22.公都の長い夜 その1
カラグ率いるラエルガス監視団の選抜分遣隊が、転移スクロールの力を借りて公都への移動を済ませた頃には、件の流民死亡事件は殺傷事件へと認識が改められていた。
事件の容疑者は殺された者たちと同じ流民と目されているが、その実情は穏やかではない。
容疑者たちは公都地下にひっそりと眠る、古のラエルガス戦役時に築かれた遺構を根城としていることが、先に動員された偵察兵によって知らされていた。
もはや公国民ですら忘れ去り、為政者側と少数の裏社会の者たちだけが辛うじて知識に留めるだけの大昔の廃墟であるが、一部は世間の日陰者によって細々と利用されていた。
容疑者――物騒な流民たちが哀れな先住者を排除して、その後釜に座ったという報せは半ば非合法な商売にも手を染めている商人組合よりもたらされた。
西方動乱に端を発したとされ、今や島全土に散らばった流民たちが、何ゆえ遥か東の地の忘れ去られた廃墟の存在を知り得たのかは不明である。しかし大いに不可解なことではあるものの、彼らはその場所を十全に活用していた。
公国側がこの情報の裏を得るために派遣した、公都護持を受け持つ第一軍団のベテラン偵察兵に生じた少なくない犠牲が、その事実を如実に物語っている。
公都の警備、警察任務を主とする第一軍団の偵察兵は、その性格上この遺構の様子にもそれなりに詳しかった。
そんな彼らを出し抜く危険な集団が、いつの間にか公都の地下に巣食っているという事実は、とても許容できない事態と言える。
廃墟の一画。カラグたちが潜入経路に選んだ破孔も、辿り着くまでに様々なトラップが待ち構えていた。巧みにそれらを乗り越え、排除してきたわけだが、その障害物競走のゴール地点は、当然の如く容疑者たちによって押さえられていた。
明々と魔法の光が灯り、石壁の崩壊により穿たれた大穴を照らし出している。いきなり当りを引いたことに、カラグはわずかに目を瞠る。
穴の前に陣取った人影――それぞれ甲冑と法衣に身を包んだ二人組は、慣れた調子で武器を構える。どちらも、流民の身にはいささか分不相応な品々で武装している。数に勝るこちらの分隊九人の姿を認めながらも、二人組は確かに嗤ったと見えた。
彼我が得物を構える緊張の中、兵士の後ろでその様子を注視していたカラグは、ふと自分の進言を退けた兄との昼間のやりとりを思い返して苦笑いを浮かべる。
容疑者の逃亡阻止のため、直ちに公都の《転移妨害》を実施すべきだと主張したカラグに、兄の第一公子ホーケンは父譲りの厳つい面をピクリともさせずに否と断じた。
武骨な戦士然としたホーケンは母譲りの美貌を持つ弟とは正反対の青年だ。旧王国の血筋に連なる貴人として並の武威は持つものの、彼の真価はそこにない。
頑健な肉体を統べるのは冷徹な知性と深く広い知識を備えた頭脳であり、己と言うものをしかと弁えた自制心であった。
「カラグ、おまえが何を心配しているかは俺にも判る。しかし《転移妨害》の施行は公都に住まう者のみならず、周辺に及ぼす影響も大きすぎる。実施するにしてもタイミングは慎重を期さねばならん。そしてそれは、少なくとも今すぐではない」
真面目くさった口ぶりで言い切ったあと、しかしカラグの兄はニヤリと獰猛な笑みを浮かべる。
「容疑者どもは確かに不気味な強さを持っている。だが少々大胆がすぎるな。明け透けに言えばだ、俺たちは舐められている」
なるほど、流民と目される容疑者たちが皆、最近の噂に聞く妙に腕の立つ怪しげな流れ者――ジャックたちのような冒険者――と同類であるならばありそうな話だ。彼ら同様に腕が立つ者たち相手では、例えベテランと言えども並の兵士では侮られても仕方あるまい。
もっとも、その精神性が大いに異なると見られるあの冒険者たちなら、相手を侮るなどという愚は冒さないだろうなとも想像する。
カラグが納得していると「そこでおまえたちだ」と彼の胸先を兄の武骨な人差し指が叩く。相変わらず醜いペンダコの目立つ、ある種働き者の指先だ。
「大飯ぐらいのお前たちをわざわざ呼びつけたのは、奴らのその鼻っ柱を叩き折るためでもある。この地で公国に楯突いた者共に、存分に思い知らせてやれ」
その機会を得て、カラグは母似と言われる美貌にこれだけは父や兄に通ずる剣呑な笑みを浮かべる。
頭からこちらを侮っていた容疑者たちは、遅まきながら今度の敵が今までの相手とは一味違うらしいと見てとって動揺の色をその表情に浮かべる。なるほど、それくらいは判る程度に使えるらしい。
「魔術士は殺せ。戦士を確保する」
カラグの指示に、ラエルガスの精鋭は一気呵成に襲い掛かった。
◇ ◇ ◇
エルクーンでの対人戦闘がP K K 側に終始優勢に推移した要因の一つに、ライトニング経由でもたらされた情報――タリアたちの体験談が上げられる。
ジャックがアルタイゼン廃鉱にて得た臨死体験から、PKK側は《偽神》の器たる肉体の徹底的な破壊に努めた。
反対に、それなりの高みに到達した《偽神》は肉体が生物的な生命活動を止めても、意識に連続性を欠くこともなく『実は生きている』という情報を持たなかったP K勢力は後れを取る。倒したはずの相手が回復魔法により復帰し、逆襲に転じてくるという状況は彼らを大いに混乱させた。
その血戦の中、《偽神》を確実に滅する方法は、狂気すれすれの閃きによって見出された。
死体処理――即ち証拠隠滅のために、かつて人だった成れの果ての残骸をインベントリに押し込めるという凄絶に過ぎるアイデアは、狂騒によって一時期的に倫理観が麻痺したPKK側の《偽神》たちにもすんなりと受け入れられた。
やがて彼らは気づかされる。その成れの果てを、インベントリに放り込めない場合があると。
この世界にきて確認されたことの一つに『生物はインベントリに収納できない』という事実がある。翻って考えると、インベントリへと隠匿できないのであればソレはまだ《偽神》の死骸にあらず、力を残した《偽神》そのものであると断じることができる。
果たして、復活が可能と言えども生命活動を止めたそれが『生物』と呼べるかどうかは甚だ疑問を残すところであったが、数少ないPKK側の犠牲者を実証材料として経験則は成った。どうやらこの判別方法は有効であると。
敵の死骸がインベントリに納められるようになるまで破壊は徹底せよと周知された。逆襲に対する恐怖に駆られた勢いも手伝って、それは愚直に実践された。
このため先の戦いにおいてPK側はその勢力を大きく削られたが、PKK側は死んだ振り――常識の範囲内では実際に死んでいたので正確な表現ではないが――によって難を逃れた者も多かった。
タリアたちは無事に転移を終えて《始まりの丘》に辿り着いた。再集結を待つ暇に、アーサーはタリアとナヴィガトリアを相手にそんな講義を開いた。
タリアは彼の話に、ミントの無残な姿を思い出した。今度は自分がそれを為さねばならないという事実に、タリアは暗澹たる心持ちになる。
そのあたりは当時戦った《偽神》たちも同様であった。事実その『やり過ぎた感』がPKK側の精神的負担となり、そこから生じた厭戦的な感情がPK側のエルクーン離脱を放置する要因ともなった。
「彼らを殺すのにご立派なお題目は要りません。脅威は排除する、小難しい理屈の出る幕はありませんし、相手は実にシンプルな悪党です」
タリアの表情に憂いを認めたものか、アーサーは言わずもがなな台詞で励ます。
「ここはもう《Decisive War World》というゲーム盤の上ではありません。悪人プレイなんて誤魔化しは効かない、彼らは紛うことない『悪』です」
タリアはアーサーの言葉に頷く。傍らに立つナヴィガトリアやクロネの表情からは、わずかばかりの動揺も窺えない。
強いな、と思う。あるいは若いと言うべきか。社会に出てある程度世間が見えるようになったタリアには『相手の立場になって物を見る』という観念が備わっている。
PK勢力と一口に言っても、あるいは巻き込まれ、保身のために仕方がなく従っている者も居るかも知れない。それは日本のイジメでも往々に見られる構造だ。
しかし戦いの場にあっては、このような物思いは邪魔になるだろうとも想像できる。迷いは自分のみならず、仲間たちをも危険に曝す。
タリアたちのパーティーにはレベル80前後のメンバーで構成された二個パーティーが同行することになっている。レベル100越えの火力職三人を擁するタリアたちは、敵のオーバードから彼らを守る役目も負っている。
(守る人たちを間違えちゃいけない――)
自分に言い聞かせるようにして周囲を見渡す。ゲームの夜とは比べるべくもない闇に沈む《始まりの丘》には、少々心細い魔法の明かりが点々と灯っているだけだ。
公都の近くにあって滅多に人の通わぬこの丘の由来を、《偽神》の誰も知らない。
ラエルガスより溢れた大陸からの侵略者。散々西進を許した王国が初めて反攻に成功した地、故に《始まりの丘》。ここはそんな古戦場だった。
十年に一度、島の王侯貴族が集って式典を執り行うこの丘は、一応禁足地とされているのだが、破ったところで大して咎められない。なにか大事なものが護られているでもなく、歴史的事実にのみにその価値はある。
そんな事情も露知らず、ただ都合が良いというだけで選ばれたこの地で、現代の戦士たちも戦いに備えてその身と精神を研ぎ澄ませている。
《偽神》を構成する『プレイヤー』の意識は拙いながらも、その表裏に寄り添う『キャラクター』としての在り方から力を得て。
所定の人数が集結した頃合を見て、いよいよ討伐隊は動き出す。
◇ ◇ ◇
夕餉の時間を過ぎた頃、続々と《ゲート広場》に姿を見せる防具で身を固めた集団の存在は呆気なく公国側に察知されていた。
下手に手練れといった挙動を晒した《偽神》たちは、その半端な欺瞞行為も相まってただの冒険者とは見做されなかったのだ。まさに素人の生兵法が裏目に出たかたちだった。
その集団を泳がせるという判断は、第一公子によって為された。
このタイミングである。地下に陣取った容疑者との関連性は火を見るより明らかだったが、ホーケンはその集団が匂わせる、ある種自制的な行動様式に興味を持った。相手に騒ぎ立てるつもりがないのなら、ここはしばらく静観するのも悪くない。彼の容疑者たちと同等の力を備えているとしたら、下手な手出しはやぶ蛇となり得る。
(殺された側の流民の関係者かもしれない。報復か?)
幾通りかの思索の中、正解に近づいたことも神ならぬ身では知り得ず、ホーケンは続報を待つ。侍従を呼びつけ、妻に今夜も帰れぬことを言付けるように命じる。
長い夜になりそうだった。
09/16:文字の誤用を修正しました。




