51話:遙かなる旅路
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わたしたちは小さな花が咲き誇る、なだらかな尾根の路を歩いていた。エフェリアはわたしの肩に乗って脚を遊ばせている。リラとは指を絡めて手を繋いで仲良く歩いている。いつものように鼻歌を歌いながら、少し跳ねるように小さな脚で草を踏みしめていた。その度に後頭部で高くひとつ結びをした馬の尾が優雅に揺れる。その根本には藍色の長いリボンが結われている。
山嶺からの眺めというのはいいものだ。どこまでも広がる緑を世界を一望すると、その世界の広さに琴線が触れ、ライアーやハープのひとつでも弾いてみたくなってしまう。
遠くで二羽の鳥が輪舞曲を踊っていた。彼らは毎日のようにこの景色を見ているのかと思うと、少し羨ましく思う。
「キレイだね……」
そんな、なんのひねりもない感想を零した。リラとエフェリアはただ相槌を打つだけで、これといった会話は続かなかった。けれど、気まずいということはまったくなく、わたしたちはみんな、ただただ世界の美しさに見惚れていたんだ。
どうやら、感動をしていると言葉を失うというのは本当らしい。
山の過酷な環境にも負けずに咲き誇る小さな花々が大地という名のキャンバスの上を贅沢に彩る。空を額縁にしても収まりきらないような広大な作品はどんな宝石を絵の具に変えてもこの光景を上回る美しいものを生み出すことなんてできないだろう。
――絵、描きたいなぁ。
青空の下にイーゼルを立て掛けて、穏やかな風を受け薫らされた花々に恋をする。そうして描いたものはどこまでも広がる景色ではなく、たった一輪の小さな彼女になることだろう。
そんなことを考えながら歩いて、太陽も空高くまで昇っていた。
そうして、ヒトが通った跡を見つけたんだ。
地面が踏み固められて、土が露わになっている細い、細い路。その果なき路の先にヒトの街がある。
立ち止まって遠くを見た。リラとエフェリアもわたしの真似をして頭の上に手をかざす。けれど、どこを見渡しても街なんてものは見つからなかったんだ。
「街、見えないね」
そんなことを呟いて、見落としているかもしれないとみんなで唸りながら目を凝らす。どこまでも透き通るような空気で、遥か彼方まで見渡せる。だというのに、城壁やお城なんてものは見つけられなかった。
すると、リラが「あっ」と言って指を指したんだ。
「ねぇねぇ、あの赤いのは何かしら!」
わたしが見ていた方角とは違い、右の方を指差すリラのその先を見ると、確かに赤いものが見えた。空の青と自然の緑で埋め尽くされている視界に、その赤は小さな樹の実のように目立っていたんだ。
その赤は確かに、人工物の赤だった。屋根だ。家の屋根の色だ。と、わたしは理解した。
「あっ! あれだよ! すごい!」
「ちょっと! サフィ! アブナイじゃない!」
わたしはエフェリアが肩に乗っていることも忘れて、リラに抱きついて跳ねていた。それはもう少女のように年甲斐もなく、喜びを身体で表現していたんだ。恥ずかしいことにね。
わたしはエフェリアに平謝りをして、頭をポカポカと叩かれていた。
「でも、かなり遠いね。ここから歩いて……二日は掛かるかな」
目で見えてるから遠く感じないけれど、そんな気がする。それに、見えているその赤は街と言うよりも村といった方がいいかもしれない。点々と散って見えるのは散村だからだろう。山に暮らす農牧の民だと、そのような村を作る。ワザワザ土地を巡る必要がないし、家畜を飼うためには草が必要だからだ。
それに、もしかしたら山の麓には湖があるかもしれない。水がなければ生活はできないだろうから、少なくとも近くにもっと大きな集落があるはずだ。
ヒトが歩いて三日、四日掛かる距離……もしも馬車があれば、一日で辿り着けるかもしれない。でも、馬は休憩が必要だし、前世で言えば車よりも遅い。となると、馬車でもあまり掛かる時間は変わらないだろう。山の路は険しく、むしろ馬の方が遅いかもしれない。
わたしは『街』とドルアンティア――ママから聞いて、城を中心に栄える城下町の王都を想像していた。それと比べてしまうと、華やかさなどというものは微塵も感じられず、少しばかり昂っていた感情も肩を落としてしまった。
けれど、目まぐるしく飛び込んでくるヒトの営みよりも、リラやエフェリアにとっては、ヒトと関わっていくいい入口かもしれない。
都会よりも、田舎の方がヒトとヒトとの繋がりは大切になってくる。それが災いすることもあるけれど、優しいお年寄りがいると想像して期待に胸を膨らませていても罰は当たらない。
そういえば、森が開けてた場所は道じゃなかったのかな。と、思い出して、その先を見た。
するとそこには細い川が流れていて、道ではないことがわかったんだ。渓谷に流れる川は村と思われる方から流れていた。
川に沿って進むか、このまま尾根を歩いて行くか。どっちがいいんだろう。川を沿って行けば水や魚といった食料には悩まされないし、いずれ水源まで辿り着けるだろう。でも川が近いと風が冷えて夜が危ないんだったっけかな……?
けれど、わたしたちには食料は必要ないし、水も魔法で出してしまえばいい。
尾根を進んで行くなら、見渡しがいいし迷うこともないだろうと思う。懸念点はやはり気温だろうか。山嶺は天気が不安定だし、風が強くて空気も薄い。過酷な環境であることに変わりはないんだ。
これらの問題はわたしたちにとってあまり関係のないものかもしれないけれど、自然の脅威を甘く見るのは良くないだろうと感じている。自然を相手にしたとき、油断の先にあるものはいつだって死だ。
わたしはピクニック気分でいる頭を覚ますために両手で頬を叩いた。
すると、それを見ていたリラも真似をする。リラの柔らかい頬がかわいらしい音を鳴らした。エフェリアもわたしたちを見て真似をする。
そして、おかしく思ってみんなで咲った。
「「ふふっ」」
気合いを入れるつもりだったのに、逆に力が抜けてしまった。リラも、エフェリアもいい笑顔をしている。花のように可憐な、かわいい笑顔だ。
わたしはリラとエフェリアが一緒なら、この先の旅も大丈夫だろうという気持ちになった。ふたりがいれば、なんだってできそうな気がする。そういう気持ちになれたんだ。
わたしは遠くに見える理想郷の赤い樹の実を指さした。
「よーし、じゃああの赤いのを目指して進むでいいかな」
「えぇ、もちろん!」
リラも、エフェリアも元気よく答えてくれた。わたしたちは皆、胸の裡で希望という名の脈動が高鳴っているのを感じていたんだ――。




