9.再会のエルクーン
時はタリアたちが三ツ首狼を倒した日から数日遡る――
どこか冷たさを感じさせる月の光が、絨毯の様に敷き詰められた雲を蒼白く照らす。
そこは静謐なる天上の世界。
しかし唐突に雲の絨毯は切り裂かれ、巨大な影が雲海を割って勢い良く浮上する。
羽音も高く翻る翼。その翼端では盛大に飛沫が上がり、静寂は破られる。
影の正体は灰色の、いや今は月明かりで銀色に輝く羽毛に覆われたドラゴンだった。
激しく散らかる水の粒子は月光の分身と化し、ダークブルーの世界で儚くも煌めく。
そんな瑣末な情景を気にも留めず、ドラゴンは雲海に黒々とした影を落としながら悠然と飛翔を続ける。
その向かう先で、紅蓮の光が夜闇に閃く。次の瞬間、収斂された炎の槍が夜空を焦がして次々と飛来した。
灰色のドラゴンは瞬時に翼をたたんでこれをやり過ごす。それでも足りないと見て取ったドラゴンは己が身体をキリモミさせると、わずかに生じた空力抵抗を利して襲い来る巨大な火箭をかわしてみせる。
翼持つ賢獣の、爬虫類のような、それでいて真っ青な色彩を持つ瞳に稚気が浮かぶ。
『傷のせいで技にいつものキレがない。こちらに強力な助っ人がいるのも知らず、いつもと同じにちょっかいを出してきたのが彼女の敗因だね』
ドラゴンは自分の長大な首筋に跨る存在へ、《交感》を通じて面白がるようなを言葉を送ってみせる。
『無駄口を叩かない。スピードドラゴンの名が泣いてる。急いで』
切って捨てるような返事に、ドラゴンは心象で肩をすくめてみせた。
この世界に在って有数の種族である龍の彼をして、助っ人と言わしめるのは黒髪黒瞳の少年だった。いや、その容貌はそろそろ青年と呼ぶに足る精悍さを感じさせる。身にまとうはやはり黒い甲冑で、背には赤黒いマントがたなびいていた。
思えば自分に跨る御仁は、先ほどのキリモミ飛行でも振り落とされることなく健在であったとドラゴンは思い至る。
『それじゃ遠慮なしにやらせてもらうよ』
そう宣言して推進力の強度を限界まで高める。巨大な水蒸気の円盤を後に残すと、ドラゴンは轟音を置き去りにして瞬く間に音の速さを越えた。彼の周囲では雲海がごっそりと吹き散らかされていく。
進路上の夜空に、再び赤い光が煌めいた。
『――避けなくていい』
助っ人の言葉にぎょっとするも、ドラゴンはそれに従って追跡に専念する。
次の瞬間、己がうなじあたりから銀閃が迸るのが感じ取れた。向かってくる紅蓮の槍の数だけきっちりと閃いたそれが、脅威を排除するさまにドラゴンは密かに慄く。しかし口をついて出るのは軽口だ。
『こりゃいいや』
間絶たない牽制攻撃を同じ手段でやりすごしながら追撃を続ける。
しばらくして、ついに彼女の姿を視界に捉える。
『バーテニクス。セルティネカに思い残すことはある?』
助っ人の問いに、灰色の龍――バーテニクスはわずかに黙する。
『――いや、ない。彼女はもう抜け殻だ。歪な残滓でしかない』
やがて吐き出されたバーテニクスの言葉に、平素は感じられない真摯さが滲む。
『彼女の友として僕がしてやれることは、せめてこの手で討つことくらいさ』
ドラゴンの言葉に、それまで鉄面皮だった青年の顔にわずかな表情が浮かぶ。
『わかった。そういうのはキライじゃない』
その労わるような眼差しを、バーテニクスが窺い知ることはできない。しかし青年の気持ちは、飾り気のない言葉が十全と伝えてくれた。
バーテニクスの視線の先、夜の虚空に真っ赤な炎が華開く。
彼女――悪名高き《火竜》の口腔より放たれた〈炎の息吹〉が、明々と夜空を切り裂いた。
そしてバーテニクスは、信じ難い光景を目の当たりにする。
襲い来る巨大な火柱が、彼の目の前で左右に分かたれていく。
『――征ってくる。牽制よろしく』
バーテニクスの首にわずかな衝撃を残して、赤黒いマントを怪鳥のようにはためかせた青年の姿がみるみる遠ざかる。
翼を持たぬ身でありながら躊躇なく虚空へと身を投じた彼を、灰色のドラゴンは唖然と見送る。
それでもバーテニクスは、戦士の習性で彼女への牽制攻撃を試みた。
後方へのブレス攻撃で著しく速度を落とした獲物目掛け、追手たるドラゴンのあぎとから、紫電と化した息吹が轟然と放たれる。
火竜がその雷撃をかわすことに注意を向けた瞬間、彼女の首に鋼線が絡みつく。いや鋼線と見えたそれは、黒衣の青年が右手で振るった異形なる剣の刀身であった。
蒼白い刀身を持つその剣は溶けた飴細工のように伸びると、セルティネカの首筋にしっかと巻きついている。
青年が『そうあれかし』と念じれば異形の剣は応えた。蒼褪めた鋼の剣は本来の姿を取り戻そうと、遠く伸びた剣先めがけ勢い良くその身を縮める。
猛スピードで引き寄せられ、黒き疾風と化した青年は自らを振り子のように揺らせると、反動を利してセルティネカの頚部へと飛び乗った。異形の剣はその途中で戒めを解いて、何事もなかったかのように青年の右手に納まる。対する左手には琥珀色の剣が忽然と姿を現わした。
「面白い。《Decisive War World》でもこんな戦いはできなかった――」
青年の口元がわずかに緩み、肉声が漏れる。
『竜となった龍の弱点は《外念体》に冒された心臓部だ』
灰色の龍の言葉を思い出す。
セルティネカが威嚇の咆哮を上げる中、二刀を引っ提げた青年は飛行を続ける彼女の首筋を、その背中目指して駆け抜ける。
させじとセルティネカがその身を捩るも、ニアミスするかのようなバーテニクスの牽制により思うに任せない。
肉迫する灰色の龍をかわしざま、ならばと火竜が上昇に転じた。黒衣の剣士の身体が、重力に引かれ宙へと投げ出される。
剣士はそれに慌てることなく、猛スピードで視界を流れるセルティネカの体表を見極め、巨大な翼の付け根付近に達すると左手の長剣を振り下ろした。
《レベル100越え》でも手を焼くセルティネカの高い防御力を易々と突破した刃が、装甲板を思わせる緋色の鱗に突き立つ。
剣士は左手の剣一本を支点にして落下の衝撃に堪えると、蹴上がりの要領でその身を翻して自ら作った足場へと瞬時に降り立った。間絶たず、剣士は火竜に突き刺した剣の上で身構える。
右手の青褪めし剣が再び異能を発揮した。なんの兆候もなく細身の大剣と化したそれを、剣士は肩口で水平に構えるや恐るべき速度で突き出す。強力な刺突が火竜の鱗を粉砕すると、その体内へと達する。
背中の敵を振り落とすべく、セルティネカが背面飛行に移るわずかな間にそれは為された。手痛い一撃を食らった火竜はわずかに姿勢を乱す。
しかしこれで恐るべき敵手を己が背から追い払うことが出来たはずと、セルティネカは考えた。だが滑落したであろう敵の姿が頭上にいつまでも見えてこない。それどころか更なる痛撃が彼女を襲う。
ついにセルティネカはバーテニクスの姿を追うのをやめ、長大な首をめぐらせると背中に視線を向けた。
果たしてそこには、突き刺した剣に左手一本でぶら下がる敵の姿があった。今しも右手で握った異形の大剣が、火竜の体表を切り裂いて姿を現す。その空いたばかりの傷口から、勢い良く鮮血が噴き零れていった。
返り血で身体を染める恐るべき剣士の視線が、セルティネカのそれを捉えた。今や情動とは縁遠くなった竜の瞳が、わずかな恐慌に揺れる。
剣士の表情には何の気負いもなく、ただセルティネカを滅ぼそうという透徹とした意志のみが在った。
地を這うしかないヒトが、大空を征くドラゴンを空中で滅ぼそうと言うのだ。バカげている。
しかし、今も視線の先で大剣を構える剣士を圧倒する自分の姿が、どうしても思い浮かばなくなっていた。
火竜の冷静な部分が、その信じ難い認識を受け入れる。死力を尽くさねば、この敵を排除することは出来ない。
己が身を撃つに構わず、火竜の放つ攻撃魔法が青年に殺到する。
同時に、雷の一太刀がセルティネカの翼を薙いだ。
バーテニクスがセルティネカの腹側、死角となった上空より急降下しつつ、ブレスによる攻撃を浴びせたのだ。
火竜の魔法攻撃を空中にその身を躍らせることによって回避した剣士を、灰色の龍がすれ違いざまに回収する。
右翼を半ば破られたセルティネカは、揚力のバランスを崩して見る見るうちに高度を失っていく。
『追撃を』
『もちろん』
剣士と灰色のドラゴンは短い言葉を交わすと、墜ちていく火竜を追いかける。
その目前に、突如巨大な魔法陣が開かれた。剣士と龍の勘が、等しく警告の叫びを上げる。
先に反応したのは剣士だった。その鉄面皮にわずかながら驚愕の色が浮かび、漆黒の瞳が大きく見開かれる。
出し抜けに、剣士の周囲に八本の剣が出現した。《Decisive War World》においていずれも宝剣と呼ばれた、剣士垂涎の業物である。
八本の剣が疾く四方へ飛び散るのと、魔法陣から巨大なあぎとが出現するのは同時だった。
大きく開かれた口腔。それが月光にぬらぬらと赤く見えたのは一瞬のことで、バーテニクスの視界は閃光に塗りつぶされた。しかし龍眼を守る瞬膜が、彼に寸毫の間に交わされた攻防の正体を明らかにする。
魔法陣より出現した金色の巨竜が放った光のブレスを、八本の剣が形作る巨大な障壁が強引に捻じ曲げ、逸らしてのけた。
バーテニクスは半ば呆然と、二対の翼持つ巨竜とすれ違う。
『運が悪かったな、雷鎚。まだ彼女を失うわけにはいかぬ。この勝負、預からせてもらおう』
その言葉を残して、金鱗を煌かせたドラゴンは再び転移の魔法陣を描いて虚空へと消えた。後には魔法陣の残滓が淡く輝くのみ――
『アレはなに?』
『金色の竜王――龍を堕落させるモノにして、竜たちに君臨する王だよ。その力は龍神に匹敵するはず』
「へぇ――」
剣士の口元が楽しげに緩む。
「ついに神さま戦開放か。やっぱり《ディーウォー》より面白い」
心底面白がる助っ人の気分が伝わってきて、バーテニクスは再びイメージで肩を竦めてみせる。
それにしても竜王の言った通り、自分は運が悪かったとバーテニクスは思い出す。如何に有力な竜と言えども、竜王が態々救援に駆けつけるなど寡聞にして知らない。
であれば、たまたま先の戦いが竜王の目に留まったということになる。それも、こんな辺境の島でだ。かつて彼の竜王の姿を見たのは、遥か東の大陸でのことである。
バーテニクスは言い知れぬ悪寒を覚えた。
(――この島で、何かが起こり始めているのかも知れない)
先ほどの剣士の神業を思い出す。あの竜王のブレスを防いだ尋常ならざる技。青年が異界より招かれた《偽神》だとは、彼自身から聞かされている。自分たちはアルテミエルにより盾としてこの世界に封じられたカミであると。
(ヨタ話じゃなかったんだなぁ)
悪寒を振り払い、気のいい灰色のドラゴンはゆったりと夜空を飛んだ。
獲物を取り逃がした一人と一匹は、荒涼とした岩山の頂で羽を休めた。元々バーテニクスが売られた喧嘩で、彼自身もさほど拘泥していない――曰く日常の出来事だと。
翼端から翼端の長さが百mに届く巨体を誇るバーテニクスも、今は仔犬ほどの愛くるしい姿になって剣士の肩に留まっていた。知り合って以来、どこか物臭なところがあるこのドラゴンは、そこを好んで定位置としている。
時刻は深夜も大きく過ぎた頃だろうか。雲間に浮かぶ月を眺めながら、サンドイッチにかぶりつく剣士がぽつりと呟く。
「すっかり目も冴えたなぁ」
『悪かったね、巻き込んで』
人語を発声するのが苦手なバーテニクスは、普段の会話にも《交感》を用いる。
「面白いから、いい」
環境に不都合もなく、肉声の通りが悪いわけでもないので剣士は口に出してそれに答えた。
身体のわりに短い前肢をワタワタと振り、バーテニクスが必死にサンドイッチの奪取を図る。剣士はその仕草に存外優しげな眼差しを向けると、片手に新たなサンドイッチを出現させる。バーテニクスは差し出されたサンドイッチをはっしと受け止めると、嬉しそうにかじりつく。
「――あ」
ふいに剣士が間の抜けた声を上げた。
『ん、どうかした?』
「サンドイッチ、それで最後だった」
彼は呆然と仔龍の手にあるサンドイッチを眺める。
『今更コレを返せなんてセコイこと言わないよね?』
「そうは言わないけど、食料補給に行かないと」
食べかけのサンドイッチを惜しみつつ胃袋に片付けると、ミルクティーを呷る。どうやらこちらの在庫も心細くなってきていた。
「今まで上げた食べ物は授業料ってことで奢ってあげる。また食べたいなら今度は食い扶持よこしなさい」
『了解』
ビシリと指差す剣士に、ヒトの食べ物がえらく気に入ったというドラゴンは素直に肯いた。サンドイッチをくわえながらピシっと敬礼してみせるバーテニクスに一つ頷いて、剣士は食料調達の算段に思いを巡らす。
今や彼のお気に入りとなった、あちらの世界風のサンドイッチを作ってくれた馴染みの少女のことを思い出す。
「――フレリで見た最後の位置からして、エルクーンで張ってれば会えるかな」
サンドイッチ入手の唯一の当てである、栗色の髪の優しい友人の顔を思い浮かべながら、剣士はそうひとりごちた。
◇ ◇ ◇
このエルクーンの街並みにも随分と慣れたと、日課となった《ゲート広場》参りへ足を運びながらロザリーは思いを巡らせる。
あの異世界転移騒ぎの当初、レベル40程度だった彼女らにとってこのエルクーンも恐るべき巷と化した。
しかし居合わせた仲間たちと肩を寄せ合い、気の良い先達たちの助けもあって悪夢のような数日をなんとか凌ぐことができた。それも今になってみれば、ひどく遠い日のことのように思える。
現状ではこちらの習俗に合わせた衣装をまとい、大通りなら気兼ねなく一人歩きもできるようになった。無論自分なりに用心はしているのだが。
やがて朝の街特有の喧騒の中、ロザリーは《ゲート広場》に辿り着いた。エルクーンに達する転移手段の出口であるこの広場は、この時間からすでに賑わいを見せている。
ロザリーは人並みをすり抜け、有志が市当局に詐欺紛いだったと噂される手管で掛け合って《ゲート広場》に設けさせた掲示板へと歩み寄る。
通称《プレイヤー掲示板》。仲間の安否、消息の情報を募る貼り紙の中に、自分たちに関するモノがないかと目を走らせる。
自分と似たような、かつてのプレイヤーたちが作る人垣に混ざってしばらくその作業を続けたロザリーだったが、最終日となる今日も空振りに終わった。一つため息を吐くと、仲間たちの名とサンミレーへ移動する旨を日本語で記した紙を掲示板に貼り付ける。
PKに情報を晒す恐れが少なくないが、仲間の誰もが反対しなかった。そして事実、掲示板には日々、貼り紙が増え続けている。
祈る様に――ではなく、まさに祈りを込めて深く黙礼するとロザリーは掲示板の前を離れる。彼女のその姿に、周囲の誰もが冷やかしの素振りすら見せない。
「おはよう、ロザリー」
「おはよう、リッカ」
この日課で顔馴染みとなったエルフの女性に声を掛けられる。ロザリーは彼女に朝の挨拶を返しながら、並んで人混みから離れた。
二人は広場中央に設けられた《まれびとの要石》と呼ばれるモニュメントを囲んだ石壁を背に、並んでもたれかかる。掲示板の方を何となく眺めつつリッカが口を開いた。
「今日、発つんだったね」
「うん。なんとかパーティーもかたちになったし」
暮らしの糧を得るべく、ロザリーと仲間たちは適正レベルの狩り場を求めサンミレーの町へと移動することになっていた。そして今日がその移動日。
「無理するんじゃないよ? ゲームの時の適正相手もこっちでは強敵だからね。忘れるんじゃないよ?」
親身になって心配してくれる年嵩のエルフ女性に、ロザリーは微笑む。
「うん、わかってる。情報はいっぱいもらってるし大丈夫」
《エルクーン組》の気質から、こちらの世界での情報は戦訓を含め、広く共有されている。
転移騒ぎの折りにアルタイゼン廃鉱に放り出され、そこから生還したパーティーによってもたらされた情報も、ロザリーはしっかり記憶していた。
「お風呂って楽しみもあるし。頑張って稼ぐよ」
「あー、いいなぁお風呂。わたしンとこも狩り場はサンミレー周辺にしようかな」
「なんか人気になりそうだよね、サンミレー」
女二人、シリアスな空気は早々に放り投げ、しばしバカ話に興じる。
しばらくすると、ここ数日で見かけるようになったとある人物が目に入った。
「お。ミスター黒騎士のご出勤だ」
同じ人物を目に止め、面白がるような声をあげるリッカに訊き返す。
「あのひと、騎士なんだ?」
「ん、わからないけどね。あの姿見るとそんな感じしない?」
ロザリーは黒い甲冑に赤黒いマントという、極めてソレっぽい件の人物の装いになるほどと頷く。
「掲示板に用があるってことは元プレイヤーなんだろうけどね。それにしてもいまだにあの格好でうろつける神経が凄い」
今や元プレイヤーも、この地に合った装束にその身を包む者が大半を占める。そんな中、ミスター黒騎士の出で立ちはゲーム時代の意匠を色濃く残していた。悪目立ちすること甚だしいが、周囲がざわめくのにも我関せずといった風で、泰然と人混みに混じっていく。
「相当強いらしいよ。《オーバード》でも格がはっきりつかめないって話。かなりの廃人だろうって」
「そうなんだ」
《偽神》となった自分たちは、相対する者が同格かそれ以下ならおよそ強さといったものを窺い知ることができる。これは逆説的に、その力量が測れない相手は自分より高みに居ると教えてくれる。
《エルクーン組》の《オーバード》が実力を測れない人物。おそらくミスター黒騎士は周囲の者が脅威になるなどと、毛ほども考えないのだろう。故に自分が目立っていようが気にも留めない。
黒騎士はここ数日、日がな一日この《ゲート広場》で過ごしているらしいと小耳に挟んでいる。彼のような廃人に熱心に行方を求められる尋ね人とは、果たして如何なる人物なのか。ロザリーはわずかばかり興味を惹かれる。
「それにしてもあの仔龍、可愛いよねぇ」
黒騎士が目立つ、もう一つの要因。彼の肩にちょこんと乗った仔犬ほどの大きさのドラゴンに、リッカが熱い視線を送る。
ヌイグルミのようにフサフサな灰色の体表と、良く動く温かみを感じさせる真っ青な瞳が愛らしいその姿に、ロザリーも頷く。
「あんな子もいるんだね。わたしも友だちになりたいなぁ」
時おり黒騎士氏は仔龍に振り向いて話す素振りを見せている。仔龍の反応からおそらく意思疎通ができているのだろう、ロザリーにはそれがひどく羨ましい。
心の中で黒騎士氏が尋ね人と会えますようにとエールを送りつつ、ロザリーは石壁に預けていたその身を起こした。
「――さて。そろそろ行くわ」
傍らのリッカの顔を、記憶に焼き付けるようにして見つめる。
「リッカ、またどこかで」
「ロザリー、またどこかで」
頷いたリッカが、片手を掲げてそれに答えた。
笑顔でハイタッチを交わし、二人の冒険者は別れる。《ゲート広場》において珍しくもないその光景に目を留める者はなく、ロザリーとリッカはそれぞれの仲間の元へと足を向けた。
◇ ◇ ◇
タリアの発言に対する反応は様々だった。サーラとカッコが露骨に不安を示し、クララとボルトも芳しくない様子で考え込む。ジャックとクロネは悪くないといった風に頷いた。そんな中、タリアは話を続ける。
「今のうちにゴーリキさんにはダンジョン戦に慣れてもらった方が良いと思います。どうにものんびりチュートリアル感覚でいける時間は減ってきてるようですし」
「だね。公国がわたしたちみたいなのをどう遇するかはわからないけど、時間が経てば今みたいなやり方は難しくなるかもしれない」
クロネの言葉に、反対勢からため息が零れる。
「エルクーンでは上手いこと誤魔化せたんだけどね。それともそう思ったのはこちらだけの話で、むこうは怪しんだのかもしれないけど」
悪戯っぽく笑うクロネに、クララがジト目を向ける。
「バカウサギ。向こうでなにしたんだにゃ?」
「エルクーンのプレイヤーで相談してさ、尋ね人掲示板作ってもらえるよう、当局と交渉っぽいことしたんだよねー」
軽い調子のクロネに、ジャックが興味深そうに訊ねる。
「それは妙案だったと思うが。どうやって話をつけたんだ?」
「アーサー先生と他の《オーバード》で知恵が回る連中が交渉したんでわたしは詳細しらないの」
肩を竦めて舌を出すクロネに悪びれた様子はなく、一同はやれやれといった調子で吐息を漏らした。
「えっと、話を戻しますね。そんなわけで早めにゴーリキさんの当番を済ませてもらった方が良いと判断したわけです。キトンさんがいない今、ゴーリキさんがこちらにきたら向こうには回復職がいなくなっちゃいますし、代わりにわたしがエルクーンに行かないと」
タリアは話を仕切り直すと一同を見渡す。そしてその頬に、どこかほろ苦い笑みが浮かぶ。
「――それと。ミントさんの形見を渡せる方がいないか、ちょっと探してみたいんです」
アルタイゼン廃鉱第七層で惨殺された僧侶のことを思い出し、クロネを除いた皆が息を呑む。
「すっかり忘れてたな」
気まずげに頬をかくジャックの言葉に、他の者はテーブルに視線を落とした。
そんな中でカッコがタリアに向き直る。
「だったらわたしも行く」
自分に潤んだ瞳を向けてくるカッコに、タリアはしばし考え込む。
「サンミレーで話し合った時と状況は変わってないと思うんですよね。やっぱりあちらには女性がいませんし」
「だよねー。というかこのパーティー、七人の内リアル女性四人とか驚異の女子率なんだよ」
唸るタリアにクロネが相槌を打つ。
「それでも良ければ、密偵枠はチョコさんに代わってもらうってことで。カッコさんもエルクーンへご一緒します?」
訊ねるタリアに、冷静になったカッコは頭を下げた。
「やっぱり止めときます、ゴメンナサイ」
「それじゃダンジョンに潜るのはゴーリキさんと合流してからってことで。しばしラエルガスでの情報収集をよろしくお願いします」
タリアの言葉にジャックが笑顔で頷く。
「ああ。それまでは街中を当たってみるさ。あちらからも何か接触があるかもしれないしね」
「はい。では皆さん、ちょっと行ってきますね」
クララの「いってらー」の声をはじめとした仲間たちの言葉に送り出され、タリアは久方ぶりとなる〈帰還〉の魔法に身を委ねる。クロネが行使したその魔法で、二人の姿は音もなくラエルガスの街から旅立った。
閃光が意識を塗りつぶしたかと思うと出し抜けに知覚が蘇り、タリアは小さくよろめいた。目の前にいるクロネが、優しい表情で手を取ってくれる。
「お帰りなさい」
「――ただいま、エルクーン」
懐かしの街並みに、タリアの胸に熱いものがこみ上げてくる。楽しかった時の、ある種象徴とも言える眺めに息が詰まる。
往時の姿そのまま、圧倒的なリアル感でもって広がる《ゲート広場》。行き交う人々の多さに圧倒されつつも、タリアはその一角に意識を吸い寄せられる。
「あれが?」
「そう、人呼んで《プレイヤー掲示板》」
人垣の向こうに見える、その大きな木製の掲示板目掛けて歩き出す。そんなタリアを道行く人が思わずといった体で足を止め振り返るが、彼女はそれと気づかない。
やがて掲示板付近のプレイヤーたちも、場の空気が変わったことに気づき始めた。あたかも黒騎士を初めて迎えた時のように、一人の人物のためにその道を空ける。
「うは、モーゼのナントカみたい」
それを後ろで見送りつつ、クロネはそうひとりごちる。周囲で交わされるひそひそ話に不穏なものはないかとその大きな聞き耳を立てるが、どうやら心配ないらしい。
「さすがは隠れた有名人てトコね」
圧巻だった。
知人や友人の情報を得ようと、掲示板には日本語で綴られた尋ね人や連絡請うの貼り紙がところ狭しと並んでいる。
ゲーム時代では飽きたりリアルで忙しくなったりといった理由から、先方がプレイを止めれば簡単に絶える縁だと割り切ることができた。
所詮は仮初めの縁だと、多少の寂しささえ我慢すれば笑って済む音信不通が、この世界に来てからは死別の意味をはらむ可能性がある。
タリアは今更ながらにそれに気づくと、目眩と共に喪失感を覚えた。
自分は状況に恵まれすぎていたと思い知らされる。下手にこの困難を分かち合う友が居合わせたばかりに、それで安堵してしまった。
しかし《ディーウォー》において、タリアの友はラエルガスの地に残る仲間たちだけではない。
時は無常にも流れ、はや半月が経過した。いまだ消息を得ていないかつての友と、この先再び巡り会うことが果たしてできるのか。
その思いから呆然と掲示板の前に立つタリアの耳に、声が届いた――
「タリア!」
自分を呼ぶその声に、タリアは思わず振り返る。
「ナヴィ!」
その顔が喜びに綻ぶさまを周囲のプレイヤーたちは微笑ましそうに見守るが、視線を転じてその相手に気づけば表情は驚きへと変わる。
あの黒騎士が満面の笑みを浮かべて駆け寄るさまに周囲がどよめく。
人混みの中、身の丈が合わずどこかユーモラスな抱擁を交わす二人を見詰め、クロネはぼんやりと呟いた。
「リアたんがいきなり呼び捨てとか。コレは事件ですよ」
03/05:不適切に改行されていた箇所を修正しました。