5.迷宮の戦い その1
ラエルガス迷宮の本体ともいえる地下部分へのスロープは後世の利用者によって作られたものだ。
崩落した要塞地下壕の連絡路を、人が降りやすいように埋め立てたもので元々の要塞の造りにはなかった出入り口である。
一方、迷宮に巣食うモンスターは地下構造体のあちこちに開いた破損箇所から侵入して定着したと考えられている。
「ダンジョンの入り口一つとっても由来があったなんて一々考えたことなかったにゃ」
「だねぇ」
ドーレムの薀蓄を思い出しつつ何気なくクララが呟くと、気のない感じでボルトの相槌が返ってくる。
「ボルトん、気合を入れろにゃ。格下マップと言っても油断してたら痛い目みるよ?」
ゲームでならちょっとした油断からダメージを受けても、操作キャラクターのHPが減るだけで済むがここでは文字通り自分自身が痛い目にあうことになる。クララが釘を刺すとボルトは短くため息を吐いた。
「いや、最初の影狼戦でのことが気になってさ。移動目標に対する射撃の概念とか、キャラが狩人だったからってこっちの世界で何でも都合良く補完されるわけでもないんだなって」
ボルトの懸念にクララはなるほどと相槌を打つ。
「偏差射撃なんかのテクニックはプレイヤースキルの範疇だからねー」
コンピュータゲーム各種においてゲーム内のキャラクターが有する能力の埒外、操作するプレイヤー自身に負うところが大きい部分は俗にプレイヤースキルなどと呼ばれる。
「敵AIがずる賢いって言われてた《Decisive War World》でも接近戦モブはとりあえず最初に倒した影狼みたいに最短コースで距離詰めてきたからね。それだとこっちの水平射撃の軸線に対しては静止目標みたいなモンだし小細工はいらないにゃ。でも回避運動する動体が的の場合はPvPあたりにでも慣れてないとピンとこないかもね」
「ジャックさんとタリアちゃんが一発で当ててたのは他ゲーで経験してたってことか」
「それもあるだろうけど、ある程度こっち寄りの趣味持ってる男の子なら偏差射撃の知識くらいあると思うよ」
ボルトが今度は盛大にため息を吐いた。それをにゃははと笑い飛ばす。
「男のフリも結構大変だな」
「偏差射撃とか見越し射撃とか、実に男の子の中二マインドを刺激する用語だにゃ」
「――クララちゃん、やっぱネカマなんじゃ?」
「遊び仲間に混じって3Dシューティングやったりメカ物コンテンツ追っかけてたら自然と身についてた知識にゃ!」
馬鹿な会話を交わしつつクララの意識は周囲の状況にも向けられている。このように警戒して備えることがプレイヤーの能力だとすると、その警戒によってもたらされる情報の強度がキャラクターの能力とも言える。現在のクララの知覚力は以前の身体のそれを遥かにしのぐ。
「――前から多分モンスター。カッコちんも気づいてる」
「うん」
ほとんど同時にジャックの右手が掲げられる。パーティーの雰囲気が戦闘に際してのソレに変わり、各員の得物が小さく音を立てる。いつものタリアの〈障壁〉がジャックを包む。
「敵二体。距離――70」
「っ、前方で魔力励起――〈対魔防壁〉展開」
カッコの敵位置報告に続いて魔導師の魔力知覚スキルでモンスターの魔法行使を察知したクロネが緊張した声で警告する。同時に彼女はそれに対抗すべく防壁を張り巡らせる。
通路の奥の暗がりが一瞬明るく照らされたかと思うと、青白い光がパーティーの前方で二度閃いて拡散した。クロネの対抗魔法が功を奏し、敵の放った二本の〈氷槍〉が見えざる障壁に触れてことごとくキャンセルされる。
ドーレムはあのモンスター二体による魔法攻撃を完璧に防いでみせた防壁の強度に、残る一行は初めて受けた魔法攻撃にそれぞれ驚きの声を上げた。
「ああ、この迷宮は《スクリーマー》が出るんだったな」
「――黙らせるから押し込んで片付けちゃって!」
まだ緊張に上擦る声音で、それでも強気にクロネが叫ぶ。頷いて駆け出すジャックにカッコが続き、わずかに遅れてクララもその後を追う。
「カッコに〈耐火〉」
タリアの魔法が掛かるのと同時にその読みどおり炎の槍が飛来する。ジャックに向けて放たれたその一本目を〈障壁〉が阻み、二本目は彼自身が反応して方形盾で防ぐがその衝撃でわずかによろめく。近くにいたカッコが逸らされた〈炎槍〉の輻射熱に炙られるが〈耐火〉の効力でダメージは抑えられている。
「敵位置に〈光明〉」
「敵位置に〈静寂〉」
サーラの魔法に敵の姿が照らし出される。石造りの通路上に、直径二m近い肌色の球体が並んで浮遊している。『叫ぶ者』と名付けられている醜悪な魔法生物である。
《スクリーマー》の球体下部にパカリと30cmほどの裂け目が開く。巨体のわりには不気味なほど小さなその口孔が、まるで人の唇のような滑らかさで動くと次なる攻撃呪文を吟じようとする。
「グロい!」
目標に肉迫しつつクララがその気色悪さに喚く。しかし《スクリーマー》の呪文詠唱はクロネの仕掛けた〈静寂〉の停滞場によって阻まれる。
頭上を追い越していった弓と魔法による援護射撃で目前に迫ったモンスターの巨体が揺らぐ。この事態に慌てたかのように後退を始める敵へ三人の前衛が追いすがる。
ジャックは牽制するように左側の固体の側方へと回り込みつつ戦鎚を振るう。向かって右側の固体にはクララが正面から当たり、通路の右壁を背にしたカッコが側方より斬り込む。
クララは鋭く呼気を吐き出しつつ長剣を振り下ろす。その手応えの固さに《スクリーマー》が〈障壁〉を張り巡らせているのを感じ取る。視界の端で同じようにカッコの刺突が阻まれている。
(あいかわらずだるい相手にゃ――)
クララは《スクリーマー》の特性に舌打ちする。凶悪な魔法生物であるこのモンスターは生来の能力として詠唱の必要もなく〈障壁〉を使ってのける。その強度は今のクララたちにとって大した脅威にはならないが無詠唱で行使されるそれは交戦時間を長引かされて要らぬ労力を掛けさせられる。
(短期決戦、バリアは任せろにゃ!)
そんな意志を込めてギラリと凄みのある笑顔をカッコに向ける。〈静寂〉の影響範囲下に在って言葉は届かない。頷く彼女の仕草を目の端に捉えながら、その巨体でもって体当たりを敢行してきた《スクリーマー》にクララは〈強打〉を繰り出す。カウンター気味に入った〈強打〉はしかし〈障壁〉を破れない。
(折込み済みぃ!)
クララは圧し掛かってきた《スクリーマー》がまとう〈障壁〉を蹴り上がってトンボ返りを打った。綺麗に着地を決めると次の瞬間には跳躍のスタートを切っている。不発した体当たりでバランスを崩した《スクリーマー》の上方から、クララは勢い良く〈兜割り〉を叩きつける。
ついにクララの長剣が〈障壁〉を突破して《スクリーマー》の体表へめり込んだ。嫌な手応えと共に刃が球体底部まで斬り裂いていく。クララが盛大に噴き出す返り血から逃れるように飛び退くと、待ってましたとばかりにカッコが動いた。
その長剣による〈強打〉からのコンビネーションをまともに食らい、《スクリーマー》の巨体が石畳に沈む。カッコの一連の攻撃に、空中浮遊を担う器官に重大な損傷を受けたのだろう。
クララが正しく静止目標になったモンスターに〈薙ぎ払い〉を叩き込み、返す刀で突きを放つと、それは図らずもカッコの刺突とシンクロする。その挟み撃ちがとどめとなって一体目の《スクリーマー》が斃れる。
残る一体も退路に立ち塞がったジャックと後衛陣からの遠距離攻撃に釘付けにされ、〈静寂〉の効果範囲から抜け出す隙を与えらない。ボルトとタリアによる精密無比な射撃を無数に食らって〈障壁〉はあっという間に飽和し、むしり取られた。
好機を捉えたジャック渾身の〈盾強打〉が《スクリーマー》を人事不省に追い込む。ジャックが退避したのを受け、その意図を汲んだクララが素早く〈静寂〉効果範囲から抜け出して二人の魔女に叫ぶ。
「デカイの頼むにゃ!」
〈静寂〉影響下のジャックに攻撃宣言が届かないため、誤爆を恐れ大技を控えていたクロネとサーラによる〈炎爆〉が《スクリーマー》に炸裂する。こうして二体目の敵もあっさりと沈黙した。
「こいつら絶対《この世界の敵》だと思ってたのに意外だったにゃ」
「普通の魔法生物だったんですねぇ」
胡乱な会話を交わすクララとタリアを傍目に、こいつらたまにおかしなこと言ってるなとドーレムは首を捻りつつ瞬く間に《スクリーマー》二体を片付けたパーティーの手腕に唸る。これほどサックリ倒された死体なら資源回収も楽なんだがなぁと惜しむ。
「それにしてもこうも早く《スクリーマー》が出てくるとは思わなかったな。このへんは闇亜人とやつらの家畜くらだいと思ってたんだが」
《スクリーマー》の死体を眺めながら思案げな様子のジャックにドーレムが答える。
「三ツ首狼のせいなんだ。ヤツの餌になるのを恐れた《スクリーマー》が元の住処を離れてここら辺まで溢れて来てる」
「げげ。三ツ首狼に根絶やしにされそうな資源てこいつらのことだったのか!」
嫌そうに眉をひそめるクロネにドーレムが肩をすくめる。
「ああ。ウチの魔法使い連中の見立てじゃ、魔力タップリなこいつらがやっこさんにはエライご馳走なんじゃないかって話さ」
自分の話にどこか感心した様子の助っ人パーティー一行にドーレムは申し訳なさそうに切り出す。
「そこでモノは相談なんだが。《スクリーマー》の死体をウチで買い取らせて貰えねぇかな。キチンと規定の料金は払うから」
ジャックは仲間たちの表情を見回すと頷いた。
「それは構わんが、我々は運搬するための準備をしてきていない。ドーレム殿はなにか準備してきているのかな?」
内心で申し訳なく思いながらも、《偽神》にまつわる秘密を明かすわけにもいかずジャックはとぼけてみせる。
「ああ、そっちの準備ならこちらでしてきている」
チャッカリしてるにゃというクララの明るい声に頭を掻いてみせながらドーレムは背嚢から薄汚れた手袋と巾着袋を取り出した。
「意味深に取り出したってことはマジックアイテムの類ですか?」
興味深そうに訊ねてくるサーラに頷きつつ、ドーレムは手袋を付け替える。
「ああ。どちらもタムートさんの持ち物のエライ高価なシロモノさ」
ドーレムは「百聞は一見にしかずってね」とうそぶきながら手袋をはめた片手で《スクリーマー》の死体を軽々と掴み上げ、巾着袋の縁に触れさせた。その瞬間に死体の姿が掻き消える。
「こんな按配だ」
ドーレムがちょっとばかり誇らしげに周囲を見渡してみれば、返ってきたのはいずれも微妙に生温かい微笑みだった。
「あれ? これ凄くないか?」
予想に反した反応にドーレムが狼狽するとクロネがうんうんと頷いてみせる。
「すごいアイテムだと思うよ、いやホントに」
わざとらしい彼女の物言いに他の面子の顔を窺うと、やはりどこかわざとらしさを感じさせる様子で感心した風に頷いている。
「おまえさんら、どう見ても凄いと思ってねーだろ!」
やけくそなドーレムの叫びが通路に木霊した。
02/06:誤字、本文の表現の追加、修正を致しました。大筋に変化はありません。