1.馬鹿がウサミミでやってきた
「ということでサーラちゃん、お風呂入りましょ!」
朝食を囲むテーブルの傍らに突如として現れた美少女の第一声に、タリアたちの動きが止まる。
固まった空気の中、漆黒の長衣をまとったその少女の、魔法使い然とした三角帽子から突き出たウサ耳がピコピコと揺れる。
気がつけば食堂全体が静まり返っていた。他の宿泊客たちのテーブルから注がれる視線が痛い。
「――だれ?」
カッコの問いに静止した時間が動き出す。
「クロネちん、おひさー」
クララがぞんざいに手を振ってもそもそと食事を再開する。サーラは少女に冷めた目を向けながらもしっかり挨拶する。
「クロネさん、お久しぶりです。あとお風呂は入りませんから」
「ええっ、なんで!?」
少女――クロネは見事な赤みがかった金髪を振り乱してサーラの背後に駆け寄る。
「リアたんとは入ってるんでしょ? ライトニングさんから話は訊いてるのよッ!?」
「タリアさんは紳士ですけどクロネさんの場合、紳士の頭に『変態』が付くからです」
サーラが澄まし顔でその理由を答えると、クロネの可愛らしい顔が悲痛そうに歪む。
「残念なクロネちんに耳寄りな情報あるんだけど?」
「聴こうじゃないか!」
含み笑いといった表情を浮かべるクララに、クロネは必死の形相で振り向いた。
「この二人」と言いつつタリア、サーラの順に指差したクララは実にイイ笑顔をつくる。
「お風呂場でいちゃいちゃと髪の洗いっことかしてます」
「地獄に落ちろー!」
クロネが魔導師の瞬間移動スキルでタリアの背後に回り込むや、割りと本気でその首を締めだしたので一行は慌ててやめさせた。
なんとかその場を収めた一行はクロネを交えて食後のお茶で一息つく。
「――同じ元ネカマなのに差別だ」
木のテーブルにわざとらしくのの字を書くクロネに、クララが意地の悪い笑みを向ける。
「今は女の子同士って言ってもクロネちんには危険なモノを感じるからにゃ。自業自得にゃ」
「前世での行いが悪かったねぇ」
クララの言葉にボルトもしきりと頷いている。
「――それであの二人の代わりにクロネ嬢が来たっていうのはどういう訳なんだね?」
ジャックが苦笑を浮かべながらも話を促す。彼の言葉に仲間たちは今日がライトニングやバハムートの帰還予定日だったことを思い出した。
「うう、わたしを女の子扱いしてくれるのはジャックさんだけなのね」
クロネは芝居がかった調子で翠色の瞳を潤ませて感激してみせる。
「えっと、カッコさん――には残念なお話なんだけどギルメンさんたちの情報は良い方も悪い方も掴めてない」
居住まいを正したクロネはタリアたちを見渡し、初対面のカッコが目的の相手と気づくと頷いてみせる。
「バハムーの情報収集にライトニングさんが付き合ってる。そんな理由で二人はまだこちらには来れません」
クロネは真面目な表情で話を続ける。
「――で、うちらの仲間の状況だけど。アルさんとキーちゃんペアの消息がこの期に及んでも掴めてない。あとアインが運悪く《一号ちゃん》の時に転生食らって真っ白になった感じ」
タリアたちから小さく呻き声が漏れる。さすがに知り合い全員が無事であるとは思っていなかったが改めて知らされるとその衝撃は小さくない。
「話は戻るけどバハムーの調査も行き詰ってる感じ。カッコさんたちのギルドって王国首都がメインの溜まり場だったんだって? こんな現状だとエルクーンで消息を掴むのは難しいんだよね」
メイクロファ――上下に潰れた五芒星といった形を持つラフォニス島の中央、ライルネス公国の西方に広がる沃土を治めるラハティス王国の首都であり、ゲーム時においては高レベルプレイヤーの拠点となった基幹都市の名である。
カッコの所属したギルド《ソユーズ》は団員19名の小規模ギルドだったが、構成員が軒並みレベル80を越え、レベル100前後のプレイヤーが大半を占めていた。レベル80台のギルド員にしろカッコやバハムートと同様に、俗に『格上狩り』などと呼ばれる自分より上位のモンスターに挑むスタイルを好んでいた。
このため、自然とゲームキャラクターに等しく与えられている帰還用瞬間移動スキルの設定先や溜まり場がそのメイクロファとなっていた。
「やっぱりメイクロファは危ない感じなんでしょうか?」
サーラが心配そうに訊ねるとクロネが複雑そうな表情を浮かべる。
「というか、メイクロファはもちろん、公国首都の様子も掴み難いのが現状。現在ボクたちには基幹都市間のワープゲートが使えないんだ」
真面目な話を素の調子で続けているためか、クロネの一人称はボクに戻っているが誰もそれを指摘しない。またもゲーム時と異なっている状況に、タリアたちはこの世界のままならさを嫌でも再認識させられる。
「考えてみれば当たり前なんだけどね。主要都市を結ぶ瞬間移動設備なんて重要なモノ、胡散臭い冒険者風情には使わせられないよ」
肩を竦めるクロネに他の仲間たちがため息を吐く中で、ジャックが改めて確認する。
「-―ということはゲート自体はあるわけだ」
「はい、施設自体は以前と同じ様に。あと地方へのゲートはボクやライトニングさんの件からも分かるとおり普通に使えます。料金もゲーム時とほぼ変わらないかな」
クロネは可愛らしく眉を寄せて「でもこの世界の一般庶民の感覚からしたら大金だけどねー」と行儀悪く椅子の背もたれにそっくり返る。
「ついでに聞いた話なんだけど。各都市への帰還スクやスキルね、有事の際は転移魔法妨害とやらで使えなくなるって」
一行から何度目かのため息が漏れる。
「さて。今回ボクがこっちにきたのは伝言もそうなんだけどみんなには仕事を手伝ってもらおうかと思って」
仕事? と口々に呟く皆にクロネが頷いてみせる。
「エルクーンの冒険者ギルドで情報もらったんだ。ボスっぽいモンスター退治。ゲーム時の知識からして多分相手はレベル60相当だと思う」
討伐対象はラエルガス迷宮の三ツ首狼と説明するクロネにクララが手を挙げる。
「安全策をとってレベル100越えのクロネちんがレベル60帯のラエルガスってのは分かるけど他の面子は動けないん?」
「アインの《一号ちゃん》を鍛えるためにアーサー先生とゴーリキ、チョコが手を放せないんだよね。なもんであっちの面子が代わる代わるこっちの面子に戦闘訓練のおつき合いしてもうおうって話になっちゃって」
クロネが可愛らしく舌を出す。
「まだ向こうには誰か残ってた方が良いと思うし。全員でこっちに移ってこれないのも面倒なんだけどね」
「それは構わないが。やはり向こうのみんなも戦闘技術を磨き続けるって判断をしたのか」
どこかほっとした表情を浮かべるジャックにクロネが苦笑する。
「そりゃこんな危なっかしい世界ですから。力を持っていて更に上積みも期待できるなら鍛えないって選択はないでしょう」
「ここらだとピンとこないんだけどやっぱエルクーンあたりは危ない様子なんだ?」
心配そうなボルトの表情に、クロネは困ったような表情を浮かべる。
「いや、危なっかしいっていうのは直接的に危険な目に遭うって話ばっかりじゃなくてね。ここは現代日本じゃないワケで。手厚い人権保護とか優秀な警察機能とか期待できないと思わない?」
表情を硬くしたボルトにクロネが苦笑気味にため息を漏らす。
「必要以上に心配することもないしこっちの日常に慣れるのも良いけど、もうちょっと想像力働かせようよ」
まぁまぁととりなすジャックにクロネが唇を尖らせる。
「ボルトんもイイ大人なんだから。この先いつでもジャックさんが傍に居るとは限らないんだしシッカリしてね」
善処しますと答えるイケメンを可愛く睨みつけ、クロネは表情を切り替えた。
「でまぁエルクーンの話なんだけど元プレイヤーっぽい身なりの者同士での諍いは一先ず収まったかな。表立ってはPKよりPKKの勢力が勝った感じ。このへんはエルクーン常駐組の気質に負うところが大きかったと思う。オーバードの中からPKが出なかったのも幸いしたね」
クロネの説明にサーラが手を挙げる。
「確認したいんですがぴーけーけーってのはPKを倒す行為、人ってことでいいですか?」
サーラのきりりとした表情に相好を崩しながらクロネが頷く。「サっちんはつい最近までPKとか知らなかったんだにゃ」というクララの補足に「サーラちゃんは察しが良いわぁ」とクロネが笑み崩れる。そんな彼女をボルトは恨みがましい目で見詰めるが軽く黙殺される。
「基幹都市間のゲートがプレイヤーには使えなくなったのもこの辺に関しては助かってるかな。普通の廃組ならエルクーンへの移動スクなんてそうそう持ち歩いてないだろうしね」
廃プレイヤーを自認するクロネだが心情的なホームグラウンドはいまだエルクーンであり、実際的にも彼女自身の帰還転移の登録先は彼の街のままである。高レベルの狩りやパーティーでの探索後もご丁寧にエルクーンへと帰還するのが常だった。
クロネとわずかな高レベル仲間はそんな感じであったが、俗に『オーバード』などと呼ばれる者の大半は初期エリアであるライルネス公国を飛び出し、島の各地の基幹都市へとその拠点を移している。
「それほど危なくないなら、わたしもバハムートの方にくっついていったらダメかな?」
真剣な表情で問うカッコにクロネが難しい表情を浮かべる。
「直接的な危険はないと思うけど、今のところ向こうの面子にはリアル女子がいないんだよね。カッコさんがそれでも平気なら構わないけど」
オススメはしないなぁというクロネにカッコは考え込む。
「さらっと聞き流したけどリアル女子って言い方もおかしいにゃ。こっちの女性キャラはみんなリアル女子だし!」
「通じたんだからいいでしょー?」
クララのツッコミに頬を膨らませたクロネだが、次の瞬間には満面の笑みを輝かせる。
「それじゃリアル女子同士ってことでみんなでお風呂に!」
サーラの「イヤです」というきっぱりとした返事に、クロネは力なくウサミミを垂れた。
怪物退治の仕事に出かけるのは明日以降ということになった。目的地の迷宮『ラエルガス』は街の名前でもあり、サンミレーから遥か南の地にあるため移動にもそれなりの準備が必要となる。
ラエルガスにはエルクーンの地方行きゲートを利用するという案も出たがその利用料金は安くない。ゲーム時代の感覚で言えばレベル80を越えたタリアたちにとっては端金だったのだが、それは生活することに金銭が必要なかった時の話で結局は倹約のためにこの世界の尋常な移動手段をとることとなった。
ジャックとサーラはここ数日に懇意となったプレイヤーたちへの情報提供とこちらでのラエルガスの情報収集に出かけ、ボルトとカッコは策敵や追跡の訓練へと向かった。残されたタリアとクララはクロネを案内がてらサンミレーの町を巡ることとなる。
タリアたちは実に目立つ三人組だった。その誰もが見目麗しく、うち二人はこの辺では大変珍しい獣人族である。タリアもクララも最近ではこの町で購入した衣服を普段着としているが、その容貌のお陰もあって毛ほどもカモフラージュの用を為していない。
「――すっごい見られてるわね」
「こんだけの美少女トリオにゃ。仕方ないにゃ」
「張り切ってキャラメイクしましたしね」
男二人と女オタク一人の夢と欲望が素直に注ぎ込まれた容姿である。「わたしなんて」という謙遜は白々しいだけで三人の誰もが自分の、いや自分のキャラの美貌には並々ならぬ自信があった。
「ボルトんはああ言ったけどこんな呑気そうな町でもリアたんなんか攫われそうになったしね」
「ほう。それは同情しますな、無論手を出したお馬鹿さんに」
意地悪く笑うクララに、これまた意地の悪い笑みを返すクロネ。
「おっもちかえりーとばかりに小脇に掻っ攫ったまでは見事な手際だったんだけどにゃぁ」
タリアが小脇に抱えられたまま放った裏拳に顔面を打たれ、人攫いの悪漢はあっさり昏倒したという話にクロネはそのシュールな場面を思い浮かべて思わず噴き出す。
「でも反省しましたよ。治安の悪そうな通りをヘラヘラほっつき歩いてたのは完全に舐めてました。あれが自分より高レベルなプレイヤーだったらと思うと油断しすぎてたなって」
実際あの場面では内心かなり動揺したタリアは、その時のえも言われない嫌悪感を思い出して眉をしかめる。突然、自分より体格の勝る相手に身体の自由を奪われた時の混乱と精神的衝撃、これが当たり前の少女だったならと思うと今でも鳥肌が立つ。とりあえず相手を殺さずに済んだ上で大怪我もさせないほどに手加減できたのは不幸中の幸いだった。
「なるほどね。わたしなんか腕力ほとんどないし気をつけなきゃ」
「クロネちんには魔法があるじゃん」
表情を改めたクロネの肩をクララがお気楽そうに叩いた。
三人は昼近くまでサンミレーの町を周り、昼食を済ませると湯治場を兼ねる温泉施設へと訪れていた。
「うちらもここを利用するのは初めてにゃ」
タリアたちが泊まる旅館もさすがに日本のそれのように24時間入浴可能とはいかない。どうしても温泉に入りたいと駄々をこねるクロネに降参した二人はいまだ活動中であろう仲間たちに申し訳なく思いつつ彼女の願いをきくことにした。
乗り合い馬車に揺られることしばらくして辿り着いたサンミレーの里山然とした山手の温泉街は、どことなく日本の地方都市のそれを髣髴とさせた。物見遊山に歩いて周ると閑静な佇まいを見せる一画もあり、通りがかった人に訊ねてみると公国の貴族たちの別邸との返事が返ってくる。
「温泉地に別荘とか貴族凄いけど俗っぽいな!」
偏見塗れのクララの言葉に、タリアとクロネが慌てて彼女を連行する。邸宅の門番にすごい勢いで睨まれたように感じたからだ。
「君主国家で滅多なこと口走らないでよバカネコ!」
現場からしばらく離れてからクロネが喚くとクララも黙っていなかった。
「危なっかしい世界とやらで昼間から温泉に入りたがるバカウサギに言われたくないにゃ!」
「キーッ、あんたたちは普通に温泉に入れてるからいいでしょうけどね、もうどれだけあったかいお風呂が恋しいと思ったことか!」
罵り合う二人を眺めながらタリアが眉をしかめる。
「やっぱり普通のところの入浴って厳しいんですか」
「エルクーンだと宿にお風呂なんてないわね」
真顔で答えるクロネにクララが不思議そうに鼻を寄せる。
「お風呂入ってないわりに匂わないにゃ」
「公衆浴場はあるんだけどアレはお風呂とは言えないわね。人間洗濯場って感じで」
クロネがため息と共に肩を落とす。
「燃料ケチってるせいでぬるいし。だから早く、早くあったかい温泉ぷりーづ!」
わざとらしく両手を広げて天に吼えるウサミミ少女。
「――やっぱバカウサギだにゃ」
それを遠巻きに眺め、クララは冷めた口調で呟いた。
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