突撃する」


 キーネ、いや香澄のことが心配だった。今となっては根岸香澄こそ、必死に虚勢を取り繕っている矢頭薫にとって、唯一の寄る辺と言える。

 先刻、猫耳の僧侶が消えた出口に一瞥をくれたあと、アヘッドはギルドメンバーに宣言して周囲を見渡す。比較的統制がとれたままの自分たち集団に、業を煮やした敵の一団が迫っていた。


「敵前方に火力を集中後〈障壁〉及び〈対魔防壁〉展開、転進して離脱を図る。落伍者は無視だ!」


 アヘッドの指示にギルド員たちが応える。アヘッドも呼び出した長弓を構えると素早く〈弾幕バラージ〉を解き放った。足止めのための布石はしかし、その半ばで阻止される。

 アヘッドとハイスカウトが放った弾雨は敵の鼻面に降り注いだが、魔法による攻撃が見受けられない。突然訪れた静寂に事態を察したアヘッドは、瞬時にその身を翻す。


(〈静寂サイレンス〉!)


 彼の仲間にも間抜けはいなかった。アヘッドに続き、当初の指示には拘泥せずに退避へ転ずる。

 寸でのところで敵前衛のあぎとより脱したアヘッドたちに、遠距離攻撃の驟雨が降り注ぐが、構わず走り続ける。

 魔法による制音空間を脱すると、アヘッドの耳朶じだを悲鳴が叩いた。目標の出口付近に非武装の一団――長らく囚えていた回復職の女性たちの姿を認める。そして、あの黒衣の剣士――


「南無三!」


 アヘッドはキャラ付け(、、、、、)のための(、、、、)口癖を叫びつつ、剣士へと疾走った。かつてはLCDの前で、散々小声で呟いていた言葉だった。長弓を虚空――インベントリへと放り込みつつ、無手で以って恐るべき敵へと迫る。

 難敵への挑戦に、アヘッドはふつふつと闘志が湧き起こるのを感じる。

 こうなると薫の出る幕はない。こんな時だというのに、まったくもってこの自分(、、、、)は度し難い(、、、、、)

 薫が嫌っていた男を葬ってくれた空舞う大剣が、今度はこちらをターゲットにして飛んでくる。確かに便利な技だ。初見なら対処も難しい。しかし、アヘッドに言わせてみればこんな手妻など、タネが割れていれば恐るるに足らない。


 素直に飛来した一撃を交わすのは、実に容易いことだった。

 反転して斬り込んできた一撃は、剣身を横から殴りつけてこれを弾き飛ばした。

 死角をついたつもりだったろう一撃は――甘いとしか言い様がない、飛んでくるコースが見え見えだった――蹴り上げて掴みとった。


 アヘッドは巨体を旋転させると、ぶん獲った大剣で残る襲撃を一瞬のうちにまとめて打ち払った。興奮に突き動かされるままに、敵手へ向けて吠える。


「返すぜ、ヒーロー!」


 その叫び声も、黒衣の剣士に向けた視線すらもフェイク。アヘッドは振りかぶった勢いのまま、非武装の女性たち目掛けて大剣を放り投げた。さすがの剣士も、驚愕にその目を見開く。

 狩人のスキル〈投剣〉によって威力を増した必殺の凶刃が、女性たちに迫る。果たして黒衣の剣士が操る大剣の群れは、裏切りの一振りを抑えるために女性たちの元へと集まった。

 それを尻目に、アヘッドと仲間たちは出口へと逃げ果せる。一度牽制の攻撃を放ったあとは、一心不乱に走る。しばらくして振り返れば、すぐ後に着けていたはずのギルドメンバーたちの姿がなかった。最早アヘッドに付き従うのは、ハイスカウトの少女ただ一人だった。

 アヘッドは不安そうに見上げてくるハイスカウトにかぶりを振って見せる。


「ここに居てもしょうがない。奴らならそう簡単には――」


 お決まりの慰めを口にしかけたアヘッドの目の前で、少女の身体が衝撃に打たれたように仰け反った。突然のことに咄嗟に跳ね退いた眼前で、ハイスカウトの身体は内部から突き出してくる氷柱つららの穂先で切り刻まれていく。

 目標の真芯を正確に捉えた〈氷爆〉。自分たちの気が緩む瞬間を狙いすました襲撃にアヘッドは振り返る。逃げてきた通路の先に、巨大な人影が立っていた。自分たちに追いすがってきた敵の正体に、アヘッドはわずかにたじろぐ。

 もはや努めて意識しなければ、口にすることもなくなった日本語が自然とこぼれた。


「朝井くん――」


 勇壮な巨躯をローブで覆った異形の魔導師ウィザード。エルクーンからの合流組が怖れた殺戮の化身たる龍人ドラコを呆然と見つめる。

 魔導師のいらえは、発動句トリガワードだった。動きを止めたハイスカウトに〈劫火〉の魔法が炸裂し、アヘッドは寸でのところで熱波をかわす。


「矢頭さん。君をそっちに向かわせるわけにはいかない」


 初めて耳にするアーサーの声は、薫が現実(、、)に知るそれとは大きく異なった。しかしその声のリズムは、確かに『朝井勇太』を思い出させて薫の郷愁を誘う。だがそれを、素直に懐かしめるような場面でもない。


 ――自分はやはり、どこかで致命的に間違ったのだ。


 アーサーの明確な闘志を、アヘッドとしての感覚が痛いほど捉えていた。



 ナヴィガトリアが出し抜かれるという事態にアーサーは慌てた。その相手が、自分と縁浅からぬアヘッドとその仲間たちだと気づいた時には、直ちに行動に移っていた。

 PK本拠での戦いの趨勢すうせいは、すでに決しようとしている。しばらくすれば掃討戦へと移るであろう状況を鑑み、この場の後の事は余人に任せても構わないだろうと判断をつける。そして周囲の味方の幾人かに協力を請うと、臨時の追撃隊を編成した。

 部屋を去り際に、保護した女性たちの護りを堅持するナヴィガトリアとアイコンタクトを交わす。剣聖の冷静な判断を頼もしく思いながら、あとは自分に任せろという意思を込めて頷いて見せた。

 アヘッドの仲間に追いすがり、一人、また一人とその移動力を奪い、殲滅のために味方をその場に残した。途中に追いついた敵とは違い、アヘッドともう一人は忍耐強く逃走に徹したため、捕捉するのには随分と手こずることになった。

 しかし運はアーサーに味方した。足を止めた敵二人に対し、アーサーは襲いかかる。

 目標を密偵スカウト系の少女に決定。〈氷爆〉を詠唱開始。

 この選択は、撃破が容易な方を先ずは撃破し、敵の手数を減らすという冷静な状況判断から為されたものだ――

 アーサーは目まぐるしく未来予測を行いながら、同時にそんな言い訳じみた思考を巡らせる。

〈氷爆〉の発動句を放った次の瞬間には〈劫火〉の詠唱を始めていた。限定空間を急激に冷却され、身体機能を著しく損なわれると伴に指向性を持った氷塊の増殖現象によって身動きもままならない致命傷を負った目標めがけ、再び空間投射型の攻撃魔法を――


「朝井くん――」


 放つ。

 炎の中に敵の一人が沈む。残った相手に、その魔法の炎越しに声を掛ける。


「矢頭さん。君をそっちに向かわせるわけにはいかない」


 自分の闘志は鈍っていない。鈍っていないと思う。アーサーは自分の心に自信が持てなくなる。

 この異形の耳に届く彼の声は、決して彼女の口から紡がれたものとは似ても似つかないというのに、なぜアヘッドを『矢頭さん』などと呼んでしまったのか。

 決まっている。アヘッドが口にした『朝井くん』という呼びかけのその自然さが魔導師アーサーという殻を突き破り、冴えない学生でしかない朝井勇太を動揺させる。

 

「ここで死んでもらう。僕が、殺す」


 声は震えなかったろうか。揺らいでしまいかねない心を取り繕うため、アーサーは強い言葉を吐く。


「降伏すると言ったら?」

「もう無理だよ。君たちはこの世界の人々に、自分たちの危険性を見せつけすぎてしまった」


 アヘッドの問いにも、突き離すように答えた。


「公国は、自分たちの獄に《偽神》という厄介な咎人を繋ぐリスクを負うつもりはない」

「この世界の人たちと、随分仲良くなれたのね」

「君たちにもそのチャンスはあった。それを自ら手放したのは、君たち自身だよ」


 焼け焦げたハイスカウトが放つ異臭に包まれながら、日本のどこかで交わすような何気ない調子で、二人の《偽神》は会話を紡ぐ。

 互いに、決定的な破局を少しでも先送りにするかのように。

 ネット越しという仮想に留まらず、二人の間にはれっきとした現実の人としての繋がりがあった。そんな相手を己が手に掛けねばならないという状況が、すでに何人もの人間を敵として斃してきた二人をして、その決断を大いに躊躇わせた。



        ◇         ◇         ◇



 味方が優勢な中にあって、タリアたちの小隊は苦境に立たされていた。キーネの採った戦術はタリアたちを大いに疲弊させ、その機動力を奪った。

 囚われていた女性たちのうち、公都ボリアで活動中に犠牲となった低レベル帯の《偽神》たちは残らず殺されていた。《偽神》として滅びない程度の肉体的損傷だったために蘇生はかなったが、彼女らはその意思を、徹底的に打ちのめされた状態と言えた。

 保護した二十余名の女性たち。そのいずれもが、さらわれてから続いた性的虐待と、キーネによる生命すらを脅かす暴行によって疲弊しきっていた。彼女たちの精神はもはや限界が近い。僧侶たちによる/鎮静の魔法サニティが施されていなければ、何人かの心は取り返しのつかない事態に陥っていた可能性も高かった。

 このためタリアは反対を押し切って小隊を割ることにした。保護した女性たちの護衛を優先し、隊のほとんどを振り分ける。

 そしてキーネ追跡にはタリア自らとオブザーバーの公国兵、ラプターの三名で当たると告げる。キーネがその手元に置く人質は残すところ二名。


「リアたん、ソレ本気で言ってる?」


 タリアの提案に、クロネは怒りすらはらんだ言葉を絞り出す。それに怯んだ様子など微塵も見せることなく、タリアはきっぱりと言い返す。


「郊外側出入り口の状況が不透明です。万が一を考えれば、二十名の非戦闘員の護衛には、それでも心許こころもとないくらいです」

「それにしたって、キーネのバカをぶち殺すのに三人で足りるの?」

「PK本拠地での戦いは優勢、上手くすればあちら側からの応援も望めます――」


 そこまで言ったタリアは、クロネのウサ耳に口を寄せると、小声で付け足す。


「女の人たちが真っ当な精神状態なら、まとまって味方の多い中央を目指した方が良さそうなんですけど、戦場になんか連れ出したらどうなるか――」


 あー、と呻き声を上げながらクロネが眉をしかめる。

 わずかに黙り込んだあと、クロネはわざとらしく盛大にため息を吐いてタリアを睨んだ。


「勝算はあるんだね?」

「一度戦ってみてわかりました。わたしだけでもキーネには負けません。ラプター

さんがいれば勝利間違いなし、これにニノグさんの手助けがあれば完璧です」


 ハイスカウトのラプター、公国兵のニノグに笑顔を向ける。タリアのその振る舞いが隊の雰囲気を慮ったものだと気づいた二人は、自らも精一杯見栄を張ると、力強く頷いてみせた。



 タリアたちが淀みなく通路の暗がりへと消えるのを見送った後、小隊の残されたメンバーは保護した女性たちを連れて往路のルートを引き返し始める。まずは《大部屋》へ退避し、しかるのちほとぼりが冷めてから郊外側出入口の様子を探る手筈になっている。しかし、消耗している女性たちを帯同しているために、やはり一行の歩みは遅い。


「タリアさんたち、大丈夫でしょうか?」


 臨時に小隊を率いるかたちとなったクロネに、イゾウがぽつりと訊ねた。キーネと対峙していた時には酷く張り詰めた様子だったものの、今の彼からは尖った印象もすっかり消え失せている。その端正な顔には、ただ心配そうな表情だけが浮かんでいるのを認めて、クロネはため息を吐いた。


「人質だった子たちの話だとキーネは一人で行動してるっぽいでしょ? アーサーからの速報もそれを裏付けてたし。キーネの仲間が本隊と交戦中ってことは、キーネが孤立している可能性は極めて高い――」


 クロネは彼女にしては珍しい、真剣な面持ちで続ける。


「大勢はすでに決してるようなものだし、リアたんたちだけでキーネを打倒する必要もない。相手がキーネ一人なら、さらわれた人たちを助けることもなんとか出来るんじゃないかな」


 クロネの説明にイゾウは「はぁ」と生返事を返す。そんな彼に「何よ?」と言いたげな一瞥をくれて、クロネはなおも言い募る。


「さっきは心許ない案だって思ったけど。状況も好転してるし冷静に考えたらアリっていうか」

「方針を決めたあの場を引き下がっておいて今更ですが、ちょっとタリアさんをあてにしすぎじゃないですかね……」

「ああ、そういうこと」


 不服そうとも心配そうとも取れる複雑な表情のイゾウに、クロネは不意を突かれたような表情を浮かべた。


「え~と」


 しばらく言いあぐねたクロネが口にしたのは、イゾウが初めて耳にする、にわかには信じ難い話だった。


「リアたんがマジでやる気になったら、キーネなんて『血の一週間』の後に出てきたような対人戦《PvP》プレイヤーなんて目じゃないっていうか。あの人は人畜無害そうにしてるけど、例の一週間に毎日ログインしていながら、ただの一度たりとも死んでないって実績の持ち主なのよ」

「それホントですか?」

「ホント、ホント。僧兵タリアは、PvPもしっかり遊んでる上に相当の強者ツワモノってことよ」


 クロネの言葉に、イゾウは呆れたようなため息を返す。


「タリアさん、何でもアリですね」

「今さらね。広く浅くがモットーらしいし? まぁ、他人から見たら広くネチっこく、って感じだけどね。だから最古参なのに80レベルくらいでもたもたしてたんだって話もあるけど」

「それにしてもタリアさんがPvPプレイヤーなんて話は、全然知りませんでしたよ」


 どことなく憮然とした表情のイゾウに、クロネは意地の悪い笑みを向ける。


「そりゃだって、ぶっちゃけイゾッチはPvP嫌いだったでしょ? 相手を見て、空気も読んで。話題も遊び方も変えるのがリアたんだしね」


 クロネにそう言われてイゾウはぐうの音も出ない。確かに自分は、いわゆる対戦ゲームを苦手としていたと、かつての世界でのことを振り返る。《Decisive War World》でのPvPに限らず、あの独特な文化というか雰囲気がとても楽しいものとは感じられなかったからだ。

 そんな自分の心の内を、タリアとの雑談の中でも話したことは何度かあったはずだと思い出す。冗談めかしていたとはいえ、自分が好きな遊び方を悪し様に言われタリアはどう感じていたのだろう。そんな風に思いを巡らせて黙り込んだイゾウをクロネが笑い飛ばす。


「今更気に病んでもしょうがないでしょ。それに、ちゃんと仲良く出来てたんだしリアたんは拘ってないと思うよ? それでも悪いと思うなら、今後はネガなことを口にする時は気をつけたら良いんじゃない?」


 どこか釈然としないものを感じつつも、イゾウはクロネの言い様に素直に頷いてみせた。故に、歯に衣着せぬことで知られる彼女に対して、思わず口に出掛かった「アンタがそれを言う?」という言葉は、彼の口の中で消えることになる。 


2014/06/01:本文の修正及び追記等の改稿を行いました。


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