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決戦世界のタリア  作者: 中村十一
第二章 再会のまれびとたち
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29.公都の長い夜 その8

 麾下きかの部隊から一部を報告に帰しただけで、自らは予定の刻限を過ぎても戻らなかった弟が執務室に駆け込んでくるのを、ホーケン公子は安堵と共に迎えた。


「カラグ、無事だったか。分遣隊からの連絡が途絶え、こちらではそろそろ第一軍団で遺構の出入り口を重囲せねばならないかと案じていたところだったぞ」

「兄上、申し訳ありません。捕虜より訊き出した状況が、既にご報告の通りあまりにも切迫していたもので。それに、地下遺構の敵は思いの外強力でした。我が身はこの通りなんともありませんが、ラエルガス監視団としては果たして無事と言って良いものか」


 厳しい態度を緩めない弟のいらえに、ホーケンもまたほどけかけた表情を引き締めた。執務室に詰めていた者たちから小さくしわぶきが漏れる。


「それほどであったか」

「はい。ですが思いがけず助力も得ました。地下に篭る者たちと敵対する冒険者の一団と接触、私の奇縁もありまして現在協力体制にあります」

「それよ。おまえたちの帰還予定の刻限に、郊外側の入り口より地下へと進出する武装集団があったのはこちらでも確認していた。その一団が不埒者どもと敵対しているようだとは把握しておったのだが」

「詳しい話は後ほど。まずは彼らの要請をお聞き入れ下さい。これは私の意見でもあります。直ちに《転移妨害》措置を」


 昨日の昼間と同じ意見を具申するカラグをしばし見据え、ホーケンは無言で頷くと侍従の一人に命じた。


「メルセイス神殿に伝えよ。公都はこれより《転移妨害》を実施する。非常時にて承認を後回しにする旨、公都総督ホーケン・ラダム・ライルネスが名の下にお許し願うと」


 そう命ぜられた侍従はきっちり答礼を返すと機敏な様子で執務室を出ていく。それを見送る間もなく、ホーケンはおもむろに立ち上がると、執務室の壁の一角に設え(しつら )られた魔法装置を操作して厳かに唱えた。


「ライルネス公国が首都ボリアの長、ホーケン・ラダム・ライルネスが時と間の(はざま )神にして旅人の守護者、大メルセイスに嘆願たんがん申す。我が都からかえるまれびとの回廊を閉ざしたまえ」


 変化はごく小さなものだった。魔法装置の中心で輝いていた白き光玉が、どこか警戒心を呼び起こす赤色を帯びる。


「これで転移による公都への出入りは封じた。さて、詳しい話を聞かせろ」


 兄の言葉にカラグ公子は頷き返した。彼は地下遺構での戦況や、タリアたち冒険者の集団との遭遇から協力関係を得るまでの経緯、また彼らの実力を過不足なく説明する。ホーケンは無論のこと、彼が従える能吏たちもカラグの話が一通り済むまで、口を挟んで妨げることはしない。


「帰還に手こずることになったであろう私が、今この時この場に立てるのも、彼らの直接的な助力あってのことです。協議のあと、直ちに報告に戻りたいと言った私に惜しむことなく貴重な転移スクロールを供してくれました」


 話を締めくくったカラグに、執務室の面々はしばし考え込む。


「アグリーズ神の恩寵を賜るカラグ団長閣下を《雷槌らいつい》が担ぐとも思えません。の賢龍は人の世のことわり、善悪にも正しく通じた仁厚きお方。その保証を以って信を置いたという閣下の判断は妥当でありましょう」


 そうきっぱりと言い切った、明瞭でいてどこか蠱惑こわく的な美声にカラグは振り向くと、声の主に軽く目礼する。


「お久しぶりです、ファランセ殿。貴女あなたのお口添えもいただけるとは心強い」


 如才なく挨拶を返すカラグ公子に、美貌のエルフは表情を私的なものに切り替えると面白がるような笑みを浮かべる。


「ホーケン、弟君の方は嫌味も口にせず随分と立派な挨拶を寄越してくれたよ。これが大人の態度ってものだ」


 数時間前のやりとりを持ちだして意地悪くからかうライルネス公特別顧問に、兄は憮然とした表情を浮かべ、弟はわずかばかり表情を緩めてとりなしの言葉を口にする。


「ファランセ殿、兄上の卒直さは美徳であり、またこの上ない武器でもあります。要所を捉えて繰り出される本心という聖槍の穂先は、あの難攻不落と言われた義姉あね上の心を見事に縫い止めたのですから」


 カラグ自身がもたらした凄惨な報告にやや張り詰めていた執務室の空気が、彼のその言葉によって和らぐ。周囲の微笑ましげな視線に曝されつつ、内心では自分をダシにこの場の雰囲気をコントロールした二人に毒づきながら、ホーケンはそれまでのやりとりをバッサリ無視して口を開いた。


「百戦錬磨な上級顧問殿のお墨付きも出た。地下はカラグが信任した《雷槌》と冒険者たちに任せよう。それで良いのだな?」


 表情を為政者のそれに変えた兄に、弟も真剣な面持ちで頷く。


「はい。繰り返しになりますが、この尋常ならざる相手に第一軍団の兵たちを差し向けるは、焼け石に水の如き悪手。我らラエルガス監視団と、義勇の者たちにお任せあれ」


 カラグの言葉を受け、ホーケンはそれぞれの要員へと細々と指示を下した。幾分か人数の減った執務室に、カラグの安堵めいたため息がこぼれる。


「地下に残した兵らのことが気になるだろうが、おまえはしばし休め。腹にも何か入れておくんだな」


 兄の気遣いを有難く思いながらも、カラグそれに「いえ」と応える。


「食事なら地下での協議中に協力者から分けてもらって済ませました」

「なに、件の集団はこの一戦に糧食まで用意していたいのか?」

 

 驚いて訊き返すホーケンに、カラグはやや複雑な表情で言葉を濁す。


「あれを糧食などという味気ないものと並び称して良いものか。ご婦人方が談話室サロンで楽しむような菓子と軽食は、場違いに美味でしたよ」


 訝しそうに眉をしかめるファランセやホーケンの表情を見ながら、カラグはそれら食料を文字通り魔法のように取り出してはご馳走してくれた少女タリアの顔を思い出す。そしてそんな彼女にすっかり餌付けされた様子の《雷槌》の姿。カラグの心に、それが酷く印象に残っていた。



         ◇         ◇         ◇



 魔法の明かりに白々とした肌を晒して横たわる彼女たち。誰もかれも目は虚ろで、すでに光を映していない。全裸に剥かれた女性たちはそれ故に《偽神》であったのか、それともこの世界の住人だったのか、もはやタリアには判別出来かねた。ただ部屋に篭る微かな死の匂いが、ここに生者が存在していないことを厳然と告げている。

 遺体が総じて綺麗なことに気づくがさして問題にならない。PK(プレイヤーキラー)たちの中にも僧侶はいるだろうし、死臭を嫌えば〈浄化ピュリファイ〉くらい掛けるだろうと無感動に考える。

 部屋の手前側、ふと視線を落とすと壊れた人形のように転がされた少女の、物言わぬ瞳と目が合った。

 髪は散々にほつれ、他の犠牲者たちと違って陵辱の跡も生々しいそれは出来たて(、、、、)のようにも見える。あるいは自分たちがいま少し早く行動していれば、この少女を救うことが出来たのかもしれない。さきほど、しばしの休息とばかりに飲み食いした自分に少なからず自己嫌悪を覚える。


「――ごめん」


 タリアの口からふと、さほど意味があるわけでもない、誰に告げたとも当の本人からして見当もつかない謝罪の言葉が空しくこぼれる。それは、かつての世界の藤崎が思わず発したかのような、装ったところのない素のままの声色だった。

 タリアはそっと、見開かれたままの少女の目蓋を閉じようとした。しかしフィクションのそれのようには容易くいかない。革手袋に覆われた震える指先で何度も少女の顔をなぞって、ようやく彼女の瞳に休息をもたらすことができた。

 投げ出された四肢をこれまた苦労の末そろえてやり、少女に〈浄化〉を施す。作業中に否応なく目に入ってきた彼女のキズは、タリアを酷く動揺させた。

 そのおぞましさは、今までに憶えのない感覚だった。それは藤崎(、、)が己が精神世界に築いた防波堤――バーテニクスをして鉄壁のネカマと言わしめた――を易々と突破して、タリア(、、、)という少女の心胆を寒からしめる。これは女である肉体が覚えた、本能に起因する悪寒だろうか。

 オスの習性など百も承知のタリアである。魅力的な異性――女性を目にすれば、淫らな妄想をたくましくし、性的興奮を覚えることもあるのが男性だ。無論、真っ当な社会性と人間性のある男なら、それらは決して即物的な発露を得ることなく内々に処理されることになる。

 それを実感と共に理解している自分が、目の前の光景に義憤による怒りや不快感こそ覚えども、まさか恐怖を感じるとは――タリアは己が精神状態に愕然とする。

 自分は今、メスを蹂躙するオスの暴力、そしてそれがもたらした目の前の惨状に怯んでいる――なんとか論理立てて状況を理解しようとするが、そんなことはお構いなしに言いようのない気持ち悪さを覚えて抑えきれない。

 こらえようもなくこみ上げてくる嘔吐感。先の協議の場で糧食代わりとばかり口にした玉子ロールやシュークリームを戻しそうになる。根源的な恐怖に、タリアの身体は如実に反応していた。


『――タリア、クロネからそっちは何かみつけたかだって』


 そのバーテニクスの《交感こえ》に我に返ったタリアは、他の場所へと散らばっているクロネたちのことを思い出す。


『見たままを知らせればいいかな』


 こちらを気遣う様子のバーテニクスに、タリアは何とか気分を落ち着かせて頷いた。


「犠牲者の方たちを見つけたと、知らせてください」


 答えながら、タリアは自分の中で負の感情とでも呼ぶべきモノが凝り固まるのを、はっきりと感じとっていた。

 一縷の望みを託して犠牲者たちに癒しの魔法を施す。虚しく静寂という名のいらえが返るたびに、PKの彼らの事情を慮る気持ちは、タリアの胸中から徐々に消え失せていった。



《大部屋》での協議のあと、討伐隊は行動単位の再編成を行った。斃れた仲間を補うように配慮し、本物の兵隊さんたちの意見を参考に、冒険者は数組の小隊へとまとめ上げられた。

 先の戦いで火力職を喪ったジェシカの隊へとアーサーが引きぬかれ、代わりにタリアたちの隊にはイゾウが加わった。ゲーム時代にも何度か行動を共にした前衛戦士の気心は知れている。タリアとクロネの二人はこんな状況下でありながら、彼と再び組めたことを素直に喜んだ。

 十八人前後からなる冒険者たちで編成された小隊に、カラグ公子麾下の分隊から兵が一人ずつ加わる形となった。彼ら兵士たちは、ナヴィガトリアをオブザーバーとして迎えたアーバスらの分隊とは丁度逆の立場と言えよう。

 再編成ののち、カラグと彼の仕事を手伝うべく従った冒険者の一隊をなけなしの転移スクロールで送り出した討伐隊本隊は、本格的なボリアD中(ダンジョン )枢に対する侵出へと行動を移した。

 そんな攻勢の中、PKの勢力を退けたばかりの区画を調査する任に就いていたタリアたちの小隊は、ついに拐われた女性たちの姿を見つけ出したのだが、その成果は最悪な形でもたらされることとなった。



 クロネや小隊のメンバーがタリアの見つけた部屋へと集まる。他の隊員たちの探索は空振りの結果に終わっていたが、あるいはこのような惨状を複数見出さずに済んだのは幸いと言えたのかもしれない。


「こんなにヤリ殺すとか。PKのやつら本当に頭おかしいんじゃないか!?」


 十数名からなる女性の遺体を目の当たりにした小隊員の青年戦士はそう怒声を発したあと、タリアとクロネの視線に気づいて慌てて謝罪した。


「ごめん、言葉が汚かった」

「ああ、気にしないで。わたしも同感だし」


 クロネが妙に平坦な調子で手のひらを振ってみせる。彼女も彼女で相当腹に据えかねている様子が窺える。あるいはこのウサミミの少女もまた、先程タリアが感じたのと同様な恐怖に襲われたのかもしれない。それは激しい感情の揺れを、どうにか抑えようとしている風にも見受けられる。

 そのあたりのことも慮り、他の女性隊員には外で待機してもらっている。クロネやタリアでさえこれなのだから、いかに彼女らがこの決戦に臨むような勇気ある女性たちであろうと、辱められた犠牲者たちの姿を目にするのは、殺し合いとはまた別の意味で被る衝撃が大きすぎると思われた。

 女性隊員たちにも、いましばらくはこの惨たらしくも危険な戦場で持ちこたえてもらう必要があった。今のこの場で心が折れるようなことになったなら、彼女ら自身の生存が難しくなる。

 こんな非日常の光景を見せられたとあっては、男性隊員にしても受けた精神的ショックは決して小さくなく、数名がその顔色をなくしていた。犠牲者たちの裸身に好奇な眼差しを向ける者は一人も居らず、異丈夫然としたイゾウも青褪めた二枚目半の顔を強張らせている。

 イゾウの事情を察するタリアだったが、彼が自ら明らかにしていない以上、可哀想だがこちらから退室をうながすのも不自然で、結局は彼自身の判断に委ねた。


「捕虜から訊き出した人数より随分少ないようです。推察するにここは死体を遺棄する場所なのかもしれません。寝具のたぐいも見当たりませんし」


 カラグ公子麾下の分隊からタリアたちの隊へと加わっている兵が、検分を終えてそう分析する。まだ助けられる望みがあるのかと、男たちの意気がにわかに盛り返す。


「では遺体を回収ののち、直ちに前進しましょう。ラプターさん、先行偵察お願いします」


 地下遺構突入時よりタリアたちと行動を共にしていた偵察及び連絡員のエルフ青年は同じ小隊に組み込まれていた。彼は毅然とした面持ちで頷くと部屋を出ていく。


「バーテニクス、本隊のアーサーさんには、まだ《交感》は届きますか?」

『うん、これくらいの距離なら届くくらいアーサーとのパスは広がってる。状況を伝えておくよ』


 タリアはその答えに頷くと、彼女自らが預かった小隊に号令を発した。


2013/01/16:誤字を修正し本文の誤用箇所や一部描写を変更いたしました。大筋には変更ございません。

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