52話:前途多難
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泥濘るみ出した地面を蹴って、足早に駆けている。一歩踏み出すごとに水が撥ね、スカートの裾を濡らしていった。
強い風が吹き抜け、大粒の雨が身体に打ち付けられる。雷霆は雲の中を駆け、空気を抉る。迸る光の根が地面を焼いていた。
希望などというものはもうどこにもなく、絶望が雨に乗ってすべてを塗り替えてしまっていた。
その嵐にも相応しい激しい雨は唐突にやってきた。山の天気は不安定である。その知識を持っていたにも関わらず、わたしは対応することができなかった。
リラやわたしは水を司る精霊種であるから、濡れてしまっても問題ない。けれど、エフェリアはそうもいかない。濡れてしまえば体温は奪われ、風邪を引いてしまうかもしれない。
傘を作っておけばよかったとも思うものの、この雨風では役に立ちそうになかった。レインコートだったら、いくらかマシになっただろうか。
エフェリアが凍えてしまわないように服の内側にしまって、魔力を纏って水は弾くようにした。
エフェリアの身体が震えてしまっているのが、胸に伝わってくる。
「エフェリア、大丈夫? 寒い?」
「ううん、大丈夫よ――キャッ!」
耳を劈く光の木がわたしたちの近くに墜ちた。視界を覆い尽くす光に身を強ばらせて、エフェリアは小さくなっていた。
「大丈夫だよ。怖くない……でも、大きな音にはびっくりしちゃうよね」
「……うん」
雨宿りをしたいところだけど、山の上ではどうすることもできない。野営の使ったテントでは風に飛ばされてしまうだろうし、ガラスのような頑丈なものを作ったところで安心することはできない。
わたしはエフェリアばかりを気にかけていたけれど、手を繋いでいるリラも怖がっているようだった。手に力が入って、黙って身を寄せている。肩が触れ合って、そこだけが温かく感じていた。
リラの顔を見ると顔からは雨が滴り、それが泪のようにも見えたんだ。
「リラ……大丈夫?」
いつもなら元気よく返事をするだろうに、リラは口を噤んだまま、わたしに身を寄せてきた。
雷はただの電気で自然の怒りだとかそんな迷信は信じていないけれど、精霊や妖精にとっては敏感なものなのかもしれない。
わたしは少しでも怖さや寒さが紛れればいいと思い、テントに使っていた布を掛けた。その布の中にふたりで入って、身を寄せたんだ。
「これで怖くないよ。ね?」
「うん。ありがと」
リラは咲ってくれた。布が落ちないように端をぎゅっと掴んで、一緒に入れるようにさっきよりも身体をくっ付ける。
「早く雨宿りができるところを探さないとね」
「洞窟があればいいんだけど……山を下った方がいいのかな」
「でも土砂とかが怖いし……」
わたしは不安を紛らわす為に独り言を呟きながら尾根を進んでいた。どうして止まって嵐が去るのを待とうとしなかったのだろうと、今では思う。
けれど、このときは前に進まないといけない。そんな強迫観念に支配されていたんだと、わたしは思うんだ。
「サフィ、お歌が聴こえる……」
エフェリアがそんなことを言う。歌? と、わたしたちは立ち止まって耳を澄ました。聞こえてくるのは打ち付ける雨と雷の轟く音ばかりだ。
「……あっ」
「聴こえるわ、お歌」
「どこから聴こえるかわかる? 誰かがいるなら、雨宿りできるかもしれない」
「あっちよ」
リラにも歌が聴こえたようで、ゆっくりと歌が聴こえる方へと歩いていった。すると、わたしにも少しずつ聴こえるようになってきた。雨が降り注いでいるというのに、透き通るようなキレイな歌声だった。
その歌声は風に魔力を乗せて操っているのか、歌に気づいたらその流れも視えるようになっていた。リラとエフェリアにもその流れが視えているようで、わたしたちはその歌声に、導かれるように雨の中を進んでいった。
先の見えない雨の中を進むのは怖かったけれど、歌声に導かれている間は怖さを感じなかった。進むべき道が視えるだけでこんなにも安心感に違いがでるものなんだと思い知らされる。
尾根を下ってしばらく進んでいくと洞窟が見えてそのキレイな歌声は中から聴こえてきていた。
「よかった。雨宿りできるね」
洞窟の入口で水を落とした。魔法で簡単に乾かせるのは便利だ。
辺りを見渡すとわたしたちの他にも動物たちが雨宿りをして身を寄せあっていた。
洞窟の入口は雨が滝のように落ちてきていて、外の様子を窺うことさえままならない状態になっていた。こんな中を歩いていたと思うと、リラとエフェリアにはヒドイことをしてしまったと反省する。
「リラ、エフェリアも……こんな雨の中歩かせちゃってごめんね」
「わたし、もっと考えるべきだった」
「ううん、いいの」
「こうして雨宿りできているンだしアタシも、リラもそんなに弱っちくなんてないンだから」
「ちょっぴり怖かったけれど……サフィもエフェリアだっていてくれたし、もう大丈夫よ」
わたしは情けないと思って自嘲した。立ち止まって雨に打たれ続けるよりかは、歩いて今こうして洞窟まで辿り着けたのだから、結果的にはよかったのだろう。
けれど、ふたりを守ると勝手に誓って起きながらこの失態であるのは、やっぱり反省しないといけない。
「お礼、言った方がいいかな」
「うーん、そうね」
「せっかくだし、お友だちになれるかしらっ♪」
エフェリアはもうすっかり元気になって、動物たちと戯れていた。
わたしは歌声が聴こえる洞窟の奥深くを見る。
原生の洞窟にしては穴の大きさが一定で、不自然なほどキレイだった。冷えたマグマの通り穴や坑道に似ていると思った。山の形や落ちている石からして火山ではないから、何かしらの坑道なのかもしれない。
洞窟の奥へ進んでいけば明かりがないから暗くなるだろうと思っていたのに、そんなことはなかった。何故か全体が薄ら明るく、木陰の獣道を歩いているのと変わらない感覚だった。
それが魔法に因る視覚の補正なのかはわたしには判らなかった。
数分もしないうちに、わたしたちは歌声の主の元へ辿り着いた。ここにも動物たちが身を寄せ合って暖をとっていた。普段は関わり合わないような動物たちがこういうときには縄張りを気にせず助け合えるのはすごいことだと思う。
「~♪」
歌声の主は子守唄のような優しい歌を歌っていた。決して大きな声ではないのに、その歌声はどこまでも透き通るように耳に届く。
彼女は長く艷やかな金糸雀のような髪を持った、花のように可憐な少女だった。白いシャツに真っ赤なスカートを穿いて、黒いエプロンのようなものを身に着けていた。
わたしたちが遠巻きでどうやって話しかけようかと悩んでいると、その仔が気が付いて話しかけてきてくれた。




