3.ラエルガスの商人
およそ数百年前、ラフォニス島は東の海峡を隔てた大陸からの侵攻を受けた。この時、侵略者の軍勢によって築かれたという要塞の遺構がラエルガス迷宮の前身となる。
以下は余談ではあるが、当時ラフォニス島全土を掌握していた王国がその対応に遅れをとっている間に侵略者たちの要塞は巨大化、これの攻略戦に人的物的資源を浪費させられた王国の国力は著しく低下することとなり、現在のような一王国五公国体制に移行する、その原因となった。
現在のラエルガスは要塞の地下構造体を中心にした危険生物の棲息圏と化しており、それらを総称してラエルガス迷宮と呼ぶ。
モンスターは縄張り意識が高いためか、ラエルガス迷宮から溢れ出るような動きを見せない。このため統治者たる歴代のライルネス公も、費用対効果の観点から積極的な掃討を行ってきていない歴史的状況がある。
そのような実情があったとしても周辺地域に住まう民は流石に心穏やかではいられない。これを安んじるために監視兵の屯所と簡易な柵が設けられた。
それらは長い年月と共に監視団の駐屯地、土塀へと発展し、そこからまた時を経て現在のラエルガスの街、ラエルガスの防壁という体に至る。
ラエルガスの街は迷宮監視団員を相手に商売を始めた商人らの仮り住まいから徐々に発展した。仮り住まいの集落は村になり、村が街へと発展する。
街が発展する中でその噂を聞きつけた『冒険者』も『迷宮』に富と名声を求めてラエルガスに訪れるようになり、彼らを相手に商売する者も移り住むようになって街はますます栄えた。冒険者たちがもたらす迷宮からの恩恵もあって、街は更なる賑わいと発展を見せることとなる。
一方でラエルガスの監視団は迷宮のモンスターを相手に腕を奮うことも多く、その練度は極めて高い。軍勢に在っての兵としての能力は調練で、戦闘技能者としての能力は多岐に渡る監視団の任務を遂行することによって高く磨き上げられる。ここに兵卒に至るまでが状況の判断力に富むという異様な軍団が育まれることとなる。
ラエルガス監視団の秀でた能力は数十年前の『西方動乱』にあって広くラフォニス島全土に知れ渡ることとなった。島西部の混乱した戦場からライルネス公国軍が速やかに撤退できたのも、遊軍として要所に散らばったラエルガス監視団各員の働きが大きかったと目される。当時のライルネス公は「ついに切札を晒すハメになった」と大いに苦り切ったとも伝えられている。
ボルトは街の様子を眺めながらジャックとサーラの話を思い出していた。今のボルトの目から見ると、なるほど街中で見かける兵士は只者ではないと知ることができる。
はてゲーム時代ではどうだったかと思い出してみても、NPC相手にこれほど際立った印象を持った憶えはない。せいぜい(この装備初めて見たなぁ)ぐらいのものだ。
一方街行く冒険者然とした者たちの挙措には然程感銘を受けない。ゲーム時代と違って相手の名前やスペックが表示されているわけでもないが、何となく自分より未熟であることが窺える。
クロネが訪れた翌々日に貨客馬車の定期便を利用してサンミレーを発った一行は、四日目の昼にラエルガスの街に到着した。道中の二日ほど雨に祟られ、旅の足は鈍ったが馬車は貨客用ということで乗り心地も悪くなかった。
お登りさんよろしく街頭に突っ立って地図を囲んでいる自分たちが、酷く目立っていることを感じてそれとなく辺りを窺う。明確な害意を向けてくる者はいないが興味深そうな耳目に晒されている様子は痛いほど分かる。
(美少女五人連れだものねぇ)
ボルトはしみじみと仲間たちを見渡す。硬軟の美貌を取り揃えた五人の少女は彼の目から見てもそれぞれ惹かれるモノがある。
早々に取った宿でそれぞれが物騒な装備代わりに街娘のような簡素な衣装に着替えていたが、際立った容色は隠しようもない。おまけに自身が持つチカラ故か、仲間の少女らは割と無防備にも見える。
「どう見てもアバウト過ぎてわかんないね。この街の冒険者ギルドで依頼人さんち訊いた方が良いかも」
「知らないもの同士じゃどうにも話が進みませんね――」
クロネのお手上げといった言葉にサーラが生真面目に相槌を打つ。
「ラエルガスのギルド会館の場所ならまだ憶えてるよ」
胸元で小さく手を挙げるカッコに頷いて、彼女を先頭に一行が歩き始める。
「――お嬢さんたち。結構他人目を引いてるから一応気をつけて」
ボルトが囁くと少女たちから了解の声が返る。
「やー、美人も楽じゃないね!」
クララの軽口に女性陣が頷く。
「乙女ゲーでチヤホヤされるのと違ってうざい」
続く台詞には発言した本人以外の少女たちが首を傾げた。
ゲームでの単純化された市街の風景と比べて複雑化したラエルガスを歩くことしばらくして、一行は冒険者ギルドに辿り着いた。カッコの記憶力と勘に拍手を送りつつギルドを訪ねる。職員に雑な出来の案内図を示して事情を説明すると、流石に無償で依頼主の元へと案内してくれた。
依頼主はラエルガスに居を構える商人だった。子飼いの冒険者たちに迷宮の資源を回収させるのを主な業務にしているのだが、最近になってその狩り場に手に負えないクラスの三ツ首狼が出現するようになって困り果てているという。
「放っておくと資源が食い尽くされそうな勢いだという報告もありまして」
きちんとした身なりの中年男性――商人のシニカ・タムートは己が苦境を淡々と語る。
「このままでは進退窮まる事態になるかもしれないと、腕の立つ方を募った次第です」
じっと自分に視線を向けてくるタムートに、ジャックはやや懐かしいものを感じる。ほんの半月前までもこういうのを相手にするのが仕事のうちだったが、その時と比べて自分の業種は随分と様変わりしたものだ。
そんな感慨はおくびにも出さず、ジャックは淀みなく自信のほどを告げる。
「我々はお眼鏡に適う能力を有していると自負しております。お任せいただければ必ずや吉報を持ち帰ってみせましょう」
タムートの計るような視線にも真っ向から応える。
「なるほどジャック殿は歴戦のほどが窺えますが、お仲間方はいささかお若いご様子ですが?」
表情も変えずに問うてくるタムートの言葉に、上手く濁したものだなと苦笑が漏れそうになる。彼はジャックとの話し合いに先立って、事前に別室で待たされている仲間たちの様子を確認してきたのだろう。言外に女子供に何ができるんだという意図が込められているのは間違いない。
「エルフが見かけに因らないのはご存知かと思います。他の者も年恰好からは思いもよらぬ剛の者たちで」
タムートは「ふむ」と一言漏らすと考え込むフリをしてみせる。
「――失礼ですが他にこの依頼を受けた方はいらっしゃいますか?」
探る様に切り出すと返ってきたのはため息だった。
「いえ。正直ほとほと困っておりましてね。ついに待望の冒険者殿がと、喜びいさんで参ったわけです」
そしてまたため息。
「ジャック殿はとてもペテン師に見えませんし出来るお方だと私の直感が告げておるのですが、なに分お仲間方が」
ジャックの仲間たちの姿をかえりみればタムートの言うことも無理はない。自分は殊更言うに及ばないが、ボルトも常識的範囲内で冒険者を生業にしていると口にしても無理はあるまい。
だが残る五人はいずれも見目麗しい少女であり、うち二人はうんと若い。いっそ子供と言って差し支えないだろう。エルフという特殊性を考えればサーラは何とか言い逃れできるがタリアはどう見てもアウトである。
「――おっしゃりたいことはよく分かります。しかしここは私を信用していただきたい」
ジャックはフリーダムすぎる仲間たちの年恰好を少々恨みがましく思いつつタムートの目を見据える。まだ返事を渋る彼にジャックは内心で舌打ちしつつ譲歩する。
「では依頼内容にありました報酬のうち一割を支度金として前払いでいただけるという話はナシで結構です。その代わりに報酬の方を三分増しということで如何でしょう?」
失敗した場合は自身の腹が痛まないこの条件にタムートは意を決した。成功の場合は報酬をやや多めに払う必要ができてしまったが、三ツ首狼を倒せるような冒険者と縁ができるなら悪い話でもない。
合意を得たことにホッとしたジャックが思わず右手を差し出すとタムートもそれに応えた。どうやらこちらでも握手の習慣はあるようだとジャックは胸の内でひとりごちた。
翌朝。子飼いの冒険者のリーダー格である密偵と並んで待っていたタムートの前に、完全武装のジャックたち一行が姿を見せた。居並ぶ者たちの姿を見て、タムートは己が不明に内心で舌打ちする。
荒事の類にはさっぱり覚えのない自分にもジャックらが只者ではないことがありありと見てとれる。昨日はまるっきり子供に見えた人間族の少女すらその武装した佇まいに隙がなく、厳然として武威を放っている。
「ジャック殿もお人が悪い。このお姿を拝見できれば、あのような交渉紛いの戯れ事は必要ございませんでしたのに」
苦笑を浮かべてみせるとジャックがとまどいを露わにする。
「これは申し訳ない。武装してお伺いするのもどうかと気を利かせたつもりでしたが裏目にでましたか」
あまりに素のままなジャックの反応にタムートは心象を良くする。どうやらこの窮状にあって本当にアタリを引くことができたらしい。
「失礼申しました。先ほどの言も当方の不徳の致すところ、お気になさらずに」
タムートはやや表情を緩めながら己が傍らで目を皿の様にしている中年男を紹介する。
「うちで資源回収の仕事をしてくれている密偵のドーレム殿です。迷宮での案内役としてご一緒させていただきます」
水を向けられたドーレムは慌てて表情を取り繕う。
「ドーレムだ。タムートさんのところで契約してる冒険者どものまとめ役を仰せつかってる。今回はあくまで案内としておまえさんらについていく」
話しているうちに調子を取り戻したのか、ドーレムはいつもの飄々とした様子でまくしたてる。
「《三ツ首》がどうにかならなきゃお飯食い上げなんで協力は惜しまない。おまえさんらの手助けは出来る限りしたいが最悪自衛を優先するのでそこのところは勘弁してくれ」
ドーレムは貧相な顔に意外と人好きのする笑みを浮かべると、ジャックへ右手を差し出した。
「というワケでアテにしてる。よろしく頼むぜ大将」
02/09:本文の表現の追加、修正を致しました。大筋に変化はありません。