23.公都の長い夜 その2
ぼんやりとした意識の表層が、男たちの耳障りな会話を捉えていた。やはり天然モノは良い、イヤ頑丈な《ぴぃしぃ》の方が良いなどと、男たちは下卑た調子で言い合っている。そんな男たちの言葉の端々には、息を弾ませるような様子が窺えた。
そこに時おり、幽かな女声の呻き声が混じる。そのか細い声には疲労の色が滲むのみで、情念に塗れた男たちのそれとはひどく対照的に感じられた。あたかも感情と言ったものがゴッソリ抜け落ちたかのような、いっそ機械的とも言える途切れ途切れな音のつながり。
ふと、肌寒さを覚え身震いする。思わず肩を抱こうとして叶わず、代わりに両の手首を、締め付けるような痛みが襲った。
その痛みによって、彼女ははっきりと目を覚ました。鼻先には凝った折り目の敷物。どうやら自分は、それに頬を押しつけるようにして横向きに寝転がっているらしいと察する。両の手は背後で紐のような物により固く拘束されている。
薄暗がりの中、無意識に動いた視線が剥き出しになった自分の胸元を認めた。それなりに豊かな乳房がすっかり曝け出され肩もむき出し。およそ一糸まとわぬ己が姿に、これでは肌寒いわけだと納得する。
いや、そんな自己欺瞞に何の意味があるのか。既に彼女はすっかり思い出していた。自分が今、どのような境遇にあるのかを。
「初物じゃねぇ」と、強かに打たれた頬の痛みは引いていた。いやそればかりか、気を失う前に散々蹂躙されたはずのこの身体にも、不思議と痛む箇所は存在しないようだった。
汗にまみれていた肌も小ざっぱりとして、下腹部を汚していた男たちと自分の体液の感触もない。どうやら放置された挙句にそのまま乾いた、といった感じでもない。
(強姦魔がわざわざ綺麗にしてくれたのかしら)
その作業の様子を想像すると、それはそれで屈辱を感じないでもない。業腹である。
耳に届く浅ましい狂宴の音に意識の耳を塞ぐ。男たちに貫かれている時は考える余裕がなかった、その時の情景が思い浮かぶ。
(あの人は――死んだのよね)
勤め先からの帰り道。夕食を共にするため、彼女をエスコートしてくれていた男の無惨な最期が思い出される。
そろそろ中堅の冒険者とも呼べるようになった歴戦の戦士も、襲撃者によってあっさりと斬り殺されてしまった。
四肢が飛び、鮮血の海に転がった彼の首は、滑稽なほどに平静な表情を留めていた。自分が斬られたことなど、ついぞ理解できずに逝ったであろうことがせめてもの慰めと言える。
『天然エルフゲットだぜぇ』
人一人を斬って捨てた後、そう軽薄に嗤ったヒト族の剣士には見憶えがあった。最近になって彼女の勤め先――冒険者ギルドに、度々顔を出していた男だ。他の女性職員たちと、そのなかなかな色男振りを噂話の種にしていたのでよく憶えていた。
ギルドに足繁く訪れていた剣士が熱心に物色していたのが、実は糧を得るための仕事ではなく獣欲を満たすための獲物だったとは流石に思いもよらないことだった。
端整に形作られた容貌が色欲に歪むさまは、厭わしいことに強く脳裏に焼き付いていた。
「――目が覚めた?」
そんなことを忌々しく考えていると、頭上から囁くような声が降ってきた。若い女の声だった。首を捻って宙を仰ぐ。僧衣をまとった猫獣人族の娘がこちらを覗きこんでいる。
「うん、壊れてないみたい。でも一応」
灰色――それとも銀色だろうか、光量が足りず今ひとつ判断がつかない――の、短めにカットされた癖っ毛に縁取られた顔は愛嬌があった。
その娘の唇が心地良い旋律を短く口ずさむと、自分の胸にわだかまっていた恐怖心や悲壮感といった、負の感情が明らかに遠のいていく。
獣人の娘に抱き起こされてみれば、やはり自分は素っ裸で何も身に付けていない。無意識の内に見回せば、傍にはおそらく同じ境遇だろう女たちが何人か、先ほどまでの自分と同じように臥している。
暗がりの中、女たちの裸体が白っぽく浮かぶさまは艶めかしいが、青褪めて見える素肌は死の印象ももたらした。
「大丈夫。死んでるひとはいないよ、ここにはね」
娘の囁きにギクリと我が身が強張る。慌てて振り向いてみれば、娘は水差しを手にしていた。「飲んで」と口元に水差しが向けられると、にわかに喉の渇きを自覚する。思わず唇を突き出せば、獣人の娘は慎重な手つきで介助してくれた。
喉を潤し人心地つくと、今度は空腹を覚えた。我ながら豪胆だなと呆れていると、お腹の虫も小さく自己主張する。
「おねえさん大胆だね。エルフの女の人って、みんなそんな感じ?」
頬が羞恥に赤らむのを感じながら黙って首を振ると、娘はどこから出したものかスープ鉢と木匙を手にしていた。
「シチュー。おねえさんには悪いけど、まだまだ働いてもらわなきゃならないからしっかり食べてね」
娘の言葉によって、自分のこれからが決して楽観できるものではないことに気づきつつも、良い匂いを放って食欲を刺激するスープ鉢の誘惑には、とても抗うことができなかった。
食事を世話してもらい、しばし一息ついていると『ご指名』が掛かった。こちらの回復に目敏く気づいた下種たちが、猥雑に過ぎる言葉で囃し立てる。
娘は疲れを感じさせるため息をこぼすと、こちらの腕を掴んだ。娘の意外すぎる腕力で引っ立てられ、そのまま男たちのもとへと連れて行かれる。
無駄と知りつつ抗うと、肩越しに娘と目があった。
「恨んでもらってもいいよ。痛くも痒くもないから」
獣人の娘は可愛らしい顔でそんな酷薄な台詞を口にする。その表情は平坦で、何一つ慮ることができない。
再び男たちの狂宴に供される。彼らの手は、活きの悪くなった他の女たちに飽いたのかこぞって我が身に伸びてくる。自分の肉体が好き勝手に弄ばれるのを感じながら、それでも娘の姿を目で追う。
陵辱し尽くされ力尽きた女性の身を、やはり苦もなく抱き上げる様子が目に映る。そして、自分たち犠牲者の身体を清め、癒していたのが誰なのかを知ることとなる。
獣人の娘――いや僧侶は、これまで見たこともないほど優秀な、回復魔法の使い手だった。
◇ ◇ ◇
PK勢力が陣取った場所は、プレイヤーにとって馴染みの場所だった。ボリアDの通り名を持つ、ゲームにおいては最も難易度の低いダンジョン。公都の地下に広がるその廃墟が、彼らによって占拠されているということだった。
レベル80もあれば単騎で制圧可能とも言われたダンジョンである。百人からなる高レベル《偽神》に押し寄せられては、地下ダンジョンに巣食っていたであろう人型のモンスター――盗賊の類は一たまりもなかったであろうと容易に想像できる。
ボリアDの入り口は《始まりの丘》からさほど遠くない。公都市街地を経由せずに、この古戦場より直接アクセスできる。
ボリアやエルクーンは夜に街門を閉ざすようなことはないが、さすがに衛兵を置いている。そこを集団で通りかかるという危ない橋を渡らずに済むのは幸いだった。
ボリアDから《始まりの丘》まで延びたかつての連絡路の痕跡は、プレイヤーにとってはお馴染みのルートと言える。討伐隊の誰もが実際にこの地を訪れるのは初めてのことだが、携行用ランタンの乏しい明かりにも関わらず確信を持って目的地への途を辿る。
タリアたちは先鋒と言える位置でボリアDを目指していた。魔法攻撃を剣撃によって迎撃できるという、ナヴィガトリアのでたらめな実力を知ったアーサーがその配置を望んだのだ。
集まった《偽神》らは損耗を織り込んだ『戦力』ではない。願わくば仲間たち全員が生還出来るようにと、エルクーン組のトッププレイヤーたちの多くは正面戦力を買って出ていた。
先行して偵察を終えた密偵系プレイヤーたちから報告が寄せられる。ボリアD入り口までの地表部に、待ち伏せその他の形跡は見当たらないらしい。
「のん気なものですね」
「愉快犯的なPKは自分が襲撃される時のことはあんまり考えないからねぇ」
アーサーの言葉にクロネが混ぜっ返す。タリアも自らのゲーム経験を振り返りつつ納得する。一部の熱心な対人戦闘マニア以外、PKは烏合の衆という印象を拭えない。
例えばこのような集団戦闘の場合、偵察や警戒といった地味でリスクの高い仕事は、その重要性を知る『熱心なPvPマニア』に負うところが大きい。その他大勢は美味しいところをつまむことにだけ意欲的で、波に乗っている時は絶大な力を発揮する反面、劣勢になると途端に算を乱す、といった状況がまま見られた。
ちなみに他のゲームではマッチョな前衛なことが多かった藤崎の好むところは、やはり斬り込み隊として一番槍を務めることだった。
敵の防備に風穴を空け、味方のための道をつける頃には戦場に転がる羽目になる損な役割ではあったが、突撃が功を奏した時の満足感や万が一生き延びた時の達成感はなかなかのものだった。
だがそれも復帰が容易に可能だったゲームだからの話だ。これから臨む対人戦闘は、決して娯楽たり得ない。
「前方に先ほどなかった感アリ。ハイドしてます、数二!」
弓鳴りが聞こえたかと思うと、アーサーの脇に突如として弓を構えたエルフの青年が姿を現した。味方の偵察役の一人である。攻撃行動により、超常的な〈隠行〉スキルが解除された瞬間であった。
彼の放った矢はランタンの仄かな明かりに曝された何もない空間に突き立った。そこから黒っぽい飛沫が飛び散ったかと思うと、次の瞬間には肩口に矢を生やした男が姿を現す。その見慣れた風の装備から、PKであることは明白だった。
アーサーとタリアの前を走る二人が動く。クロネの〈光明〉が辺りを照らし、隠行を暴露された男を基準点としてナヴィガトリアの〈閃空剣〉が飛ぶ。
数条の銀光が閃き、もう一人のPKも姿を曝け出された。剣撃を浴びた男たちはその衝撃に体勢を崩している。彼らの表情が驚愕と恐怖に歪む。
「間接攻撃で仕留めます」
アーサーの指示により、先鋒の三個パーティーが扇状に展開する。慌てて踵を返そうとする男たちだったが〈閃空剣〉によるドギツイ牽制がそれを阻む。
牽制と言えど、ナヴィガトリアの攻撃を浴びていまだ動けているのだから男たちは手練れである。少なくともレベル100には達しているだろう。
それでも多勢に無勢、殺意をもって浴びせられた攻撃魔法や飛び道具の前に逃走は叶わなかった。実に惨たらしい有様となった残骸に、偵察員のエルフが手をかざす。
PKたちの遺体は音もなく消え去り、先鋒の各員は表情を無くした顔で頷き合う。
矢を番えたままの弓を力なく下ろして、タリアは呆然と立ち尽くす。自分の放った矢が男たちを貫いた手応えは酷いものだった。まったく、酷いものだった。
励ますように、灰色の小龍がポソリとタリアの頭上に留まる。その重みに、いくらか気分がマシになった彼女はそっとため息をこぼした。戦いは、まだほんの序盤である。