50話:黎明
空って眺めていると落ち着きますよね。
テントを揺らす風の音、そして瞼の先に仄かに感じた光にわたしは朝の訪れを覚った。
意識は夢の世界に囚われたまま、背中にエフェリアの温もりを感じていた。お腹に回された手を取って、わたしの手を握らせる。
弱く握り返して、離すまいとしているのがかわいらしい。目を覚ましたらまた怒ってしまうだろうか。なんてことを考える。
昨日の今日は寝るのが遅かった。だから、エフェリアを起こしてしまうのは悪いと思った。
わたしはエフェリアの方を向くために身動ぎをして、向かい合って抱き合うようにした。かわいらしいエフェリアの寝顔が目の前にある。こうして間近で見つめるのは初めてかもしれないと思った。長いまつ毛に、ふっくらとした唇。ウェーブのかかった髪が少し桃色をしている頬を隠している。わたしはその髪を長く尖った耳に掛けて、軽く梳いた。その嫋々とした髪は金糸のようだった。
空に目を向ければ、半透明のヴェールの先には未だ夜の気配を湛えた天蓋をまち針で仮留めしているように星が煌めいていた。
きっと、これから夜明けのドレスを織っていくのだろう。地平線の先はエメラルドグリーンのキレイな色をした生地が広げられていた。
今日はどこまで進めるだろうか。
尾根をもう少し歩いたら、山を下って林道に出る。そしたらその道をずっと進んでいって、村や街に着く……といったところだろうか。
今までは魔物なんてものには遭わなかったけれど、森を抜けた先がどんな環境なのかわからない。人の住んでいる場所に着くまでも、何日掛かるかわからない。
不安ではあるけれど、わたしの心はこの黎明のように澄んでいた。だって、リラとエフェリアがいれば怖くない。きっと咲いながら旅ができるだろうという確信があった。
以前、泉で魔法の練習をしていたときのことを思い出しながら魔物に襲われるなんてことがあっても、わたしの力があれば大丈夫だろうと思った。
わたしはこの、日が昇る前の朝の空気が好きだ。世界でわたしだけが生きているような錯覚に陥って、耳を澄ませると大地の胎動が聞こえてくるような、そんな感覚。
蛍石のような空が、天青石に変わりゆくその様を見ているのが好きなんだ。一日という時間の中でたった数分しか許されない神秘の時間。
そんなことを考えているうちにも、空は朝明けを迎えていく。
東雲になりゆく空を傍目に、エフェリアの頬を撫でる。首筋に指を滑らせれば、エフェリアの高い体温がよく感じられる。
「ん……」
エフェリアが声を出して、起こしてしまったかと思って手を引いた。
わたしももう一度眠ろう。まだ早いし、旅は急がずにゆっくりでいい。その方がきっと、楽しい思い出だってたくさんできるだろうから。
わたしはそう思って、エフェリアを抱き枕のようにしながら目を閉じた。
◆
透ける天蓋が太陽の光を抱きとめることができるはずもなく、わたしはその眩しさに目を覚ました。身を起こすとエフェリアとリラの姿が見当たらなかった。
小さな身体のままでは見えないと思い、リラと同じ大きさに戻ってテントを片す。
辺りを見渡すといい感じの石に座って髪を梳いているリラとエフェリアがいた。いつもはわたしがリラの髪を梳いていたけれど、今はエフェリアがその長い髪を押さえてオシャレにするのを手伝っていた。
「ふたりとも、おはよう」
わたしは少し眠たげな声で朝の挨拶をする。わたしの声に気が付いたふたりは振り向いて、笑顔でおはようを返してくれた。
「もう、サフィったらお寝坊さんなンだから! やっと起きたのね?」
「ごめんね、ぐっすり眠っちゃった」
エフェリアにはもう哀しげな気配はどこにもなく、いつもの明るい彼女が戻ってきてくれていた。リラは髪をまとめながら、「サフィの寝顔、かわいかったわ」なんてことを言う。わたしは少し照れくさくなって、ソレを誤魔化そうと寝起きの顔を揉んだ。
「でーきた! さぁ、サフィも起きたなら、オシャレさんにしてあげるね」
リラが手招きをするので、わたしは遠慮なく隣に座った。エフェリアの髪は既にリラの手によってオシャレさんになっていた。細いリボンをカチューシャのように付けていて、普段よりも少しボリュームのある髪型になっていたんだ。
「エフェリア、かわいくしてもらったんだね」
「えへへ……いいでしょ♪」
やっぱり、エフェリアには笑顔が似合う。花のような彼女には、いつもその笑顔でいられるようにしてあげたいと思った。そう言うと張り付いた笑顔だとか、仮面だとか、偽りの……なんて言葉が浮かんでしまうけれど、そうじゃないんだ。
わたしの笑顔は自然に振る舞えているだろうか。ふと、そんなことを考える。社交辞令の笑顔や賛辞。窮屈な衣服に支配された大きな世界で、目に入るのは石でできた枝葉のない灰色の枯れた樹木ばかり。意味もなく誰かを貶めて冷笑を促す画面を心の裡で冷笑する。そうして冷めきった心は動かすこともできなくなって凍えてしまったものだと思っていた。
「エフェリア」
「なぁに?」
わたしの膝の上で小物を作って遊んでいたエフェリアに手を差し出すと、彼女は素直にそれに乗ってくれる。触れたら壊れてしまいそうな彼女の重みを掌に感じている。
手を胸の近くまで持ってきてエフェリアのことをただ眺めていると不思議そうに首を傾げるものだから、愛しくなってしまってわたしは咲ったんだ。指の背で優しくエフェリアの頬を撫でると彼女は気持ちよさそうに目を細めて擦り寄ってきた。
朝になったら、もしかしたらエフェリアはいなくなってしまっているかもしれない。そんなことを考えていたけれど、そんなことはなかった。わたしに体を寄せて、一緒に眠ってくれていた。
たったそれだけのことかもしれないけれど、嬉しかったんだ。
エフェリアはもう気にしないことにしたのかもしれないけれど、しっかり謝っておきたいと思った。
「その……夜はごめんね。痛かった、よね」
「ん……アタシもごめんなさい」
「サフィのこと、痛くしちゃったわ」
「エフェリアは大切な家族なんだから、ずっと一緒だよ」
「どこにも置いていかないし、わたしたちがどこかに行っちゃうことだってないよ」
わたしがぎこちなく謝るとエフェリアも不安に思っていたのか、わたしにごめんなさいをした。長い睫毛を下に向けて哀しそうな顔をする。エフェリアが不安になってしまうなら、わたしは何度だってずっと一緒にいると言い続ける。その不安が拭えるまで優しく撫で続けると思う。エフェリアはわたしのことを信じてくれるのか、口元を緩めたんだ。
リラは髪を結い終えてわたしの隣に座っていた。ふたりでお揃いのポニーテールだ。
朝の涼しい風を全身に浴びて息を整えた。
「仲直り、できた?」
「うん♪」
リラがわたしたちの顔を覗いて咲いかけ、エフェリアが花を咲かせて返事をした。夜になにがあったのかリラは知らないだろうに、そのことについては訊いてこなかった。
わたしだったら、訊いてしまうだろうか。家族のことだし、気になって仕方がなくなるだろうと思う。自分にも力になれることがあるかもしれないと考えてしまう。
訊くも、訊かないもどちらが正解だということはないだろう。わたしとエフェリアはたしかにリラのその優しさに救われたと思うんだ――。




