17.それぞれの夜話―延長戦その2―
酔客の陽気な声がどこからか聞こえてくる、なかなか更けることをしらないエルクーン宿場街の夜。ごくありふれた宿の一室では、今も四人の少女たちが密やかな戦いを続けていた。
「……にゃん?」
ベッドの上で膝立ちになり、招き猫のように握りこぶしを胸の前で構えて見せたアインが、恥ずかしそうにポーズを決める。上目遣いで周囲を窺うその頬は、心なし赤みを帯びている。
わずかばかり羞恥心が残っていたのか、彼女は小さく身動ぎした。ほっそりとした肢体に沿って、素直に流れ落ちる金髪がかすかに揺らめく。
アインの対面、タリアのベッドには観客兼審査員の三人が並んで腰掛けている。彼女らはしばしアインを観賞したあと、抑えた歓声と共に拍手を送った。概ね好評といった反応に、アインは満足げに「にへら」と笑みを浮かべる。
「使い古された手を臆面も無く投入してくるところに初心者の潔さを感じる!」
「ちょっと自信なさそうだったところもポイント高かったですね」
褒めてるのか貶しているのかわからないクロネにタリアが頷く。
「初々しかったです。やっぱりアインさんは素でイケナイ感じ――」
「――チョコ、それ以上コメントするようならオマエとの付き合いは考え直す必要があるな、主に俺の貞操的なイミで!」
『演技』を終えたアインはそそくさとベッドを降りた。「次はわたしかー」と立ち上がったクロネの空けた空間に、逃げ込むようにして腰掛ける。チョコに対して、タリアを盾にするような格好と言える。
「そんなに警戒しなくても――」
「ふしーっ!」
唇を尖らせながらタリア越しに覗き込んでくるチョコに、アインは子猫のように威嚇の呼気を放つ。
「はい、こっちに注目~」
次の演者たるクロネは立ちポーズで勝負するらしく、ベッドを離れ、部屋の入り口側に立っていた。
「それじゃいっくよ~」
自分に観客の目が集まったのを見届けて、クロネは両手で主刀を形作るとそれを頭の上で揃えた。
「ウサギだピョン♪」
昔懐かしのお遊戯の時間にやるようなウサギの振り付けでクロネが軽やかに跳ねる。両耳に見立てた手のひらをピコピコと動かし、それにつられて本物のウサミミもリズミカルに揺れる。
「クロネ氏、クロネ氏? それだと耳が四つでござるよ?」
呆気にとられたタリアが、思わずテンプレオタク的口調で指摘すると、陽気に舞うウサミミ少女が笑顔を咲かせる。
「耳が四つとか獣っ娘業界じゃフツーよ、フツー」
体重を感じさせないクロネのステップは、板張りの床にさして物音を立てずに繰り返される。これなら他所様の迷惑にはならない。しかし彼女の演技は、他に大きな問題をはらんでいた。
クロネが跳ねるのに合わせて、ほど良く発育した彼女の胸も弾む。寝間着代わりにした、タリアのそれより丈が短めな短衣の裾がヒラヒラと翻っては、健康美溢れる太ももをチラチラと顕わにする。その少々艶めかしい様は、可愛いというよりむしろ――
「エロじゃねーか!」
気恥ずかしそうにアインが喚くも、その視線は決してクロネから逸らされない。むしろガン見である。アインの可愛らしい青い瞳は、何かを追いかけるように目線を盛んに上下させていた。
「くりえいたーのセンセーじゃないんだから、そんなポンポンと可愛いポーズなんて思いつかないってば」
悪びれずに、パチンとウインクを飛ばすクロネ。険しい眼差しでチョコが呻く。
「こんな早い段階で飛び道具とか、実にハイペースです……」
「クロネ――おそろしい娘!」
「え、そういうノリ?」
頷くタリアに、どこか愕然とアインが振り返る。
このように『第二回可愛いポーズ大会』は、おおよそ学芸会的なノリで熱く静かに繰り広げられていた。
アインは初心者らしくストレートに媚びを含んだネタを打ち出し、クロネは悪球じみたエロネタで我が道を突き進む。そんな彼女らに抗するべく、チョコとタリアもネタにヒネリを加えねばならなかった。
「――体育座り、だと?」
ベッドの上で両膝を抱える栗色の髪の少女――タリアを、驚愕の目で見詰めるクロネが呟いた。
何がだよ、驚くところかよとアインは呆れ気味にクロネへと一瞥をくれたあと、ベッドの上のタリアを眺める。
誰憚ることなく、師匠をガン見できるこの時間にアインは感謝していた。なにしろ相手のお墨付きで観賞し放題。そんな中、彼女は唐突に気づいた。ああクロネは週間少年マンガの大げさな戦闘物のノリでこの状況を楽しむ心算かと。
いい加減タガも外れてきたのかもしれない。ならば自分も乗っかろうと、アインは例の調子で聞き返す。
「知っているのかクロネ?」
「体育座り。随所に萌えポイントを持つ、恐るべき古代のポーズだという」
適当に話を合わせただけなのに思わぬ答えが返ってきた。アインはクロネの方を振り向かずに小声で訊ねる。
「なぁ随所に萌えポイントって? 」
「小僧、わからぬか?」
クロネはノリノリだった。内心うぜぇと思いつつ、そこはぐっと堪えて下手に出る。
「未熟者にどうかご教示を」
「うむ。よかろう」
ムフーと満足げで偉そうな鼻息が耳朶を打つ。やはりうざいがこれも我慢した。
「まずは膝。あの綺麗な直角を描き出す、健康的な膝小僧に注目するのだ」
言われるままタリアの、その行儀良く揃えられた膝に着目する。そういう目で見てみると、確かにスベスベで血色の良い膝小僧に、なんともドキドキさせられる。
しかしアインの視線は、じきに別の箇所へと吸い寄せられた。
「フッ、うぬも気づいたようだな」
「師匠の太もも、眩しすぎる……」
膝から下の方へ視線を転じれば、タリアの素肌も艶めかしい太ももが目に入る。重力に従い、本来太ももを半ばまで隠すチュニックの裾がズリ落ちており、危険なレベルまで肌を顕わにしていた。
対象を局所的に視る――これが変態の視ている世界かと、アインは刮目した。というかこの視点で見ると今の師匠の姿は、他にもイロイロ危うすぎる、とりあえずクロネは後で殴っておこう――
朗らかな笑顔で「つまらないネタですけど」と前置きしたタリアが思い出される。今すぐ止めるべきかと悩むアインの目の前で、状況は動いた。
タリアは抱え込んだ膝小僧にこてんと頬を乗せる。背中に掃っていた栗色の長い髪がサラサラと綺麗な音を立ててこぼれた。
アインは先ほどまでの懊悩も忘れて、その光景に目を奪われる。体育座りはともかく、やっぱ師匠はバランス良くて可愛いなーと、アインはその姿を目に焼き付けた。
しばらく物憂げに伏せていたタリアは、やがてそっとため息を吐く。
「二人三脚の練習しようって言ったのに。鈴木クン遅いな――」
「鈴木出てこい! 勝負しろゴルァ!!」
ほんの短いタリアの寸劇に、呆気なく引きこまれたアインが暴れるのを、仲間たちは慌ててなだめる羽目になった。
チョコがその細身の肢体を活かしてしなやかに舞う姿を、タリアは興味深く眺めていた。
3Dモデルの少女を躍らせる類のコンピュータソフトにも造詣が深いチョコが、枯渇したネタの切り札として繰り出してきたのがこれであった。
その言動に少々怪しいところがあるものの、平素は楚々とした黒髪の少女が、実に活き活きと躍る姿はギャップもあってか実に可愛らしい。
「それにしても振り付けを記憶してるなんてすごいですね」
「俺を督戦してる間は結構ヒマですからね。なんか練習してた姿を見た憶えが」
誰とも無く呟いたタリアの言葉に、アインが苦笑混じりに答える。
かすかに聞こえる楽しげな鼻歌のリズムに乗って、チョコの四肢が華麗に旋回する。身に着けた簡素な寝間着も、彼女の華やかなパフォーマンスを色褪せさせることは出来ない。
しばらく引きこまれるようにチョコを眺めていると、不意に太ももの上に重みを感じた。慌てて見下ろすと、蜂蜜色の光の束が視界に飛び込んでくる。
チョコが口ずさんでいた心地良いリズムを子守唄に、アインが力尽きたらしい。それに気づいたチョコは舞うのを止めると、微笑ましそうにこちらを覗き込んでくる。
「アインさん、寝ちゃいましたね」
チョコはほっそりとした指先を伸ばすと、健やかな寝息を立てるアインの散らばった金髪を優しく整える。
こちらへと屈み込むチョコの胸の谷間に気を取られつつも、タリアもう一人の仲間も寝床に沈んでいることに気がついた。
しばらく静かだと思ったら、自分のベッドでチョコの演技を眺めていたクロネも既に目蓋を閉じている。
「チョコさんの出し物、丁度良かったみたいです」
「ですね」
二人の少女は微笑ましげに笑みを交わす。
「アインさん、ほんとの子供みたいに寝つきがよくてびっくり」
「今日もいっぱいモンスター狩りましたから」
ひそひそ話に反応したものか、アインが可愛らしい眉をしかめてわずかにむずがる。
「――なんてイケナイ感じ。これって誘ってますよね?」
「ちょっと待ってチョコさん! クロネさんがいない間に、間違いなんて犯してませんよね!?」
「わりと冗談です」
「わりと!?」
「失言でした、ほんとに冗談です」
タリアは背筋に冷や汗を感じながら、またもむずがるアインの髪を、そっと梳いてやる。アインは一つ小さく吐息を漏らすと、安心したように寝顔をやわらげた。可愛いと呟くチョコに、タリアも頷く。
「聞かれたら怒られちゃうかもしれないけど、守ってあげたいって感じ――」
ほわっとした表情を湛えたチョコは、タリアを膝枕に眠るアインを優しげに見守る。ハンデを背負った仲間も見捨てない。それを当たり前のこととしている元少年を、タリアは頼もしく感じる。
「それじゃお開きにしましょうか。アインさんはわたしが運びますから、チョコさんは扉をお願いします」
チョコが頷くのを見届けて、タリアは軽々とアインを抱き上げる。《偽神》にとっては、それが体格差のない相手でも抱き上げることは実に容易いことだった。
「あ、お姫さまダッコだ」
チョコは楽しそうに笑うとタリアの先に立って扉を開ける。
「それにしても、寝てる間にタリアさんに膝枕されてたって聞かされたら、アインさん悔しがるだろうなぁ」
「それじゃナイショにしておいて下さい」
「面白いネタだから確約はできないかも?」
今夜はチョコたちの泊まる部屋の近くに空きがなく、タリアたちの取れた部屋は少しばかり離れていた。
しばし常夜灯に照らされたロードスター亭の廊下を歩く。深夜はとうに回っているがいまだ階下からは人で賑わう雰囲気がかすかに届いてくる。
二人はまさに超人たる身体能力を活かして、音もなく移動を果たした。問題なくチョコたちの部屋に辿り着き、アインをベッドへと運び込む。
「ありがとうございました」
「いえ、今夜は楽しかったです」
「それじゃまたやりましょう!」
「……ええ、まぁ」
乗り気なチョコと微妙なタリア。なんとなくお互いの顔を見詰め、どちらからともなく噴き出す。その小さな音に、またアインがむずがった。
「現金だなぁ。タリアさんにダッコされてた時はビクともしなかったのに」
チョコはわざとらしく呆れてみせる。しばしタリアはチョコと二人、アインの寝顔を見守る。そんな中、ポツリとチョコがこぼした呟きにタリアは小さくかぶりを振った。
「――それじゃチョコさん、お休みなさい」
「はい、おやすみなさいです」
「アインさんも」
タリアはアインの額を一撫でして就寝の挨拶を残すと、チョコに見送られて廊下に出た。背後で鍵が掛かる音を聞きつつ、タリアは廊下を自室へと引き返す。
薄暗い廊下を渡りつつ、先ほどチョコが呟いた言葉を思い出す。
『僕達が感じてるこれって、父性になるんでしょうか。それとも母性?』
戸惑うような表情を浮かべた脳裏のチョコに、タリアは先刻と同じ様、小さくかぶりを振った。
6/10:脱字と改行を修正しました。一部本分の表現を変更、追加致しましたが大筋に変更はございません。