14.それぞれの夜話
夕食のあと、公衆浴場へと出掛けていたアインとチョコの二人はタリアとクロネが泊まる部屋を訪ねていた。二人の思惑に反して、件の部屋にはベッドの上にペタリと座り込んで目を瞑るクロネの姿しか見当たらない。
「あれ、師匠は?」
湯上りでツインテールを解いた騒々しい金髪少女の言葉に、ウサミミの少女は片目だけパチリと開ける。
「魔法で酒精抜いてアーサーとお出かけ。エルクーンにいる主だったパーティー連中に公国側の様子を話してくるって」
「はぁ、流石ですね」
クロネの返事に、湯上りの黒髪も艶めかしいチョコが目を瞠る。
「三ツ首倒した昨日今日でよくそんなメンドいことしようって気力湧くな~」
アインが半ば呆れたように感心の吐息をもらすと、ニヒヒとクロネが意地悪く笑う。
「元三十男、働き盛りのバイタリティは違うよね」
「今は女の子だけどな。ま、そうは言っても身体の性能がフツーじゃない、か」
アインは靴をポポイと脱ぎ捨てると、クロネのベッドに勢い良く飛び乗って胡坐を組んだ。チョコは主の居ないベッドに腰掛ける。
「しっかしリアル師匠に会って思ったけどよー、アレで中身は三十近くの男ってのがホント信じらんねぇ」
子供のように身体をゆすりながら、アインは可愛らしく眉を寄せる。
「ハッキリ言って俺は多少幻滅するのを覚悟してたんだぜ?」
「ホント上手く化けてるよねー」
面白がるクロネの言葉にチョコも頷く。
「ちっちゃいのに良く出来たお嬢さん、て感じですよね。某国民的アニメあたりに出てきそうな」
彼女の表現に他の二人もそろって首を縦に振る。
「それでさ、さっき師匠の隣に座った時感じたんだけど。なんかすげーイイ匂いするんだよ。なんだアレ反則だろ。こっちは同じロリでも良く言えば日向の匂い、ハッキリ言えば汗臭いだけだっつーの!」
自らの細い腕に鼻先を押し付け、スンスンと匂いを嗅ぐ仕草をしてみせながらアインが喚く。
「リアたんは紅茶とかお菓子扱ってるから、その辺の移り香が染み付いてるのかもね」
興奮気味にまくし立てたアインに、クロネはうんうんと頷いてみせる。
「さっき淹れてもらった紅茶とシュークリームは美味しかったぁ……」
その言葉に食後のデザートを思い出してか、うっとりとした様子でチョコが反駁する。
「僕、女の子に手造りお菓子をもらうのなんて初めてでした」
さすが元ネトゲ廃人高校生男子のチョコである。彼のその切ない青春時代が思い起こされ、クロネは心の中でそっと目頭を押さえる。
「あれもビックリだったけど、もうゲームキャラの外面が良いってのとは次元が違うよなぁ」
アインはタリアが夕食の場で見せたそつのない気配りの数々を思い出す。
「くるくると良く働いて、甲斐甲斐しいったらないよね」
ジャックさんたちと一緒の時もあんなだったからとクロネは笑って言い添える。
「流石に『オレの嫁ランキング』のトップランカーだけあるぜ。師匠、恐ろしい子!」
「ライトニングさんも言ってたじゃない? 昔のネカマはあーゆードリーミーな存在だったって」
「それにしたって現実であそこまで演じる必要ってあるのか?」
納得しかねるようなアインを、クロネは可笑しそうに眺める。
「スピードドラゴンさま曰く、リアたんは『鉄壁のネカマ』らしいから」
「え? 何ソレ」
訊き返すアインに、クロネは昼間のバーテニクスとの会話を話して聞かせた。
「あのヌイグルミ、そんなことも判るのか」
「まぁ《交感》なんてものが使えるくらいだし」
あれも不思議な感覚だよなと呟くアインに頷きながら、クロネは核心的な事情を口にする。
「わたしとリアたんがネカマだったのもバッチリ見破られたからね。剣聖さまはバーテニクスの話を真に受けるなって言ってたけど」
むむと考え込むアインだったが、ふと何か気づいたように顔を上げる。
「つーか、クロネ。何かおまえ、あっちに行ってる間にちょっと女の子っぽくなったんじゃね?」
アインの言葉にチョコも肯定するかのように頷き、クロネは奇異の目を向けてくる二人に肩をすくめてみせる。
「そりゃ向こうには正真正銘の女の子が三人もいたし。それなりに感化されるって」
「そんなもんかね」
「こっちみたいに『中身は全員男!』ってワケじゃないからね。空気も読みますよ」
訝しむアインにクロネは澄まし顔をしてみせる。
「――まぁその分リアたんにセクハラしまくったけどね、お風呂も一緒したし!」
一転してドヤ顔になるクロネに、アインは驚愕の表情を向ける。
「なん――だと?」
「アイン、ピーキーな体格なあんたと違ってリアたんはほど良く育ってました! 柔らかくてイイ匂いがしてもーたまらんでした。こう、手のひらに丁度収まるような――」
クロネがその様を思い出すかのように手のひらで形作ろうとするのを、アインが必死の形相で払い除ける。
「貴様ッ、ロリに触れるなど、しかもパイタッチどころかモロなんて紳士にあるまじき行為だろ!?」
ストレートな金髪を逆立て、可愛らしい声でろくでもない非難を投げつける少女に、やはりろくでもない主張でウサミミ少女が言い返す。
「今はわたしも女の子だもん! 紳士じゃないからセーフだもん!!」
かくして少女の姿を借りた漢たちの、熱き戦いの火蓋が切って落とされる。
「ちょっと二人とも、夜なのに声大きいです――」
オロオロと仲裁に入る気弱げな少女を余所に、かしましい二人の少女の舌戦は瞬く間に過熱していくのだった。
◇ ◇ ◇
同じ夜。ライルネス公国第二公子カラグ・ラドゥ・ライルネスは澄み渡る秋の夜空に輝く月を眺めながら、思案の時を過ごしていた。
ラエルガス監視団駐屯地に用意された団長用の宿舎。その寝所に設けられたベランダに立った彼は、先日に知己を得た冒険者らのことを考えていた。
そうそう遅れを取ったとも思えなかったのだが、彼らの行動はその上を行っていた。否、この認識こそが油断だったのかもしれない。決して侮っていたわけではないが、昨日のあの場にて行動に移らなかった自分は、やはりどこかたかを括っていたのだろう。
今日の昼下がり。この地では比較的自由に行動できるカラグが件の冒険者たちを訪ねてみると、彼が興味深く感じた僧侶の少女と他一名が一足違いで姿を消していた。
訊けば冒険者らは、互いに親しい仲ではあるが常に行動を共にしている訳ではないのだという。僧侶は魔法使いと共にラエルガスの地を離れ、今は別の仲間らに力を貸すためにエルクーンへ向かったと聞かされた。
気をつけたつもりだったが、自分の残念がる気分が表情に漏れたらしいとカラグは思い返す。昨日に剣士と見知った獣人族の少女は、失礼にならない程度に抑えながらも確かに面白がるような表情を浮かべていた。
「楽しみを後に取って置こうとするのが僕の悪いクセだな」
そう公子がひとりごちたところに、小鳥が羽ばたくような音が滑り込んできた。彼が肘を乗せた手すりに、仔犬ほどの大きさのドラゴンがそっと降り立つ。
それは銀色の鱗を持つ美しい生物だった。身体を覆う鱗はどこまでも滑らかで、冴え冴えとした月光を跳ね返すさまは濡れた輝石のようにも見える。
その頭頂部からは一房、朱色のたてがみが特徴的に長く伸びていた。ドラゴンが顎を引くのに合わせ、その赤いたてがみがしなやかにたなびく。
「――アグリーズ」
珍客の来訪にしばし目を瞠っていたカラグが親しみを込めた笑みを浮かべると、銀色のドラゴンは小さく羽ばたきを打つ。次の瞬間、手すりに止まっていた小さなドラゴンの姿は消え、カラグの隣りには戦装束も美々しい十代半ばと見える銀髪の乙女が立っていた。その額には一房、朱色の前髪が長く垂れている。
「こんばんは、カラグ。良い月夜ね」
華やかさより凛々しさを感じさせる美貌に朗らかな笑みを浮かべた少女の挨拶に、公子は華麗な所作で一礼してみせる。
銀色の龍から変じた少女――アグリーズは「ご丁寧に」とこちらも優雅な仕草で返礼する。そして身を起こした二人は、自分たちの振る舞いにどちらからともなく噴き出した。
「して麗しの龍姫様、今宵はいかなる用向きで?」
カラグの芝居がかった口振りに「まだ続けるの?」と苦笑いを浮かべたアグリーズは一拍ほど黙り込んだのちに大きなため息をついた。
「私の縄張りに、招かざる客が来たらしいって話が耳に届いたのよ」
「それはまた――ヒトの身にとっては随分と物騒に聞こえる話だね 」
カラグが知る唯一の人外の存在。龍神と地母神の娘を自称するこの女神が、己が領域に招きたくないというその客とやらを想像して、彼は眉をしかめる。
「だからちょっと見廻りの真似事をしてるの。ここに寄ったのは喉の渇きを癒してもらおうかと思って、ね?」
明るく笑うアグリーズに、自分が心配するようなことではないのかとヒトの身たる公子は曖昧に笑い返す。
「お安いご用ですよ、お姫さま。それでは奥へどうぞ」
カラグの差し出した腕を取ると、龍の姫神は満足げに目を細める。連れ立って部屋へ戻る途中、ふとアグリーズは尋ねた。
「ところで、今回はどんな楽しみを逃したの?」
「聞こえてたんだ?」
アグリーズに席を勧めたカラグは酒杯を用意する片手間に、このところラエルガスを脅かしていた魔物と、それを退治してのけた冒険者たちのことを話して聞かせた。中でもその能力と歳格好が酷く不釣合いで、特に印象に残った少女の話を。
「僕の良く知る女の子に、ちょっと似てるなと思ってね」
「誰のことかしら?」
空とぼけるアグリーズのグラスを琥珀色の液体で満たす。
「――エルフとか、長命種ではなかったのね?」
凝った意匠のボトルがテーブルに置かれるのを、何となく見届けた風の女神がそう確かめ直してくるのに、公子は頷いてみせる。
「他の神が創った《使徒》かしら。ここ数百年はとんと耳にしたことはなかったのだけど」
上等な蒸留酒で舌を湿らせながら、龍姫は考え込む。その様子に、アグリーズにも少女の正体に関する答えの当てがないと察したカラグは、話の切り口を変えてみる。
「――ここ最近、公国におかしな連中が増えてるようなんだ」
「おかしな連中?」
不思議そうに問い返す龍姫に、彼はしばし黙り込む。アグリーズはその間も差し向かいに座したカラグを見詰めるが、殊更返事を急き立てるでもなくグラスを傾ける。
「なんとも掴みどころのない話なんだが。妙に力を持った冒険者たちが増えていると、兄上に各地から報告が届いているらしい」
龍姫がその恩寵を垂れる果断なる勇者は、彼にして珍しく曖昧な物言いで沈黙を破った。カラグ自身もこのはっきりしない話に一昨日まで眉唾な思いをしていたこともあって、目の前の女神も同じく一笑に付すのではないかとその表情を窺う。
しかし公子の敬愛する龍姫は、そこいらの宮廷雀や凡百な美姫たちとは異なる世界に住まう存在だった。
「そうね。妙な冒険者の話なら私も最近小耳に挟んだわ。招かれざる客の情報をもたらしてくれた子が愚痴っていった話も、今にしてみればそうなのかも――」
真面目な表情で、今度はアグリーズが思索の海に沈んでいく。カラグは先ほどの彼女と同じように、相手の沈思黙考を妨げることなく待ち構えた。
「――カラグもペルセニウムって龍の名は聞き及んでるわよね?」
しばらくしてようやく口を開いた龍姫の問いに、公子は酒盃を下ろして頷く。
「レメネー公国領に住まう氷龍の名前だよね。彼の国では守護神とも目されている賢龍だったはず」
カラグの返事にアグリーズは微笑みと共に頷き返す。
「ええ、そう――良かった。あの子はまだヒトにそう思われているのね。安心したわ」
龍の女神の物言いに、カラグは首を捻った。
「不思議そうな顔ね。良いわ、教えてあげる」
可笑しそうなアグリーズの様子にますます訝しみながらカラグは黙って耳を傾ける。
「つい半月ほど前、その守護神たる氷龍に襲い掛かったヒトの集団が居たそうよ」
「まさかレメネーの民が!?」
驚愕に腰を浮かせかけた公子を優雅な手つきで宥めつつ、龍姫は首を横に振る。
「言ったでしょう? 妙な冒険者には私も心当たりがあるって」
一度美酒で喉を潤し、龍神の姫はラフォニス島のヒトの世を統べる系譜の末席に連なる公子の瞳を覗き込む。
「さっき話した招かざる客――強力な竜の来寇を教えてくれたのもペルセニウムなの。彼女自身が聞かせてくれたんだけど。彼女を襲ったヒトの集団、およそ五十名にも上る襲撃者たちはその種族を問わず尋常ならざる者たちだったらしいの」