7.迷宮の戦い その3
魔物の息吹という攻撃手段が魔法に因らないという認識はいつの間に得たものだったろうか。《Decisive War World》においても各種モンスターの操るブレス攻撃は魔法防御を突破し、沈黙系の魔法で封殺することもできない。
タリアが見守る先で、三ツ首狼は巨躯を地下広間の宙空に躍らせる。駆け寄るジャックとの間合いをとりながら、その巨体でさほど地響きも立てずに着地するという離れ技をやってのけたモンスターは、すでに左頭部のあぎとを大きく開いていた。
魔獣の口腔から発せられた灼熱の炎は逆巻き、はっきりとした指向性をもって宙を薙ぐ。怒涛の如き火線がジャックを狙うが、彼はまたしても三ツ首狼のブレス攻撃を防いでみせた。まさに感嘆すべき判断力、集中力といえる。
さっぱり効果を発揮しないブレス攻撃に巨大な獣は苛立ったように短く唸り声を漏らす。ならばと強靭なバネを感じさせる身のこなしで素早くジャックに飛び掛かる。
飛び込みざま、冗談のように巨大な前肢を猛烈な速度でもって横薙ぎに振るう。恐るべき運動エネルギーをはらんだ一撃。
鋼の上げる悲鳴がタリアの鼓膜をなぶるが、三ツ首狼の強襲はジャックの構えた方形盾でしかと受け止められていた。
『馬鹿な!?』
三ツ首狼から驚愕の言葉が漏れる。魔獣のそのわずかな隙を衝いて、タリアは長弓に番えた矢を放つ。他の仲間たちも同様にその機を見計らっていた。タリアとタイミングを合わせたように魔法と弓矢による攻撃が、次々と三ツ首狼の巨大な背に浴びせられる。
ジャックに一撃を防がれ、いささか体勢を乱していた三ツ首狼はそれらの攻撃を満足に回避できず、まともにダメージを受けた。ゴーレムの硬い体表をも穿つ、尋常ならざる矢弾や魔法の衝撃に耐えかねて魔獣の三つの頭が垂れる。
素早く駆け寄ったジャックの戦鎚が、魔獣の中央頭部の鼻面めがけて強かに叩きつけられる。獣の苦痛を訴える叫びが、円形の広間に高く木霊した――
冗談ではないと三ツ首狼は吠える。これまで彼の前に立ち塞がったこの世界のヒトらは、その矮小な体躯に相応な力しか持ちえない弱者だった。
事実、魔獣の息吹はこの世のヒトらを容易く凍てつかせ、或いは焼き尽くした。そして彼の前肢による一撃はそういった敵のことごとくを粉砕してきた。
それがどうだ。今この目の前に立つ戦士は三ツ首狼のブレスを遮ってみせ、鉤爪の攻撃をいとも簡単に受け止めてみせた。そして己が背に浴びせられた魔法や矢弾は、この自分をして跪かせる。
目の前に立つ小さき者たちが、その誰も侮りがたい敵と言える。
認めねばなるまい――
三ツ首狼は目の前に立ち塞がったヒトらを、強大な力を秘めた恐るべき敵とみなす。獣王に誘われこの世に降り立って以来、自分は少々弛んでいたと自戒する。
難敵に挑む――そう気分を変えれば、三ツ首狼の戦士としての魂に闘志という名の火が点った。
三ツ首狼の巨体が再び宙に躍った。魔獣は重量を感じさせない軽々とした跳躍でジャックの間合いから逃れる。三ツ首狼の雰囲気が変わった――タリアの戦いに触れる者としての勘がそうと告げる。
着地した三ツ首狼の影から黒々として巨大な槍状の物体が六本、突如として姿を現す。それはぐにゃりとたわんだかと思えば、鞭の様にしなってジャックへと襲い掛かる。その常ならざる現象にタリアの眼差しが険しく細められた。
(――きた)
〈影鞭〉と呼ばれる三ツ首狼のからめ手は、その変則的な動きからプレイヤーを酷く苦しめてきた。長すぎる鞭は予測しがたい軌道を描き、苛烈な攻撃速度も相まってその回避を困難にする。
俯瞰視点を持つゲーム時代であっても避け難かったそれは、現実として見えてみると事実上回避不能に見えた。長大な鞭の先端は呆気なく相対する者の視界から飛び出し、そのことごとくが目標を死角より襲撃する。
六本の鞭が風切り音の交響曲を奏で、危険な結界の中にジャックを閉じ込める。暴風の様な攻撃に翻弄されながらも、ジャックは板金鎧の各部を活かして痛打を阻止している。しかし巨大な鞭先は危険な鋭さを持っており、タリアは不安を禁じえない。
「ジャックに〈障壁〉」
ボスクラスのモンスターとはいえ、レベル60台の牽制攻撃相手なら〈障壁〉もそう容易くは破られまい。自分に対する気休めの意味もこめてジャックへ支援魔法を施す。
己が影から生えた鞭を従え、三ツ首狼は縦横に駆け巡る。遭遇時の傲慢な態度は鳴りを潜め、己が長所たる機動力を活かして一つ所に留まるということをしない。
強靭な四肢で広間を駆ける巨獣。それをカッコとクララが追走するが、三ツ首狼の速力と自在に宙を薙ぐ攻防一体な鞭肢に阻まれ思うように近づけていない。
カッコの〈瞬動〉スキルもその移動経路は極めて直線的なものに限定されるため、トリッキーに走り回る三ツ首狼の追撃には向かない。魔獣はジャックを〈影鞭〉で釘付けしつつその周囲を跳び回っては追っ手をかわし、好機を窺う。
「大きな図体でチョコマカとっ!」
不規則に方向を切り替えながら、高速で疾駆する三ツ首狼の動きを捉えきれずボルトが毒づく。先ほどから繰り返し放たれる矢はことごとく的中を外し広間の壁に空しく突き刺さる。予測射撃の難しさから苛立つボルトに、傍らのタリアが叫ぶ。
「ボルトさん、狩人のスキルが役立つはずです。三ツ首狼の身体の動きが読めれば、移動方向を予測できるかも」
彼女のアドバイスにボルトはハッと目を凝らす。なるほど獲物のさばき方すら自分に教えてくれた〈狩人の目〉を以ってすれば、獣の身体の動きも見極められないわけがない。気づいてみればボルトの視覚は有用な情報で溢れていた。
「ありがとう! 俺には見える、見えるぞ!」
「おお、スッゴイ。よぉし、任せた男のコ!」
ボルトが喜色をにじませた声を上げるとクロネが歓声を上げる。眼差しに力を込め、三ツ首狼を見据えたボルトの長弓から、その気分をまとったかのような快音と共に紅蓮の輝きをまとった矢が迸る。
鞭肢によるフェイントで動きを制し、体躯を横滑りの誤魔化しから爆発的な後肢の蹴り上げで直進させるという自分の動きに標的の防御は追いついていない。襲撃の格好の機会に昂ぶる三ツ首狼を、しかし鋭い悪寒が襲う。
右頭部の視界の端がその原因をかろうじて捉えていた。必死の急制動。射手の放った眩い矢弾の嵐は己が鼻先を掠めるに留まる。
好機を逸する――
刹那の思考の中、三ツ首狼はそれに抗う。させるものかと、中央頭部を獲物へと向ける。戦士の身が三度沈み、床に大ぶりな盾を打ち立てようとしているが構わない。体側に次の矢を浴びながらも獲物へと襲い掛かる。
右頭部の頭突きで盾の防御を弾く。支点を得ていなかった盾はその一撃を制しきれない。敵の姿勢が大きく崩れる。
左頭部の噛みつきを繰り出すが、敵は咄嗟に床を蹴ると後方へと身を躍らせる。しかし、崩れた体勢からのそれはまさに無防備だった。
ようやく隙をさらした強敵に、三ツ首狼は本命の手札を切る。
『吹き飛べ!』
魔獣の雄叫びと共に第三のブレス攻撃、〈雷の息吹〉が紫電となって放たれた。
〈雷の息吹〉をまともに食らったジャックが広間の床に転がる。サーラとボルトの悲鳴を聞きながら、クロネは間に合わなかった呪文の魔法発動句を吟じた。
「〈石壁〉」
ジャックに対する三ツ首狼の追撃を阻むように、ぶ厚く頑丈な遮蔽板を造り出す。賢獣は突如として視界を遮った石壁から飛び退くと、追撃による自爆を回避する。
「クララ!」
レベル80オーバーの戦士たるジャックが、ボスモンスターとはいえレベル60台のブレス攻撃で瀕死となるはずもない。絵面は酷かったが冷静にそう判断した廃プレイヤーはパーティーの刃たる打撃力担当に叫んだ。事実視界のすみではジャックが受身から転身して、素早く身構える姿を捉えている。
自分が要請するまでもなかった。不恰好に障害物を回避した三ツ首狼に、ついにクララたちの手が届く。獣人族のしなやかな肢体が弧を描き、鋼の大剣が物騒な煌きと共に旋回する。
クララの〈大車輪斬〉が影から伸びた鞭もろとも三ツ首狼の後肢を捉えた。分厚い毛皮と脂肪の層に斬撃の軌道は弾かれる。しかしクララはそれを逐次修正するという現実離れした技術でもって、連続回転斬りという極めてフィクションめいた剣技を現出させる。
真っ赤な血しぶきが舞い、三ツ首狼の姿勢が大きく崩れた。クロネはそれを好機と見定める。
「〈炎爆〉カウント2!」
クララが飛び退くのと入れ違いにカッコが走り寄る。彼女は三ツ首狼に速力の乗った〈強打〉を見舞う。カッコは魔獣の後ろ足に斬りつけた刃をそのまま支点と利して前方宙返り、与えた傷を抉りながら停滞することなく速度を維持して傾いだ巨体を駆け上る。
「1!」
三ツ首狼は傷の痛みに耐えながらカッコを振り落とそうと身動ぎする。しかし彼女は飛ぶような足取りで巨獣の中央頭部延髄付近まで移動すると、いつの間にか両の手それぞれに握っていた大ぶりのダガーを深々と突き刺した。そして跳躍――
「〈炎爆〉!」
カッコが〈瞬動〉スキルで石壁を飛び越え、無事逃げおおせたのを視界のすみで確認したクロネは躊躇なくトリガワードを叫んだ。
カッコに気をとられ対応を誤った三ツ首狼の腹の下で、強力な爆発が炸裂し高温の爆風を撒き散らす。狭苦しい地下道に配慮して加減したソレではなく、対大型モンスター用に無制限で開放された〈炎爆〉は三ツ首狼の巨体をもしばし宙空へと持ち上げた。傍に立っている石壁がその余波にビリビリと振動する。
自分の意思をよそに空中へ放り上げられ足掻く三ツ首狼へ、追い撃ちとばかりにボルトの遠距離攻撃が殺到するが、それは鞭肢の防御により撃墜される。
「〈劫火〉いきます!」
再び駆け寄ろうとするクララを制してサーラが叫ぶ。間を置かず三ツ首狼の着地点に火柱が上がった。
生きながら散々にその身を焼かれた魔獣は苦鳴を上げる。しかし毛皮の先をくすぶらせ巨体をよろめかせつつも、五つの瞳の戦意は衰えていない。そして三つの獣頭が広間の天井を仰ぐ。
獣の魔力を帯びた〈咆哮〉が広間の空気を震わせた。身体に麻痺を引き起こす、神経に作用する魔法攻撃――その音波をまともにくらい、パーティーの仲間たちが硬直するのがわかる。
魔導師が修めた瞬間移動スキル〈跳躍〉は時と空間を渡る魔法と言われている。そしてその特性を理解して活かさない魔導師はいない。〈跳躍〉は単純な移動魔法ではなく、タイミングを合わせればこの世でのあらゆる事象をごく僅かの時間なら完全に回避できる――ある種、無敵回避の技だった。
(こっちでも成功した!)
三ツ首狼の〈咆哮〉を魔導師秘伝のテクニックで免れたクロネは、一か八かの賭けに総毛立ったままごく短い詠唱ののち震える唇でトリガワードをつむぎ出す。
「コマンド・バラージ――〈魔法解除〉」
クロネを中心に翠色の魔力の輝きが溢れ出した。それは瞬時に周囲へと飛び散り、魔法的な麻痺により硬直した仲間たちへ向かう。魔法の力で勝るクロネの術により、三ツ首狼の魔法のくび木はいとも容易く粉砕された。
相手の硬直を衝いた左右の頭部によるワンツーの噛みつき攻撃を寸でのところでクララに回避され、魔獣は怨嗟の叫びを上げる。
右後足に重傷を負い、機動力の落ちた三ツ首狼は六本の鞭を防御偏重に切り替えている。踏み付けを警戒しながら鞭による防御をクララとカッコが崩し、本命の打撃をジャックと後衛火力陣が担う。
隙を衝くかのように散発的に後衛を襲う鞭はタリアが盾と剣で阻んだ。〈雷の息吹〉で生命力を削られたジャックを回復した時からタリアは弓を捨て置いていた。今は魔法による支援と鞭肢への対処に努めている。
三ツ首狼の動きは次第に精彩をなくしていた。焦りのようなものも見てとれる。これはそろそろ警戒が必要かもしれないとタリアは目を凝らす。それに応えたわけでもないだろうが、風切り音と共に二本の鞭が後衛目掛けて迫ってくる。
これまでのように後衛から痛打を浴びせるクロネを牽制しての攻撃ではなかった。二本の鞭がはっきりとタリア自身を狙ってくる。
大きく動かなくて済むぶん対処は楽かという思考を、すぐさま別の思考が塗り替えた。前衛陣の向こうで巨獣がとる前傾姿勢に危険な記憶が呼び覚まされる。
「瀕死技きます!」
鞭を盾で弾き、剣で払い退けつつタリアが叫ぶ。危機的状況に陥った《ダークライダー》に切札があったように、三ツ首狼にもまた切札はあった。うろ憶えから叫んだ警告に前衛陣が反応する。
ジャックが盾を構えた防御姿勢をとり、カッコが〈瞬動〉により三ツ首狼の側方に駆け抜ける。クララは身体のバネを開放し、得意の後方宙返りで回避を試みる。しかし、宙を舞った無防備なクララの脚を一条の鞭が捉えた。彼女の素っ頓狂な悲鳴が上がる。
目の前の光景にタリアは選択する。二本の鞭は軌道を変えながらこちらを牽制し続けているが、より危険なのはクララの方だ。二本の鞭に無防備な姿を晒しながら、タリアは支援魔法を唱える。
〈障壁〉の詠唱が完成すると同時に一本の鞭をわき腹に食らった。しかしまだ倒れるわけにはいかない。その衝撃をまともに受け止めつつも踏み止まる。ミシリと嫌な音が身体を伝うが、《偽神》の肉体は持ちこたえた。宣言なしの〈障壁〉がクララへ飛ぶ。
〈再生〉の詠唱が完成すると同時に二本目の鞭が真正面からタリアの頭部を捉えた。鋭い先端の直撃は避けられたが帽子は持っていかれ、強力な打撃武器と化した鞭肢からまともに衝撃を叩きつけられる。
脳震盪で失神しそうなものだが、以前ジャックが語ってくれたように《偽神》の頑健な身体構造がそれを許さない。激しい痛みだけは当たり前のように襲い掛かってくるが、しかしまだ倒れるわけにはいかない。
最後の仕上げのトリガワードを唱えようとするも、口から漏れたのはゴポリという液体が泡立つ音だけだった。タリアは汚く血反吐を吐き捨てると〈再生〉のトリガワードを正確に発声する。
発声器官が潰されてなくてよかったなと、妙な安堵感を覚えたタリアが膝を着いた瞬間、その赤く染まった視界の中で三ツ首狼の奥の手が発動した。
巨獣の足元に青白い魔力の輝き――魔法光があふれ出す。その色彩からして恐らく性質は冷気。圧倒的な魔法光の洗礼により床に落ちた三ツ首狼の影が完全に消える。それと同時に六本の〈影鞭〉も消え、クララは空中に放り捨てられる。
床に降り立ったクララが脱するより早く、三ツ首狼の周囲に満ちた凍てつく魔力の奔流がより危険なカタチへと収斂した。
(思い出した、〈獣王氷陣剣〉――)
回復ポーションを呷るタリアの目の前で広間の床から氷柱のように透明な剣先が次々と現れる。甲高い不協和音と共に剣先は数を増し、周囲に極低温の波動を発散する。
ジャックの盾を削る耳障りな金属音が響く。クララを守る〈障壁〉が過負荷に弾け、氷の剣先が彼女の身体の各所を切り裂く。
負傷と〈再生〉による回復の追いかけっこに絶叫しながらも、クララはどうにか陣の攻撃圏よりまろび出て危機を脱した。クララは巨大な氷の剣山と化した三ツ首狼に振り返ると涙目で吠える。
「ってことはもう一頑張りにゃ!」
「そうです」
答えるタリアに振り向いたクララが目を瞠る。自分の面相は相当酷いことになってそうだなともう一度片手に呼び出したポーションを呷る。血の気の失せた表情でまじまじと見詰めてくるクララに回復魔法を施しつつ〈氷陣剣〉の脅威が収まるまで待機する。
「きっちり倍返しといきましょう」
タリアとて聖人君子とは言い難く、その声には怒りが滲んだ。ホント、倍返しにしてやるとばかりに三ツ首狼を睨みつける。
ちょっとした氷山の様相を呈していた〈氷陣剣〉が出し抜けに消えるとジャックがすぐさま動き出す。火力陣から敵の気を逸らすために挑発スキルを放ちつつ中央頭部に〈盾強打〉を見舞う。
強烈な打撃にふらつく中央頭部を左頭部がどやしつけるのを余所に、右頭部の噛みつきがジャックへ迫る。それを後退でかわした彼に床を這うように繰り出された魔獣の左前肢が襲い掛かった。
ジャックは身体を素早く反転させるとその攻撃を盾で受け止める。三ツ首狼はジャックに受け止められたその攻撃に拘泥せず、巨体を横転させて隙を作らない。たった今まで三ツ首狼が占めていた空間に攻撃魔法が吹き荒れる。
姿勢を立て直した三ツ首狼の右頭部が大きく口を開く。再びジャック目掛けてブレスを見舞おうとした鼻先をサーラの〈炎爆〉が襲う。爆風に圧せられたそのあぎとは無理矢理閉ざされ、三ツ首狼はやむなく後退する。体勢を立て直して唸りを上げる魔獣の影から、再び〈影鞭〉は姿を現す。
「畳み掛ける!」
一気に制圧しようというジャックの声に応え、攻撃に向かおうとするクララをタリアが呼び止める。
「取っておき、いきます」
そう言ってタリアは効果範囲の狭さ、効果時間の短さが珠に瑕な高速運動魔法〈加速〉を唱える。魔法の効果を得た二人は一つ頷き合うと、尋常ならざる速度で駆け出す。
カッコとジャックが三ツ首狼を攻め立てようとするも再び鞭肢の防御がこれを阻んでいた。そこにタリアとクララが加勢に飛び込む。
「鞭はわたしたちに――」
「任せろにゃ!」
驚異的な速さで〈影鞭〉を追撃するタリアとクララが防御を切り崩しに掛かる。〈加速〉の効果時間は極めて短い。そのわずかな時間で仕事を完遂しなければならない。
共にアクロバティックな姿勢制御に長けた二人の剣士をしても、立体的にのたうつ鞭を追撃するのは容易ではなかった。
しかしゲーム時代では部分的な破壊箇所が設定されていなかった〈影鞭〉にもこちらの刃は達している。その事実に力を得たタリアたちは六本の鞭肢ことごとくを駆逐してのけた。三ツ首狼が搾り出すように呻き声を漏らす。
己が劣勢に後退を試みる三ツ首狼にカッコが追いすがり、後脚部に狙いを定め攻撃を繰り出す。残る後肢にカッコの連続攻撃を浴びて魔獣の巨体がバランスを逸する。倒れざま、苦し紛れに放たれた〈炎の息吹〉も〈瞬動〉によりかわされる。
倒れた三ツ首狼に攻撃魔法と矢弾が降りそそぎ、その命脈もいよいよ尽きようとしていた。しかし恐るべき生命力の残滓を燃え上がらせ、魔獣は四肢に力を込める。
『只では死なん!』
己が身も焦がさん勢いで、広間の床を目掛けて〈雷の息吹〉が放たれた。頑丈な石材に阻まれた雷の奔流は床を灼きながらのたうつと、周囲に迫っていたジャックとカッコを打ち倒した。
拡散しているため致命傷を受けるにはほど遠い威力であったが、彼らはその衝撃に寸毫のあいだ感覚が狂わされる――
このわずかな隙を衝いて三ツ首狼は空中に跳んでいた。〈雷の息吹〉は自身をも強かに傷つけていたが、魔獣は死力を賭して最後の一撃を用意した。〈凍てる息吹〉に備えた隻眼の右頭部が後衛陣を指向する。
『脆き者に、せめて一矢を――』
「させません」
涼やかな声が右頭部の耳に飛び込んできた。と同時にブレスを蓄えたその下あごに強烈な痛みを覚える。その痛みの原因を知ることなく、三ツ首狼の右頭部はすぐさま意識を刈り取られた――
中央頭部は力をなくして垂れる右頭部から蒼くするどい刃が生えるさまを信じ難い思いで眺めた。やがてその異物は右頭部をひらきに変える。
右頭部の残骸から血みどろな影が躍り出る。血飛沫の尾を引き、ソレが己に飛び掛ってくる様に中央頭部ははっきりとした恐怖を覚えた。そして己が巨体が落下に移る中、遅まきながらもようやく悟る。
自分が相対していたモノたちの正体を。
蒼白い剣光を閃かせて死を運んでくるモノの正体を。
この世で初めて遭遇したこれこそが、自分たちの天敵であることを――
クララの力を借り、空中へと追撃したタリアの攻撃によって二つの頭部を破壊された三ツ首狼は無防備に落下した。タリアももろとも落下したが、三ツ首狼の身体をクッションにして無事の着地を果たす。
その自重により三ツ首狼の肉体各所が激しい墜落のダメージを受けて破滅的な破壊音を奏でる。およそ致命傷は避けえないと見てとれる有様だったが、それでも巨大な魔物はわずかに身動ぎした。
最期の力を振り絞ったものか、三ツ首狼の唯一残った左の頭部は必死におとがいを反らして何事か叫んだ。それも次の瞬間にはくたりと倒れる。ダラリと力を失くした舌が無惨に晒けだされ、その大きすぎる瞳から生命の輝きが失われる。
ここに巨大な魔狼の討伐は完了した。広間の石畳に横たわった巨獣の死体も、微かな輝きを放って疾く紫色に煌く結晶の山へと変じる。
『獣王よ――恐るべき敵が現れた、油断めさるな!』
タリアたちには知るすべもなかったが、死の間際の三ツ首狼はこの世ならざる言葉でそう叫んでいた――
見事三ツ首狼を下したタリアたちの戦いぶりに、ドーレムは独りで目を皿のようにして唸っていた。
とくに最後の少女二人による攻撃には度肝を抜かれた。駆け寄った小柄な僧侶を剣士が両の手で鞠のように掬い上げると、その姿は矢のように空中の三ツ首狼へと襲いかかった。破天荒どころの話ではない。
巨木の幹を思わせる三ツ首狼の後ろ足を、回転斬りなどというデタラメな技で使い物にならなくしたあの獣人剣士の馬鹿力あってのことだろうか。彼女なら素手で投じた砲丸で頑強な城壁をも破れるかもしれないなどと馬鹿げた想像を巡らす。
「凄ぇと言うか、人間てのは鍛えりゃあんな風に戦えるモンなのかよ」
ドーレムは広間の入り口にボンヤリと立ちながら、搾り出すかのようにそうひとりごちる。
「――単純に鍛錬だけでああはなるまいよ」
涼やかでいて張りのある若々しい声が、突如として彼の耳朶を打った。ドーレムは答えが返るはずのない己が問いかけに、思いがけずもたらされた返事に情けない悲鳴を漏らす。
ドーレムが驚きのまま振り返った先、広間から漏れる明かりの中には静謐さを湛える美貌の青年が立っていた。ドーレムの驚き様が可笑しかったのか、その青年は口元に微笑みを浮かべている。
「殿下!」
公国第二公子カラグ・ラドゥ・ライルネスの思わぬ登場にドーレムは狼狽えた。公子は慌てて跪こうとするドーレムをわずかな手振りで制する。
「三ツ首狼を倒そうって猛者が現れたと聞き及んでね。それは是非とも観戦せねばなるまいと駆けつけたわけさ」
ラエルガス随一の貴公子は気さくな調子で口を開くと、広間の冒険者たちにその面白がるような眼差しを向けた。
02/16:誤字脱字を修正致しました。