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決戦世界のタリア  作者: 中村十一
第二章 再会のまれびとたち
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10.隠者と灰色の龍

 思わぬタイミングで再会を果たしたタリアだったが、その一方で掲示板からミントに関する情報は得られなかった。

 もはや古い層に追いやられた、バハムート署名のアライアンス壊滅を知らせる貼り紙は見つけたものの、やはりそちらにもなんら応答はなく、タリアにどこか底冷えするモノを感じさせた。

 しかし黒衣の青年との再会以外にも嬉しいことがあった。エルクーンを拠点とする顔馴染みが幾人もその場に居合わせ、しばし無事の再会を喜びあうことができたのである。

 こうして《ゲート広場》での用事を済ませたタリアたちは場所を移していた。黒騎士が宿泊しているという宿屋兼食堂の一階、その食堂の奥まった四人がけのテーブルに腰を据える。

 時刻は昼下がり。食堂の客はまばらになっており静かな雰囲気に包まれていた。昼食を済ませていなかったタリアとクロネが食事の注文を済ませると、一行にわずかな緊張が走る。その空気に耐えかねたのか、黒騎士の肩に乗る仔龍が居住まいを正すように小さく羽ばたきを打った。

 タリアとクロネが並んで座り、対面に剣士が一人でついている。タリアは少々やりにくさを覚えるも、先ずはクロネを紹介した。

「こちらはクロネさん。わたしの友だちで魔導師ウィザード。最近はあまりパーティーを組まなかったけど、今回の転移騒ぎで一緒してる」

 どこか面白がる風なクロネが「よろしく」と可愛らしく会釈すると、黒騎士は無言のうちに小さく頷き返した。

 さてこっちはどう紹介したものかと悩んだ末、タリアは黒衣の青年を見つめる。「きっちり紹介するよ?」という意思をこめたそれに黒騎士が再び頷く。

「――この無愛想な子がわたしの《Decisive(ディー) War() World(ォー)》での初めての友人であるナヴィガトリアです。えーと、今は《剣聖》とか言う職なんだっけ?」

「ナヴィガトリアだって!?」

 黒騎士がやはり無愛想に頷くのと、クロネが素っ頓狂な驚きの声を上げるのはほぼ同時だった。



『アイドルプレイヤー』という言葉がある。そう呼ばれる彼、彼女らは比較的若いプレイヤーを中心にネット上で持てはやされる存在といえる。

 美貌のキャラクターであったりゲームで一角ならぬ手腕を誇るプレイヤーであったりと様々だが、他薦自薦自演を問わず、いずれも称賛ややっかみの声を浴びつつも動画投稿サイトやネットゲームのファンサイトといった、ゲームの外をも賑わして人気を博していた。

 そんな華々しさに彩られた『アイドル』とは別に、古参を主としてさほど表沙汰になることなく暗然と、或いは比較的不名誉な場でのみ語られる『有名人』も存在する。

 単独で日本国内サーバーの最高位に君臨し、しかしその姿を見たものがほとんどおらず、運営側のテストキャラクターではないかと囁かれた孤影《隠者ナヴィガトリア》。

 初期にテスト開放された対人戦システムにおいて千人の高レベルプレイヤーを巧妙に殺害せしめた愉快犯《人喰フール》。

 非常識なまでの貢がせプレイで巨万の財を成したと噂されるキング・オブ・姫キャラの《妖姫ヴィヴィ》。

 彼ら三人は半ば都市伝説やヨタ話として、面白おかしく且つ無責任に《ディーウォー》通を自認するプレイヤーの間で語られていた。



「――《隠者》ってホントに運営サイドのキャラじゃなかったんだ……」

 そんな有名人(、、、)が今この目の前にいる。その事実にクロネは呆然と呟く。

 もはや《ディーウォー》に運営組織なるものが存在していなかったことは重々承知していた。

 それでもゲーム時代の極初期を除いた長きに渡り、並み居る廃人を寄せ付けず国内サーバートップとして君臨した非常識なキャラクターが、実際に一プレイヤーの手になるものだったと明かされれば驚かざるを得ない。

 ましてや《隠者》はその異名が示すとおり、目撃情報が他の二人と比べても著しく少なかった。まさに伝説中の伝説と言える。

 クロネは対面に座する青年をまじまじと見詰めた。

 黒髪に黒い瞳。無表情を湛えたその造作は整っていると言えるが、取り立てて美形と言うわけでもない。中肉中背の体躯は甲冑をまとってなお引き締まった印象を与えるが偉丈夫と呼ぶにもほど遠い。

 没個性的と評するしかない外見だが、それでもクロネはその存在感に気圧される。目の前の青年が只者であろうはずがないと。

「――自分、正真正銘の自宅警備員だったんで」

 ボソリと漏れた愛想の欠片もない台詞が、半ば忘我の内に漏れた自分の呟きに対する答えだったと気づいたクロネは慌てて首を振った。

「あ、とりあえず一芸に秀でるってスゴイよね!」

 無茶苦茶なフォローだったが、ナヴィガトリアも特に気を悪くした様子もないようでほっと一息つく。

「ナヴィとは『事前試験』期間に知り合いました。本テスト開始後も生産品の取引したり、フレチャ(フレンドチャット)で世間話したりとか」

 まだどこか呆然とするクロネに、タリアは苦笑混じりで説明する。

「――タリアは私の師匠。『事前試験』の時にMMOでのプレイのコツを教えてもらったのが付き合いの始まり」

 剣聖は掴みどころのない表情で、二人が知り合った事情説明のフォローをする。

「ナヴィも当時はMMO初心者だったらしいんですけど――」

 作成したキャラクターが使用可能なこと以外、本テストに先立ってレベルや獲得したアイテムも全て初期化される旨が告げられていたためおおよそ牧歌的だった『事前試験』の空気の中、二人はたまたま狩り場で隣り合わせた。

 傍らで戦うナヴィガトリアのその危なっかしさに、タリアが堪らず声を掛けたのが二人の出会いのきっかけだった。

 タリアはわずかなプレイ時間のうちに、自分が以前遊んでいたMMORPGと《ディーウォー》の戦闘システムがそこそこ似通っていることに気づいていた。

 タリアはそのMMOで近接職として鳴らした際の経験を元に、《ディーウォー》における戦闘のコツをナヴィガトリアへと伝授した。タリア自身も初めての支援職プレイの予行演習が適ったので、二人は互いに悪くない条件で『事前試験』期間を過ごせたといえる。

 その良好なコンビプレイの成り行きから、MMOでのレベル上げや資金稼ぎの効率的なゲーム運びの定石セオリーまで、タリアは請われるままナヴィガトリアに教えることになったのである。

「もっとも、ナヴィはMMOが初ってだけで当時から廃ゲーマーでしたから。プレイ時間も段違いだし、本テストではあっさり置いていかれましたけどね」

 タリアは可笑しそうに話を締め括った。そんな彼女の言葉にナヴィガトリアは首を横に振る。

「そんなことはない。タリアの教えてくれたことは随分と役にたった」

 それを耳にしながら、なるほどタリアにその気(、、、)時間(、、)が与えらた場合の見本がコレ(、、)かと、クロネは目の前のトッププレイヤーを見詰めつつ長々と感心したようなため息を吐き出す。

「それにしても、こんな大物がフレに居るとか隠し玉過ぎるでしょ」

「私と知り合いだって知られると、タリアに迷惑掛かるから」

 クロネの呟きに、最強の剣士がまたしても無表情に返す。あくまで平坦な声音で紡ぎ出されたその言葉に、クロネはなるほどと腑に落ちる。

 出る杭は打たれる。そして出過ぎた杭の打たれ方は、より熾烈を極めることとなる。ゲームの内外を問わず、彼のような突出した存在は散々に語られることも少なくない。

 事実『伝説の三人』にまつわる話の大半は芳しいものといえない。

 クロネがかつて『血の一週間』で対峙したフールは愛すべき悪役ではあったが悪人ではなかった。敗北を喫したものの、キッチリ役割を演じて魅せた彼には好感すら覚えた。

 だが世の中にはどのような形でも負けを好しとせず、且つ敗北の要因を自分の外に求める者もいる。故に伝説として喧伝されたフールは悪役から悪人へと堕することとなった。

 ヴィヴィの知己が話してくれた彼女の実像も、尾ひれが付いた伝説(、、)とは大きく異なっている。おそらくフールのそれと大差ない変遷があったのだろう。

 そしてそういった負の感情は往々にして無責任に拡大され、件の人物の周囲へとも向けられる。これは『伝説の三人』の後を襲うアイドルプレイヤーらにも当てはまる傾向だった。

「まぁ本人もこんな感じで。ナヴィは熱心なソロプレイ志向でしたし、わたしの方でこの子の友人だって言い回ることもないかな、って」

 タリアがほろ苦い笑みを浮かべれば、ナヴィガトリアもこくこくと頷く。

「さすがは《隠者》さん、徹底してるわ――」

 クロネはナヴィガトリアの二つ名を口にしつつ、なるほどと《ゲート広場》でのことを思い出す。



 噂の黒騎士がタリアの知己と察した知人らは彼の素性を知りたがった。レベル120に達している自分をして実力を測り切れないこの強者がエルクーンに現れたことに、ストレスを感じていた者たちも少なくなかったのだろうとクロネは察した。

 タリアは話題の本人の様子を窺い、鉄面皮に戻った彼が肯定的な空気を醸し出していないことを察したのか、その追求をやんわりとかわした。

 タリアは黒騎士が自分の古くからの友人であることと、PKなどに走る非常識な輩ではないことだけは強く説いて聞かせたが、結局三人と一匹は半ば逃げるようにして《ゲート広場》を後にすることとなったのである。



 それはそれとして、クロネは気分を改めた。彼女もハイレベルプレイヤーの端くれである。《剣聖》などという耳慣れない肩書きを持つ邦人トッププレイヤーを目の前にすれば、訊いてみたいことなど次々と浮かんでくる。

「ところで訊いてもいいかな? 肩の上のちっこいドラゴンはペットか何か?」

 そんな中から、まずは先ほどから気になっている存在について、対面の剣士に訊ねてみた。クロネの知る限り、《ディーウォー》にはペットを飼うといった要素は存在していなかった。どのようにこのチビドラゴンを手懐けたのか、非常に興味深い。

 件のおチビさんを眺めながら答えを待つ。するとクロネのその問いかけに対する答えは、思わぬところから思わぬかたちで返ってきた。

『友人が口下手だから自己紹介するよ。僕はバーテニクス。ドラゴンの間ではちょっとした実力者として知られるナイスガイ(、、、、、)さ。よろしく、クロネ』

 青い瞳に知性の輝きを湛えたチビドラゴンに見つめ返され、クロネが驚きに目を見開く。そして脳裏に響くこの声。半月前、氷龍ペルセニウムと遭遇したアーサーが語ってくれた話を思い出す。

 曰く、《交感テレパシー》のようなもので嘲笑の言葉を浴びせられたと。

 ――いや、そんなことより、今このチビドラはバーテニクス(、、、、、、)と名乗ったか?

「バーテニクスって、セレニス公国の空に飛んでたあのでっかいドラゴンのこと?」

 驚いて問い質すクロネに、ナヴィガトリアが音もなくこっくりと頷く。

『僕が多分そのバーテニクスだよ。そっち(、、、)では《スピードドラゴン》なんてあだ名までもらって、随分有名だったようだね』

 面白がるようにぐるぐると喉を鳴らしつつ、再びチビドラは小さく羽ばたきを打つ。

『君たちの世界での僕は、なんだかスカしたヤツだったみたいだけど』

 ゲームでは上級者向けエリアと言えるラフォニス島西部を治めるセレニス公国。その地で進行するクエストにおいて、バーテニクスはその一役を担う。

 常人では辿り着けない険しい山岳部へ駒を進めるために、プレイヤーの誰もが一度はその巨大な背に乗ることとなるのだ。その際に目にしたゲームメッセージたるバーテニクスの語り口は、たしかにこのチビドラとは異なり随分と仰々しいものだったが――

「キミはキミで威厳もへったくれもなさすぎじゃない?」

 そう口にしつつも、クロネはこの小さな灰色のドラゴンに悪くない印象を持ち始めていた。表情を綻ばせたクロネの軽口に、まるで人が肩をすくめるかのような仕草でバーテニクスは小さく翼をはためかせる。

『アルテミエルの脚色が過ぎただけの話さ。それとも君たちの(、、、、)好みに(、、、)合わせたか(、、、、、)

 チビドラの台詞に聞き捨てならない名前が混じっていてクロネは目を瞠った。隣で驚いた様子のタリアが、身を乗り出さんばかりな勢いで口を開く。バーテニクスの《交感》は自分のみならず、彼女にも届いていたようだ。

「ちょっと待って下さい。バーテニクスさんはアルテミエルが何なのか知ってるんですか?」

『知ってるよ。ツクリシ女神メガミにして、君たちに大迷惑を掛けた張本人だ』

 小さなドラゴンはヌイグルミのような体躯で身振り手振りを交えてタリアの問いに答える。

「この世界の人たちはアルテミエルの存在を知らないようでしたけど」

『うん、そうだろうね。君たちだって自分たちの世界が誰によって作られたのかなんて知らなかったろう?』 

 クロネとタリアは虚を衝かれたようにして顔を見合わせる。言われてみれば、世界に創世の神話は数あれど、それが果たして真実であったかなど知りようもなかった。この世界がアルテミエルに創られたという話自体、あの女神さまの方から明かされねばそれと知ることもなかったろう。

「こっちの世界に連れてこられる時にムリヤリ頭の中に叩き込まれた知識であれ(、、)がアルテミエルで創世の神さまだって理解させられたんだっけ」

 クロネが可愛く眉をひそめるのを余所に、タリアがバーテニクスに訊ねた。

「ところでそう言うバーテニクスさんはどうしてアルテミエルの存在を知っていたんですか? こちらの事情にも詳しいようですし、ナヴィに聞かされたとか?」

『君らの事情はナヴィから聞いたよ。アルテミエルを知っているのは君らと同じ。神さまからそうと聞かされたからさ』

 面白くもなさそうに答えたバーテニクスが、不意に鼻面を振り動かす。

『とりあえず話の続きは食事しながらといこうじゃないか』

 仔龍が振り向いた先には、タリアとクロネの食事を運んでくる女給の姿がある。

「《ゲート広場》に行く前に昼食は済ませた。アレは君の分じゃない」

 ナヴィガトリアの文字通り鉄拳が、チビドラゴンの平たい額にゴツリと落ちた。



 食後のお茶を運んでくれた女給が去るのを何となく待って、タリアたちは話を再開した。バーテニクスはナヴィガトリアの鉄拳制裁にもめげず、タリアとクロネに媚びを売っては昼食のご相伴にあずかることに成功し、甘やかされ慣れた愛玩動物の体で満足げに目を細めている。

「《雷鎚らいつい》の名が泣くほどの堕落振り。猛省すべき」

 無表情ながらもどこか冷めた視線を送ってくるナヴィガトリアにもどこ吹く風といった調子で、バーテニクスはテーブルの上に寝そべる。

『お嬢さんたちに楽しんでもらって対価を得る――労働に対する正当な報酬だと思うけど?』

 悪びれず答えるドラゴンに「悪い手口を憶えて」とナヴィガトリアが毒づく。どうやらそれがこのチビドラゴンの常套手段なんだろうと、タリアとクロネも察する。

『あ。ところでクロネにタリア、二人のことはお嬢さん扱いして良いんだよね?』

 不意に投げかけられた言葉に、ティーカップを傾けつつタリアとクロネが揃って怪訝そうな表情を浮かべる。

『魂の在り方より、肉体からだに準じた扱いで良いかってこと』

 悪戯げに問うバーテニクスにタリアはなんとかこらえてみせたが、クロネは盛大に咽る。

「わたしたちのコト、わかるんですか?」

 感心したように問うタリアに、バーテニクスは軽い調子で答える。

『ドラゴンてのはほら、ソウルフルな存在だから。外見よりそのモノの本質を見抜けるのさ』

「――このイキモノは結構適当なこと言うから真に受けちゃだめ」

 ナヴィガトリアの無感情な言葉に、タリアとクロネはそろって生温かい目で頷く。

『酷い言われようだなぁ。これはホントのことだって』

 寝そべりながら抗議の声を上げるバーテニクスは言葉を続ける。

『ナヴィガトリアは随分と器に魂の形がはまってきてる。クロネは半々くらいか』

 その意味深な話に、三人の《偽神》は互いの顔をまじまじと見交わしてみる。

『タリアは――凄いね。ほとんど元のままなんじゃないかな』

 不意に頭を起こし、こちらをまじまじと見詰めてくるバーテニクスの瞳をタリアは黙って見返す。

『君たち《偽神》がどう在るべきかは僕にもわからない。でもタリア、君はちょっと面白い存在になれるかもしれない』

 予言のように厳かに語られた言葉に、タリアは誤魔化すような苦笑を浮かべる。それを無表情に眺めたナヴィガトリアが、言い含めるように口を開いた。

「タリアのネカマっぷりは筋金入り。裏を知りつつ眺めてたらちょっと面白いどころの話じゃない」

 元弟子の、冷静でいてどこかピントがずれたフォローにならないフォローにこそ、タリアは内心身悶えた。傍らでクロネが噴き出す声が耳に届く。

『――ネカマか。面白い観念だよね。でもなるほど、そんな風に言われてみればタリアのことも納得できるよ』

 囃し立てるかのような軽薄な動きで、盛んに尻尾を振りたてるバーテニクス。

『タリア、君は差し詰め鉄壁のネカマって感じじゃないかな』

 ぐるぐると愉快そうに喉を鳴らす灰色のドラゴンの額に、再び鉄拳がめり込む。

「笑いすぎ」

 苦笑を浮かべたままのタリアがまぁまぁとナヴィガトリアに取り成すと、バーテニクスは身軽に羽ばたいてその膝の上に降り立った。タリアという威を借りつつ、テーブルに前肢と顔を乗せたチビドラゴンが澄まし顔で言い放つ。

『暴力反対』

 ナヴィガトリアの鉄面皮に、わずかに浮かぶ苛立ちを見てタリアが笑顔で制する。 

「ナヴィ、結構ためになる話だったから大目に見てあげて」

「ちょっと甘やかしすぎ」

 幾分不機嫌そうな剣聖に、タリアは手を差し出す。周囲を窺い、他者の目が無いのを確かめたタリアはその手の中にシュークリームを呼び出した。

「ナヴィには初披露になるかな。甘い物でも食べて機嫌を直して」

 剣聖は少々意表を衝かれたような表情でシュークリームに手を伸ばす。

「――流石に手甲ガントレットは外した方が良いよ。多分ぶちゅっといっちゃうから」

「ああ」

 物々しい音を立てつつ、あわただしく手甲を外したナヴィガトリアは再びシュークリームに手を伸ばす。そっと手に取り、しげしげと眺める彼を余所に、タリアはクロネにもシュークリームを渡した。

「魔法攻撃力アップのシュークリームかー、懐かしいな。リアたん印のヤツはわたしも初だけど」

「あれ、そうでしたっけ?」

 クロネがパーティーに加入してからは出してなかったかと、タリアは首を傾げる。

「だよ。バハムーとライトニングさんが美味かった美味かったってうるさくてさー、ちょっと期待してたんだけどいつまで経っても出てこないから弾切れかと思ってた」

 泣き真似すらしてみせるクロネにタリアは噴き出した。

「笑い事じゃないよ。バカネコの胃袋に全部消えたかと――」

 可愛らしくシュークリームにかぶりついたクロネの言葉が途切れる。自分にも憶えがあるその沈黙に、タリアはそっと視線をそらした。その顎の下をスンスンという鼻息がくすぐる。

『なにかすごいイイ匂いがするんだけど』

 必死に首を反らす仕草に微笑みつつ、タリアは件の洋菓子をバーテニクスの前肢に持たせてやる。

『これはあっちの世界の料理?』

 シュークリームに鼻面を押し付けつつバーテニクスが発した思いがけない問いに、タリアは小首を傾げる。

「あちらではポピュラーなお菓子でしたね。こっちではどうかな? まだ見かけたことはないかも」

『お菓子。なるほど。いいよね、お菓子』

 ぶつぶつと駄々漏れる《交感》になにやら困惑の色が窺えて、タリアはそっとアドバイスする。

「そのままガブっといけばいいんですよ。中にクリームが入ってるんでこぼさないように、それだけ気をつければ」

『……いや、なんか目の前の相棒が涙目になってるのが怖くて』

 えっ? と振り向いた先には、目を赤くしてシュークリームを食べきろうとしている剣聖の姿があった。


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