31.公都の長い夜 その10
目前で剣士の少女がその身を翻し、咄嗟に兵士を庇うさまにタリアは目を瞠った。およそ一月ほど前までは普通の日本人であったろう彼女の判断力と決断力に舌を巻く。
キーネが放った矢は五つ。これだけの矢を浴びせられてはただの人である公国の兵士はひとたまりもなかったであろう。その点、《偽神》である剣士が生きながらえる確率は低くない。
庇われた兵士も流石だった。わずかな動揺を見せるも、兵士はキーネの軽口に耳も貸さず剣士の身体を抱きとめると、瞬時にその身を退がらせる。彼の援護には、怒りを込めてキーネの名を呼ばわった重装備の戦士――イゾウが進み出た。彼は先の戦いでキーネにパーティーの仲間を二人斃されている。イゾウは挑みかかるようにして、先ほどまで兵士が占めていた空間にその身を押し込む。
自らを鼓舞するためか、哄笑という極めて作り物めいた狂気を孕んで狼少女が突進、そのキーネの凶刃をイゾウの掲げた武具が迎え撃つ。耳障りな音を立てて、狼人剣匠の豪剣と偉丈夫の構えた大盾が激突した。剣匠の双刃が幾度となく閃くも、戦士が軽々と振るう鉄製の盾がすべてシャットアウトする。
ゲームで馴染みの、双剣使いに特有の舞うような動きで間合いを外しながら、キーネが嘲りの色を隠さず挑発の言葉を投げかける。
「色男さん、さっきぶり。せっかく雑魚から片付けようと思ったのに早速お相手いただけるのかしら?」
「黙れ」
「仇討ちのつもりだったら健気ぇ~」
二人のやり取りを意識の隅にとどめながら、タリアは状況を窺った。通路の先で倒れている小隊隊員のラプターを見やる。先行偵察を任せた彼は逆に尾けられたのだろう。ラプターの単独行動時を狙わなかったのは、原隊の位置を掴む為だったと察せられる。やり手の対人戦嗜好のプレイヤーは流石に一筋縄にはいかない。
伏したままのラプターは見事に首筋を矢で貫かれている。普通なら致命傷であろうがレベル100越えの《偽神》を滅ぼしきるには足りまい。
今のところキーネに、ラプターに止めを刺そうという動きは見受けられないが、彼を泳がすような真似が出来る相手のことだ。単身戦いを挑んできたように見えるキーネも何かしらの策を隠していると見て間違いあるまい。いや、彼女らのようなプレイヤーの好むところには、タリアも心当たりがある。そうなると、キーネがラプターを捨て置くのは、この後の展開への布石と読み取ることもできた。
タリアはわずかな間にそれだけの思考を巡らせると、前衛戦力には前進を、遠距離戦力には待機をそれぞれハンドサインで指示。僧侶たちには負傷した剣士の回復と前衛陣への支援を口頭で命じつつ、自らも機を窺う。
小隊の前衛がイゾウの脇を固めるように前進すると、キーネは派手に斬り込んできたわりにはあっさりと守勢へと転じた。その切り替えには躊躇や口惜しさが微塵も感じられず、タリアは自分の読みが当を得ているとその自信を深める。
「ラプターを助けます、押し返して!」
前進するイゾウたちを両手の剣で巧みに捌きつつも、ついにキーネは倒れたラプターより通路の奥の方へと追いやられた。タリアはそのまま、キーネの再攻勢を阻むように指示しつつ、自らはラプターの元へと駆け寄る。
戦士たちという遮蔽を確保すると、それはないと半ば踏みながら敵増援の急襲を警戒しつつ、タリアは急ぎラプターの蘇生を試みた。ラプターの損傷具合を確認し、貧血を起こしそうになる血なまぐさい処置を施したのち回復魔法を掛ける。
かすかな呻き声でラプターが応える。彼が息を吹き返すさまに胸を撫で下ろしつつ戦闘の方へ意識を戻すと、多対一の戦いに屈したかのようにキーネが後退するところだった。
「もう、弱い豚ちゃんほど群れるってパターンすぎ!」
キーネが可笑しそうに捨て台詞を残すさまは噂に違わず、相対するものを実に効率良く苛立たせる。事実、直接彼女の相手をした前衛陣は、誰もが怒りの声を投げ返した。
その状況を窺っていた後衛陣から、彼我の間合いが空いたとみて攻撃魔法が放たれるも、キーネを守る不可視の障壁により呆気なく阻まれる。
費用対効果を鑑みない、PvPに極めて特化したプレイヤーたちの間で盛んに用いられてきた、非常に高価な防御魔法用の消費アイテムを、彼女はこちらの世界でも惜しみなく使用していた。
「バーカ、対策してないワケないじゃない。無駄撃ちご苦労さまぁ!」
勘に障る笑い声を残してきびすを返す狼少女。小隊内に怒りの空気が湧き起こる。実はそれが、キーネによって巧みに焚きつけられていることに気がついている者はどれだけいるだろうか。しかし相手のペースに乗せられていると承知しながらも、それに乗らないわけにもいかない状況だった。
彼女の企みにこちらが気づいたと気取らせたくない。ここでキーネという手がかりを捕り逃すのは時間の無駄だ。
敵を騙すには味方から――そんな言葉が脳裏を過ぎり、タリアはわずかに眉をしかめる。小隊の仲間を危険に曝すことに忌避感を覚えるが、タリアは刹那の逡巡のあとに決断する。
負傷者の世話と護衛にクロネを含む数名を残す。味方に指示したあと、タリアはわざとキーネにも聞こえるように叫んだ。
「あとの者で追撃します! 敵を逃すな!!」
こちらの狙い通り、敵は負傷者のために戦力を割きつつも追撃してくる。ちらりと目の端で確認しながら、実に呆気なく引っかかってくれた相手にキーネはほくそ笑んだ。
――対人戦に慣れていない相手はこれだからチョロい。
見え透いた罵声による挑発は、謂わばついでみたいなものだ。キーネの他愛ない趣味といってもいい。この誘引戦法のキモは実のところ、相手にとって与し易いと見えるこちらの単独行にこそある。
味方を伴っている上に追いかける敵は一人という安心感。故に、それがこちらが仕掛けた陥穽と気づかず、獲物は簡単に状況判断を誤って仲間との連携も疎かに追撃してくる。
獲物の数がキーネたちの予想よりかなり多かったため、最終的な手筈は変更を余儀なくされるだろうが、途中のお楽しみに関しては問題ない。いくら数が多かろうが、すでに相手はこちらの策に乗っかっている。ダンジョンの奥に控えた仲間との合流というリミットを迎えるまで、キーネは自分個人の狩りを楽しめるという寸法だ。
レア装備と惜しみなく使ったマジックアイテムにより、キーネの脚力は獲物のそれより優越している。一見ぎりぎりに見える追走劇は、今や完璧に彼女によってコントロールされていた。
敵の隊列はキーネの狙い通りに伸び始めている。こちらの思惑に乗せられるがまま、個々人の脚力の差により、徐々にその隊列が解かれているとも知らず、獲物はキーネに追いすがってくる。
愉悦に堪え切れず、彼女は一つ舌舐めずりした。こんなわざとらしい仕草も、自分をノせるには必要な儀式だ。三角の耳を持つ赤毛の少女は、知らずその口の端に凶々しい笑みを浮かべる。その蠱惑的な唇から、鋭い犬歯が白く覗いて見えた。
キーネ――根岸香澄がMMOにハマるようになったきっかけはさほど珍しいことではなかった。つき合っていた相手の趣味で、彼の傍らで眺めているうちにいつのまにか自らも遊ぶようになっていた。女性がコンピュータゲームの類に傾倒する際には、ごくありがちな話といえる。
当初は彼氏にくっついて遊んでいた香澄だったが、二歳年上の彼が就職活動を機にこの遊びから遠のくと、彼女は独自に知己を得ていった。その仲間たちと遊ぶことが次第に多くなる。
前衛職だった彼のキャラクターのお伴といったノリで遊んでいた僧侶キャラから、自らが戦う活発な戦士系のキャラへとその好みも変わった。
やがて恋人とは、一緒に過ごす時の話題が噛み合わなくなっていく。それは破局へとつながり、それなりに失恋の痛みを経験した佳澄は、より一層ゲームへと没頭するようになっていった。
そして巡り会った《Decisive War World》において、香澄の対戦狂とでも呼ぶべき性質は開花した。あの悪名高き『血の一週間』である。
それが言葉であれ実際の暴力であれ、誰かを傷つけやり込めたいなどと、およそ考えたことのなかったのが根岸香澄という人間だった。そんな彼女に、『血の一週間』で体験させられたPK――コンピュータゲームにおける対戦という状況は多大な影響を及ぼすことになる。
ことの当初はPKで狩られるばかりの香澄だったが、彼女はそこで挫けなかった。自分という人間が存外負けず嫌いだったという事実は、香澄にとっても思わぬ発見であった。
昔から、どちらかと言えば大人しいと評されてきたのが香澄である。なのにこんな好戦的な面があったのかと、その発露を得たのが匿名性の高いネットゲーム上でのやりとりであったことに、香澄は多少のほろ苦さを覚えると共に開き直った。
コンピュータゲームにおける対人プレイは、独特のメンタル的な慣れに追うところも大きい。匿名性があれば好戦的にもなれるという開き直りと、自分でも由来が曖昧とした執着心で以って対人戦の空気に馴染んだ香澄は、それ以前から備わっていたMMOにおけるプレイテクニックもあって、それなりに対戦相手を圧倒できるPvPプレイヤーへと変貌を遂げていた。
――対戦ゲーム。
相手を打ち負かすその爽快感に香澄はすっかり魅せられ、強く惹きつけられることとなる。
以後、MMO以外のジャンルにも手を出し、熱心に対戦ゲームに勤しんだ香澄だったが、《Decisive War World》の存在は彼女にとって別格のままだった。
『血の一週間』のような野放図なPvP――PKシステムは封印されてしまった《Decisive War World》だったが、それでもこと戦闘においては比較的自由度が高く、キャラクターの構築にも選択肢が多いその多様性が、先のイベントで集めた多くの対戦プレイヤーを惹きつけ続けた。
香澄は一層PvPにのめりこんで行き、嗜好を同じくする仲間たちと遊ぶことでより先鋭化の道を辿る。ついには、かつてコンピュータゲームで小器用さを披露してくれた友人すらネットゲームの世界に引きずり込むと、彼女を巻き込んでPvPギルドを発足させるに至る。
傍若無人なことでキーネと仲間たちは悪名を馳せることとなった。ゲーム内や電子掲示板で叩かれることも少なくなかったが、香澄はなんら痛痒を覚えない。負け犬の遠吠えのように感じたし、キーネに向けられる悪意はあくまでゲーム内キャラクターに向けられたものと割り切れる強かさも、香澄はいつのまにか身に着けていた――
2013/08/04:仮名送りを修正致しました。